
T30-2 意志の自由
テキスト第三十章から意志の自由についての一節です。(エゴに従うかぎり)私たちには自由意志がないということは再三述べてきました。素朴な感覚的判断によるかぎり、私たちには自分に自由意志があるとしか思えません。この感覚はエゴと同一化している私たちにとっては正しいものであり、私たちは、自分が神とは異なる個人的な意志を持っていると確信しています。とはいえ、仮に、エゴが好き勝手やるというエゴにとっての自由意志...

T7-4 真理の認識としての癒し
今回は、第7章から「真理の認識としての癒し」をご紹介します。M5 「癒し」の仕組みとは?、S3-2 偽りの癒し 対 真の癒し 0が参考になると思います。天国では神の法が行き渡り、自分の拡張するものが自分の現実となります。神の子はすべてでありすべてを持っているので、神の子が拡張するのは自分自身であり、拡張したものは実在し、神の子にとって自分であり自分が持っているものだとわかります。この法がこの世界では、自分...

T5-intro 癒しと全体性
テキスト第5章の序論です。第5章は、「癒しと全体性」というタイトルです。短いですが、癒しの側面から簡潔にサンシップの本質を述べています。聖書には「己を愛するがごとく汝の隣人を愛せよ」(マタイによる福音書 /19章 19節、22章 39節)とあります。「右の頬を打つ者があれば、左の頬も向けよ」(マタイによる福音書 / 5章 39節、ルカによる福音書 / 6章 29節)とともに、キリストの言葉が、ただきれいごとを並べるだけの偽...

T3-6 価値判断と権威問題
テキスト3章から価値判断と権威問題についての一節です。"Authority Problem"「権威問題」は、コースに出てくる概念の中では、地味なほうですが、実はきわめて重要な概念です。権威問題とは、誰が創始者なのかという問題です。神は光源であり、神の子は光源から拡張する光であるというのが神と神の子の関係性です。神の子による光の拡張が神の子が分離幻想を抱いて罪悪感から神の処罰を恐れ、恐怖の暗雲に包まれて、光の拡張をせ...

T2-8 最後の審判
M15 「最後の審判」って恐ろしいものなの?が参考になると思います。「3. The Last Judgment is generally thought of as a procedure undertaken by God. 最後の審判は、一般的には、神によって裁きが執行されることだと思われています。 Actually it will be undertaken by my brothers with my help. しかし実際には、最後の審判は、私の助けを受けながら私の兄弟たちが果たすことなのです。 It is a final healing rather ...