
S1-5 はしごの終わり
はたらく細胞の世界観で見ると、身体の内部世界のひとつの細胞が自分独自の利益追求を考えず、私心のない状態にあることが身体全体が健康で自然な状態であることがよくわかります。これに対して、身体全体の一部の個である器官や細胞が「私」という自意識を抱く状態は、癌細胞に類する不健康な状態です。神の子についても、全体の一部が自分が残りから分離した「私」という自意識を持つ状態は、エゴという狂気に憑りつかれた不健康...

T14-7 聖霊と知覚を共有する
今回はテキスト第十四章から、聖霊と知覚を共有することについての一節をご紹介します。聖霊の知覚はキリストのヴィジョンです。T12-6 キリストのヴィジョン、レッスン271「今日私が使うのはキリストのヴィジョンだ」が参考になると思います。キリストのヴィジョンには、実在するものだけが、つまり、神の子自身が見えています。神が創造したのは神の子だけであり、神の子は万物を所有しているだけでなく、万物そのものでもあり...

T2-2 防衛としての贖罪
今回は、テキスト第二章から、防衛としての贖罪という一節をご紹介します。本節では、真の否認について語られます。「2. True denial is a powerful protective device. 真の否認は、強力な保護の手段となります。 You can and should deny any belief that error can hurt you. あなたは、どんなものであれ、誤りが自分を傷つけることができるという信念を否認できるし、否認すべきです。 This kind of denial is not a conce...

T22-5 弱さと防衛
今回はテキスト第二十二章から弱さと防衛という一節をご紹介します。真理と幻想は対立しません。なぜなら、真理は実在するけれど、幻想は実在しない影でしかないからです。影は形を持ち、見せかけだけは持っているので、虚無とは異なるように見えはしても、本質は、実在の不在であり、無でしかありません。したがって、真理は無である幻想から自らを防衛する必要はありません。真理は首尾一貫して一なるものです。一なるものとは、...

レッスン170「神は無慈悲ではないので、私も無慈悲ではない」
レッスン170です。「神は無慈悲ではないので、私も無慈悲ではない」が今日のテーマです。一般論としてなら攻撃を放棄すべきということは誰もが認めます。ただし、他者が不合理にも自分や自分の大切なものを攻撃してくるような場合には、それを防ぐ必要があるのは当然であり、攻撃が例外的に必要なこともありうると誰もが考えます。これが意味するのは、自己防衛のために攻撃をすることが役立つ場合には、相手が傷つくことを容認...

レッスン153「防衛しないことで、私は安全になる」
レッスン153です。今日のテーマは「防衛しないことで、私は安全になる」です。今日のレッスンでは、イェシュア自身が、この世界のことを恐怖のゲーム、物語として喩え、救済のことを幸せなゲームと表現しています。読み物としても面白いレッスンだと思います。防衛しないことの理解は本当に難しいものです。机上の空論としてであれば、いくらでも非武装、無防備と宣言できますが、具体的な事柄に引き直して考える場合にはなかな...

レッスン148「レッスン135と136の復習」
レッスン148です。今日はレッスン133と134の復習です。今日ご紹介するのは、シャッター・アイランドです。ウィキあらすじ「1954年、連邦保安官テディ・ダニエルズ(レオナルド・ディカプリオ)とチャック・オール(マーク・ラファロ)ら捜査部隊は、ボストン港(英語版)の孤島(シャッターアイランド)にあるアッシュクリフ精神病院を訪れる。この島でレイチェル・ソランドという女性が、「4の法則。67番目は誰?」(The...

レッスン136「病気になることは、真理に逆らって防衛しようとすることだ」
レッスン136です。「病気になることは、真理に逆らって防衛しようとすることだ」が今日のレッスンです。レッスンでは、病気は、偶然降りかかる災厄ではなく、自分を身体だと誤信させて自己欺瞞に陥らせるための狂気の仕掛けだということが語られます。一瞬よりも短い時間で、自分が信じたがっている信念=身体が自分だという信念が真理によって脅威にさらされていると評価し、逃げる必要があると判断し、実在のものと判断した真...

レッスン135「もし私が自分自身を防衛しようとするなら、私は攻撃されることになる」
レッスン135です。「もし私が自分自身を防衛しようとするなら、私は攻撃されることになる」が今日のテーマです。「1. Who would defend himself unless he thought he were attacked, that the attack were real, and that his own defense could save himself? 自分が攻撃されたのであり、その攻撃は現実のことであり、そして、自分が防衛することで自分自身を助けられると思わないかぎり、誰が自分を守ろうとするでしょうか...

T2-3 祭壇はどこにある?
今回は、神の祭壇について述べるテキスト第二章の一節をご紹介します。祭壇(Alter)とは、神様を祀る供物を捧げる場所のことです。神殿(temple)は、祭壇の周囲に建てられる建物のことです。仏教でいう仏壇と寺院に相当します。祭壇は、神仏や霊を祀り、儀式や供物を捧げるという手続きを行うことによって、神仏の加護を求めたり、悪霊が鎮まるようにと、なんらかの功徳を得るための宗教的な道具、システムです。インターネット...

M4-6 神の教師の特性6(無防備)
今回は、神の教師の特性の続きで「無防備であること」です。レッスン153「防衛しないことで、私は安全になる」、T6-3 復讐してやりたいけど我慢しなきゃいけない?を読んでいただければと思います。国家規模の理不尽な虐殺、戦争、弾圧や社会での通り魔事件や身近ないじめ問題等を考えると、理想論として無防備であることを唱導することはできても、現実問題として、防衛しないでいることは不可能に思えます。チベット弾圧を見...

M20 平安をどのように見出し、そして、保つことができるのか
今回は、教師のためのマニュアルから、「神の平安」についてです。本節で語られるテーマは次の3点です。① どうやって、神の平安を認識できるのか② そして、平安をどのように見つけるのか③ 見出した平安をどのようにして保つのか①平安の認識は、それまでのどんな体験とも違う、過去を連想させることのない新たな体験であり、永遠の静寂が過去に置き換わって存在することを認識することだといいます。②平安の見つけ方は、どんな怒り...