
T26-7 癒しの法則
今回は、テキスト第二十六章から「癒しの法則」という一節をご紹介します。すべての病気は分離を起源とする罪という想念から生じるので、分離が否認されれば、病気をもたらしていた罪という想念が癒されて正気に取って代わられるので、病気は消え去ります。病気という結果の原因は罪ですが、この因果関係に理性の光が当たって原因と結果と見抜かれないままになるよう注意深く温存されるように、その関連性は自覚から隠されたまま保...

T20-4 方舟に入る
今回はテキスト第二十章から「箱舟に入る」という一節をご紹介します。これまでも、犠牲や共有の概念に関連してたびたび出てきましたが、本節では、与えることについての聖霊の解釈とエゴの解釈の違いが出てきます。与えることに関してのエゴの解釈は、私たちが何かを与えれば、その人は自分の与えたものを失うという法則が作用するというものです。これに対して、聖霊の解釈は、私たちは、何かを与えても、それを失わない、むしろ...

T7-8 信じがたき信念
今回はテキスト第七章から「信じがたき信念」という一節をご紹介します。1では、心の根本的な法則について述べていますが、法則の中身を具体的に言葉で特定していません。「1. We have said that without projection there can be no anger, but it is also true that without extension there can be no love. すでに述べたことですが、投影なくしては、いかなる怒りも存在しえません。しかし、拡張なくしては、いかなる愛も存...

レッスン354「平安の中で目的を確信して、キリストと私はふたり一緒に立っています。そして、キリストが私の中にいるように、キリストの中にはキリストの創造主が在ります」
レッスン354です。「平安の中で目的を確信して、キリストと私はふたり一緒に立っています。そして、キリストが私の中にいるように、キリストの中にはキリストの創造主が在ります」が今日のレッスンです。まず、私とは何かをご覧ください。テキストの最初のほうで、イェシュアは次のように語ります。「There is nothing about me that you cannot attain. 私の持ち合わせるもので、あなたたちが手に入れられないものは何ひとつ...

レッスン344「今日、私は愛の法を学ぶ。それは、私が自分の兄弟に与えるものは自分に対する私からの贈り物だということだ」
レッスン344です。「今日、私は愛の法を学ぶ。それは、私が自分の兄弟に与えるものは自分に対する私からの贈り物だということだ」が今日のレッスンです。まず、奇跡ってなに?をご覧ください。エゴの法則では、自他分離を前提とするので、「私が与えることによって兄弟が私から受け取る贈り物を私は失う」ということになります。これが錯覚であることは、これまでのレッスンで何度も繰り返してきたので、十分理屈ではわかってい...

レッスン329「あなたの意図することを私はすでに選んでいます」
レッスン329です。「あなたの意図することを私はすでに選んでいます」が今日のレッスンです。まず、創造ってなに?をご覧ください。「1. Father, I thought I wandered from Your Will, defied it, broke its laws, and interposed a second will more powerful than Yours. 父よ、私は自分があなたの大いなる意志からはぐれてさまよい、あなたの大いなる意志に逆らって、その法を破り、あなたの大いなる意志よりもずっと強力...

レッスン277「私が自分で作り出した法則によってあなたの子を束縛しませんように」
レッスン277です。「私が自分で作り出した法則によってあなたの子を束縛しませんように」が今日のテーマです。まず、キリストってなに?をご覧ください。レッスン344「今日、私は愛の法を学ぶ。それは、私が自分の兄弟に与えるものは自分に対する私からの贈り物だということだ」「What you project or extend is real for you. あなたが投影したり拡張したりするものは、あなたにとっての現実となります。 This is an immu...

T23-2 混沌の法則
今回は、テキスト第二十三章から「混沌の法則」をご紹介します。[混沌の法則]① 真理は自分たちは分離していると信じる一人ひとりにとって異なる② 誰もみな必ず罪を犯すのだから、攻撃や死は当然の報いだ③ 幻想によって真理を変更することができる④ 人は自分で手に入れたものだけを自分のものにできる(それを誰かに与えるなら、自分はそれを失ってしまう)⑤ 愛は代用で置き換えることができるひっくり返すとこうなります。[秩序の...

