もしあのときこうしていたら、やり直しができたら
We judge ourselves by what we feel capable of doing, while others judge us by what we have already done.
他者は私たちがすでにしたことによって私たちを裁くというのに、私たちのほうは、自分がすることができたかもしれないと感じることによって自分自身を裁く。

Henry Wadsworth Longfellow
ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
もし今日が人生最後の日だとしたら、はたして私は今自分がやろうとしていることを本当にやりたいと思うだろうか。

Steven Paul Jobs
スティーブ・ジョブズ
失敗は成功への鍵である。どの間違いも何かを教えてくれる。

植芝盛平
こんなはずじゃなかったのに、という考え方は捨てなさい。こんなはずなのだから…。

ウェイン・W・ダイアー
平日の昼間からゴロゴロォゴロゴロ。「あ~あ~幕末に生まれてりゃなぁ~」

飯尾和樹(ずん ”現実逃避シリーズ”)
Your life would be very empty if you had nothing to regret.
何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう。

Vincent Willem van Gogh
フィンセント・ファン・ゴッホ
One of the greatest regrets in life is being what others would want you to be, rather than being yourself.
人生で最も大きく後悔することになるのは、他者があなたになってほしいと望む者になろうとして、ありのままの自分自身であろうとしなかったことです。

Shannon L. Alder
シャノン・オルダー
The future influences the present just as much as the past.
過去が現在に影響を与えるのと同じくらい、未来も現在に影響を与える。

Friedrich Nietzsche
フリードリヒ・ニーチェ
When we give ourselves permission to fail, we, at the same time, give ourselves permission to excel.
私たちが自分に失敗する許可を与えるとき、私たちは同時に、自分に卓越する許可を与えることになります。

Eloise Ristad
エロイーズ・リスタッド

もしあのとき・・・
誰しも、あのときこうしていたら、もっと違う自分であったはずなのに、という思いに駆られることがあります。もしあのとき、違う会社に就職していたら、もし別の人と結婚していたら、あのとき、車を運転しないで電車で行っていたなら、もし別の国や時代に生まれていたら・・・と。
おすすめ小説や映画の中の「リプレイ」、「ミスター・ノーバディ」、「バタフライ・エフェクト」、「エターナル・サンシャイン」、「インセプション」等は、このことをテーマにした物語です。それぞれ切なくも美しい物語ですので、まだ観ていない作品がありましたら、ぜひご覧ください。
さて、もしあのときこうしていたらというような思いは、分離の根源にかかわるものです。もし神のいない世界を作ったならという原初の思いこそが神の子をばらばらに分裂して散らばらせたものでした。
他者が別バージョンの自分であるなら、「もしあのとき・・・思考」に束縛される必要はない
上の物語のように、あからさまに示してはいないものの、世界中の全時代のすべての物語だけでなく、すべての人の人生、歴史の存在そのものが、もしあのときこうしていたら、という思いによって形作られているといえるかもしれません。
すべての人の人生がこのような思いによって生まれているのなら、わざわざ個別の一つの心が躍起になって、誰かほかの人を羨んだり、自分の過去の選択を後悔したり、もしこうだったらと夢想することは、本当は必要のないことなのかもしれません。
「もしもこうだったら」という思いは、自分が時間の中に居ること、自分とは別に世界が存在しており、自分と切り離された人たちが無数に存在すること、今の自分が欠乏していて不満であること、という思いを抱いている印です。
アドヴァイタ・ヴェーダーンタの思想では、神が幻想のこの世界(マーヤ)を用いて遊戯(リーラ)するために時間や劇中の関係性を作り出すための登場人物たちが必要なのだと説明するようです。
もしこうだったらと思うことは、すでに同じ時間に別の人の仮面を付けている自分が体験してくれているし、未来や過去の自分が体験したり、別の時代の別の人の仮面を付けた自分が体験しているんだと考えることができます。
気に入らない夢をやめて別の夢を見たところで、その後の成り行きは同じことの無限の繰り返しでしかないでしょう。夢から目覚めることこそ、もしもという思いに終止符を打つことになるのでしょう。
未来を選択する際に役立つ「もしも思考」を過去の振り返りに使うと深刻な副作用を生み出す
もしも思考が人生を灰色に変えてしまう有毒な想念であることは、誰もがわかっていることです。
あるべき未来に意識を飛ばしてその時点から現在を振り返るバックキャストでの仮説思考(T17-6 目的地を設定してください)は、目的達成に有益な働きをします。
そして、過去の振り返りで、仮説思考により、もしあのとき、別の選択をしていれば、という想定を辿ることは、教訓を見つけるためのフィードバック分析の一環として、有益な思考法のひとつとして位置づけることができるでしょう。
ですが、他者のことであればまだしも自分の失敗と解釈している出来事を仮説思考を用いて振り返って省察すると、どうしても、自分のことであるだけにエゴが関わってきて感情面が汚染されて、ありえた別の現在を想定して、過去の選択の後悔と現実の自分の否定をしがちになってしまう有害な副作用があります。
未来志向での仮説思考は、ありうる無限の選択肢の中からひとつを絞るために用いられるのに対して、過去志向での仮説思考は、現状を否定して、選ぶことのできた(はずの)無限の選択肢に思いを分散するために用いられるためです。
この世界かぎりでの時間の流れについて、昔のVHSビデオで左のハブから右のハブにテープが巻きとられてゆくように、時間は未来から現在を通って過去へと流れてゆくという時間観(認知科学者の苫米地英人さんの書籍を読む方にはなじみがある観点だと思います)に立つと、普通の時間観念による因果関係の縛り(過去の出来事が現在と未来を左右する)は幻想だという理解が起こります。
現在を変えるのは、過去ではなく、未来のすでに書かれた脚本のどれを現在選択するかということになるからです。

