
T19-4B 平安への障害2
テキスト第十九章から、平安への障害の続きで、第二の障害までをご紹介します。本節では、第二の障害として、身体が提供するものゆえに身体は価値を持つという信念について語られます。本節では、前回出てきた恐れの使者と愛の使者が引き続き登場します。恐れの使者と愛の使者は別の存在ではなく、同じ知覚がエゴと聖霊のどちらを主人とするかによって、罪悪感と平安のいずれを目的とするかが変わり、恐れを目的として自分を身体と...

レッスン359「神の答えは、何らかの形で平安をもたらします。あらゆる苦痛は癒され、すべての悲惨さは喜びに置き換えられます。牢獄の扉はすべて開け放たれます。そして、どんな罪も単にひとつの間違いでしかないと理解されます」
レッスン359です。「神の答えは、何らかの形で平安をもたらします。あらゆる苦痛は癒され、すべての悲惨さは喜びに置き換えられます。牢獄の扉はすべて開け放たれます。そして、どんな罪も単にひとつの間違いでしかないと理解されます」が今日のレッスンです。まず、私とは何かをご覧ください。1.「And we rejoice to learn that we have made mistakes which have no real effects on us. だから、私たちは、次のことを学べ...

レッスン351「私の罪のない兄弟は、私を平安へと導く案内役だ。私の罪深い兄弟は、私を苦痛に導く案内役だ。そして、私は自分が見ることを選んだほうを見ることになる」
レッスン351です。「私の罪のない兄弟は、私を平安へと導く案内役だ。私の罪深い兄弟は、私を苦痛に導く案内役だ。そして、私は自分が見ることを選んだほうを見ることになる」が今日のレッスンです。まず、私とは何かをご覧ください。ひとつ前のレッスンでも、神の子が神を思い出して救済を達成するためには赦しがその鍵となることが示されていました。そして、ひとつ前のレッスンのエッセイで述べたように、赦しは兄弟抜きにひ...

レッスン339「私は、何であれ自分の求めるものを受け取ることになる」
レッスン339です。「私は、何であれ自分の求めるものを受け取ることになる」が今日のレッスンです。まず、エゴってなに?をご覧ください。今日のレッスンは、昨日のレッスン(レッスン338「私は自分の思いによってのみ影響される」)を別の角度からみたものです。誰もが自分の望み通りのものを得ることになるというのがルールだとしても、そして、誰もが苦痛を避けて幸福を望むというところまでは間違いないとしても、いざ求...

レッスン331「私の意志はあなたの意志なのですから、いかなる葛藤も存在しません」
レッスン331です。「私の意志はあなたの意志なのですから、いかなる葛藤も存在しません」が今日のレッスンです。まず、特別解説エゴってなに?をご覧ください。この世界では、天国に実在する生命、愛、真理、平安などが反映されるに伴い、影が生じて、実在の不在である、死、恐れ、虚偽、葛藤という対極が存在するように見えることになるということをこれまで何度も述べてきました。光の不在である影や闇が実在性を持たないこと...

レッスン330「今日、私は自分自身をもう二度と傷つけることはしない」
レッスン330です。「今日、私は自分自身をもう二度と傷つけることはしない」が今日のレッスンです。まず、創造ってなに?をご覧ください。T13-1 罪がないということは死はないということが参考になると思います。神の子は潔白であり、いかなる咎めも受けることのない傷つきえない不死の存在です。「2. Father, Your Son can not be hurt. 父よ、あなたの子が傷つけられることなどありえません。 And if we think we suffer, ...

レッスン307「矛盾する願望が私の意志であるはずがない」
レッスン307です。「矛盾する願望が私の意志であるはずがない」が今日のテーマです。まず、キリストの再臨とは何かをご覧ください。T7-10 苦しいのが気持ちいいってどういうこと?が参考になると思います。神が何かを乞い願ってそれが実現すればよいのにと願望することなどありえません。神は時間の世界におらず、永遠にあって対極を持たない、完全な自由意志を持つ全能の存在だからです。したがって、神は、「こうだったらいい...

レッスン301「だから、神自らが、すべての涙を拭い去ってくれるだろう」
レッスン301です。「だから、神自らが、すべての涙を拭い去ってくれるだろう」が今日のテーマです。まず、キリストの再臨とは何かをご覧ください。今日のテーマは、「And God Himself shall wipe away all tears.だから、神自らが、すべての涙を拭い去ってくれるだろう。」と、"And"から始まります。これは、昨日のレッスン300「この世界が持ちこたえるのは、ほんの一瞬でしかない」を受けて、ほんの一瞬しか持続しない悲し...

レッスン290「私に見えるのは自分が今幸福であることだけだ」
レッスン290です。「私に見えるのは自分が今幸福であることだけだ」が今日のテーマです。まず、聖霊とは何かをご覧ください。人は誰しも人生のある時期、何かにハマってしまうものです。ずっとハマりっぱなしの人もいます。パチンコにハマる人、不倫する人、違法薬物に依存する人、ギャンブルや過食、拒食、犯罪を繰り返す人、このような否定的な悪いとされることだけでなく、勉強大好き、筋トレ大好き、自己啓発大好き、SNS中...

