レッスン53(レヴュー:レッスン11~15)

2013年08月05日
レッスン51〜60 0

Words which do not give the light of Christ increase the darkness.
キリストの光を与えないような言葉は闇を増やしてしまいます。



Mother Teresa
マザー・テレサ




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今日は、マルクス・アウレリウス著「自省録」 (岩波文庫) をご紹介します。

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Marcus Aurelius, Meditations
マルクス・アウレリウス(「自省録」)






マルクス・アウレリウスについてのウィキを抜粋します。

ウィキペたん

「マルクス・アウレリウス・アントニヌス(古典ラテン語:Marcus Aurelius Antoninus [notes 1]121年4月26日 - 180年3月17日[3])は、第16代ローマ皇帝である。五賢帝最後の皇帝。第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)の甥で先帝の外戚にあたり、また大ファウスティナはハドリアヌスとトラヤヌスの傍系血族でもある。

外叔父アントニヌスの皇女で自身の従姉妹であるファウスティナ・ミノル(小ファウスティナ)と結婚して帝位を継承したが、共同皇帝としてハドリアヌスの重臣の子ルキウス・ウェルスが立てられていた。アウレリウスは小ファウスティナとの長女ルキッラ(英語版)を嫁がせて両皇帝の結束を固めたが、169年にウェルスが崩御した事で単独の皇帝となった。

ストア哲学などの学識に長け、良く国を治めた事からネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌスに並ぶ皇帝(五賢帝)と評された。対外政策ではパルティアとの戦争に勝利を収めたが、蛮族への予防戦争として始めたマルコマンニ人、クアディ人、サルマティア人などへの遠征(マルコマンニ戦争)は長期戦となり、国力を疲弊させ、自らも陣中で崩御した。

軍事よりも学問を好んだ皇帝という姿は、彼の著作である『自省録』への評価を通じて今日も維持されている。これは『国家』を執筆したプラトンの時代から学識者にとって理想とされた「哲人君主」の実現例と見なされているからである。

また、後漢書に見られる大秦国王の安敦とは、彼のことだとされている[4]。」



レッスン53です。




レッスン11から15までの復習です。




[序文の要約]


注釈も含めて5つの考えを読むことから1日を始める。

そのあと、それらの5つの考えと注釈について考える際に、特定の順番に従う必要はないが、少なくとも1回は、それぞれの考えを実習する。

各実習時間には、2分以上は専念することにして、その考えと関連する注釈を読んだあと、それらについて考えてみる。

1日の間に、この練習をできるだけ頻繁に行う。

もし5つの考えのうちのどのひとつの考えであれ、ある考えがほかの考えよりも自分に訴えかけてくるように感じるなら、そのひとつの考えに集中する。

しかし、その日の終わりには、忘れずにそれら5つの考えのすべてをもう一度おさらいする。



実習時間には、一つひとつの考えに続く注釈を文字どおりに、あるいは、完全にこなそうとする必要はありません。

むしろ、その中核となるポイントを押さえて、そのポイントに関連する考えもそのテーマとなっている考えの復習の一部として考える。

考えと関連する注釈を読んだあとは、可能なら、ひとりきりになれる静かな場所で、目を閉じて練習する。




学びの目的は、自分が静寂をもたらせるようになり、苦悩や混乱を癒せるようになることなのだから、苦悩や混乱を避けて自分ひとりでいられる逃げ場を探し求めていたのでは、このような目的を達成することはできない。

したがって、すでに問題が収束した状況よりも、現に狼狽させられる状況でこそ、自分の学びを生かせるはずだ。




私たちはやがて、平安が自分の一部であり、自分の置かれたいかなる状況においても、その状況をまるごと受け入れる必要があるだけだと学び、そして、最終的には、自分のいる場所には一切の制約が存在しないので、自分がいるところならどこであれ、自分は平安でいられると学ぶことになる。



考えのいくつかは、復習の効果を上げるために、その元のレッスンで示されたままの形とは変えられているが、示されている形のまま使い、元の言葉に戻す必要はないし、元のレッスンの際に提案された通りに考えを適用する必要もない。



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Workbook Lesson 53

Review of Lessons 11 – 15



Today we will review the following:
今日、私たちは、次の考えについて復習します。



1. [11]
 My meaningless thoughts are showing me a meaningless world.
 私の意味のない思考が私に意味のない世界を見せている。



 Since the thoughts of which I am aware do not mean anything, the world that pictures them can have no meaning.
 私が自覚している思考は何も意味しないのだから、そのような無意味な思考を描き出すこの世界が少しでも意味を持つはずがない。

 What is producing this world is insane, and so is what it produces.
 この世界を生み出しているのは狂気なのだから、この世界が生み出すのも同じく狂気の沙汰だ。

