
T19-1 癒しと信頼
今回はテキスト第十九章から「癒しと信頼」という一節をご紹介します。「癒し」というと、私たちは身体の癒しをイメージしがちです。コースも癒しの成果として身体の癒しが起こることは否定しませんが、それは心が癒された結果でしかありません。身体の健康と病気は、心が身体をどう知覚するかに完全に依存しているので、身体を癒しの対象と捉えることには意味がなく、その必要はないということです。「The body is healed because...

T19-4C 平安への障害3
今回は、テキスト第十九章から平安への障害の続きをご紹介します。第三の障害、死の魅力です。死に対する恐怖の本質は、実は死の魅力だということが冒頭で述べられます。罪悪感は恐ろしいものだというふうに考えられていますが、罪悪感に対する恐怖も、実は罪悪感の魅力であり、罪悪感の魅力に惹きつけられて罪悪感を追求する者にしか支配力を及ぼすことができないという仕組みであり、死の魅力もこれとまったく同じだということで...

T19-4Ai 平安への障害1−2
今回は、テキスト第十九章、4の平安への障害から、罪悪感の魅力についての一節をご紹介します。本節では、エゴが使役する恐れの使者と聖霊の遣わす愛の使者が出てきます。いずれの使者も知覚という同じ作用ですが、エゴという主人に仕えるか、聖霊という主人に仕えるかによって、まったく別の存在となります。恐れの使者は、五感によって分離と死や恐怖という実在の影である幻想を知覚する作用を恐怖心によって厳しく調教された猟...

レッスン181から200に向けての導入
復習期間、お疲れさまでした!さあ、これからまた新しいレッスンに入ります。まず、レッスン181から200に向けての導入の説明です。...

T4-intro 正しいジコチュウになれば元気になれる!?
テキスト第四章の序論をご紹介します。アントニオ猪木さんの言われるとおり、「元気があれば何でもできる!」というのは真理ですが、なかなか気づきがたい真理です。元気がない極限状態であるうつの状態では、本当に何もできないということなら理解できます。けれど、成人で、元気がある状態に真にあることのできている人は、なかなかいません。自分では病気もなく健康で元気いっぱいのつもりでも、成人するまで、この世にデビュー...

レッスン98「私は救済のための神の計画における自分の役目を受け入れることにする」
レッスン98です。今日のテーマは「私は救済のための神の計画における自分の役目を受け入れることにする」です。今日のレッスンは、これまでのレッスンのように、実践を通じてその日のテーマを理解するよう努めるレッスンではなく、これまでのレッスンの学びから導き出される結論を真正面から受容する覚悟を明確化し、コミットメントを求めるものです。私たちは、生まれてこの方、これまでの人生で、救済についてのエゴの計画に従...