
S1-4 他者とともに祈る
他者を敵視した状態での祈りの段階にとどまる間は、祈りが共有されることはありえません。というのも、敵同士になるには、両者が目的を異にしている必要があるからです。各自が望むことが異なることが両者が衝突し、敵対することを可能にします。この段階から次の段階に進むために必要な心構えの変化は、私たちはひとりきりではなく一緒に進むのだと考えるようになることです。そうなると、それまでは自分の利益のために祈っていた...

T24-7 出会いの場
今回はテキスト第二十四章から「出会いの場」という一節をご紹介します。特別性は私たちから寵愛を受けていますが、特別性は私たちの寵愛を受けるに値しないばかりか、そのせいで、私たちの目は眩み、兄弟が敵に見えて、救い主を攻撃する狂気に陥っています。そこで、本来愛を捧げるべき相手に愛を注ぐことが必要です。2.「The holiness in you belongs to him. あなたの内なる神聖さは、その兄弟に属するものです。 And by your...

T18-3 夢の中の光
今回はテキスト第十八章から、夢の中の光という一節をご紹介します。生命、愛、一体性、真理といった実在のみからなる天国に対して、実在しない死や恐れ、分離や虚構を体験するには、真理の光に背を向けて夢の世界に入り込んで正気を失うしか方法はありません。これまでの私たちの目標は、自分が永遠に真理から隠れていられるほどの究極の暗闇を求めることでした。そもそも私たちの本質はひとつの光であるので、本来、闇の中に入る...

レッスン307「矛盾する願望が私の意志であるはずがない」
レッスン307です。「矛盾する願望が私の意志であるはずがない」が今日のテーマです。まず、キリストの再臨とは何かをご覧ください。T7-10 苦しいのが気持ちいいってどういうこと?が参考になると思います。神が何かを乞い願ってそれが実現すればよいのにと願望することなどありえません。神は時間の世界におらず、永遠にあって対極を持たない、完全な自由意志を持つ全能の存在だからです。したがって、神は、「こうだったらいい...

レッスン268「すべての物事が本当にあるがままになりますように」
レッスン268です。「すべての物事が本当にあるがままになりますように」が今日のテーマです。まず、身体とは何かをご覧ください。コースの観点からすると、私たちがこの世界をさまよっていること自体、本来あるべき状態にないということになります。つまり、私たちは救われていない状態にあるわけです。他方、コースは、すでに救済は完了しているという主張を繰り返します。「Further, the plan for this correction was establ...

T17-1 空想を真理に引き渡す
今回はテキスト第十七章から「空想を真理へともたらす」をご紹介します。5.では、幻想を真理の下にもたらすべきで、真理を幻想の許にもたらすのではないという他の箇所でもよく出てくる表現が示されます。その理由はこうです。「Truth has no meaning in illusion. 幻想の中では、真理は何の意味も持ちません。 The frame of reference for its meaning must be itself. 真理の意味を評価する基準は、真理そのものでなければな...

レッスン132「私は、これまで自分がこの世界はこうだと思いこんでいたすべての思考から、この世界を解放する」
レッスン132です。「私は、これまで自分がこの世界はこうだと思いこんでいたすべての思考から、この世界を解放する」が今日のテーマです。今日のレッスンは、かなりこってりしていて濃厚です。世界は存在しない、世界の中にいる生きとし生けるものみんな存在しない、私たちも存在しないというように、コースの中核的な考え方のオンパレードです。しっかり咀嚼せずにこってりした料理を急いで食べると消化不良を起こすのと同じよ...

T7-10 苦しいのが気持ちいいってどういうこと?
今回は、テキスト第七章「X. The Confusion of Pain and Joy 十 苦痛と歓喜の混同」をご紹介します。この一節では、私たちは、苦しみと喜びの違いもわかっておらず、両者を区別できないどころか、混同してしまって、苦痛を喜びに感じたり、喜びのことを苦痛と勘違いしたりしてしまうということが指摘されます。以前にマトリックス 自由意志という幻想で、眠りこけた夢見る心の中で、聖霊とエゴのどちらの思考システムに従うか...