
T14-3 無罪を自覚する決意
今回はテキスト第十四章から「無罪を自覚する決意」という一節をご紹介します。7.「Teach him that, whatever he may try to do to you, your perfect freedom from the belief that you can be harmed shows him that he is guiltless. みんなに次のように教えてください。すなわち、たとえ兄弟があなたに何をしようとしたところで、あなたが自分が傷つきうるとは微塵も信じない自由な境地にいることによって、その兄弟に彼は罪...

T15-4 神聖な瞬間を実践する
今回は、テキスト第十五章から、「神聖な瞬間の実践」という一節をご紹介します。1.「The holy instant is this instant and every instant. 神聖な瞬間とは、この一瞬、つまり、すべての瞬間のことです。 The one you want it to be it is. あなたが神聖な瞬間にしたいと望むその一瞬が神聖な瞬間となるのです。」T16-7 幻想の終焉が参考になると思います。「3. Be humble before Him, and yet great in Him. 神を前にしては...

T9-1 現実の受容
今回は、テキスト第九章から「現実を受け入れること」という一節をご紹介します。奇跡のコースでは、逆説的な表現がたびたび出てきます。私たちが真理を述べるコースの言葉を逆説的なものに感じるのは、この世界自体が真理を逆さまにひっくり返すことによって作り出された幻想であり、私たちは世界に調教され順致させられて骨の髄まで世界を本物と信じ込んでいるからです。幻でしかない世界が存続するには、夢見る者に、自分が夢の...

T8-4 自由という贈り物
今回は、テキスト第八章から、自由という贈り物という一節をご紹介します。コースを学び始めると、神が全能なら、そもそも神の子が狂気に陥るように創造しなかったはずなんじゃないの?とか、神の子が狂気に陥って幻想を見ている状態からわが子を救出することなんて容易なはずなのに、それすらできないなんて、それで神だといえるの?とか、全能の神ならいくらでも容易に助けられるはずなのに、愛しているはずのわが子が狂気に苦悩...

T22-5 弱さと防衛
今回はテキスト第二十二章から弱さと防衛という一節をご紹介します。真理と幻想は対立しません。なぜなら、真理は実在するけれど、幻想は実在しない影でしかないからです。影は形を持ち、見せかけだけは持っているので、虚無とは異なるように見えはしても、本質は、実在の不在であり、無でしかありません。したがって、真理は無である幻想から自らを防衛する必要はありません。真理は首尾一貫して一なるものです。一なるものとは、...

レッスン232「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」
レッスン232です。「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。私たちの本質である神の子は神とひとつであり、私たちは神の大いなる思いとして神の中にいます。したがって、そもそも本当の私たちには、神と異なる思いを心に抱くことなど不可能です。けれど、私たちは、エゴに従って個別の心が神とは違う意志を抱いて異なる思考をしている...

T11-6 悪夢から目覚める
テキスト第十一章から、救済への目覚めという一節をご紹介します。1.「That is what I meant when I said, "Blessed are ye who have not seen and still believe," for those who believe in the resurrection will see it. これが、私が『見ずしてなお信じる者は幸いである』と述べたときに意味したことです。なぜなら、復活を信じる者たちは復活を目にすることになるからです。」「見ずしてなお信じる者は幸いである」はヨハネ...

レッスン124「自分は神とひとつだと私が思い出せますように」
レッスン124です。今日のテーマは「自分は神とひとつだと私が思い出せますように」です。今日のレッスンにおいてはじめて、特別な言葉を用いたり、決まった手順やルールなしに、自分で最善と思う時間に30分間をとって長いほうの実習を行うことになります。今日は神への信頼が必要になります。神の大いなる声が、今日にふさわしいことを語ってくれるし、神が失敗することはありえないと確信して取り組みましょう。...

