Gnothi Seauton 汝自身を知れ


最も困難なことは自分自身を知ることであり、最も簡単なことは他人に忠告することだ。

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タレス



The best way to find yourself is to lose yourself in the service of others.
自分自身を見出すもっともよい方法は、他者への奉仕によって自分自身を滅することだ。

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Mahatma Gandhi
マハトマ・ガンジー

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「汝自身を知れ」ということが優れた教育の手段です。



Alfred Adler
アルフレッド・アドラー(「教育困難な子供たち」より)

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あらゆる既知のタブーの中でも最も強力に押し付けられてきたのは、一見分離・独立・隔絶しているように見えるエゴの、その仮面の裏に潜む本当のあなたとは何者なのか、それを知ることに対するタブーである。

「存在の究極の基盤」というのは「あなた」なのだ。もちろんそれは「基盤」が装ってそうである「フリをしている」日常のあなたのことではなく、常に検閲官であるがゆえに検閲を免れてしまう、「最も内奥の〈自己〉」のことである。というわけで、これこそがタブーの内のタブーである――あなたは〈それ〉なのだ!

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Alan Watts
アラン・ワッツ






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このサイトがブログとして生まれた当初のURLには「gnothiseauton」という文字が入っていました。





オラクルの言葉

映画マトリックスで、オラクルのアパートメントで、キッチンでクッキーを焼くオラクルが入口の上の壁に掛けられた"Temet Nosce"との銘が刻まれた木碑を示してネオに問いかけます。

 



「The Oracle: You know why Morpheus brought you to see me?
オラクル:モーフィアスがなぜあなたを私に会わせるために連れてきたかわかってるわね?

So, what do you think?
それじゃ、あなたはどう思うの?

Do you think you’re The One?
自分が救世主だと思う?

Neo: Honestly, I don’t know.
ネオ:正直言って、わかりません。

The Oracle: You know what that means?
オラクル:あれがなんの意味だかわかる?

It’s Latin. Means “Know thyself”.
ラテン語よ。『汝自身を知れ』という意味よ。

I’m going to let you in on a little secret.
あなたにちょっとした秘密を教えてあげましょう。

Being The One is just like being in love.
救世主であることは、恋に落ちるのと同じなのよ。

No one can tell you you’re in love, you just know it.
だれも、あなたが恋に落ちているかどうかをあなたに教えてあげることはできない。あなたはただそうだとわかるだけなんだから。」




汝自身を知れ

英語では「Know Thyself」、日本語では「汝自身を知れ」と訳されます。

奇跡のコースでは、カリキュラムの目的は「Know Thyself」つまり「汝自身を知れ」ということだといいます。

「5. The goal of the curriculum, regardless of the teacher you choose, is "Know thyself. "
 あなたが選ぶ教師がどちらであるかにかかわらず、カリキュラムの目標は『汝自身を知れ』というものです。

 There is nothing else to seek.
 自分自身を知る以外に、求めるべきことなど何もないからです。」(T8-3 聖なる出会い)。


「汝自身を知れ」は、デルフィのアポロン神殿の入り口に刻まれた古代ギリシャの格言で、ソクラテスが引用していたことからも有名な言葉です(Wiki)。

この言葉は、自分の無知を知れ、人間としての分を弁えて身の程を知るように、足ることを知れというふうな教えであると解釈されることが多いようです。

神託を受けに来た者に対する戒めとして、刻まれていた3つの格言は、
① 汝自身を知れ(gnothi seauton)
② 度を超すなかれ(過剰の中の無(meden agan))
③ 無理な誓いはするな(誓約と破滅は紙一重(engua para d'ate))
ということらしいので、もともとの語源からすると、この解釈は正しいといえます。



「汝自身を知れ」がコースのカリキュラムの目標

あらためて引用しますが、コースは、「カリキュラムの目標は、あなたが選ぶ教師がどちらであるかにかかわらず、『汝自身を知れ』というものです。自分を知ること以外に他に求めるべきものなど何一つとしてありません」(テキスト、第八章、三 聖なる出会い 5.)として、エゴに従うにせよ、聖霊に従うにせよ、自己を知ることをカリキュラムの目標とします。


そして、エゴに従う場合に知る必要のある自己とは、個別の小さな自己(小文字のself)を指し、もともとの身の程を知れとの解釈でしょう。エゴが出しゃばらないよう、エゴに謙虚さを学ばせるためには、この解釈は有用です。


聖霊に従う場合に知ることを求められる自己とは

それに対して、聖霊に従う場合に知ることを求められる自己とは何でしょうか。

この場合の「自己」とは個別の小さな自己(小文字のself)ではなくて、真の自己、大いなる自己(大文字のSelf)のことです。
この自己は、エゴのように夥しい数の軍勢であるわけでも、複雑でもなく、たった一つあるだけでシンプルなものです。

それでは、この大いなる自己を知るには、どこを探せばよいのでしょうか。

コースは、自分自身の中をいくら探しても真の自己は見つからない、自分が何者なのかという問いを自分自身に問いかけるのは全く筋違いだと言います。自分の中を探すのではなくて、自分と一緒にいる誰か他の兄弟との聖なる出会いの中に探さなければならないと。

一見、自分が神の子であることを忘れているのであれば、自分と向き合って、沈思黙考し、瞑想を繰り返すなどして、自分の中を探すのが筋のようにも思えます。

コースが他者との関わりの中に自己を探すようにいうのは、この「自分と向き合う」というときの「自分」というのが、既に分離して欠片でしかないと信じ込んでしまっている個別の自己だからです。大いなる自己をばらばらに分割して、世界中に散らばらせているのなら、散らばった一欠けらとしか見ていない自分の中にだけ閉じこもっていても、エゴの幽閉状態から脱出するのは困難ということです。

自分の知覚作用というフィルターを通して投影によって自分のエゴを含めた幻想の世界を生み出している身である私たちとしては、個別の自己の中だけをいくら探しても、幻想以外の何ものも出てこないということです。

コースが勧めるのは、他の誰かと接する出会いの中で兄弟を鏡として、兄弟の反応を見ることで、自分がエゴの導きに従ってしまっていることに気が付いたら、それを放棄し、聖霊の導きに従うように選択し直すという知覚の修正作業を続けることです。

そして、聖なる出会いの中で、自分のための贖罪を受け入れ、正しい知覚によって赦すことで、他人に見えていた兄弟たちが抱く、幻想に過ぎない個別のエゴ・身体に自己を閉じ込める思いを取り消し、その思いから自分と兄弟を解放することで、他人に見えていた兄弟は実は自分自身だったと「知る」ことになります。

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