
T6-5 聖霊のレッスン
今回は、テキスト第六章から「聖霊のレッスン」という一節をご紹介します。つぎの喩えに、聖霊のレッスンのスタンスが明確に示されています。「2. How can you wake children in a more kindly way than by a gentle Voice that will not frighten them, but will merely remind them that the night is over and the light has come? 子供たちを怖がらせないような穏やかな声で、ただ『夜が明けて、もうお日さまが出てるよ』と気...

T6-5C 神と神の王国にのみ注意を向ける
今回は、テキスト第六章 第五節 聖霊のレッスンCの「神と神の王国に対してのみ注意深くありなさい」という一節です。6. では、A、B、Cの各ステップが整理してまとめられます。「6. You learn first that having rests on giving, and not on getting. あなたはまず、所有することは手に入れることによるのではなく、与えることに基盤を置くものだと学びます。 Next you learn that you learn what you teach, and that you ...

T6-5B 平安を得るための方法
今回はテキスト第六章、第五節の聖霊のレッスンから、平安を得るための方法について述べる一節をご紹介します。「B. To Have Peace, Teach Peace to Learn ItB 平安を持っているには、それを学ぶために平安を教えなさい」これは、「持っているために、みんなにすべてを与えなさい」という教えを平安にあてはめたものです。本節では、この教えの基盤として、所有と実在には等質性があることが述べられます。実在と所有が一致する...

T6-4 唯一の答え
今回はテキスト第六章から唯一の答えという一節をご紹介します。エゴとは分離によって生まれた想念であり、神に創造されて神と一体のままの神の子が、自分は創造主から分離して神の大いなる心の外にいる存在となったと信じ、自分が神とは分離した個別の隔絶した心だと信じる心の部分を代弁します。神の子が分離という錯覚によって自らの源から自分を切り離す狂気によって生み出した存在であるがゆえに、エゴには何も知ることができ...

T6-3 復讐してやりたいけど我慢しなきゃいけない?
今回は、テキストから、第六章の第三節「攻撃の放棄」をご紹介します。攻撃の放棄というテーマは、具体的な事例として考えると、困難な問題を提起するので、よく話題とされます。殺人鬼に襲撃された場面やレイプされそうな場面で、反撃の余地が残っているような場合に、極悪な犯人に「さあどうぞ」と身を差し出すべきなのでしょうか?素朴に考えて、どう考えたっておかしな話です。自分が迫り来る殺人鬼やレイプ魔に追われて転んだ...

T6-intro,1 キリストの十字架刑の真の意味とは?
今回は、テキストから、第六章 愛のレッスンの序論と第一節 キリストの磔刑とそのメッセージをご紹介します。本節では、攻撃が狂気の沙汰である仕組みが解明されます。よく韓ドラの復讐劇とかで、幼いころに死別した親の仇だと信じて復讐しようとしていた敵が実は、恋しい親だったことに復讐を遂げる直前に気づいて自分はなんということをしていたのだと悔いて、復讐を達成しなかったことを神に感謝したり、あるいは、実際に復讐...

T6-5A 持っていること=与えること
今回はテキストから、持っているためには与えることだという一節をご紹介します。聖霊のレッスンは、つぎの教えで始まります。5.「To have, give all to all.持っているために、みんなにすべてを与えなさい。」欠乏マインドでいるかぎり、この教えには納得できないままです。客観的にはすべてを持っているというのが事実だとしても、主観的にそのうちの砂粒のような一点だけしか自分は持っていないと信じているかぎり、すべてを持...

T6-2 エゴの道具としての投影の仕組みとは?
今回はテキスト第六章から、投影についての一節をご紹介します。「心理学における投影(とうえい、英: Psychological projection)とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るためそれを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きを言う[1][2]。たとえば「私は彼を憎んでいる」は「彼は私を憎んでいる」に置き換わる[2]。これには責任転嫁(Blame shiftin...