
T20-2 百合の花の贈り物
今回はテキスト第二十章から「百合の花の贈り物」という一節をご紹介します。T2-3 祭壇はどこにある?が参考になると思います。磔刑を目的とするエゴに従うなら、自分や他者の身体が内に祭壇を備える神殿となり、祭壇に裁きという荊が供えられることになります。復活を目的とする聖霊に従うなら、兄弟との関係性が神殿となり、相手の心を祭壇として、祭壇に優しい赦しという百合の花が供えられることになります。他者は本当は自ら...

レッスン313で「今こそ、私に新たな知覚が生じますように」
レッスン313です。「今こそ、私に新たな知覚が生じますように」が今日のレッスンです。まず、最後の審判とは何かをご覧ください。「今こそ、私に新たな知覚が生じますように」というときの「新たな知覚」とは、キリストのヴィジョンです。これまで私たちが世界を眺める際に用いていたのは肉体の感覚器官による知覚、アバターを介しての知覚でした。キリストのヴィジョンは、アバターの持つ知覚器官を介さない直接の知覚です。意...

T14-8 聖なる邂逅
今回は、テキストから、聖なる出会いの場という一節をご紹介します。 3.「You cannot join with anything except reality. あなたには、本当の自分以外の何ものともひとつに結ばれることはできないからです。」本当の自分以外のものと結合することは不可能です。けれど、真の自分ではない存在が自分だと偽りのアイデンティティーを抱くことはいくらでも可能です。放蕩息子のたとえ話(ルカ福音書15章11節~32節)はコースでも、引...

レッスン187「私はこの世界を祝福する。なぜなら、私は自分自身を祝福するからだ」
レッスン187です。「私はこの世界を祝福する。なぜなら、私は自分自身を祝福するからだ」が、今日のテーマです。この文章の論理関係に着目すると、「私は自分自身を祝福する」という根拠によって、「私はこの世界を祝福する」ということになります。つまり、自分を祝福すること=世界を祝福することになり、この世界=私自身ということになります。もちろん、そもそも世界は幻想だし、アバターとしての人間も幻想であり、神の子...

W2ST-13.奇跡ってなに?
今回は、ワークブックパート2特別解説から、「奇跡とは何か」をご紹介します。奇跡の原理が参考になると思います(できれば、「奇跡の原理」は何度も何度も読み返していただきたいものです)。"Miracle"の訳語、「きせき」には、「奇蹟」と「奇跡」の漢字があてられ、奇跡には常識では起こりえない不思議な出来事という意味が、奇蹟には、神の意志と力による奇跡という意味合いが込められ、仏教でいう「霊験」に近い意味合いを持...

T2-3 祭壇はどこにある?
今回は、神の祭壇について述べるテキスト第二章の一節をご紹介します。祭壇(Alter)とは、神様を祀る供物を捧げる場所のことです。神殿(temple)は、祭壇の周囲に建てられる建物のことです。仏教でいう仏壇と寺院に相当します。祭壇は、神仏や霊を祀り、儀式や供物を捧げるという手続きを行うことによって、神仏の加護を求めたり、悪霊が鎮まるようにと、なんらかの功徳を得るための宗教的な道具、システムです。インターネット...

レッスン104「私は、真に自分に属するものだけを求める」
レッスン104です。「私は、真に自分に属するものだけを求める」が今日のテーマです。このレッスンでは、私たちは、神の子としての本質ゆえに喜びと平安を自分のものとして受け取る資格があるけれど、神からの贈り物を受け取るためには、贈り物を受け入れるための場所を用意しなければならないということが述べられます。そして、その場所を用意するには、神からの贈り物に置き換えようとして自分で作り出した無意味な贈り物が置...

C4 ガラスをきれいに磨きましょう!
今回は、用語解説から、「正しい知覚 ー 知識」をご紹介します。本節では、知識と知覚は別のレベルにあるものであり、両者が接することはないので、知識が知覚を修正する療法になるわけではないということが説明されます。知識が何であるかということは出てこず、もっぱら正しい知覚についての説明がなされます。知識は、すでに自分の心の中に存在して眠っているだけのものなので、知覚によって見えない状態を解消さえすれば、知識...