レッスン48「恐れることなど何もない」

2013年07月31日
レッスン41〜50 0

Nothing in life is to be feared. It is only to be understood.
人生に恐るべきことなど何もありません。それはただ理解すべきなだけです。

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Marie Curie
マリー・キュリー



われわれは死すべき人間としてすべてを恐れ、まるで不死であるかのごとくにすべてを欲する。



ラ・ロシュフコー



Who sees all beings in his own self, and his own self in all beings, loses all fear.
万物が自分自身の内にあり、自分自身の自己が万物の中にあると理解する者は、あらゆる恐れを失う。

Isa Upanishad, Hindu Scripture
イーシャ・ウパニシャッド




A miracle is what you experience in the absence of fear.
奇跡とは、まったく恐れがない心境においてあなたが体験することだ。

Jesus Christ

イエス・キリスト(Brent Haskell, Journey Beyond Words p.334)






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レッスン48です。


恐れることはいくらでもある!というのが私たちエゴにとっての現実

今日のテーマは「恐れることなど何もない」です。

生きているうちに、いつかそれが真理であることを確信しながらこの言葉を本気で言ってみたい、と誰もが思うことでしょう。

恐怖とは、恐怖を感じる主体が、自分に危害が及ぶ可能性を認識して、危害が現実になった場合を思い描いて現在の安定・安心を喪失することになることを予期して心に不安や混乱が生じて動揺することです。

恐怖は、①主体がアイデンティティーを抱いて自分と同一視する範囲内に危害が及びうること、②危害が現実になりうること、双方の認識があってはじめて生じます。





アバターは本当の自分ではない

①について、コースは、私たちはエゴ・身体ではなく、この世界の万人が神の子として私たちの兄弟であるとして、私たちのアイデンティティーを個人からすべての人類、万物へと拡張する教えのように思えるので、そうだとすれば、万物にアイデンティティーを抱くなら、危害が及びうる可能性のある範囲が拡大して、より恐怖を抱きやすくなるようにも思えます。

しかし、私たちのアイデンティティーは神の子であることなのであって、神の子とは、幻想世界の中のアバターである人間を寄せ集めた肉体の総和であるわけではありません。

人間と神の子の関係性は、人体内の細胞にとってのその身体を持つ人の心ないし魂、ゲーム世界の中のアバターにとってのテレビ画面の前に座ってプレイする子供のような関係であり、まったく次元が異なるものです。

したがって、①真のアイデンティティーを取り戻して、この幻想世界の中の人間ではなく、神の現実の中にいる大いなる霊としての神の子が本当の自分だという自覚を得ることは、この幻想世界とその中のすべての生き物たちを自分の分身として愛するようにさせはしても、本当の自分は世界とも世界の中の存在とも同一ではないという認識につながります。


空想の中でのできごとは現実になりえない

他方、②この世界で生じうる危害は、どんなに深刻で甚大なものであっても、この世界かぎりのものでしかありえません。したがって、ゲームの画面の中でマリオが悲壮な死を遂げても、テレビの前の子供は元気なままだし、テレビ画面にどんなに恐ろしい妖怪や怪物や幽霊が映し出されていようとも、貞子のように画面からそれらの恐ろしい存在が這い出してくることありえないので、この幻想世界の危害が神の子に影響を及ぼすことは不可能です。

したがって、本当の自分である神の子には恐怖はありえないというのは真実だということです。


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Workbook Lesson 48

There is nothing to fear.
恐れることなど何もない。





There is nothing to fear.
恐れることなど何もない。



1. The idea for today simply states a fact.
 今日の考えは、ただ単に事実を述べているだけです。

 It is not a fact to those who believe in illusions, but illusions are not facts.
 幻想を信じている者たちには、この考えは事実ではありませんが、幻想は事実ではありません。

 In truth there is nothing to fear.
 本当の意味で、恐れることなど何もないのです。

 It is very easy to recognize this.
 このことを認めるのはとても簡単なことです。

 But it is very difficult to recognize it for those who want illusions to be true.
 しかし、幻想が真実であってほしいと望む者たちにとっては、これが本当だと認めるのは非常に困難なことです。



2. Today's practice periods will be very short, very simple and very frequent.
 今日の実習時間は、とても短いものになるので、とても簡単に、かなり頻繁に行うことになります。

 Merely repeat the idea as often as possible.
 ただひたすら、「恐れることなど何もない」と、できるだけ頻繁に今日の考えを繰り返してください。

 You can use it with your eyes open at any time and in any situation.
 目を開いたままで、いつでも、いかなる状況においても、今日の考えを使うことができます。

 It is strongly recommended, however, that you take a minute or so whenever possible to close your eyes and repeat the idea slowly to yourself several times.
 とはいえ、できるときがあったら、いつでも1分ほど目を閉じて、今日の考えをゆっくりと何回も自分に繰り返し言い聞かせることを強く勧めておきます。

 It is particularly important that you use the idea immediately, should anything disturb your peace of mind.
 何かに自分の心の平安がかき乱されたときには、すぐに今日の考えを用いるようにすることがとりわけ重要です。



3. The presence of fear is a sure sign that you are trusting in your own strength.
 恐れを感じることは、あなたが自分だけの強さに頼ろうとしていることを示す確かな印です。

 The awareness that there is nothing to fear shows that somewhere in your mind, though not necessarily in a place you recognize as yet, you have remembered God, and let His strength take the place of your weakness.
 恐れることなど何もないと自覚するなら、それは、必ずしも自分ではまだ気づいていないにしても、あなたの心のどこかで、あなたが神を思い出して、神の力強さに自分の弱さに取って代わってもらうようにしたことを示しています。

 The instant you are willing to do this there is indeed nothing to fear.
 あなたがこのようにする意欲を持ったとたん、本当に、恐れることなど何もなくなってしまうのです。


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 松山 健 Matsuyama Ken
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