
S1-5 はしごの終わり
はたらく細胞の世界観で見ると、身体の内部世界のひとつの細胞が自分独自の利益追求を考えず、私心のない状態にあることが身体全体が健康で自然な状態であることがよくわかります。これに対して、身体全体の一部の個である器官や細胞が「私」という自意識を抱く状態は、癌細胞に類する不健康な状態です。神の子についても、全体の一部が自分が残りから分離した「私」という自意識を持つ状態は、エゴという狂気に憑りつかれた不健康...

S1-3 他者のために祈る
前節で、自分を迫害する敵のために祈れという言葉は矛盾ではなく、本当の自分を分割させて他者の仮面を被らせて敵視することでキリストを幽閉しているというのが実体なのだから、本当の自分である神の子を解放するために祈りなさいということを言っている、つまり、祈りは自分自身のためのものだということが示されました。この理屈なので、本当の自分である神の子のためになるとしても、方法としては、神の子が自分を分裂させて個...

T5-intro 癒しと全体性
テキスト第5章の序論です。第5章は、「癒しと全体性」というタイトルです。短いですが、癒しの側面から簡潔にサンシップの本質を述べています。聖書には「己を愛するがごとく汝の隣人を愛せよ」(マタイによる福音書 /19章 19節、22章 39節)とあります。「右の頬を打つ者があれば、左の頬も向けよ」(マタイによる福音書 / 5章 39節、ルカによる福音書 / 6章 29節)とともに、キリストの言葉が、ただきれいごとを並べるだけの偽...

T24-2 特別であるという欺瞞
今回はテキスト第二十四章から『特別であるという欺瞞」という一節をご紹介します。特別性は、犠牲、共感等と同じように、この世界では否定的な意味を付与される概念ではなく、尊ばれる概念です。コースは、これらの概念を否認するので、コース「信者」の人の中には、素直に受け止めて、頭ごなしに、一切、特別であることや犠牲を払うことや他者に共感することは間違いだと考えてしまうこともあるかもしれません。しかし、コースが...

T28-2 原因と結果の逆転
今回は、テキスト第二十八章から「原因と結果を逆転させる」という一節をご紹介します。7.については原文の意味がわかりにくい箇所があるので、訳文について補足説明をしておく必要があると思います。「7. The miracle establishes you dream a dream, and that its content is not true. 奇跡が明確にするのは、あなたが夢を夢見ていること、そして、その夢の内容は真実ではないことです。 This is a crucial step in dealing...

T26-10 不正の終わり
今回は、テキスト第二十六章から不正の終わりという一節をご紹介します。前節までに、他者との間に保とうとする隔たりが時間と空間を生み出し、キリストの顔に影を落として、キリストの顔を見えなくして神を思い出せなくするということが語られました。本節では、私たちがこの隔たり、影を取り除いて、キリストと神が臨在することに気づくためになすべきことが語られます。それは、攻撃が正当化される場合と攻撃が不正で許されない...

レッスン338「私は自分の思考によってのみ影響される」
レッスン338です。「私は自分の思考によってのみ影響される」が今日のレッスンです。まず、エゴってなに?をご覧ください。「私は自分の思考によってのみ影響される」ということが真実だとしたら、外敵を恐れる必要もないし、嫌なことを強制されることもないし、いいことづくめのように思えます。とはいえ、自分の世界が自分の思考で自由になり、無制約になんでも思考できるとしたら、間違った思考によって自分をがんじがらめに...

T7-3 神の王国とは
今回は、テキストから王国の実像という一節をご紹介します。2.「Yet you are always teaching. それでも、あなたはつねに教えています。 You must, therefore, be teaching something else, even though the ego does not know what it is. そうだとすれば、たとえエゴにはそれが何なのかわかっていないとしても、あなたは何かほかのことを教えているに違いありません。 The ego, then, is always being undone, and does susp...