 Reality is not insane, and I have real thoughts as well as insane ones.
 現実は狂気ではない。だから、私は、狂気の思考を抱くことができるのと同じように、真の思考を抱くこともできる。

 I can therefore see a real world, if I look to my real thoughts as my guide for seeing.
 それゆえ、もし私が見るためのガイドとして自分の真の思考を頼みにするなら、私は真の世界を見ることができる。



2. [12]
 I am upset because I see a meaningless world.
 私が心乱れているのは、私が意味のない世界を見ているせいだ。



 Insane thoughts are upsetting.
 狂気の思考は狼狽させるものだ。

 They produce a world in which there is no order anywhere.
 狂気の思考は、どこにも秩序などない世界を生み出す。

 Only chaos rules a world that represents chaotic thinking, and chaos has no laws.
 ただ混沌だけが、混沌とした思考を表す世界を支配しており、混沌はいかなる法則をも持たない。

 I cannot live in peace in such a world.
 私は、そんな世界の中で平和に暮らすことなどできない。

 I am grateful that this world is not real, and that I need not see it at all unless I choose to value it.
 この世界は実在しないので、自分でこの世界に価値を置くことを選択しないかぎり、私にはこの世界を見る必要などまったくないことに私は感謝する。

 And I do not choose to value what is totally insane and has no meaning.
 だから、私は、全面的に狂っていてまったく意味を持たないものに価値を置く選択をしない。



3. [13]
 A meaningless world engenders fear.
 無意味な世界が恐れを生み出す。



 The totally insane engenders fear because it is completely undependable, and offers no grounds for trust.
 全面的な狂気が恐れを生み出す。なぜなら、完全に狂っているものを頼りにすることなどできないので、信頼するに足る基盤がまったくないからだ。

 Nothing in madness is dependable.
 狂気の中にあるものは、何であれ当てにできない。

 It holds out no safety and no hope.
 狂気の中にあるものが安全や希望を約束することなどできない。

 But such a world is not real.
 しかし、そのような世界は本物ではない。

 I have given it the illusion of reality, and have suffered from my belief in it.
 私はこれまで、現実のように錯覚する幻想をこの世界に与えて、それを自分で信じこむことで苦しんできた。

 Now I choose to withdraw this belief, and place my trust in reality.
 今こそ、私は、こんな幻を信じるのをやめて、現実を信頼することを選択する。

 In choosing this, I will escape all the effects of the world of fear, because I am acknowledging that it does not exist.
 この選択をすることで、私は、恐怖の世界の及ぼすあらゆる影響から逃れることになる。なぜなら、そうすることで私は、その世界が存在しないと承認することになるからだ。



4. [14]
 God did not create a meaningless world.
 神は意味のない世界など創造しなかった。



 How can a meaningless world exist if God did not create it?
 もし神が無意味な世界を創造しなかったのなら、どうして無意味な世界が存在できるだろう。

 He is the Source of all meaning, and everything that is real is in His Mind.
 神こそすべての意味の大いなる源であり、実在するものはすべて、神の大いなる心の中にある。

 It is in my mind too, because He created it with me.
 実在するものすべては私の心の中にもある。なぜなら、神はそれらを私と一緒に創造したからだ。

 Why should I continue to suffer from the effects of my own insane thoughts, when the perfection of creation is my home?
 創造の完璧さこそが自らの基盤だというのに、どうして私が自分の狂った思考の結果によって苦しみ続けなければならないというのだろう。

 Let me remember the power of my decision, and recognize where I really abide.
 私が決断する力を自分が持っていることを思い出して、自分が本当はどこにいるのか認識できますように。



5. [15]
 My thoughts are images that I have made.
 私の思考は私の創造の産物だ。



 Whatever I see reflects my thoughts.
 私の見るものはすべて、自分の思考の反映だ。

 It is my thoughts that tell me where I am and what I am.
 私の思考が私に、自分がどこにいて、自分が何であるかを教えているのだ。

 The fact that I see a world in which there is suffering and loss and death shows me that I am seeing only the representation of my insane thoughts, and am not allowing my real thoughts to cast their beneficent light on what I see.
 苦悩と喪失と死が存在する世界が私に見えているという事実は、私が自分の狂気の思考の表現だけを見ており、私が自分の真の思考がその恵み深い光を私の見るものに向けるのを許さずにいることを示している。

 Yet God's way is sure.
 しかし、神の道は確かなものだ。

 The images I have made cannot prevail against Him because it is not my will that they do so.
 私の作り出した映像が神を打ち倒すことなどできない。なぜなら、自分の作った虚像が神を倒すことなど私の意志ではないからだ。

 My will is His, and I will place no other gods before Him.
 私の意志は神の大いなる意志であるので、私は真の神を差し置いて別の神々をその前に置くことはしない。


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 松山 健 Matsuyama Ken
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