レッスン91「奇跡は、光の中で見える」
レッスン91です。さあ、復習期間が終わって、また今日から新しいレッスンが始まります。「奇跡は光の中で見える」が、今日のテーマです。今日は、奇跡とヴィジョンが相伴う関係にあることが示されます。奇跡はつねにそこにあるけれど、自分が闇の中にいると思っていて、光を知覚していないと、ヴィジョンによって真に見ることができず、闇を知覚して、そこに本来存在しないものを肉眼で見てしまって、奇跡が起こらないということ...

レッスン86「レッスン71と72の復習」
レッスン86です。今日のテーマは次のふたつです。[71] "Only God’s plan for salvation will work."「ただ神の救済のための計画だけがうまくいく」[72] "Holding grievances is an attack on God’s plan for salvation."「不平不満を抱くことは、神の救済のための計画を攻撃することだ」今日は「7つの習慣 最優先事項」をご紹介します。昨日の原則中心リーダーシップは第2の習慣である目標設定に関するもので、この本は第3の...

レッスン82「レッスン63と64の復習」
レッスン82です。今日はレッスン63と64の復習です。今日のテーマは、次のふたつの考えです。[63] "The light of the world brings peace to every mind through my forgiveness."「私の赦しを通して、世界の光が、すべての心に平安をもたらす」[64] "Let me not forget my function."「私が自分の役目を忘れませんように」4.の提示されている適用例「Let me not use this to hide my function from me.私がこれを自分の役目...

レッスン73「私は光あれと意図する」
レッスン73です。「私は光あれと意図する」が今日のテーマです。これまでのレッスンで、私たちは世界の光であり、この光は私たちの中にあるということを学びました。「5. Your picture of the world can only mirror what is within. あなたの描く世界の光景は、あなたの内にあるものをそのまま映し出すことしかできません。 The source of neither light nor darkness can be found without. 光と闇のいずれの源も、あなた...

レッスン62「赦すことが、世界の光としての私の役目だ」
レッスン62です。今日のテーマは「赦すことが、世界の光としての私の役目だ」です。昨日のレッスンでは、「私は世界の光だ」と、自分が世界の光であることを宣言しました。今日のテーマは、世界の光として私たちがこの世界で担うことになる役割が赦しであることが述べられます。赦しとは、罪が実在しない幻であることを見極めて、その認識通りに看過して手放すことでした。よく言われるように、「罪」とは「つつみ(包み)」を意...

レッスン49「一日中、神の大いなる声が私に語りかけている」
レッスン49です。今日のテーマは「一日中、神の大いなる声が私に語りかけている」です。私たちのエゴのこじらせ具合に応じて臨機応変に形を変えはしても、神の大いなる声はつねに私たちに、「愛するわが子よ、本当の自分を思い出して私の下に帰っておいで」と語りかけています。コースは、世界は実在しない、罪はなく誤りがあるだけだから修正すればよい、時間は錯覚で私たちは今も永遠に神の中のわが家にいる、分離は錯覚で愛で...

レッスン44「神は光であり、その光の中で私は見る」
レッスン44です。今日のテーマは「神は光であり、その光の中で私は見る」です。ここ一連のレッスンでは、神と私たちのヴィジョンの関連を多様な側面から理解するものになってきているのがわかると思います。今日の実習の形式は次のようなものです。リラックスした状態でいられる時間を確保します。特定のアプローチの仕方は決められていませんが、自分が重要なことを行っているのであり、それは自分にとって計り知れない価値を持...

レッスン33「世界を見る別の見方がある」
レッスン33です。今日のテーマは「世界を見る別の見方がある」です。長いほうの練習では、「世界を見る別の見方がある」という形で、短いほうでは「この状況を見る別の見方がある」という形で適用します。昨日に引き続き、内面世界と外部世界を交互に切り替えながら、いずれの世界にも没入せずに、適度な距離感を保って、外の世界に知覚する物理的な対象と内面世界に知覚する想念という主観的な対象を等しく見渡す感覚を味わいま...