
T31-2 キリストと歩む
今回はテキスト第三十一章から「キリストとともに歩む」という一節をご紹介します。私たちには、他者との間で、自分が先導者になるか追随者になるかという選択肢しか見えていません。しかし、この選択肢は、お互いに足を引っ張り合い責任をなすりつけ合うだけで、神の下に至る旅路の目的からすれば、意味のない偽りの選択肢です。真の選択肢は、生命か死か、統合か分離か、聖霊かエゴか、愛か恐れか、という実在と実在の不在の間に...

P2-VII 理想的な患者とセラピストの関係とは?
今回は、心理療法から「理想的な患者とセラピストの関係」をご紹介します。1.の"God comes to him who calls, and in Him he recognizes Himself."の後半の文の"in Him"はHが大文字なので、コースの大文字小文字ルールに従うかぎり、神のことを指すことになります。この文章の"in Him"はUrtextでも大文字なので、改訂によって当初小文字だったものが大文字に変わった箇所ではないようです。大文字として訳するなら、訳としては「...

レッスン138「天国は、私が下すべき決断だ」
レッスン138です。「天国は、私が下すべき決断だ」が今日のテーマです。天国で通用する法も、地獄にはそのままの形では行き渡りません(T25-3 知覚と選択)。郷に入っては郷に従え里に入りては里に従う所の法に矢は立たぬと、一般的な通則も、具体的なローカル・ルールに従っている地域や人々にはそのままでは通用しません。2. 「Yet what is true in God's creation cannot enter here until it is reflected in some form the...

レッスン133「私は、無価値なものに価値を置かないことにする」
レッスン133です。今日のテーマは「私は、無価値なものに価値を置かないことにする」です。今回は、世界は幻想だというような規模の大きな事柄ではなく、私たちの実際上の関心事、自分たちの利益という観点で考えてみるということが冒頭で述べられます。おっ!イエス直伝で、引き寄せの法則でも教えてくれるのか?と期待してしまいますが、残念ながらそうではありません。そうではありませんが、そんなものよりもはるかに価値の...

T8-2 ありそでなさそな自由意志。あるの?ないの?
今回は、自由意志に関する箇所をテキスト第八章2節ご紹介します。第三十章2節も自由意志に関する一節ですので、ご覧下さい。自由意志の幻想性については、マトリックス 自由意志という幻想で触れていますので、ご一読ください。さて、私たちに自由意志はあるのでしょうか。...

レッスン88「レッスン75と76の復習」
レッスン88です。今日のテーマは次のふたつです。[75] "The light has come."「光がやってきた」[76] "I am under no laws but God’s."「私はただ神の法の下にしかない。」今日は、7つの習慣と第8の習慣のセルフ・ラーニングDVDをご紹介します。映像では、案内役として登場するコヴィー先生の姿を拝むことができます。[序文]1.前回の復習期間後のレッスンについて毎日ふたつずつの考えを復習します。毎日の前半は、その二つのう...

T5-5 エゴは罪悪感をどうやって利用するの?
テキストから、エゴが罪悪感をどのように利用するのかについて説明する一節をご紹介します。エゴの目的は、恐怖を抱かせることだということが述べられます。その理由は、怯えるものだけが利己的になりうるからという、とても納得のいくものです。エゴの道具の中でも、最大の武器が罪悪感です。そして、罪悪感は神に対する攻撃の象徴と言えます。というのは、分離そのものであるエゴは、神の一体性を攻撃して分離という罪をを達成し...