
T5-intro 癒しと全体性
テキスト第5章の序論です。第5章は、「癒しと全体性」というタイトルです。短いですが、癒しの側面から簡潔にサンシップの本質を述べています。聖書には「己を愛するがごとく汝の隣人を愛せよ」(マタイによる福音書 /19章 19節、22章 39節)とあります。「右の頬を打つ者があれば、左の頬も向けよ」(マタイによる福音書 / 5章 39節、ルカによる福音書 / 6章 29節)とともに、キリストの言葉が、ただきれいごとを並べるだけの偽...

T5-4 教えと癒し
今回はテキスト第五章から「教えと癒し」という一節をご紹介します。本節では、有名な「右の頬も向けよ」(マタイによる福音書 5章39節)が出てきます。4.「You cannot be hurt, and do not want to show your brother anything except your wholeness. あなたが傷つくことはありえません。だから、あなたの完全な姿以外の何ものも、自分の兄弟に示したいと望んではなりません。 Show him that he cannot hurt you and hold not...

T5-2 神に代わって語る声
今回は、テキスト第五章から、「神に代わって語る声」という一節をご紹介します。神の子は、光源である神の光を拡張する存在ですが、神から分離したという幻想を抱いて、神に対して罪を犯したという罪悪感を抱き、報復としての処罰への恐怖の暗雲に包まれ、光の拡張ではなく、暗雲のスクリーンへの影の投影をして、空想の世界で分裂した無数の人格に自己同一化する夢を見ています。聖霊は、神から、本当の私たちである神の子の居場...

T5-7 神を選ぶ
今回は「神を選ぶという決断」をご紹介します。神を選ぶ決断は、聖霊を選ぶ決断です。神の子である私たちの本来の自然な状態は喜びに満ち溢れた幸せな状態です。「If fear and love cannot coexist, and if it is impossible to be wholly fearful and remain alive, the only possible whole state is that of love. もし恐れと愛が共存できないとすれば、そして、もし完全に恐怖に慄きながら生きながらえることが不可能だとすれ...

T5-6 時間と永遠
今回は、テキスト第五章から、「時間と永遠」という一節をご紹介します。時間を消すが参考になると思います。前節で出てきた罪悪感がまた出てきます。「2. Guilt feelings are the preservers of time. 罪悪感という感情こそが、時間を保つ守護者です。 They induce fears of retaliation or abandonment, and thus ensure that the future will be like the past. この罪悪感が、復讐されたり見捨てられるのではないかという恐...

T5-3 ガイド選び、間違ってませんか?
今回はテキスト第五章から「救いへのガイド」という一節をご紹介します。「1. The way to recognize your brother is by recognizing the Holy Spirit in him. あなたの兄弟の真価を認識するための方法は、その兄弟の中に聖霊を認識することです。」4.「If you make the mistake of looking for the Holy Spirit in yourself alone your thoughts will frighten you because, by adopting the ego's viewpoint, you are undertaki...

T5-1 聖霊のサポートは無尽蔵!でも、頼まなきゃ受けられません
テキスト第五章から、聖霊を招待することについての一節をご紹介します。3.「I have said already that I can reach up and bring the Holy Spirit down to you, but I can bring him to you only at your own invitation. すでに述べたように、私はあなたのために高みに手を伸ばして聖霊をあなたの許に連れ降ろすことができます。しかし、私は、あなた自身の招待がある場合にしか、聖霊をあなたの許に連れてくることができません...

T5-5 エゴは罪悪感をどうやって利用するの?
テキストから、エゴが罪悪感をどのように利用するのかについて説明する一節をご紹介します。エゴの目的は、恐怖を抱かせることだということが述べられます。その理由は、怯えるものだけが利己的になりうるからという、とても納得のいくものです。エゴの道具の中でも、最大の武器が罪悪感です。そして、罪悪感は神に対する攻撃の象徴と言えます。というのは、分離そのものであるエゴは、神の一体性を攻撃して分離という罪をを達成し...