
T6-5 聖霊のレッスン
今回は、テキスト第六章から「聖霊のレッスン」という一節をご紹介します。つぎの喩えに、聖霊のレッスンのスタンスが明確に示されています。「2. How can you wake children in a more kindly way than by a gentle Voice that will not frighten them, but will merely remind them that the night is over and the light has come? 子供たちを怖がらせないような穏やかな声で、ただ『夜が明けて、もうお日さまが出てるよ』と気...

T10-1 神の中に目覚める
今回は、「神の中に寛ぐ」という一節をご紹介します。1.では、「創造の法」が出てきます。「The law of creation is that you love your creations as yourself, because they are part of you. 創造の法とは、誰しも、自分の創造したものたちは自分の一部であるがゆえに、自ら創造したものたちを自分自身として愛するということです。 Everything that was created is therefore perfectly safe, because the laws of God pro...

レッスン346「今日、神の平安が私を包みこむ。そして、私は神の大いなる愛以外のすべてを忘れる」
レッスン346です。「今日、神の平安が私を包みこむ。そして、私は神の大いなる愛以外のすべてを忘れる」が今日のレッスンです。まず、奇跡ってなに?をご覧ください。本当にあるのは天国に実在する愛だけです。この大いなる愛は神であり、光であり、生命であり、平安であり、永遠の神聖さです。分離が真実だという錯覚によって生まれたこの世界は幻の世界ですが、愛の不在である恐れや生命の不在である死のような、実在の不在で...

レッスン340「今日、私は苦悩から自由になれる」
レッスン340です。「今日、私は苦悩から自由になれる」が今日のレッスンです。まず、エゴってなに?をご覧ください。昨日までのレッスンで、私たちは自分で自分を磔にして自分を束縛しているだけで、私たちが自縄自縛から脱して自由になるために必要なのは、私たちがこの仕組みを理解して正しく思考することだけだということを理解しました。自分では縛られていると思い込んでいたけれど、実は縛られておらず、自由なままだった...

レッスン332「恐れがこの世界を束縛している。赦しがこの世界を解放する」
レッスン332です。「恐れがこの世界を束縛している。赦しがこの世界を解放する」が今日のレッスンです。まず、エゴってなに?をご覧ください。恐れは、愛の不在に名前をつけたもので、実在しない影だということでした。それでも、実在しないはずの恐れが世界を束縛しているということは、世界に生きている私たちにはよく理解できます。恐怖という蜘蛛の糸の網でできた蜘蛛の巣が世界を覆い、私たちは、この蜘蛛の糸でがんじがら...

W2ST-10.最後の審判ってなに?
今回は「最後の審判とは何か」です。参考に、「最後の審判」って恐ろしいものなの?をご覧ください。最後の審判は、この世界で知覚することが終わって最後に下される裁きです。「5. This is God's Final Judgment: "You are still My holy Son, forever innocent, forever loving and forever loved, as limitless as your Creator, and completely changeless and forever pure. Therefore awaken and return to Me. I am your Fa...

レッスン285「私の神聖さが今日、鮮明にはっきりと輝く」
レッスン285です。「私の神聖さが今日、鮮明にはっきりと輝く」が今日のテーマです。まず、聖霊とは何かをご覧ください。神聖さとは、神々しく、清らかで汚れなく尊くて侵しがたい状態を指し、世俗的で不浄である状態の反対です。T16-2 神聖さの力のエッセイで述べたように、神聖さは、愛や平安、生命等の神の実在を、混じり気のない純粋なものであるという純度の側面で気切り取って見たものと見ることができます。つまり、穢れ...

レッスン168「私はあなたの恵みを授かっています。私は今こそ、それを自分のものにします」
レッスン168です。「私はあなたの恵みを授かっています。私は今こそ、それを自分のものにします」が今日のテーマです。「私はあなたの恵みを授かっています。」という一文目は、神の大いなる愛がどこか遠くにあってそれを探して見つけなければならないわけではなく、私たちの心の中に神の愛の記憶として眠っていることを認めるものです。「私は今こそ、それを自分のものにします」という二文目は、客観的にはすでに神から授かっ...

T11-6 悪夢から目覚める
テキスト第十一章から、救済への目覚めという一節をご紹介します。1.「That is what I meant when I said, "Blessed are ye who have not seen and still believe," for those who believe in the resurrection will see it. これが、私が『見ずしてなお信じる者は幸いである』と述べたときに意味したことです。なぜなら、復活を信じる者たちは復活を目にすることになるからです。」「見ずしてなお信じる者は幸いである」はヨハネ...

T8-9 癒しとは知覚を修正して心の完全性を回復すること
今回は、テキスト第八章から、「修正された知覚としての癒し」という一節をご紹介します。そもそも分離自体が錯覚で、世界や身体が幻想なのだとしたら、癒すべき対象自体が実在しないわけで、分離を癒す、世界を救済する、病気や身体を癒すということを観念すること自体、本来、意味をなしません。これに対して、このような錯覚を生み出すように心が機能不全を起こして間違った知覚が生じているのは確かです。したがって、正確には...

T2-1 分離の起源
テキストから、分離の起源についての一節をご紹介します。神の子は、光源である神の拡張である光であり、完全無欠に創造されており、すべてを持つと同時にすべてでもあります(T7-3 神の王国の本当の姿とは)。したがって、分離はありません。しかし、神の子の創造力は無限であり、神の子は自由なので、神の子には、創造力を間違った使い方をする自由もあり、現にその力を行使することができてしまいます。したがって、神の子には...

T14-2 喜んで学ぶ者
今回はテキスト第14章から「喜んで学ぶ者」という一節をご紹介します。みなさんは、奇跡のコースを楽しく学んでいるでしょうか?再三述べているように、奇跡のコースは覚えるための学びではなく、この世界から教え込まれてすでに学んでしまった間違いを忘れるための学びです。T18-4 ささやかな意欲、この世界での配役についてで述べたように、この世界の教育観は、決められた枠に満たない不足を埋め合わせ、枠をはみ出すところは...

不幸の原因
「イェシュアの手紙」( ナチュラルスピリット マーク・ハマー著、マリディアナ万美子訳)から、不幸の原因についての一節をご紹介します。...

T27-7 夢を夢見る者
今回は、テキストから「夢を夢見る者」(第二十七章 VII. The Dreamer of the Dream )をご紹介します。本節と次節は、コースの世界認識(=自己認識)を理解するうえできわめて重要な事柄を述べています。このテーマを理解する際のポイントは、私たちが夜見る夢に出てくる世界をそのままこの世界とパラレルにスライドさせて考えてみることです。本節では、夜の夢見の状態との対比によって、実は同じように夢であるこの世界という...

M4-6 神の教師の特性6(無防備)
今回は、神の教師の特性の続きで「無防備であること」です。レッスン153「防衛しないことで、私は安全になる」、T6-3 復讐してやりたいけど我慢しなきゃいけない?を読んでいただければと思います。国家規模の理不尽な虐殺、戦争、弾圧や社会での通り魔事件や身近ないじめ問題等を考えると、理想論として無防備であることを唱導することはできても、現実問題として、防衛しないでいることは不可能に思えます。チベット弾圧を見...

「師」アシュターヴァクラ・ギーター
今回は、アシュターヴァクラ・ギーターから、「師」という詩をご紹介します。...

気づき(アシュターヴァクラ・ギーター)
夢の主人公の参考に、アシュターバクラ・ギーターからご紹介します。...