レッスン51(レヴュー:レッスン1~5)

2013年08月03日
レッスン51〜60 0

二種類の知性があります。
ひとつは学校にいる子どもたちが教科書と教師から身につける知性です。
子どもは新しい考え方と暗記法を学びます。
こうして子どもは多くの知識を覚え込むのですが
それらを全部記憶しておくことはたいへんな負担ですね。

もうひとつの知性は、神からの贈り物
これは教わらなくても誰もがもともと持っているものです。
その知性の源は魂の中心にあり、
これを身につけるには
ただ魂の扉を開けその中に入ってゆけばいいのです。



ルーミー



We live in a world where there is more and more information, and less and less meaning.
私たちは、情報が増えれば増えるほど、よりいっそう意味を失ってゆく世界に生きている。

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Jean Baudrillard, Simulacra and Simulation
ジャン・ボードリヤール




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レッスン51です。

今回は、レッスン1から5までの復習です。




復習期間は無味乾燥なものになりがちなので、復習期間も、このサイトに戻ってきてもらうインセンティブとして、おすすめの書籍や映画をご紹介します。

今日は、「限りある時間の使い方」(オリバー・バークマン著 かんき出版)をご紹介します。


限りある

オーディブル版
もあります。

私たちは、なすべきことを効率的に成し遂げられれば、きっと楽になれると信じて、ライフハックツールを活用し、タイムマネジメントをして時間を節約しようとします。

しかし、楽になるはずが、かえってのしかかってくるタスクが増大するばかりでスピードが上がると後戻りできない設定のルームランナーがどんどん速さを増して転倒すると命取りな状態で必死に走り続けるしかない状態になってしまうことを誰もが実感しています。


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まるで鏡の国のアリスの赤の女王のセリフ

「グズな国じゃの! ここではだね、同じ場所にとどまるだけで、もう必死で走らなきゃいけないんだよ。そしてどっかよそに行くつもりなら、せめてその倍の速さで走らないとね!」

のようです。

この本は、この誰もが薄々感づいていたパラドックスに切り込んでくれます。

エゴの策略が私たちを忙しさ依存症に陥らせることにあることを教え、私たちは何もしなくていいと教えるコースを学ぶ私たちが目指すべきは、自己啓発本が煽るように、時間と戦って時間管理に熟達して時間の支配者となることで時間への隷属から脱しようとするのではなく、実在する永遠に最も近い近似値である現在のみに在る、T13-6 今という時を見つけることで、時間の流れに乗ることです。


「By becoming involved with tangential issues, it hopes to hide the real question and keep it out of mind.
 本筋から脱線した問題点と関わることで、エゴは真の問題そのものを隠し、心の外に置いたままで済まそうと目論んでいるのです。

 The ego's characteristic busyness with nonessentials is for precisely that purpose.
 エゴに特徴的な重要でもないことにかまけての多忙さは、まさしくそんな目的を果たすためのものです。」(T4-5 悪名高きエゴですが、打ち倒すべき強敵なのでしょうか?、6.)

T18-7 何もしなくていい


奇跡のコースの学習は、本当に学校教育その他、この世界の常識とされる学びの逆をいくものです。

詰め込んで覚えるのではなく、すべてを忘れることを学ぶ(学習棄却)、個としての自分を高めハイスペックなスタンドアロンPCのように有能化しようとするのではなく、他者とのネットワークの中で自分の持ち味を活かせるつながりを育み、兄弟が救われることに注力することで救われる(救いの公式)、計画を立てて効率化を追求して時間を支配しようとするのではなく、自分の計画ではなく「書かれている」神の計画の脚本を今聖霊が明かしてくれることだけに最大限の注意を払い、何もせずに時間をありのままにあらしめるというふうにです。




