
すべてを忘れなさい(アシュターヴァクラ・ギーター)
アシュターヴァクラ・ギーターからの一節をご紹介します。「すべてを忘れなさい」という題です。私たちは、霊的探求においても、学校のテストの準備のように、外から知識を仕入れてはそれを覚え込まなければならないという発想をしてしまいがちです。ですが、真理というものは、外の世界のどこか遠くを探さなければ見つからないものではなく、すでに自分の中にあって、それを忘れてしまっているだけのもののようです。探求は、この...

レッスン17「私は、何ひとつ中立なものを見ていない」
レッスン17です。今日のテーマは、「私は、何ひとつ中立なものを見ていない」です。このレッスンは、私たちが中立なものを見ていないのは、私たちが中立な思考を抱いていないからだと言います。つまり、思考が先にあるせいで、物事が中立でないように見えるのであって、外にあるものが中立でないから、中立でないように見えるのではないということです。これは心が世界を生み出しているのであり、原因は心で、結果が世界だという...

レッスン16「私には中立な思考は何ひとつない」
レッスン16です。今日のテーマは「私には中立な思考は何ひとつない」というものです。私たちは、心の中で思うだけであれば、どんなことを思おうと、外の世界に何の影響も及ぼすことはないと考えています。自分の心とは切り離された外界で起こることは、自分の思考とは無関係に起こって自分に降りかかってくるものだと考えています。だから、行動に出さなければ関係ないとばかりに、私たちは内心の自由をフル活用して、野放図にエ...

M7 癒しが本当に起こるのか不安で仕方がない!
今回は、教師のためのマニュアルから、癒しシリーズの続きで、第7節「癒しは繰り返されるべきか」をご紹介します。神の教師が癒しの成果について、疑いを持ってしまって、はたして本当に癒しが達成されるのかと、あれこれ心配をする間違いについて述べられます。癒しの成果に疑問を抱くことは、失敗することのありえない聖霊を信頼する気持ちがぐらついて、愛ではなく、怖れ、さらには憎しみによって、癒しを攻撃をすることになっ...

M6 癒しが起こらない!どうして?
今回は、前回に引き続いて、教師のためのマニュアルから、第6節の「癒しが起こるのは確かだろうか?」をご紹介します。第6節で出てきたように、癒しが起こるのは本人の決断によるのであり、本人こそが癒し主だということでした。今回は、この癒し主の思いによって癒しが時を待たねばならない場面がありうることについて触れられます。究極的には自分である他者としての兄弟、自分以外のアバターに対する基本的なスタンスが示され...

レッスン15「私の思考は、私の想像の産物だ」
レッスン15です。今日のテーマは「私の思考は、私の想像の産物だ」です。“My thoughts”「私の思考」、「私の思い」というと、内心で何か記憶を想起して思い浮かべたり、思いを巡らすことのように、頭の中だけで自己完結する思考のように読めますが、このレッスンでいう「思考」はどちらかというと、心の表象作用、すなわち、アバターとしての私たちが自分の外にある対象物を五感で感知して、その像を心のスクリーン上に映し出す...

M5 「癒し」の仕組みとは?
今回は、教師のためのマニュアルから第5節「どのように癒しは達成されるのか」をご紹介します。奇跡のコースでは、癒しのことを、分離幻想を解消し、神の子の完全性を回復するという贖罪と同様の意味を持つ概念として用いており、身体的な病気や疲労からの回復だけの意味に限定して用いてはいませんが、この一節では、とくに病気との対比によって癒しの意味を説明していきます。この一節には、受け止め方によっては、病気で苦まれ...

レッスン14「神は、無意味な世界を創造しなかった」
今日はレッスン14です。ワークブックのレッスンでは、日中に、数回の実習をすることを指示されます。そして、この実習こそがレッスンの本質であり、その日のレッスンの箇所の本の文章を読むことがレッスンをしたことになるわけではないということはとことん自覚しておく必要があります。とはいえ、文章の指示を見ずに日中にレッスンの指示どおりに実習するのは困難なので、つねに座右にその日のレッスンの文章を携えて読める状態...

