
T18-1 現実の代用
今回はテキスト第十八章から「現実の代用」という一節をご紹介します。分離の錯覚という原初の誤りによって、偽りの世界が出現して、神の子と真理の間を遮って張られるスクリーンとなり、そのスクリーンに誤りが投影されて、すべてがあべこべに逆転した狂気の世界の中の生き物として神の子は生きるようになったことが語られます。そして、実在する真理、生命、愛、全体性、永遠はひとつしかないのに対し、実在しない虚偽、死、恐れ...

T7-8 信じがたき信念
今回はテキスト第七章から「信じがたき信念」という一節をご紹介します。1では、心の根本的な法則について述べていますが、法則の中身を具体的に言葉で特定していません。「1. We have said that without projection there can be no anger, but it is also true that without extension there can be no love. すでに述べたことですが、投影なくしては、いかなる怒りも存在しえません。しかし、拡張なくしては、いかなる愛も存...

T12-3 現実への投資
今回は、テキスト第十二章から、現実への投資という一節をご紹介します。"Investment"には、投資という意味があります。投資とは、見返りを得るために資本、元手を投下することです。本節での投資は、救済という見返りを期待して思いを注ぎ込むことというニュアンスになります。そして、救済をどのようなものとして捉えるかによって、投資の対象が変わることになります。この質問は二段構えになっていて、①何が救われるべきか、②ど...

レッスン358「神への呼びかけが、聞き入れられなかったり、答えられないままになることは一切ありません。そして、次のことを私は確信できます。それは、神の答えこそ、私が本当に望む答えだということです」
レッスン358です。「神への呼びかけが、聞き入れられなかったり、答えられないままになることは一切ありません。そして、次のことを私は確信できます。それは、神の答えこそ、私が本当に望む答えだということです」が今日のレッスンです。まず、私とは何かをご覧ください。私たちは、神が私たちのようなちっぽけな存在のことを気にかけたりするはずがないし、仮に神にその気があっても、私たちの望みや呼びかけを聞き入れように...

レッスン325「私が自分に見えていると思っているすべてのものは、想念の反映なのだ」
レッスン325です。「私が自分に見えていると思っているすべてのものは、想念の反映なのだ」が今日のレッスンです。まず、創造ってなに?をご覧ください。私たちが見る世界は内心の反映だということは、コースが繰り返し述べることです。レッスン304「私の世界がキリストの視界を曇らせることがありませんように」、T12-7 内面を見るが参考になると思います。この仕組みによって、エゴに従うなら非難し攻撃する狂気の世界が見...

T13-9 罪悪感の雲
今回は、テキストから罪悪感の雲という一節をご紹介します。本節の冒頭では、過去が未来を決めるというエゴの法則について述べられます。この世界では、時間は過去から矢のように未来に向かって進み、後戻りしないと考えられています。これに対して、時間は未来から過去に向かって進んでいるという考え方もあります。いずれにせよ、時間は実在しない錯覚なわけですから、未来と過去のどちらから流れているかの議論はある意味空疎な...

T2-1 分離の起源
テキストから、分離の起源についての一節をご紹介します。神の子は、光源である神の拡張である光であり、完全無欠に創造されており、すべてを持つと同時にすべてでもあります(T7-3 神の王国の本当の姿とは)。したがって、分離はありません。しかし、神の子の創造力は無限であり、神の子は自由なので、神の子には、創造力を間違った使い方をする自由もあり、現にその力を行使することができてしまいます。したがって、神の子には...

T6-2 エゴの道具としての投影の仕組みとは?
今回はテキスト第六章から、投影についての一節をご紹介します。「心理学における投影(とうえい、英: Psychological projection)とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るためそれを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きを言う[1][2]。たとえば「私は彼を憎んでいる」は「彼は私を憎んでいる」に置き換わる[2]。これには責任転嫁(Blame shiftin...

T29-7 自分の外を探さない
今回は、テキストから、自分自身の外を探求してはならないということを解説する一節をご紹介します。汝自身を知れで触れたように、テキストは、自分自身を知るためには自分の中だけを探すのではなく、他者との出会いを神聖な出会い(T8-3)として、自分がエゴに従っているのか、聖霊に従っているのか、他者を鏡として気づくことが必要だとも言っています。自分の中でだけ探しちゃダメだといいながら、自分の外を探してはならないと...