起こったことには「もしも」はなく「こんなはずなのだ」と引き受けるしかない
ウェイン・W・ダイアーさんが教えてくれているように、「こんなはずじゃなかったのに、という考え方は捨てなさい。こんなはずなのだから…。」というのが真実であることに疑いの余地はありません。
エゴとしての自分の狭い了見で願望する理想の現実を引き寄せようとあがくのではなく、すべては天の書に書かれている、自分の役割は、神の書いてくれた脚本を演じあげることであると理解して起こる現実を引き受ける潔さを身につけたいものです。
現在を引き受けることができてはじめて、過去(エゴ)に汚染されることなく、聖霊に未来の選択を委ねることができるのでしょう。
もしあのとき・・・思考に安住することは、人生からの問いかけに応える責任を放棄すること
このサイトでは、ヴィクトール・フランクル先生の人生の意味のコペルニクス的転回のテーマである、「私たちが人生に意味を求めるのではない、私たちのほうが人生から問われているのだ」命題にたびたび触れています。

アウシュビッツからの生還者同士としてフランクル先生と交友のあったエディス・エヴァ・イーガーさんの「心の監獄」22ページから引用です。
多くの人が「被害者意識の監獄」に留まるのは、無意識のうちにその方が安全だと感じるからだ。人は原因がわかりさえすれば、苦しみが和らぐと信じ、「なぜ?」という問いを繰り返す。なぜ、私はがんになったのか? なぜ、私は失業したのか? なぜ、パートナーは浮気をしたのか? 人は答えを探し、理解しようとする。まるで、なぜそんなことが起こったのかを説明する論理的な理由があるかのように。だが、理由を求めていては、責めるべき人、責めるべきものを探して行き詰まることになるーーそして、責めるべき対象には自分自身も含まれている。
なぜ、私にこんなことが起こったのか?
なぜ、あなたではいけないのだろう?
私はアウシュビッツに送られ、生き延びたから、今、あなたに話すことができ、被害者でなく生還者になる方法を教える実例として生きていられるのかもしれない。私は、「なぜ、私なのか?」でなく、「今、何をすればいいのか?」と問うことで、悪い出来事が起こったーー起きつつあるーー理由に注目するのをやめ、その経験からできることを考えられるようになる。私は救済者や自分の身代わりを探したりしない。そうではなく、選択や可能性に目を向けるようになるのだ。
・・・
被害者意識とは心の死後硬直のようなもの。それは過去に足止めされ、痛みに身動きできなくなり、悲しみと失ったものーーできないこと、持っていないものーーにこだわり続けることだ。
被害者意識から抜け出すための第一のツールは次のようなものだ。まず、何が起こっていようと、それを優しく抱きしめること。ひどいことが起きても、その出来事を好きになれという意味ではない。けれども、闘いや抵抗をやめれば、「今、何をすればいいのか?」を理解するために使えるエネルギーや想像力を増やせる。どこにも行きつかないのではなく、前に進むために。この瞬間に自分が欲しいもの、自分に必要なもの、ここからどこへ行きたいのかを知るために。
どんな行動も、ひとつは欲求を満たしてくれる。多くの人が被害者でいるのを選ぶのは、そうすれば自分自身のために何もしなくていいからだ。だが、自由には代償が伴う。人は自分の行動に責任を負うことを求められるーー自分が起こしたわけでも、選んだわけでもない状況であっても、責任を取らなければならないのだ。
捉え方を変えれば、もしあのとき・・・思考は大きな恵みとなる
人は原因分析で犯人を突き止めれば問題解決すると誤解して犯人探しに邁進しますが、度を越した原因分析には副作用しかありません。
「もしあのとき思考」によって正しいはずのありえた別の選択肢が特定できたとしても、時間は巻き戻せないので、これからの教訓として活用することをしないかぎり、後悔しか残りません。