レッスン13「無意味な世界が恐れを生み出している」
レッスン13です。今日のテーマは「無意味な世界が恐れを生み出している」です。昨日のテーマは「私の心がかき乱されているのは、私が無意味な世界を見ているせいだ」でした。今日のテーマでは、無意味な世界が惹起する心の動揺が、「恐怖」というより具体的な感情になっています。このレッスンでは、実のところ、無意味なものなど存在しないが、世界を無意味だと知覚することはできるし、世界に無意味さを知覚すると強烈な不安感...

T4-5 悪名高きエゴですが、打ち倒すべき強敵なのでしょうか?
今回は、テキスト第四章からエゴと身体に関する一節をご紹介します。悪名高い「エゴ」ですが、私たちはエゴにどう対処すべきなのでしょうか?奇跡のコースでは、エゴが幻にすぎないとして、そもそも実在しないものとして取り消すための理解と対処についていろんな角度から説明します。それだけに、エゴを取り消すにしても、そのためにはどのようなスタンスで臨むべきなのか今ひとつ掴みきれないという感覚になってしまうことも多い...

レッスン12「私の心がかき乱されているのは、私が無意味な世界を見ているせいだ」
レッスン12です。今日のテーマは「私の心がかき乱されているのは、私が無意味な世界を見ているせいだ」です。今回は目を開けたまま、ゆっくり周囲を見回して、一定のペースを保って、ゆっくりと視線を移しながら、「私は自分が( )な世界を見ていると思っている」と自分に言い聞かせます。( )の中には、自分の心に自然に浮かんでくるこの世界を表現する形容詞を入れます。別に否定的な言葉を入れる必要はないという...

人生を心から楽しむ
↓アマゾン人生を心から楽しむ―罪悪感からの解放(2004/02)ラメッシ・S. バルセカール商品詳細を見る「自己覚醒、すなわち悟りとは、自分であれ、他の誰であれ、どんな行為にも個人的行為者はいないということを最も深く理解することに他なりません。あなたはまた、どんな思考を考える人でもありませんし、どんな経験の経験者でもありません。思考も経験もただ起こるのです。」(「人生を心から楽しむ 罪悪感からの解放」ラメッシ・...

レッスン11「私の無意味な思考が、私に無意味な世界を見せている」
レッスン11です。「私の無意味な思考が、私に無意味な世界を見せている」 今日のレッスンでは、このテーマを目を閉じて心の中で、「私の無意味な思考が、私に無意味な世界を見せている」と繰り返してから、目を開けて、遠くも近くも、何でもパッパッパッと目に入る周囲のすべてに視線を移していきながら、「私の無意味な思考が、私に無意味な世界を見せている」と心の中でゆっくりと繰り返すという練習です。1回1分程度の実習...

レッスン10「私の思考は、何も意味しない」
レッスン10です。今回のテーマは「私の思考は、何も意味しない」です。レッスン1で、自分が見るものには何の意味もない、レッスン4で自分の目にするものに関する自分の思いには何の意味もないというテーマが出てきましたが、今回は、対象が自分の周囲の物事とつながりのない自分の思考そのものになっています。知覚するものや、知覚に関連する思考だけでなく、私たちの思考自体が無意味であるのは、私たちという個別意識、つま...

M10 価値判断の重圧から解放されるには?
今回は、マニュアルから第10節の価値判断の放棄をご紹介します。「最後の審判」って恐ろしいものなの?(テキスト 第三章 VI. Judgement and the Authority Problem 六 価値判断と権威問題)と正義とは何か、レッスン151「すべての物事は、神に代わって語る声のこだまだ」が価値判断に関する記事ですので、あわせて読んでいただければと思います。私たちは、人生の一大事においてはもちろんのこと、日常生活を送るうえで...

T13-6 今という時を見つける
テキスト 第十三章 六 現在を見出すをご紹介します。レッスン9の参考になると思います。コースの始め方として、1日1レッスンでペースをつかみやすいので、ワークブックから始めるという方も多いかもしれません。ワークブックをこなしながら、テキストをここまで読んだ方は、テキストを読んで知的に理解するのと、レッスンで実習することの違いを実感されているのではないでしょうか?ワークブックのレッスンは、淡々と指示さ...

