レッスン37「私の神聖さが世界を祝福する」
The greatest wealth is contentment with a little.
最も偉大な富とは、ささやかなことに満足できる心のことである。

西洋のことわざ
I am very happy, because I have conquered myself and not the world.
私がとても幸福なのは、私が世界ではなく自分自身を征服したからだ。
I am very happy, because I have loved the world and not myself.
私がとても幸福なのは、私が自分自身ではなく世界を愛しているからだ。

Sri Chinmoy
シュリ・チンモイ
Be faithful in little things, for in them our strength lies.
小さなことを誠実になしなさい。なぜなら、そうすることで私たちは力強くなれるからです。
We may not be able to give much but we can always give the joy that springs in a heart that is in love with God.
私たちには、自分がいつでも与えることのできる喜びより多くを与えることはできないのですから。その喜びは、神と愛で結ばれるハートの中に湧き出すものです。

Mother Teresa
マザー・テレサ

レッスン37です。
今日のレッスンは「私の神聖さが世界を祝福する」です。

エゴから見れば、欠乏マインドが当然
分離の幻想であるこの世界をエゴを通して見るかぎり、自分を身体というアバターと同一視して、自分と競い合う他の身体たちと限られた資源を奪い合う犠牲と代償の世界を知覚することになります。「7つの習慣」でいう「欠乏マインド」です。
この世界の常識にどっぷり浸かりきって唯物論に染まった心で「7つの習慣」を読んでも、豊かさマインドは現実無視の空疎な理想論でしかなく、厳しい現実から目を背ける欺瞞で、むしろ潔く冷厳な世界認識としての欠乏マインドを受け入れることこそが成熟した現実主義であるというようなさもしい現実主義の誤解、錯覚から抜け出すことはできないままでしょう。
Win-Winという言葉もビジネス用語として十分浸透はしていますが、空々しいマジックワードに堕してしまっているのを誰もが実感しているのではないでしょうか。
聖霊のヴィジョンでは豊かさマインドが当然
「7つの習慣」が小手先のテクニックではなく、普遍かつ不変の原理原則に基盤を置く真理を語っているとしても、読者の側のマインドセットが相容れない基盤(分離幻想)に根ざしているかぎり、読み手の心の中に真理は浸透せず、自己啓発本や自己啓発セミナーあるあるのとおり、読んでいる最中や読後しばらく、セミナー受講直後だけの一過性の感激で、結局、日常の人生は何も変わらないままで終わってしまいます。
この点で、奇跡のコースを読む私たちこそ、7つの習慣や第8の習慣、第3の案の述べることを単なるきれいごとや理想論ではなく実践的な生きる知恵、ツールとして活用できる得難い基盤を与えてもらっているといえるでしょう。
神の子はすべてを持ち、すべてでもある神の王国そのものであるというコースの主張は、まさしく豊かさマインドそのものです。
はたらく細胞で考えれば、聖霊のヴィジョンが正しいことがわかる
聖なるヴィジョンを通して見るなら、「はたらく細胞」の体内のいろんな細胞たち同士のように、他者は、自分と別の存在のように見えてはいても、同じ体を構成する同胞なのであり、犠牲も代償もありえないということになります。「7つの習慣」でいう「豊かさマインド」です。
「はたらく細胞」の細胞にとって人体は自分たちの生きる世界であると同時に本当の自分自身なわけですが、これとパラレルに考えると、人間というアバターにとっての世界は、細胞たちにとっての人体と同じように、自分が生きる世界であると同時に本当の自分であり、世界と自分は一体ということになります。
神聖さについては、T16-2 神聖さの力をご覧ください。

