
T20-8 潔白さのヴィジョン
今回はテキスト第二十章から「潔白さのヴィジョン』という一節をご紹介します。前節では、目的と手段の不一致を、神聖な救済という目的にエゴの不浄な目的を割り込ませて揺るがせないことについて述べられました。神聖な関係の目的も手段も、私たちが作り出すものではなく、与えられるものであり、私たちは求めさえすれば、目的も手段も与えてもらえるのだから、私たちがなすべきことは、兄弟を罪なき者と見ようと望むことだけだと...
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レッスン181から200に向けての導入
復習期間、お疲れさまでした!さあ、これからまた新しいレッスンに入ります。まず、レッスン181から200に向けての導入の説明です。...
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T20-3 適応という罪
今回は、テキスト第二十章から、適応という罪という一節をご紹介します。適応とは、自らと調和、一致しない外部の状況や物事に自らを調整して適合させることをいいます。真理においては、神の子はすべてを持っていると同時にすべてでもあるということでした。したがって、本来の状態では、神の子には自らを何かに適応させる必要などないことになります。そして、すべてである存在がすべての中の砂粒のような一点でしかないちっぽけ...
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