レッスン9「私は何事も今あるままに見てはいない」
レッスン9です。「私は何もそれが今あるままに見てはいない」が今日のテーマです。T21-1 忘れられた歌が参考になると思います。私たちが過去だけを見て、過去の想念で心がいっぱいになっていることが、私たちが何事も今ある通りに見てはいない理由です。今日のレッスンでは、知的な理解とその理解を実践によって体得することの相違が指摘されます。コースに関心が向く人はどちらかというと知的な側面の勝っているタイプの人が多い...

気づき(アシュターヴァクラ・ギーター)
夢の主人公の参考に、アシュターバクラ・ギーターからご紹介します。...

レッスン8「私の心は、過去の思考によって占領されている」
レッスン8です。Workbook Lesson 8My mind is preoccupied with past thoughts.私の心は、過去の思考によって占領されている。今日のレッスンは、私たちが自分の外に向けて自分の思いを投影してきたために、私たちが過去の思いによって心を奪われてしまっているせいで、現在をありのままに見ることができなくなっていると言います。投影は、自分の心から気に入らない思考の影を外に投げ出して、それを排除して楽になったつもりで...

T27-8 夢の主人公
今回は、テキスト 第二十七章 から八「夢の主人公」をご紹介します。この節では、この世界が幻、夢想にすぎないことが明らかにされてゆきます。この夢見の世界では、劇をリアルに見せるためのキャラクターとして、身体が登場します。夢が何度も何度も繰り返して私たちに教えこもうとしているのは、夢こそが原因であって私たちは夢が生み出した結果つまり夢の産物にすぎないということです。こうして、自分は夢の結果であって夢の...

レッスン7「私はただ過去だけを見ている」
レッスン7です。Workbook Lesson 7I see only the past私は、ただ過去だけを見ているこれから時間に関するテーマがレッスン10まで続きます。私たちがただ過去しか見ていないというのは、なかなか最初は受け入れにくいのではないでしょうか?私たちは、自分たちが毎瞬毎舜移り行く現在を見ているつもりでいますし、しっかり意識すれば、過去の記憶や未来への期待や憂慮に影響されることなく、ありのまま「今ここ」に集中して目の...

M18 修正はどのようになされるか
今回は、マニュアルの第18節のご紹介です。「どのように修正はなされるか」というテーマです。罪には処罰、誤りには修正が対応します。奇跡のコースは、罪があることを認めないので、罪とワンセットである処罰も否認します。もっとも、この幻想世界において誤りが生じることは否認しないので、誤りに対しては、誤りを正す修正を認めます。私たちは眠りこけて自分がキリストのヴィジョンを持っていることを忘れてしまい、肉眼でしか...

レッスン6「私の心が乱れているのは、そこにありもしないものを見ているせいだ」
ワークブックのレッスン6です。テーマは、自分の心が乱れているのは、ありもしないものを見ているせいだというものです。この考えをあてはめる前に、心の中から心を乱す思いを探して見つけるよう指示されています。この検索に際しては、現に今、怒りを感じたり、不安を感じているなどして、心が乱れている状態にあるなら、それをそのまま直視して捕まえればよいでしょうし、心安らかな状態にあり、すぐに浮かんでこないようなら、...

レッスン5「私は、決して自分が思っているような理由で心をかき乱されているのではない」
ワークブックのレッスン5です。今日のテーマは、「私は、決して自分が思っているような理由で心をかき乱されているのではない」です。今日のレッスンは、"upset"を対象とします。「心の乱れ」と訳しましたが、混乱でも、動揺でも、うろたえでも、動転でもいいと思います。恐れや心配、落胆、不安、あるいは、怒り、憎しみ、嫉妬、その他、いろんな形をとって心の平安が乱される状態をまとめる意味で用いられています。「There are...

M15 「最後の審判」って恐ろしいものなの?
今回は、教師のためのマニュアルから「最後の審判」についての一節をご紹介します。最後の審判は、一般的には、世界の終末に神によって執り行われる個々の魂への裁きとして受け止められ、恐怖を感じさせるイメージを帯びた概念になっていることはたしかです。しかし、コースの言うところでは、実際には、最後の審判は、イェシュアの助けを受けながら、私たちみんなで取り組むことなのだということです。 最後の審判は、処罰なんか...