レッスン170「神は無慈悲ではないので、私も無慈悲ではない」
レッスン170です。「神は無慈悲ではないので、私も無慈悲ではない」が今日のテーマです。一般論としてなら攻撃を放棄すべきということは誰もが認めます。ただし、他者が不合理にも自分や自分の大切なものを攻撃してくるような場合には、それを防ぐ必要があるのは当然であり、攻撃が例外的に必要なこともありうると誰もが考えます。これが意味するのは、自己防衛のために攻撃をすることが役立つ場合には、相手が傷つくことを容認...

T23-2 混沌の法則
今回は、テキスト第二十三章から「混沌の法則」をご紹介します。[混沌の法則]① 真理は自分たちは分離していると信じる一人ひとりにとって異なる② 誰もみな必ず罪を犯すのだから、攻撃や死は当然の報いだ③ 幻想によって真理を変更することができる④ 人は自分で手に入れたものだけを自分のものにできる(それを誰かに与えるなら、自分はそれを失ってしまう)⑤ 愛は代用で置き換えることができるひっくり返すとこうなります。[秩序の...

T5-3 ガイド選び、間違ってませんか?
今回はテキスト第五章から「救いへのガイド」という一節をご紹介します。「1. The way to recognize your brother is by recognizing the Holy Spirit in him. あなたの兄弟の真価を認識するための方法は、その兄弟の中に聖霊を認識することです。」4.「If you make the mistake of looking for the Holy Spirit in yourself alone your thoughts will frighten you because, by adopting the ego's viewpoint, you are undertaki...

T24-1 愛の代用としての特別性
テキストから、愛の代用としての特別性についての一節をご紹介します。私たちは、特別という言葉に弱いものです。人とは違う特別な存在になりたい、特別なものを得たい、平々凡々では満足なんかできないと。たしかに、自分が特別だと感じたり、特別扱いされたりするととても気分がよいもので、エゴが尻尾をふりふりしてよだれを垂れ流しながら喜ぶのがよくわかります。しかし、特別性は、全体の中のひとかけらにだけ、よいものや悪...

レッスン121「赦しこそが幸せの鍵だ」
さあ、復習期間が終わって、今日からまた新たな取り組みが始まります。レッスン121です。「赦しこそが幸せの鍵だ」が今日のテーマです。今日のレッスンでは、具体的な赦しの実践法について述べられます。自分の嫌いな人物と自分が友人だと思っている人物に登場してもらい、嫌いな人物の醜く見えている姿が光り輝くまでのプロセスを知覚し、その人の周囲に見えるようになったその光を今度は友人の方に移し、友がそれ以上の存在、...

T23-Intro 自分自身との戦い
自分自身との戦いという題のテキスト第二十三章の序論をご紹介します。私たちは自分は分離の世界に生きていて、自分は身体である、または身体に閉じ込められた魂であると信じ、自分は敵に囲まれて危険な世界に生きている、そして、身体が死ねば、自分は消滅する、あるいは、死後の世界でも個別の魂として存続し、輪廻すると思っています。しかし、私たちは本当は神の子であり、神の子はすべてであると同時にすべてを持つ存在である...

T21-7 無力感からの脱出
今回は、テキスト第二十一章から、「答えられていない最後の質問」をご紹介します。私たちは、この世界の中で、無力感を抱き、惨めさや不幸を味わいます。この無力感は、私たちが自分たちのことを、神の子ではなく、人の子であり、罪を犯す矮小な存在にすぎないと信じることから生じます。自分が無力でちっぽけな存在でしかないと信じると、自分の持っていない力を持つ存在を嫉妬し、恐れるようになります。つまり、自分は無力だと...

レッスン13「無意味な世界が恐れを生み出している」
レッスン13です。今日のテーマは「無意味な世界が恐れを生み出している」です。昨日のテーマは「私の心がかき乱されているのは、私が無意味な世界を見ているせいだ」でした。今日のテーマでは、無意味な世界が惹起する心の動揺が、「恐怖」というより具体的な感情になっています。このレッスンでは、実のところ、無意味なものなど存在しないが、世界を無意味だと知覚することはできるし、世界に無意味さを知覚すると強烈な不安感...