仮にそれが間違いだと思っても、過去の自分の選択をその時点の自分にとりえたベストの選択だったと受け入れて優しく抱きしめ、そして、この経験を踏まえて、今、自分は何をすればいいのか、この経験を積んだ私にしかできないことは何だろうか、同じ過ちをほかの誰かが悔いることがないように自分にできることはないだろうか、自分と同じように後悔に溺れて生きている人の助けになる道はないだろうかと考えはじめたら、それまでは呪いであった経験を祝福に変える機会が生まれてきます。
真実を言えば、人生はあなたを祝福しているのでもなければ、罰しているのでもありません。人生はあなたとともに働き、あなたが何者かという真実に目覚めるのを助けてくれます。それは、あなたの教師です。絶え間ないフィードバックや修正を送り返してくれますが、あなたは耳を傾けようとしません。
耳を傾けるのを選ぶとは、自分の人生との共存関係に自分を任せ、明け渡すことです。思考、行動、修正というダンスを受け入れることです。そうすれば、これらすべてを学びのプロセスにおいて必要な、しかも味わい深いものとして経験することになります。

イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」58ページ)
もしあのとき・・・思考によって過去の自分を救い、未来の自分に今の自分を救ってもらう

冒頭のニーチェの言葉、
The future influences the present just as much as the past.
過去が現在に影響を与えるのと同じくらい、未来も現在に影響を与える。
は、「もしあのとき・・・思考」をただ後悔を産むだけの空疎な思考から、よりよく生きるための建設的な思考に転換してくれます。
もしあのとき・・・と考えることで、私たちは、こうしていればもっとうまく立ち回ることができたという貴重な教訓を得ることができます。
この教訓は、自分以外の他者に伝えることで、自分と同じ轍を踏まないよう活かしてもらうことが可能です。
そして、時間は架空の観念で実在しないとしても、この世界では観念しうるし、しかも、この世界の常識である過去から未来に進むのではなく、未来から過去に流れているのだとすれば、未来が過去に影響するのは当然ということになります。
すなわち、現実においては、大いなる原因である神とその結果である神の子があることだけが真の因果関係ですが、この世界かぎりの因果関係は、過去の出来事が未来の結果に影響を与える原因とされ、それが真実だとみなされています。
けれど、世界が架空の物語を展開している再生装置だとすれば、ビデオテープの左のハブ(未来)から右のハブ(過去)に磁気ヘッドを通過して巻き取られていくように、終わった過去が現在に影響を及ぼすことは不可能です。
ただし、物語は、過去が未来を左右するという筋書きで成り立つ仕組みであるがゆえに、お約束として、過去がその後の成り行きを左右するというふうに物語は展開します。
これに対して、現在というヘッドを通過する未来の物語の記録されたテープ、フィルムはまだ再生されていないので、選択は可能です。
そして、フィルムを別バージョンに変えれば、その後に再生される現在は別の物語に変わるのだから、本当の意味で未来は現在に影響することになります。
つまり、過去が現在に与える影響は、物語上の架空の心理的、主観的なものにとどまるのに対して、未来が現在に与える影響は、実際的な客観的なものだということになります。
T17-6 目的地を設定してくださいで、聖霊の目標設定がバックキャストであることが語られますが、それはこの仕組みに即してのものです。
すべてが書かれているなら、そして、その筋書きがひとつだけとは限らないなら、そして、時間は実在せず、存在する時間はむしろ未来から過去に流れているのなら、過去の苦難に直面している私たちに対して、その自分からは未来にいる今の私たちはメッセージを送って励まし、助けることができるということになります。
誰しも過去を振り返って、とうてい乗り越えられるはずがない思う高い壁や奈落に続く裂け目を前に人生に絶望していた過去の自分を思い出すことができるはずです。
そして、誰しも、この過去の自分に対して、それを乗り越えた今の自分から伝えたい応援メッセージを持っているはずです。
過去の自分は今の自分からすると、同じ時間を生きる他者と同じくらい自分とは離れているように見えていながらも近しい別バージョンの大切な自分です。
同じ時間を生きる他者の力になるのと同じくらい、過去の自分も励まし、助けてあげましょう。
T13-9 罪悪感の雲
レッスン71「ただ神の救済の計画だけがうまくいく」
が参考になると思います。
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