
レッスン240「いかなる形においても、恐れを正当化することはできない」
レッスン240です。今日のテーマは「いかなる形においても、恐れを正当化することはできない」です。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。テキストの第一章の序文では、「The opposite of love is fear, but what is all- encompassing can have no opposite. 愛の対概念は恐怖ですが、すべてを包含するものはいかなる対極も持つことはできません。」と語られます。天国で実在する属性がこの世界に反...

レッスン239「わが父の栄光は私のものだ」
レッスン239です。今日のテーマは、「わが父の栄光は私のものだ」です。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。「1. Let not the truth about ourselves today be hidden by a false humility. 今日は、間違った謙虚さによって、私たちが本当は何者かという真理が隠されてしまわないようにしよう。」しばしばコースでは、傲慢さと謙虚さについての誤解を解くようにと、両者の混同についての説明がなさ...

レッスン238「救済は全面的に私の決断にかかっている」
レッスン238です。「救済は全面的に私の決断にかかっている」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。救済が私たちの決断に委ねられていることは、これまでのレッスンでも明らかになっていると思います。理屈としては、神はわが子を自由な存在として創造しているので、神の子が狂気に陥る自由すら否認しておらず、彼が自分が無数に分裂したちっぽけな生き物になっていると狂信したと...

レッスン237「今、私は、神に創造されたままの私になることにする」
レッスン237です。「今、私は、神に創造されたままの私になることにする」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。真の私たちは分離してはおらず一なる神の子です。もっとも、幻想世界でエゴに従うことで、一なる霊は自分が多数に分離していると錯覚しているので、世界にいる私たちは、個別の心を持つ神の分霊たる魂だということになります。ほかの記事でも出てきますが、神道の考え...

レッスン236「私は、ただ私だけが支配しなければならない自分の心を支配する」
レッスン236です。「私は、ただ私だけが支配しなければならない自分の心を支配する」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。私たちは、自分の心の王国を支配する王としての責任を放棄して、臣下にすぎない諸々の願望が次々と私たちが空席にしている王座に座って、各自が好き勝手に暴政を敷くのを容認しています。私たち神の分霊たる魂と心の中の諸々の願望という思考とは精神的な想...

レッスン235「慈悲溢れる神は、私が救われることを意図している」
レッスン235です。「慈悲溢れる神は、私が救われることを意図している」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。レッスン101「神が私のために意図するのは完全な幸せだ」が参考になると思います。親が子の幸せを願わないはずがありません。神がわが子の幸せを意図しないはずがありません。そして、全能の神がわが子を不幸な存在として創造したはずがないし、わが子を幸福に創造す...

レッスン234「父よ、今日、私は再びあなたの子となります」
レッスン234です。「父よ、今日、私は再びあなたの子となります」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。今日のレッスンでは、私たちは、本当の自分が誰かを忘れ、自分がいない時間と空間のある架空の世界の中で本当の自分とはかけ離れた卑小な生き物になっている夢を見ているだけで、神の現実においてはほんの一瞬の出来事であったに過ぎないということが語られます。幻想は幻想で...

レッスン233「私は今日、自分の命を神の導きに捧げる」
レッスン233です。「私は今日、自分の命を神の導きに捧げる」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。今日のレッスンでは、私たちがエゴとして、自分が自分を導く先導者となって自分独自の思いを抱いて独自の行動をすることをやめて、一歩引き下がって、神の大いなる導きに従って神の意志をなすことが語られます。放っておくかぎりは、エゴが自動操縦で私たちを導き、どこにも行きつ...

レッスン232「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」
レッスン232です。「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。私たちの本質である神の子は神とひとつであり、私たちは神の大いなる思いとして神の中にいます。したがって、そもそも本当の私たちには、神と異なる思いを心に抱くことなど不可能です。けれど、私たちは、エゴに従って個別の心が神とは違う意志を抱いて異なる思考をしている...

レッスン231「父よ、私はただあなたを思い出すことだけを意図します」
救済とは何かが、これからのレッスンの前に読む特別解説です。1.「Let me remember You. 私にあなたを思い出させてください。 What else could I desire but the truth about myself? 自分自身についての真理以外のいったい何を私が願い求めることができるでしょうか。」後半でいう「私が願い求める」ことは前半の「あなたを思い出」すことを指すので、これは後半の「自分自身についての真理」は前半の「あなた」とイコールと...