
T9-1 現実の受容
今回は、テキスト第九章から「現実を受け入れること」という一節をご紹介します。奇跡のコースでは、逆説的な表現がたびたび出てきます。私たちが真理を述べるコースの言葉を逆説的なものに感じるのは、この世界自体が真理を逆さまにひっくり返すことによって作り出された幻想であり、私たちは世界に調教され順致させられて骨の髄まで世界を本物と信じ込んでいるからです。幻でしかない世界が存続するには、夢見る者に、自分が夢の...
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レッスン351「私の罪のない兄弟は、私を平安へと導く案内役だ。私の罪深い兄弟は、私を苦痛に導く案内役だ。そして、私は自分が見ることを選んだほうを見ることになる」
レッスン351です。「私の罪のない兄弟は、私を平安へと導く案内役だ。私の罪深い兄弟は、私を苦痛に導く案内役だ。そして、私は自分が見ることを選んだほうを見ることになる」が今日のレッスンです。まず、私とは何かをご覧ください。ひとつ前のレッスンでも、神の子が神を思い出して救済を達成するためには赦しがその鍵となることが示されていました。そして、ひとつ前のレッスンのエッセイで述べたように、赦しは兄弟抜きにひ...
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レッスン233「私は今日、自分の命を神の導きに捧げる」
レッスン233です。「私は今日、自分の命を神の導きに捧げる」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。今日のレッスンでは、私たちがエゴとして、自分が自分を導く先導者となって自分独自の思いを抱いて独自の行動をすることをやめて、一歩引き下がって、神の大いなる導きに従って神の意志をなすことが語られます。放っておくかぎりは、エゴが自動操縦で私たちを導き、どこにも行きつ...
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