
レッスン278「もし私が束縛されているなら、私の父は自由ではないことになる」
誰かの行為を裁こうとしているとき、一瞬、間をおいて、自分に尋ねてください――私は誰を裁いているのだろうか?人間か神か? 誰が本当の行為者だろうか?ラメッシ・S・バルセカール(「人生を心から楽しむ 罪悪感からの解放」162ページより)レッスン278です。「もし私が束縛されているなら、私の父は自由ではないことになる」が今日のテーマです。まず、キリストってなに?をご覧ください。あるのは神の法のみ昨日のレッスン...

レッスン277「私が自分で作り出した法則によってあなたの子を束縛しませんように」
We forge the chains we wear in life.人生において我々を縛る鎖を作っているのは、自分自身なのだ。Charles John Huffam Dickensチャールズ・ディケンズYou will not break loose until you realize that you yourself forge the chains that bind you.あなたが自分で自分を縛る鎖を作っていると理解するまで、あなたが束縛から抜け出すことはないだろう。Gary R. Renard, The Disappearance of the Universeゲイリー・R.レナード...

T15-3 卑小さと偉大さ
私という想念の源を探求しなさい。するべきことはそれだけである。宇宙は「私」という想念が原因で存在している。「私」という想念が終焉すれば、不幸もまた終焉する。偽りの「私」という想念は、その源を探ることによってのみ終焉するのである。ラマナ・マハルシ今回は、テキスト第15章から、卑小さと偉大さについての一節をご紹介します。レッスン128「私の見るこの世界には、私の望むものは何もない」、レッスン322「私...

レッスン192「私には、神が私に果たさせようとする役目がある」
誰かに腹を立てたときはいつでも、ゆるす機会だと認識していなければなりません。あなたを怒らせる相手は、あなたの中にある癒されるべき何かに共鳴しているかもしれず、その場合、そう考えることを選択すれば、つまり自分の見方を変えたいと思えば、相手からの贈り物をもらえるのです。その状況はまた、誰かに似たようなことをされた過去の出来事を再現している可能性もあります。もしそうであるなら、今相手にしている人物は、そ...

真我(アシュターヴァクラ・ギーター)
今回は、アシュターヴァクラ・ギーターから「真我」についての一節をご紹介します。...