レッスン4「これらの思考には何の意味もない」
レッスン4です。ワークブックに取り組む際の重要な留意点は、基本的に1日1レッスンの原則を守ることです。そのわけは、ワークは実践に目的があるのであって、テキストのように理論的に理解する点に主眼があるわけではないからです。がんがんやる気があるのであれば、ワークブックを先に進めようとするよりもテキストをじっくり読みこむほうに労力を費やしたほうが実りが多いはずです。ワークブックをどんなに早く全部読んだとし...
アシュターヴァクラ・ギーター
アシュターバクラ・ギーターは、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)の真髄をシンプルにあらわす美しい詩篇です。アシュターヴァクラ・ギーター(2009/05/12)トーマス・バイロン商品詳細を見る奇跡のコースの学習者にとって、とても役立つアフォリズムが詰まっていると思います。分厚い奇跡のコースに取り掛かるには、気持ちを奮い立たせなければならないという人でも、常に携帯して手が空いたときにぱっと開いたページの一...

M20 平安をどのように見出し、そして、保つことができるのか
今回は、教師のためのマニュアルから、「神の平安」についてです。本節で語られるテーマは次の3点です。① どうやって、神の平安を認識できるのか② そして、平安をどのように見つけるのか③ 見出した平安をどのようにして保つのか①平安の認識は、それまでのどんな体験とも違う、過去を連想させることのない新たな体験であり、永遠の静寂が過去に置き換わって存在することを認識することだといいます。②平安の見つけ方は、どんな怒り...

レッスン3「私は自分の見るどんなもののことも理解していない」
レッスン3です。今日のテーマは、「I do not understand anything I see.私は自分の見るどんなもののことも理解していない」です。初めてワークブックに取り組む際には、指示されたことがよく理解できなくて混乱してしまうこともあると思います。とくにテキストを抜きにして、いきなりワークブックから入ると、この心の混乱はより大きいと思います(といっても、この混乱自体、ワークブックの狙っているところであることも確かで...

M27 死とは何か(神は、愛の神なのか死神なのか)
今回は、教師のためのマニュアルから死についての一節をご紹介します。奇跡のコースは、死はないと言います。コースでは、「invulnerable」(傷つくことのない)という言葉がよく出てきますが、この言葉には「不死身」という意味もあります。私たちが傷つくことがない理由は、罪が無いからということです。そして、私たちに罪が無いというのは、私たちが犯したと思いこんでいる「罪」は、原初の分離も含めて、自分で投影した幻想を...

レッスン2「自分の見ているすべての物が自分にとって持っている意味はすべて私が与えたものだ」
ワークブックのレッスン2です。今日はレッスン2で、ワークブックへの取り組みがはじまったばかりなので、まだまったく勝手がわからない状態だと思います。レッスン2では、テーマをあてはめる練習の回数についてはレッスン1と同じように行うように指示されています。レッスン1の該当箇所を張り付けておきます。「4. Each of the first three lessons should not be done more than twice a day each, preferably morning and e...

レッスン1「私の目にするものは、何も意味しない」
さあ、今日からワークブックのレッスンが始まります。1日1レッスンの原則により、レッスンを継続することをやめさえしなければ、1年後には、無事すべてのレッスンを修了しているはずです。はじめの間は勝手がわからず混乱するかもしれませんが、あきらめずに毎日続ければ、徐々に馴染んできて習慣化できると思います。とにかく、はじめることに決めたなら、絶対に途中で放り出さないという覚悟ではじめてください。この準備がま...

M17 魔術にはどう対処すべきか
今回は、教師のためのマニュアルの第17節をご紹介します。魔術的な思考をどう取り扱うべきかというテーマです。魔術とは、欺瞞です。魔術的な思いは、欺瞞によって幻惑される思いです。魔術は、幻想世界の中において、一見すると、個別の心が信じこんでいるこの世界のルールを枉げるような「奇跡」的な出来事を引き起こすことによって、個別の心を幻惑することです。つまり、世界での通常の捉え方としては、奇跡も魔術も常識では...

特別な関係と神聖な関係
Kinoさん、毎度ご質問どうもありがとうございます。「ふたつの絵」について、とても重要な点に関わるよい質問をいただくことができました。「本稿は示唆に富んでいるものの、核を捉えることが出来ませんでした。 ①私にも(多分誰にも)、特別な関係の交友は存在し、それは 自分の持ち合わせない特性を備えている方、補え合えそうな特性の方、 憎悪的行動を表現する方などが結びつきの代表格だと存じますが、 本稿では彼らとの関係は...