イントロダクションからの抜粋
「なんとか時間を有効に使おうとしても、うまくいくどころか、かえって事態が悪化する。世の中にはタイムマネジメントの指南書があふれているし、日々の雑務を効率化するための「ライフハック」を紹介するウェブサイトもうんざりするほどある(ライフハックという言葉が示唆するのは、人生が機械のプログラムのようなものであり、アルゴリズムを直してやれば最適なパフォーマンスが得られるという奇妙な考え方だ)。
 仕事やエクササイズ、さらには睡眠から得られる利益を最大化するためのアプリやウェアラブル端末も増えた。食べる時間を節約するための食事代替ドリンクまである。台所用品からオンラインバンキングまで、ほとんどの製品やサービスは効率化を最大の売りにしている。問題は、そうした製品やテクニックが機能しないことではない。それらを活用すれば、もっと仕事をこなして、もっと多くの会議に出席し、もっと多くの習いごとに子どもを連れていき、もっと多くの利益を会社にもたらすことができるかもしれない。
 ところが皮肉なことに、それに成功したところで、ストレスは減らない。以前よりもっと忙しく、もっと不安で、もっと空虚な気分になるだけだ。
 アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールはかつて、現代社会の生活をベルトコンベアにたとえた9。古い仕事を片づければ、同じ速さで新しい仕事が運ばれてくる。「より生産的に」行動すると、ベルトの速度がどんどん上がる。あるいは加速しすぎて、壊れてしまう。
 最近、とくに若い世代で、日常生活が送れないほど深刻なバーンアウト(燃え尽き症候群)になる人たちが増えている。ミレニアル世代の社会評論家であるマルコム・ハリスの言葉を借りれば、彼らは「胎児のときからリーンで無駄のない生産機械として製造され、最適化された道具の世代10」である。
 とてつもない無力感を覚えるのも無理はない。
 タイムマネジメントやライフハックの技術は、大事な真実を見落としている。
「時間を思い通りにコントロールしようとすればするほど、時間のコントロールが利かなくなる」という真実だ。手に負えない幼児と同じで、抑えつけてもだめなのだ。」」


「何かを諦めることはつらいから、何もかもを詰め込みたいと思うのも無理はない。けれど、もしも存在していること自体が当たり前ではないとしたら――銃乱射事件のニュースを見てケインが悟ったように、「人生のすべては借り物の時間」なのだとしたら――何かを選択できるということ自体が、すでに奇跡的だと感じられないだろうか。
 一つひとつの決断は、目移りするほど素敵な可能性のメニューから何かを選べるチャンスなのだ。そう考えるなら、「選べなかった選択肢を奪われた」という被害者意識を持つ必要はまったくない。
 メニューから何かひとつしか選べないことは、けっして敗北なんかじゃない。決められた時間のなかで「あれ」ではなく「これ」を選択する、という前向きなコミットメントだ。自分にとって大事なことを、主体的に選びとる行為だ。
 ほかにも価値のある何かを選べたかもしれない」という事実こそが、目の前の選択に意味を与えるのだ。これは人生のあらゆる場面に当てはまる。たとえば結婚に意味があるのは、その他の(ひょっとすると同じくらい魅力的な)相手をすべて断念して、目の前の相手にコミットするからだ。
 この真実を理解したとき、人は不思議な爽快さを感じる。
「失う不安」のかわりに、「捨てる喜び」を手に入れることができる。
 選べなかった選択肢を惜しむ必要はない。そんなものは、もともと自分のものではなかったのだ。あなたが何を選ぶとしても――家族を養うためにお金を稼ぐ、小説を書く、子どもをお風呂に入れる、ハイキングに出かけて地平線に沈む淡い冬の太陽を眺める――、それはけっしてまちがいではない。
 本当はなかったかもしれない貴重な時間の過ごし方を、自分自身で選びとった結果なのだから。」(86ページ)



さて、ワークブックも、50レッスンまで進んだので、みなさんも、多少、コースのラディカルさにも慣れてこられたと思います。

日本語として通用しているラディカル、ラジカルという言葉の意味はもっぱら「過激な」というニュアンスが強いと思いますが、"radical"には、過激なという意味以外にも、急進的な、革命的な、急進党の、抜本的な、徹底的な、根本的な、基礎の、根の、基の、というような意味があります。