T20-1 聖週間
テキスト第20章から、聖週間という一節をご紹介します。M28 復活とは何かキリストの再臨ってなに?T3-1 贖罪には犠牲は無用が参考になると思います。キリストの磔刑と復活は、エゴと聖霊の相違を象徴的に表しています。...

レッスン284「私には、傷つける思考すべてを変える選択ができる 」
レッスン284です。「私には、傷つける思考すべてを変える選択ができる」が今日のテーマです。まず、聖霊とは何かをご覧ください。私たちは、真理から逃れて虚構からなる幻想世界を作り出してその中の生物になりきって生きています。望んで偽りの中に安住している者にとっては、真理は自分の安寧を脅かす敵であり、真理が真実だからといって受容されるわけではないし、むしろ、受け入れたくないものであるがゆえに、真理のほうこ...

レッスン268「すべての物事が本当にあるがままになりますように」
レッスン268です。「すべての物事が本当にあるがままになりますように」が今日のテーマです。まず、身体とは何かをご覧ください。コースの観点からすると、私たちがこの世界をさまよっていること自体、本来あるべき状態にないということになります。つまり、私たちは救われていない状態にあるわけです。他方、コースは、すでに救済は完了しているという主張を繰り返します。「Further, the plan for this correction was establ...

P2 intro 心理療法のプロセス序文
心理療法から、2「心理療法のプロセス」の序文をご紹介します。心理療法の役割は、小さな自己の自己認識、小さな自己から眺める世界、他者の見え方を変化させることです。心理療法の役割の究極目的は、真の自己を確立することではありません。真の自己はすでに神によって創造され確立しているからです。しかし、私たちが、この世界は本物で、自分が世界の中でばらばらに生きている人間だと信じていることは、真の自己が狂気に侵さ...

レッスン248「何であれ、苦しむものは私の一部ではない」
レッスン248です。「何であれ、苦しむものは私の一部ではない」が今日のテーマです。まず、世界とは何かをご覧ください。「What is in pain is but illusion in my mind. 苦痛を味わっているのは、私の心の中の幻想でしかありません。 What dies was never living in reality, and did but mock the truth about myself. 死ぬような存在は、現実においては、一度も生きたためしなどないまがいもので、単に本当の私であるふ...

レッスン245「父よ、あなたの平安が私とともにあるので、私は安全です」
レッスン245です。「父よ、あなたの平安が私とともにあるので、私は安全です」が今日のテーマです。まず、世界とは何かをご覧ください。今日のテーマは昨日のレッスン「私は、世界のどこにいようとも危険にさらされることはない」の延長です。自分の本来の居場所で自分が神とともにいるという自覚は、この世界でのエゴ・身体というアバターを神の平安を兄弟たちに運び届けるための乗り物として位置づけます。ビデオゲーム世界の...

レッスン241「この聖なる瞬間に救済が到来する」
レッスン241です。「この聖なる瞬間に救済が到来する」が今日のテーマです。まず、世界とは何かをご覧ください。ワークブックのレッスンの中では、最初のほうのレッスンの段階から、今日こそ救いがなされる、今この瞬間にも天国に戻ることができるというふうに、救済はつねに今達成できるという表現が度々出てきて違和感を覚えていた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、コースのいう救済は、小説を読んでいる読者が物語を...

レッスン222「神は、私とともにある。私は神の中で活動する」
レッスン222です。レッスンに入る前に、特別解説1「赦しとは何か」をまずご覧ください。今日のレッスンでは、私たちは神の中で生き、活動しているのであって、少しも神から離れてなどいないということがテーマとなります。私たちは、これとは反対のことが真実だと考えています。つまり、二元論です。神のいる光の陣営と神に対立する闇の陣営があると。神があるなら悪魔があり、光があるなら闇がある、生命があるなら死がある、...

レッスン210(レッスン190)
レッスン210です。今日はレッスン190の復習です。今日は、「ユミの細胞たち」をご紹介します。ディズニーのインサイドヘッドと似た設定の韓ドラです。心身の中の世界の登場人物たちをかわいらしく擬人化してとても上手に描いていて、自らを内省するために参考なる視点がたくさんもらえると思います。これまでの映画やドラマでは、俳優さんの演技で視聴者に心の中の気持ちを読み取らせるか、強引な独り言のセリフや心の声のナ...

レッスン195「愛こそが、私が感謝しながら歩む道だ」
レッスン195です。「愛こそが、私が感謝しながら歩む道だ」が今日のテーマです。レッスンの冒頭から、世界を誤解する者にとって感謝することを学ぶのは困難な課題であり、彼らにできるは、他者が自分よりも苦境にあるのを見て、それと比較して自分は他人よりもましだと思って満足することくらいだということが語られます。自分よりも恵まれない他者に想いを馳せて足ることを知り謙虚な気持ちを忘れないということはエゴとしての...