T17-4 ふたつの絵
今回は、特別な関係と神聖な瞬間に関する「ふたつの絵」という一節をご紹介します。「特別な関係」というのは、エゴがそのエネルギー源である罪悪感を保つために、特別だと思える他者との間に作り出す関係性です。エゴが信じる欠乏や必要性を満たしてくれる特性を備えているように見える他者(この他者も同じような必要性を満たしてくれる誰かを求めています)と関わることで愛の代用にしようとする場合が特別な愛情関係です。反対...

T9-2 祈りとはすでに自分がすべてを持っていることに気づかせてくれるよう聖霊に頼むこと
本節は、祈りへの答えというタイトルです。奇跡のコースは、テキスト、ワークブック、マニュアル等全体を通して、宝の山だと表現できます。あらゆる人のあらゆる悩みや問いかけに対する本質的な答えがきっとコースの中に見つかります。ですが、一連の文章の形になっているかぎり、ある人にとって、人生を変えるかもしれない一文がほかの文章の中に埋もれてしまうこともありえます。本当の意味で宝の山であって、コース全体は、ダイ...

M19 正義とは何か
今回は、マニュアルから第19節をご紹介します。正義についてです。T25-9 天国の正義正義はとても大切な概念です。しかし、正義を追求することで不幸になってしまうという罠に多くの人が陥ります。正義の味方はかっこいいものです。勧善懲悪の物語は、私たちにスカッとした爽快感を与えてくれます。誰もが幼少期から正義の感覚を刷り込まれるので、自分の幸せを犠牲にしてまでも正義を追い求め、正義を貫くような生き方を求めるよう...

T9-8 自信喪失と自惚れの行ったり来たりから抜け出すには?
コメント欄でいただいた質問にお答えしたいと思います。Kinoさん、ご質問いただきまして、どうもありがとうございます。「丁度気になったことについて書かれているエントリーでした。いつも有難うございます。 中途半端に他者が自分の投影だと知ったつもりになると、私の場合自惚れに陥りそうな気がしています。 人がしてくれたことに自分の分身がしたんだと感謝の気持ちが減ったり、人の反応を自分のバロメーターに利用したり。同...

M14 世界の終わり
今回もマニュアルからで、第14節をご紹介します。第14節は、世界の終わり方についてです。ゲイリー・R・レナードさんの「神の使者」の原題は「Disappearance of the universe」(宇宙の消滅)でした。世界の終わりというと、私たちは、大災害であるとか隕石が地球に衝突して破滅するとか仰々しいものを想像しがちです。でも、コースの言うところでは、世界の終焉は、世界が破壊されることなどではなく、世界が天国へと変容する...

「スピリチュアル系」に進化したエゴに注意!
コメントでよい質問をいただきました。長くなるので、本文記事のほうでご回答させていただきます。質問をいただいたKinoさん、どうもありがとうございました。①奇跡のコースと私との出会いをどのように評価するかについてです。現実世界が全て幻想であるとして、「奇跡のコース」の存在はどのように捉えるべきか。現実世界を超越した絶対存在/神が自分を招いて引合わせて下さったのか、それとも本稿に書かれているようにおこがまし...

M8 簡単な奇跡と難しい奇跡ってあるの?
今回は、奇跡の難易度に関する教師のためのマニュアル第8節をご紹介します。奇跡のコースは、奇跡の難しさに序列などないと繰り返しますが、私たちにとっては、このことがなかなか実感できないもので、頭でわかったつもりになっても、本当に理解するのが「難しい」ものです。マトリックスで、ネオがそれまで現実だと思い込んでいたマトリックスから脱したあと、現実から架空のプログラム世界だとわかっているジャンプ・プログラム...

M12 キリストの言葉(世界を救うために必要な教師の数)
もし今の時代にイエス・キリスト(当時の発音に近いものとして「イェシュア」と呼称されることが多いので、そう呼ばせていただきます。イェシュアってなんだか可愛らしくていい響きだと思います)が生きていて、話を聞くことができるチャンスがもらえるなら、アラム語であろうと何語であろうと頑張って一から学んで、直接、生の言葉を受け取りたいと思います。いかに有能な通訳の人がいたとしてもそうしたいと思わないでしょうか。...