レッスン133「私は、無価値なものに価値を置かないことにする」
レッスン133です。今日のテーマは「私は、無価値なものに価値を置かないことにする」です。今回は、世界は幻想だというような規模の大きな事柄ではなく、私たちの実際上の関心事、自分たちの利益という観点で考えてみるということが冒頭で述べられます。おっ!イエス直伝で、引き寄せの法則でも教えてくれるのか?と期待してしまいますが、残念ながらそうではありません。そうではありませんが、そんなものよりもはるかに価値の...

T7-2 神の法
今回は、テキスト 第七章から王国の法についての一節をご紹介します。II. The Law of the Kingdom 二 王国の法Law 法、法則「法則」というと、自然法則や物理法則のように、自然界の物事の間における関連性を帰納的に抽出したものをイメージさせます。「法」というと、法律等、神や国家という権威者によって演繹的に人や国家を統制すべく制定された規範をイメージさせます。保つものとの原義を持つダルマ【dharma】は、法則や規...

レッスン88「レッスン75と76の復習」
レッスン88です。今日のテーマは次のふたつです。[75] "The light has come."「光がやってきた」[76] "I am under no laws but God’s."「私はただ神の法の下にしかない。」[序文]1.前回の復習期間後のレッスンについて毎日ふたつずつの考えを復習します。毎日の前半は、その二つのうちの一つの考えに、その日の後半は、もう一つの考えに当てます。1日のうち、1回の長い実習時間と、それぞれの考えの実習を頻繁に行う短い実習時...

レッスン77「私には奇跡を受け取る資格がある」
レッスン77です。今日のテーマは「私には奇跡を受け取る資格がある」です。この「私」はエゴとしての私ではなく、神の子としての私です。奇跡は、偽りのアイデンティティーから真のアイデンティティーを確立することで起こります。つまり、この世界の中を動き回るエゴ・身体が自分だという偽りの自己像を抱くことで、私たちは、自分で自分をエゴの法則に束縛します。物理法則であれ、社会的な法則であれ、心理的な法則であれ、常...

レッスン76「私は、ただ神の法の下にある」
レッスン76です。今日のテーマは「私は、ただ神の法の下にある」です。私たちは、小難しい法律や法典は嫌いでも、引き寄せの法則をはじめとする魔術的な「法則」は大好きです。この世界で、私たちが救われようとして信奉する「法則」は、身体を保護することに役立ちそうな法則です。このような法則によって、私たちは、雁字搦めになり、救済がありもしない場所で、それを探す羽目になります。このレッスンでは、身体の苦しみは、...

T5-5 エゴは罪悪感をどうやって利用するの?
テキストから、エゴが罪悪感をどのように利用するのかについて説明する一節をご紹介します。エゴの目的は、恐怖を抱かせることだということが述べられます。その理由は、怯えるものだけが利己的になりうるからという、とても納得のいくものです。エゴの道具の中でも、最大の武器が罪悪感です。そして、罪悪感は神に対する攻撃の象徴と言えます。というのは、分離そのものであるエゴは、神の一体性を攻撃して分離という罪をを達成し...

レッスン57(レヴュー:レッスン31~35)
レッスン57です。[序文の要約]注釈も含めて5つの考えを読むことから1日を始める。そのあと、それらの5つの考えと注釈について考える際に、特定の順番に従う必要はないが、少なくとも1回は、それぞれの考えを実習する。各実習時間には、2分以上は専念することにして、その考えと関連する注釈を読んだあと、それらについて考えてみる。1日の間に、この練習をできるだけ頻繁に行う。もし5つの考えのうちのどのひとつの考えで...

レッスン26「私の攻撃的な思考が、私の傷つきようのない不滅性を攻撃している」
レッスン26です。今日のテーマは、「私の攻撃的な思考が、私の傷つきようのない不滅性を攻撃している」です。今日のレッスンの目標は、私たちが攻撃によって傷つきうる存在なのか、それとも、攻撃によっても傷つきようのない存在なのかを決めるのは、私たち自身の思いの結果であるということを理解することです。自分が他者を攻撃することが可能だと信じるなら、自分を通して影響を及ぼせる他者は当然同じように、逆に、自分に対...

分かち合い
奇跡のコースは、分かち合い、共有すること、持っているものを与えることを求めます。何かを分かち合ったり、自分のものを人にあげることは、一見すると、それを独り占めしている状態に比べて損なことのように思えます。また、誰かの持っているものを得る場合に、ただで手に入れられれば、それに越したことはなく、高い代金を支払うならそれは損をしていることだという風にも思えます。この発想は、バラバラに分離した個別の自己の...