レッスン56(レヴュー:レッスン26~30)

2013年08月08日
レッスン51〜60 0

したがって、ヴェーダーンタは、私たちの通常のものの見方をかくも徹底的に破壊するのである。それは世界の内を外に、外を内に変換するものだ。イエスの言葉とされているものにも、同様のものがある。

あなたが二なるものを一となすとき
そして、内なるものを外なるものと
外なるものを内なるものと
上なるものを下なるものとなすとき・・・・
そのとき、あなたがたは〔王国〕に入るであろう・・・・
私はそれらすべてを超えたあの〈光〉だ
私は〈すべて〉だ
〈すべて〉は私から出て 〈すべて〉は私に至る
木を割れば 私はそこにいる
石を持ち上げれば あなたがたはそこに私を見出すだろう

alan watts_1126051341

アラン・ワッツ(「『ラットレース』から抜け出す方法」39ページ)







shutterstock_1961013871 (1)_1227061758 (1)


ヨハン・ホイジンガ_1205113731

ヨハン・ホイジンガ著「ホモ・ルーデンス 文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み」(講談社学術文庫) をご紹介します。


ホモルーデンス

アマゾン解説
「「人間の文化は遊びにおいて、遊びとして、成立し、発展した」。歴史学、民族学、そして言語学を綜合した独自の研究は、人間活動の本質が遊びであり、文化の根源には遊びがあることを看破、さらに功利的行為が遊戯的行為を圧する近代社会の危うさに警鐘を鳴らす。「遊びの相の下に」人類の歴史の再構築を試みた不朽の古典をオランダ語版全集から完訳。」


実在=愛=神=生命です。

この世界での生命の本質は"play”、再生、遊び、演じること、ふりをすることにあることは誰もが薄々感づいていることです。

物心つくまでの幼少期の人間も動物も遊び心の塊です。

エゴに感染して矮小化して歪みはしても、生命の発露である以上、人の生み出す文化は遊びとは無縁ではありません。

キリストというと、厳かで深刻なイメージがついてしまっていますが、きっとイェシュアはユーモアに溢れた遊び心満タンな人物だったと思います。

なにせ、生命そのものとひとつになっていたのですから、人類の罪を背負って犠牲になると気負って苦虫を噛み潰したような悲壮な雰囲気を漂わせてなどいなかったはずです。



レッスン56です。









[序文の要約]



注釈も含めて5つの考えを読むことから1日を始める。

そのあと、それらの5つの考えと注釈について考える際に、特定の順番に従う必要はないが、少なくとも1回は、それぞれの考えを実習する。

各実習時間には、2分以上は専念することにして、その考えと関連する注釈を読んだあと、それらについて考えてみる。

1日の間に、この練習をできるだけ頻繁に行う。

もし5つの考えのうちのどのひとつの考えであれ、ある考えがほかの考えよりも自分に訴えかけてくるように感じるなら、そのひとつの考えに集中する。

しかし、その日の終わりには、忘れずにそれら5つの考えのすべてをもう一度おさらいする。



実習時間には、一つひとつの考えに続く注釈を文字どおりに、あるいは、完全にこなそうとする必要はありません。

むしろ、その中核となるポイントを押さえて、そのポイントに関連する考えもそのテーマとなっている考えの復習の一部として考える。

考えと関連する注釈を読んだあとは、可能なら、ひとりきりになれる静かな場所で、目を閉じて練習する。




学びの目的は、自分が静寂をもたらせるようになり、苦悩や混乱を癒せるようになることなのだから、苦悩や混乱を避けて自分ひとりでいられる逃げ場を探し求めていたのでは、このような目的を達成することはできない。

したがって、すでに問題が収束した状況よりも、現に狼狽させられる状況でこそ、自分の学びを生かせるはずだ。




私たちはやがて、平安が自分の一部であり、自分の置かれたいかなる状況においても、その状況をまるごと受け入れる必要があるだけだと学び、そして、最終的には、自分のいる場所には一切の制約が存在しないので、自分がいるところならどこであれ、自分は平安でいられると学ぶことになる。



考えのいくつかは、復習の効果を上げるために、その元のレッスンで示されたままの形とは変えられているが、示されている形のまま使い、元の言葉に戻す必要はないし、元のレッスンの際に提案された通りに考えを適用する必要もない。




kame (1)_1226094537 (1)

Workbook Lesson 56

Review of Lessons 26 – 30
レッスン26~30の復習




Our review for today covers the following:
今日の復習では次のような考えを扱います。


1. [26]
 My attack thoughts are attacking my invulnerability.
 私の攻撃的な思いが私の傷つきようのない性質を攻撃している。



