
T30-6 赦しを正当化するもの
テキスト第三十章から、「赦しを正当化するもの」という一節をご紹介します。赦しとは、罪が実在しない幻想だと見極めて、その認識通りに看過することでした。赦しってなに?、レッスン134「私がありのままに赦しを知覚できますように」が参考になると思います。自分は人間だというアイデンティティーを保ったままでは、赦しの実践にあまり効果は期待できません。人間として世界を眺めるかぎり、許せない巨悪はあるし、矯正不能...

T26-10 不正の終わり
今回は、テキスト第二十六章から不正の終わりという一節をご紹介します。前節までに、他者との間に保とうとする隔たりが時間と空間を生み出し、キリストの顔に影を落として、キリストの顔を見えなくして神を思い出せなくするということが語られました。本節では、私たちがこの隔たり、影を取り除いて、キリストと神が臨在することに気づくためになすべきことが語られます。それは、攻撃が正当化される場合と攻撃が不正で許されない...

レッスン240「いかなる形においても、恐れを正当化することはできない」
レッスン240です。今日のテーマは「いかなる形においても、恐れを正当化することはできない」です。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。テキストの第一章の序文では、「The opposite of love is fear, but what is all- encompassing can have no opposite. 愛の対概念は恐怖ですが、すべてを包含するものはいかなる対極も持つことはできません。」と語られます。天国で実在する属性がこの世界に反...

レッスン21「私は、物事を違ったように見ることに決める」
レッスン21です。「私は、物事を違ったように見ることに決める」が今日のテーマです。冒頭の実習時間の指示のところが少しわかりにくいと思います。「This time, however, specific mind-searching periods are necessary, in addition to applying the idea to particular situations as they may arise. とはいえ、今回は、特定の状況が起こるたびに今日の考えをあてはめることに加えて、それとは別に、具体的に心の中を検索...