コースの主張が突飛で過激な現実離れした「トンデモ」なものに思えるのは、世界の常識とは依って立つ基盤が異なり、根本的に思考が逆転しているからです。

基盤の置き換わりが進めば進むほど、抜本的に思考システム、信念体系がシフトするので、コースの主張を過激だとは感じなくなるはずです。

ですので、レッスン1からはじまった最初のほうの数レッスンでは、頭がガツンと殴られたように揺らいで、奇跡のコースは何て過激な考えなんだと戸惑うばかりだったと思いますが、すでに50のレッスンを終えた今では、だいぶコースの観点に馴染んできているので、過激だとは思わなくなってきているのではないでしょうか。

この復習期間では、50のレッスンそれぞれの間のつながりが見えてきて、より視界が晴れてくる体験ができると思います。



復習の序文の要約を貼り付けておきます。




注釈も含めて5つの考えを読むことから1日を始める。

そのあと、それらの5つの考えと注釈について考える際に、特定の順番に従う必要はないが、少なくとも1回は、それぞれの考えを実習する。

各実習時間には、2分以上は専念することにして、その考えと関連する注釈を読んだあと、それらについて考えてみる。

1日の間に、この練習をできるだけ頻繁に行う。

もし5つの考えのうちのどのひとつの考えであれ、ある考えがほかの考えよりも自分に訴えかけてくるように感じるなら、そのひとつの考えに集中する。

しかし、その日の終わりには、忘れずにそれら5つの考えのすべてをもう一度おさらいする。



実習時間には、一つひとつの考えに続く注釈を文字どおりに、あるいは、完全にこなそうとする必要はありません。

むしろ、その中核となるポイントを押さえて、そのポイントに関連する考えもそのテーマとなっている考えの復習の一部として考える。

考えと関連する注釈を読んだあとは、可能なら、ひとりきりになれる静かな場所で、目を閉じて練習する。




学びの目的は、自分が静寂をもたらせるようになり、苦悩や混乱を癒せるようになることなのだから、苦悩や混乱を避けて自分ひとりでいられる逃げ場を探し求めていたのでは、このような目的を達成することはできない。

したがって、すでに問題が収束した状況よりも、現に狼狽させられる状況でこそ、自分の学びを生かせるはずだ。




私たちはやがて、平安が自分の一部であり、自分の置かれたいかなる状況においても、その状況をまるごと受け入れる必要があるだけだと学び、そして、最終的には、自分のいる場所には一切の制約が存在しないので、自分がいるところならどこであれ、自分は平安でいられると学ぶことになる。



考えのいくつかは、復習の効果を上げるために、その元のレッスンで示されたままの形とは変えられているが、示されている形のまま使い、元の言葉に戻す必要はないし、元のレッスンの際に提案された通りに考えを適用する必要もない。




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Workbook Lesson 51

Review of Lessons 1 - 5
レッスン1から5までの復習



The review for today covers the following ideas:
今日の復習では、次の考えを扱います。



1. [1]
 Nothing I see means anything.
 私の見ているものはどれも何も意味しない。



 The reason this is so is that I see nothing, and nothing has no meaning.
 私の見るものに何の意味もない理由は、私は無を見ているのであって、無は何の意味も持たないからだ。

 It is necessary that I recognize this, that I may learn to see.
 真に見ることを学ぶために、私はこのことを認めなければならない。

 What I think I see now is taking the place of vision.
 自分が今見ていると私が思っているものが、本来ヴィジョンがあるべき場を奪ってしまっている。

 I must let it go by realizing it has no meaning, so that vision may take its place.
 私は、自分が見ていると思っているものには何の意味もないと気づくことによって、それを手放さなければならない。そうすれば、ヴィジョンがそれに取って代わるだろう。



2. [2]
 I have given what I see all the meaning it has for me.
 私は、自分の見るものにそれが自分にとって持つすべての意味を与えてきた。



 I have judged everything I look upon, and it is this and only this I see.
 私は自分の見るすべてのものの価値を判断してきた。そして、私に見えているのは、この価値判断であり、ただそれだけなのだ。

 This is not vision.
 これはヴィジョンではない。

 It is merely an illusion of reality, because my judgments have been made quite apart from reality.
 それは単に、現実のように見えている幻想でしかない。なぜなら、私の価値判断は現実からきわめてかけ離れたところで下されてきたからだ。

