
T13-11 天国の平安
今回は、テキスト第13章から「天国の平安」という一節をご紹介します。天国には平安のみがあります。しかし、平安の対極としての葛藤や紛争が絶えないこの世界では、天国の平安は想像もつきません。天国には光のみがあります。しかし、この世界では、光を遮る障害が影を作り、光の対極である闇があるように見え、光のみの世界は想像もできません。光を遮る障害が影を投ずるように、心が分離幻想を抱きエゴに寄生されると、平安の...

W2ST-9.キリストの再臨ってなに?
今回は、ワークブックから「キリストの再臨」についての一節をご紹介します。「再臨」は「初臨」に対する概念です。初臨と再臨の「臨」は、大いなる存在の臨在の臨で、初臨も再臨も、キリストがこの世界に訪れることを指します。キリストの初臨は、キリストがこの世界に身体を持つ人間イエスとして降誕したことを指します("the first visit of Jesus Christ") 。これに対して、キリストの再臨は、神の子がこの幻想世界を作り、そ...

レッスン259「罪など一切存在しないことを私に思い出させてください」
レッスン259です。「罪など一切存在しないことを私に思い出させてください」が今日のテーマです。まず、罪とは何かをご覧ください。今日のレッスンでは、罪こそが恐怖の源であり、罪によって恐怖の属性が愛に付与され、神の創造物をありのままに見えなくさせてしまうということが語られます。そして、愛の対概念である恐怖は一見実在するように思えているが、それは錯覚で、愛には対極はないことから、実在するのは愛のみであり...

T28-6 秘密の誓約
今回はテキストから「秘密の誓約」という一節をご紹介します。秘密の誓約とは、私たちが兄弟みんなとの間で交わした約束であり、お互いに自分たちを分離した他者であると認識し、お互いに攻撃し、それに対する報復として攻撃し返すという誓いです。私たちはすでに、分離した神の子たちがお互いの間にあってほしいと望む隔たり、わずかな隙間というひとつの分離幻想が、時空となり、キリストの顔にかかる影となることを学びました(...

T18-5 幸せな夢
テキスト第十八章から、幸せな夢という一節をご紹介します。ウィキペディアから引用します。「幸福な夢またはハッピードリーム(happy dream)。ACIMの実践がもたらす人生。#赦しの実践によって、エゴがしかけた人生の#脚本が次々と消去され、心からエゴの不幸感(憎しみ、苦悶、恐怖)が消え去ってゆく年月。家族や同僚、社会、宿敵と持った愛憎関係(特別な関係)が#奇跡によって癒され、#聖なる関係へ次々とかわっていく様。人生...

レッスン140「治療と呼ぶことができるのは救済だけだ」
レッスン140です。「治療と呼ぶことができるのは救済だけだ」が今日のテーマです。私たちは、病人が抱える心身の病気が癒えることを癒しと捉え、病気を治すことが治療だと考えています。「Atonement does not heal the sick, for that is not a cure. 贖罪は病人を癒すのではありません。というのも、病人を癒すことは治癒ではないからです。 It takes away the guilt that makes the sickness possible. 贖罪は、病気を可能...

レッスン138「天国は、私が下すべき決断だ」
レッスン138です。「天国は、私が下すべき決断だ」が今日のテーマです。天国で通用する法も、地獄にはそのままの形では行き渡りません(T25-3 知覚と選択)。郷に入っては郷に従え里に入りては里に従う所の法に矢は立たぬと、一般的な通則も、具体的なローカル・ルールに従っている地域や人々にはそのままでは通用しません。2. 「Yet what is true in God's creation cannot enter here until it is reflected in some form the...

レッスン128「私の見るこの世界には、私の望むものは何もない」
レッスン128です。「私の見るこの世界には、私の望むものは何もない」が今日のテーマです。このように言いきるのは簡単なことではありません。そもそも、私たちにはこの世界こそが現実であるとしか思えないし、不幸や苦痛もたくさんあるかもしれないけれど、その反対の幸福や快楽もたくさんあって、自分はまだまだそれらのすべてを味わい尽くせてなどいない!望むものは山ほどあるというのに、そんな仙人みたいなこと言ってられ...

W2ST-5.身体ってなに?
今回は、ワークブックのパート2から、「身体とは何か」をご紹介します。私たちは本気で、自分のことを身体であると思っています。身体こそが実在するもので、心の働きは、身体の脳が機能して生じる生理反応にすぎず、身体と心を比べれば、客観性のある身体のほうこそが本物だと信じています。このような唯物論は、知覚できる物質的存在こそが確固たる不動のものだという素朴な信念に依拠しています。でも、知覚自体が錯覚を見るた...