M9 生活環境の変化は必要か

マニュアル 0

扉が本物かどうかを見極める方法がひとつある。
もし目的へと続く途上にいるあなたがエネルギーを失い、疲れ果てた状態ならば、それはあなたの目的ではないことになる。
逆に、もしあなたを目的へと近づけるはずの活動を行っているときに、インスピレーションが湧いてくるようなら、その活動はあなたの扉と考えて間違いないということだ。

本物の扉を見極めるもうひとつの方法がある。
他人の扉があなたの扉のようなふりをすることもある。
その扉はあなたの前では開いているが、一番大事な瞬間に目の前でバタンと閉じてしまうのだ。
他人の扉を通って道を進むと、すべては順調にいっているように思うのだが、最も大事な瞬間にあなたは失敗に見舞われる。
もしこうしたことが起こったら、あなたは他人の扉を通って進んでいたことになる。
そんなところに、振り子の狡猾さが現れている。
振り子は誰でも入ることのできるような扉を開けて、できるだけたくさんの信奉者たちをそこへ引き込もうとするのだ。

ヴァジム・ゼランドヴァジム・ゼランド(「リアリティ・トランサーフィン2 魂の快・不快の選択」316ページ)



偶然とは、神が実名を明かしたくないときのペンネーム

ヴァジム・ゼランド(「リアリティ・トランサーフィン2 魂の快・不快の選択」145ページ)




今回は、マニュアル第9節の神の教師の生活環境の変化の必要性についての一節をご紹介します。



神の教師に求められる変化の中の変化であり、必ずしも外部的な境遇の変化を伴うわけではないこと、訓練構えの変化から始まり、訓練を通じて、神の教師が徹底的に学ぶことは、価値判断の放棄だということが語られます。

「2. As the teacher of God advances in his training, he learns one lesson with increasing thoroughness.
 自らの修練を積むにつれて、神の教師は、ひとつのレッスンをますます徹底的に学ぶことになります。

 He does not make his own decisions; he asks his Teacher for His answer, and it is this he follows as his guide for action.
 彼は、自分自身で決断を下すのではなく、自らの大いなる教師である聖霊にその答えを求め、自らの行動の指針として聖霊の答えに従うようになるのです。」

価値判断の放棄については、次の第10節で学ぶことになります。


Section 9
第9節



Are Changes Required in the Life Situation of God's Teachers?
神の教師たちの生活環境に変化は求められるか



1. Changes are required in the < minds > of God's teachers.
 変化が求められるのは、神の教師たちの「」の中でのことです。

 This may or may not involve changes in the external situation.
 神の教師たちのの中の変化は、外部の状況の変化を伴うこともあれば、伴わないこともあります。

 Remember that no one is where he is by accident, and chance plays no part in God's plan.
 誰ひとり偶然その場に居合わせることはなく、神の計画において偶然が果たす役回りなど何もないことを思い出してください。

 It is most unlikely that changes in attitudes would not be the first step in the newly made teacher of God's training.
 新たに神の教師となった者の訓練における第一歩はたいてい、構えを変化させることになるはずです。

 There is, however, no set pattern, since training is always highly individualized.
 とはいえ、決まりきった様式があるわけではありません。なぜなら、つねに訓練は、大いに個性に即した形で行われるからです。

 There are those who are called upon to change their life situation almost immediately, but these are generally special cases.
 自分の人生の境遇をほとんど直ちに変えてしまうような召命を受ける者も中にはいます。しかし、それらは概して特殊なケースです。

 By far the majority are given a slowly evolving training program, in which as many previous mistakes as possible are corrected.
 ほとんどの者たちには、ゆっくりと進歩できるような訓練プログラムが与えられています。この漸進的なプログラムの中で、可能なかぎり多く、以前の誤りが修正されてゆくことになります。

 Relationships in particular must be properly perceived, and all dark cornerstones of unforgiveness removed.
 とくに、他者との関係性を正しく知覚して、そのうえで、赦しを不可能にしている闇の礎石のすべてを取り除く必要があります。

 Otherwise the old thought system still has a basis for return.
 さもなければ、以前の思考システムが依然として息を吹き返す余地を残してしまいます。



2. As the teacher of God advances in his training, he learns one lesson with increasing thoroughness.
 自らの修練を積むにつれて、神の教師は、ひとつのレッスンをますます徹底的に学ぶことになります。

 He does not make his own decisions; he asks his Teacher for His answer, and it is this he follows as his guide for action.
 彼は、自分自身で決断を下すのではなく、自らの大いなる教師である聖霊にその答えを求め、自らの行動の指針として聖霊の答えに従うようになるのです。

 This becomes easier and easier, as the teacher of God learns to give up his own judgment.
 聖霊に答えを求めて聖霊の答えに従うことは、神の教師が自分自身で価値判断することを放棄するにつれて、どんどん容易になってゆきます。

 The giving up of judgment, the obvious prerequisite for hearing God's Voice, is usually a fairly slow process, not because it is difficult, but because it is apt to be perceived as personally insulting.
 価値判断を放棄することは、神の大いなる声を聞くための明らかな前提条件ですが、通常はかなりゆっくりと進行するプロセスです。それは、価値判断を放棄することが困難だからではなく、価値判断をしないことが個人として軽んじられているように受け止められてしまいがちだからです。

 The world's training is directed toward achieving a goal in direct opposition to that of our curriculum.
 この世界での訓練は、私たちのカリキュラムの訓練とはまさしく正反対の目標を達成することを目指しています。

 The world trains for reliance on one's judgment as the criterion for maturity and strength.
 この世界は、その人の成熟度や能力を測る尺度として、個人の価値判断の力を当てにするように訓練します。

 Our curriculum trains for the relinquishment of judgment as the necessary condition of salvation.
 これに対して、私たちのカリキュラムは、救済のための必要条件として、価値判断を放棄するように訓練するのです。


次

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 松山 健 Matsuyama Ken
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