レッスン51(レヴュー:レッスン1~5)
レッスン51です。今回は、レッスン1から5までの復習です。50レッスンまで終えて、多少、コースのラディカルさにも慣れてきたと思います。最初のほうのレッスンでは、とまどうことばかりだったと思いますが、この復習期間で、それぞれのレッスンの間のつながりが見えてくると思います。...

正しい自己中になるにはどうすればよい?
自己中心的というのは、一般的には悪いイメージで捉えられます。しかし、正しい意味で自己中心的になることは、むしろ必要なことです。レコードは円盤の中心に穴が開いているからこそ安定して回転します。私たちも、正しくセンタリングしないかぎり、ずれた穴を中心にして回転するレコード盤のようにブレてひずみ、エキセントリックな振る舞いが平気でできてしまうようになってしまいます。夢の主人公で述べましたが、私たちが、世...

レッスン30「神は、私の見るすべてのものの中にいる。なぜなら、神は私の心の中にいるからだ」
レッスン30です。今日のテーマは「神は、私の見るすべてのものの中にいる。なぜなら、神は私の心の中にいるからだ」です。「あなたの拡張するものはあなたにとって現実となる」という神の法は、「あなたの投影するものをあなたは信じる」という世界の法則に変容されるということでした(T7-2 神の法)。天国では、光源である神から生じる光線である神の子は光を拡張させて、神の現実を増大させます。この世界は、神の子が分離幻...

レッスン22「私が見ているのは、復讐のひとつの形だ」
レッスン22です。今日のテーマは「私が見ているのは、復讐のひとつの形だ」です。自分は温厚な性格で攻撃や復讐なんて無縁だと思って暮らしている人からすると、「復讐」というのは過激な言葉で、ショッキングなテーマだと思います。でも、この世界に生まれ落ちている以上、どんなに自分が草食系で温和だと自負していようと、その人に見えている世界は攻撃心を投影された世界からの報復攻撃が今にも起こりそうだとびくついて眺め...

T27-8 夢の主人公
今回は、テキスト 第二十七章 から八「夢の主人公」をご紹介します。この節では、この世界が幻、夢想にすぎないことが明らかにされてゆきます。この夢見の世界では、劇をリアルに見せるためのキャラクターとして、身体が登場します。夢が何度も何度も繰り返して私たちに教えこもうとしているのは、夢こそが原因であって私たちは夢が生み出した結果つまり夢の産物にすぎないということです。こうして、自分は夢の結果であって夢の...

レッスン5「私は、決して自分が思っているような理由で心をかき乱されているのではない」
ワークブックのレッスン5です。今日のテーマは、「私は、決して自分が思っているような理由で心をかき乱されているのではない」です。今日のレッスンは、"upset"を対象とします。「心の乱れ」と訳しましたが、混乱でも、動揺でも、うろたえでも、動転でもいいと思います。恐れや心配、落胆、不安、あるいは、怒り、憎しみ、嫉妬、その他、いろんな形をとって心の平安が乱される状態をまとめる意味で用いられています。「There are...

M17 魔術にはどう対処すべきか
今回は、教師のためのマニュアルの第17節をご紹介します。魔術的な思考にどう対処すべきかというテーマです。魔術とは、欺瞞です。魔術的な思いは、欺瞞によって幻惑される思いです。魔術は、幻想世界の中において、一見すると、個別の心が信じこんでいるこの世界のルールを枉げるような「奇跡」的な出来事を引き起こすことによって、個別の心を幻惑することです。つまり、世界での通常の捉え方としては、奇跡も魔術も常識ではあ...

change the world
「Therefore, seek not to change the world, but choose to change your mind about the world. 」 (テキスト 第二十一章 理性と知覚 序論)「Change the World」という有名な曲があります。 1996年の映画「フェノミナン」のサウンドトラックに収録されたベイビー・フェイスのプロデュースによるエリック・クラプトンのカバー・バージョンは大ヒットし、美しいメロディと歌詞で、私も大好きな曲です。「フェノミナン」自体も...