Workbook Lesson 37
My holiness blesses the world.
私の神聖さが世界を祝福する。
My holiness blesses the world.
私の神聖さが世界を祝福する。
1. This idea contains the first glimmerings of your true function in the world, or why you are here.
今日の考えには、あなたがこの世界で果たすべき真の役割は何なのか、つまり、なぜあなたがここにいるのか、についての最初のかすかな印が含まれています。
Your purpose is to see the world through your own holiness.
あなたの目的は、自分の神聖さを通して世界を見ることです。
Thus are you and the world blessed together.
そうすることで、あなたと世界はともに祝福されます。
No one loses; nothing is taken away from anyone; everyone gains through your holy vision.
誰も失うことはありません。誰からも何ひとつ取りあげられることはありません。あなたの聖なるヴィジョンを通して、すべての者たちが得ることになります。
It signifies the end of sacrifice because it offers everyone his full due.
それは、犠牲の終わりを意味します。なぜなら、あなたの神聖さは一人ひとりが当然に受けるべき完全な報いを差し延べるからです。
And he is entitled to everything because it is his birthright as a Son of God.
そして、すべてを受け取ることこそ彼が神の子として生まれながらに持っている権利なので、誰もがすべてを受け取る資格を持っています。
2. There is no other way in which the idea of sacrifice can be removed from the world's thinking.
この世界の考えから犠牲という考えを取り除くことのできる方法は、これ以外にはありません。
Any other way of seeing will inevitably demand payment of someone or something.
ほかの物事の見方は、必然的に、誰か、あるいは何かに対して代償の支払いを要求することになるからです。
As a result, the perceiver will lose.
代償を払う必要があると知覚する結果として、そう知覚する者は失うことになります。
Nor will he have any idea why he is losing.
しかも、彼にはなぜ自分が失うことになるのか皆目見当がつきません。
Yet is his wholeness restored to his awareness through your vision.
しかし、あなたのヴィジョンを通して、彼は完全さの自覚を回復することになります。
Your holiness blesses him by asking nothing of him.
あなたの神聖さは、彼に何も求めないことによって彼を祝福します。
Those who see themselves as whole make no demands.
自分たちが完全だとわかっている者たちには、何も要求するものなどないからです。
3. Your holiness is the salvation of the world.
あなたの神聖さこそが、世界の救いです。
It lets you teach the world that it is one with you, not by preaching to it, not by telling it anything, but merely by your quiet recognition that in your holiness are all things blessed along with you.
あなたの神聖さによって、あなたは世界に、世界はあなたとひとつだと教えることができるようになります。あなたは、世界に教え諭すことによってではなく、世界に何かを伝えることによってでもなく、ただ単に、あなたが静かに気づくことによって教えるのです。その静かな気づきとは、あなたの神聖さによって万物があなたとともに祝福されているという認識です。
4. Today's four longer exercise periods, each to involve three to five minutes of practice, begin with the repetition of the idea for today, followed by a minute or so of looking about you as you apply the idea to whatever you see:
今日の長いほうの実習時間は、それぞれ3分から5分の実習を4回行います。今日の考えを繰り返すことから始めて、引き続いて、1分ほど自分の周囲を見て、自分の目に留まるものであれば何にでも次のように今日の考えを適用してください。
My holiness blesses this chair
私の神聖さがこの椅子を祝福している。
My holiness blesses that window
私の神聖さがあの窓を祝福している。
My holiness blesses this body.
私の神聖さがこの身体を祝福している。
Then close your eyes and apply the idea to any person who occurs to you, using his name and saying:
それから、目を閉じて、あなたが思い浮かべるどの人物にでも、その人の名前を使って、次にように言いながら、今日の考えを適用してください。
My holiness blesses you, [name].
( )さん、私の神聖さがあなたを祝福しています。
5. You may continue the practice period with your eyes closed; you may open your eyes again and apply the idea for today to your outer world if you so desire; you may alternate between applying the idea to what you see around you and to those who are in your thoughts; or you may use any combination of these two phases of application that you prefer.
あなたは、目を閉じたまま実習を続けてもよいし、もしそうしたいなら、再び目を開けて自分の外の世界に今日の考えを適用してもかまいません。自分の周囲に見るものや、自分の思いの中に浮かんだ人物たちの間で交互に切り替えて今日の考えを適用してもかまいません。また、自分の好きなようにこのようなふたつの適用の形式をどのようにでも組み合わせて使ってもかまいません。
The practice period should conclude with a repetition of the idea with your eyes closed, and another, following immediately, with your eyes open.
実習時間は、目を閉じたまま今日の考えを繰り返し、それから、すぐ目を開けて、もう一回繰り返して締めくくるようにしてください。
6. The shorter exercises consist of repeating the idea as often as you can.
短いほうの練習では、できるだけ頻繁に今日の考えを繰り返してください。
It is particularly helpful to apply it silently to anyone you meet, using his name as you do so.
あなたが誰かに会った際、黙って心の中でだけその人の名前を使って今日の考えを適用すると有益でしょう。
It is essential to use the idea if anyone seems to cause an adverse reaction in you.
もし誰であれ、あなたの中で拒絶反応を引き起こすように思えるなら、絶対に今日の考えを使ってください。
Offer him the blessing of your holiness immediately, that you may learn to keep it in your own awareness.
すぐさま、その人にあなたの神聖さの祝福を捧げてください。そうすることで、あなたはおそらく自分の自覚の中に神聖さを保つことを学べるようになるでしょう。

