
T22-1 神聖な関係のメッセージ
今回はテキスト第二十二章から『神聖な関係のメッセージ」という一節をご紹介します。1.「You can indeed believe this, and you do. あなたはたしかに、自分のことを自分自身ではないものだと信じることができるし、あなたは現にそう信じています。 And you have faith in this and see much evidence on its behalf. そして、あなたは自分自身ではないものが自分だと信じているし、それが正しいことを示すたくさんの証拠を目...

T22-2 あなたの兄弟に罪はない
今回はテキスト第二十二章から「あなたの兄弟が無罪であること」という一節をご紹介します。「5. Both reason and the ego will tell you this, but what they make of it is not the same. 理性とエゴの両方があなたに、例外はありえないと教えようとします。ただし、例外がないことについての両者の解釈は同じではありません。」の"this"が何を指すのか、いまひとつわかりにくいと思います。 直前の4.の末尾の文章には、これ...

T21-5 理性の働き
今回は、テキスト第二十一章から「理性の働き」という一節をご紹介します。2. の”But never believe because it is your faith it makes reality.”の意味がわかりにくいです。”never believe”の直後には対象となる単語がありませんが、”it is your faith it makes reality.”の文章を強引に分割しようと思えば、”it is your faith”と”it makes reality.”に切り分けることもできるので、”never believe”の対象を ”it makes reality.”...

T21-6 理性 対 狂気
今回はテキスト第二十一章から「理性 対 狂気」という一節をご紹介します。理性は聖霊の用いる手段であり、主語として理性が用いられている箇所は、理性を聖霊と置き換えて読んでかまいません。他方、狂気はエゴの手段であり、エゴは狂気そのものです。解離性同一性障害を患って、無数の副人格たちが、身体を所有する主人格の座を巡って争いを繰り広げていたり、はたらく細胞の細胞たちがばらばらに自分独自の権利を主張しはじめて...

T22-3 誤りの形
今回はテキスト第二十二章から「理性と誤りの諸形態」という一節をご紹介します。エゴの思考システムに理性を導入することがエゴの取り消しの出発点だということが述べられます。エゴの取り消しを自我の消滅というふうに解釈すると、個としての自分を消滅させなければならないという発想につながります。この点で、このサイトでは、"ego"の訳語として「自我」とはせずに、「エゴ」という用語を用いています。この根拠はほかの箇所...

T22-Intro 救済と神聖な関係
第二十二章 救済と神聖な関係の序論をご紹介します。特別な関係は、自分が完全ではない欠落した存在であるとの思いから、外にそれを完全なものにしてくれる偶像を求め、自分に欠乏しているものを備えているように見える他者の中から、自分に欠けているものを奪い取って、自分の欠点を補完して完全になろうという欠乏の原理に基づいて結ばれる関係です。エゴの教育によって、この世界では、特別であることに価値があり、凡庸である...

T21-8 内面の変化
テキスト第二十一章から、無力感からの脱出(「答えられていない最後の質問」)の続きである「内面的な変化」についての一節をご紹介します。前節で出てきた質問は、次の4つでした。1 私は、自分が支配される世界ではなくて、自分で支配する世界を望むだろうか。2 私は、自分が無力ではなくて、自分が力強くある世界を望むだろうか。3 私は、誰も敵がおらず、罪を犯すことなどできない世界を望むだろうか。4 そして、私は...