 I am willing to recognize the lack of validity in my judgments, because I want to see.
 私は、自分の価値判断に正当性が欠けけていることを喜んで認める。なぜなら、私は真に見たいと望んでいるからだ。

 My judgments have hurt me, and I do not want to see according to them.
 私の価値判断が私を傷つけてきた。だから、私は自分の価値判断に従って見たいとは望まない。



3. [3]
 I do not understand anything I see.
 私は自分に見えるものを何も理解していない。



 How could I understand what I see when I have judged it amiss?
 私が自分に見えるものを誤って価値判断してしまっているとしたら、どうして私に自分に見えるものを理解できるだろうか。

 What I see is the projection of my own errors of thought.
 私に見えているのは、自分自身の思考の誤りが投影されたものなのだ。

 I do not understand what I see because it is not understandable.
 私に自分に見えているものが理解できない理由は、それが理解不能なものだからだ。

 There is no sense in trying to understand it.
 自分に見えるものを理解しようと努めることには、何の意味もない。

 But there is every reason to let it go, and make room for what can be seen and understood and loved.
 しかし、自分に見えるものを手放すことによって、見ることができ、理解し、愛することのできるもののために場所を空けることには正当な理由がある。

 I can exchange what I see now for this merely by being willing to do so.
 私は、自分に今見えているものを、そうしようという意欲を持つだけで、これらのものと交換することができる。

 Is not this a better choice than the one I made before?
 これは、私が以前に下した選択よりもよい選択ではないだろうか。



4. [4]
 These thoughts do not mean anything.
 これらの思いには何の意味もない。



 The thoughts of which I am aware do not mean anything because I am trying to think without God.
 私の自覚している思いに何の意味もない理由は、私が神とは別に考えようとしているからだ。

 What I call "my" thoughts are not my real thoughts.
 私が「私の」思いと呼ぶものは、私の真の思いではない。

 My real thoughts are the thoughts I think with God.
 私の真の思いは、私が神とともに考える思いのことだ。

 I am not aware of them because I have made my thoughts to take their place.
 私が自分の真の思いを自覚していない理由は、私が自分の思いをでっちあげて自分の真の思いに置き換えてしまっているからだ。

 I am willing to recognize that my thoughts do not mean anything, and to let them go.
 私は、自分の思いが何も意味しないことを喜んで認め、それらの思いを手放すことにする。

 I choose to have them be replaced by what they were intended to replace.
 私は、それらの自分の無意味な思いを、それらに取って代わるよう意図された自分の真の思いによって置き換わらせることを選択する。

 My thoughts are meaningless, but all creation lies in the thoughts I think with God.
 私の思いは無意味だ。しかし、私が神と一緒に思考する思いの中には、すべての創造を見出すことができる。



5. [5]
 I am never upset for the reason I think.
 私は決して、自分の思うような理由で心乱されているのではない。


 I am never upset for the reason I think because I am constantly trying to justify my thoughts.
 私は決して、自分の思うような理由で心乱されているのではない。なぜなら、私は四六時中、自分の思いを正当化しようとしているからだ。

 I am constantly trying to make them true.
 私はいつでも、自分の思いを真実にしようとしている。

 I make all things my enemies, so that my anger is justified and my attacks are warranted.
 私は、すべての物事を自分の敵に仕立てあげることで、自分の怒りを正当化して、自分が攻撃を根拠づけようとしている。

 I have not realized how much I have misused everything I see by assigning this role to it.
 私は、自分に見えるすべてのものに敵としての役目を割り当てることによって、自分がどれほど自分に見えるものを誤解して虐げてきたか気づかなかった。

 I have done this to defend a thought system that has hurt me, and that I no longer want.
 私は、自分を傷つけてきた思考システムであり、もうこれ以上望んでもいない思考システムを守ろうとして、こんなことをしてきたのだ。

 I am willing to let it go.
 私は喜んでそれを手放すことにする。


名称未設定


Britney Shawleyさんfacebook twitter)の解説です。







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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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