レッスン193「すべてのことは、神が私に学ばせようとするレッスンだ」
レッスン193です。「すべてのことは、神が私に学ばせようとするレッスンだ」が今日のテーマです。神が私たちに学ばせようとしている優しさに溢れるレッスン、すべてのレッスンに通じる中核のレッスンは次のようなものだと述べられます。3.「It is this: その中身とはこれです。Forgive, and you will see this differently.赦しなさい。そうすれば、あなたはこのことを違ったように見るでしょう。」赦しがすべての試練や苦難...

レッスン190「私は、苦痛の代わりに神の喜びを選択する」
レッスン190です。「私は、苦痛の代わりに神の喜びを選択する」が今日のテーマです。このテーマを見て、苦痛よりも喜びを選ぶ、そんなの当たり前じゃないか?と誰もが思うはずです。生きるうえで苦痛は避けることができないものなのであって、自分ですき好んで苦痛を選んでいるわけじゃないと。T7-10 苦しいのが気持ちいいってどういうこと?が参考になると思います。エゴという錯覚が本来ありもしない苦痛を生み出します。人体...

T27-6 罪の証人
今回は、テキストから、罪の証人についての一節をご紹介します。T7-10 苦しいのが気持ちいいってどういうこと?が参考になると思います。苦痛も快楽も、身体が実在し罪は本当にあると証言する証人です。聖霊は、身体が実在しないと知っているので、罪の証人を奇跡によって置き換えます。...

レッスン102「私が幸せであることを望む神の意志を私は分かち合っている」
レッスン102です。今日のテーマは、「私が幸せであることを望む神の意志を私は分かち合っている」です。私たちは、何かを手に入れるためにはその代償として、苦痛を犠牲として捧げなければならないと信じています。この発想は、二元性の幻想世界での贖罪の考え方です。分離した他者が無数に存在し、無尽蔵ではない限りある資源の中で、自分の望みを果たそうとするなら、他者は限られた資源を奪い合う敵となります。二極のうちの...

T7-10 苦しいのが気持ちいいってどういうこと?
今回は、テキスト第七章「X. The Confusion of Pain and Joy 十 苦痛と歓喜の混同」をご紹介します。この一節では、私たちは、苦しみと喜びの違いもわかっておらず、両者を区別できないどころか、混同してしまって、苦痛を喜びに感じたり、喜びのことを苦痛と勘違いしたりしてしまうということが指摘されます。以前にマトリックス 自由意志という幻想で、眠りこけた夢見る心の中で、聖霊とエゴのどちらの思考システムに従うか...

M13 犠牲の真の意味とは?
今回は、マニュアル第13節の「犠牲の真の意味とは?」をご紹介します。本節では、身体が自分だと信じて本当の自分が神の子であることを忘れることは真の犠牲であり自己処罰であるという説明に続けて次のように述べられます。3.「Now has the mind condemned itself to seek without finding; to be forever dissatisfied and discontented; to know not what it really wants to find. いまや心は、見つからないまま探し続ける...

M4-8 神の教師の特性8(我慢強さ)
神の教師の特性の続きです。「我慢強さ」です。コースは、救いはいつでも、今にでも起こることだと繰り返します(T26-8 救いはもう、済んでいる、T15-10 再生のときは今)。一見すると、我慢強く待つことは、救いが遠い将来にあることを仮定するもので、この救済の即時性とは矛盾するスタンスのように思えるかもしれません。しかし、時間は幻想であり、永遠においてはすでに救済は完了しているのだとしたら、幻想世界の中の実在し...

M4-5 神の教師の特性5(喜び)
今回は、神の教師の特性の5つ目です。「喜び」です。喜びはひとつ前の神の教師の特性である優しさの帰結です。優しさのところで出てきたように、神の教師たちは正気を取り戻しているので、自分が危害から免れていることを自覚しています。すなわち、世界が幻想で自分は天国にずっといる神のひとり子だというのが真実であり、テレビゲーム世界の中で動き回るアバターがどれほど危険な目に遭おうが画面の前でゲームをプレイしている...

M5 「癒し」の仕組みとは?
今回は、教師のためのマニュアルから第5節「どのように癒しは達成されるのか」をご紹介します。奇跡のコースでは、癒しのことを、分離幻想を解消し、神の子の完全性を回復するという贖罪と同様の意味を持つ概念として用いており、身体的な病気や疲労からの回復だけの意味に限定して用いてはいませんが、この一節では、とくに病気との対比によって癒しの意味を説明していきます。この一節には、受け止め方によっては、病気で苦まれ...

奇跡のコースの朗読音声
目で読むのが億劫なときでも、耳から聞くのは苦痛ではありません。通勤・通学のときや車の運転中などにも、音声なら、聞くことができます。お勧めの奇跡のコースの原文の朗読を紹介します。米アマゾンで「jim stewart acim」で検索すれば出てきます。 少し値段が張りますが、約60枚のCDであり、朗読者のジム・スチュワートさんが穏やかに渋い声で語り、コースの言葉がすうっと心に染み込んできます。値段以上の価値はあるこ...