 How can I know who I am when I see myself as under constant attack?
 私が自分自身のことを絶え間なく攻撃にさらされていると思っているのに、どうしてその私に自分が誰なのか知ることができるだろうか。

 Pain, illness, loss, age and death seem to threaten me.
 苦痛や病気、何かを失うことや歳を取ること、そして死が私を脅かすように思える。

 All my hopes and wishes and plans appear to be at the mercy of a world I cannot control.
 私の希望や願望や計画のすべては、自分にはコントロールできない世界のなすがままになっているように見える。

 Yet perfect security and complete fulfillment are my inheritance.
 しかし、まったく安全に自分の希望や願いや計画を完璧に成就することが私が受け継いでいる生得の権利だ。

 I have tried to give my inheritance away in exchange for the world I see.
 それなのに、私は、自分の見るこの世界と引き換えに、この自分の受け継いだものを放棄しようとしてきた。

 But God has kept my inheritance safe for me.
 しかし、神は私のために、私の受け継いだものを無事なまま取っておいてくれている。

 My own real thoughts will teach me what it is.
 私自身の真の思いが、私の受け継いだものが何なのか教えてくれるだろう。



2. [27]
 Above all else I want to see.
 何にもまして私は見たい。



 Recognizing that what I see reflects what I think I am, I realize that vision is my greatest need.
 私が目にするものは私が自分のことを何者だと思うかの反映だとわかったので、私はヴィジョンこそが自分が何よりも必要とするものだと気づいた。

 The world I see attests to the fearful nature of the self-image I have made.
 私の見る世界が、私の作り出した自己像が持つ恐ろしい性質を証明している。

 If I would remember who I am, it is essential that I let this image of myself go.
 もし私が自分が誰なのか思い出したいなら、私がこの自己像を去らせることが何としても必要だ。

 As it is replaced by truth, vision will surely be given me.
 この自己像が真理によって置き換わるなら、ヴィジョンは確実に私に与えられるだろう。

 And with this vision, I will look upon the world and on myself with charity and love.
 そして、このヴィジョンによって、私は慈悲と愛をこめて、この世界と自分自身を眺めることになるだろう。



3. [28]
 Above all else I want to see differently.
 何にもまして私はこれまでとは違ったように見たいと望む。



 The world I see holds my fearful self-image in place, and guarantees its continuance.
 私の見るこの世界は、私の恐ろしい自己像を固定し、その存続を保証している。

 While I see the world as I see it now, truth cannot enter my awareness.
 今自分が見ているように私がこの世界を見ているかぎり、私には真理を自覚することができない。

 I would let the door behind this world be opened for me, that I may look past it to the world that reflects the Love of God.
 私は、この世界の背後にある扉を自分のために開いてもらうことにする。そうすれば、私は、この世界を通り越して、神の大いなる愛を反映する世界を見ることができるだろう。



4. [29]
 God is in everything I see.
 神は私の見るすべての物事の中にある。



 Behind every image I have made, the truth remains unchanged.
 私の作り出したすべての姿の背後には、変わることのないまま真理が残っている。

 Behind every veil I have drawn across the face of love, its light remains undimmed.
 私が愛の顔の前に引き下ろした一つひとつのヴェールの背後には、愛の光が輝きを失うことなく残っている。

 Beyond all my insane wishes is my will, united with the Will of my Father.
 私のあらゆる狂気の願望の向こう側には、私の父の大いなる意志と結びついた私の意志がある。

 God is still everywhere and in everything forever.
 神は、今なおどこにでも在るし、永遠にあらゆるものの中に在る。

 And we who are part of Him will yet look past all appearances, and recognize the truth beyond them all.
 だから、神の一部である私たちは、やがてすべての外観を通り越して、それらすべての向こう側にある真理を認めるようになる。



5. [30]
 God is in everything I see because God is in my mind.
 神は私の心の中にいるので、神は私の見るすべての中にいる。



 In my own mind, behind all my insane thoughts of separation and attack, is the knowledge that all is one forever.
 私自身の心の中には、分離や攻撃という私の狂気の思いすべての背後に、すべては永遠にひとつだという知識がある。

 I have not lost the knowledge of Who I am because I have forgotten it.
 私がそれを忘れているからといって、私は自分が誰なのかという知識を失ったわけではない。

 It has been kept for me in the Mind of God, Who has not left His Thoughts.
 私が誰なのかという知識は、自らの大いなる思いである神の子たちから離れることのない神の大いなる心の中に保たれているからだ。

 And I, who am among them, am one with them and one with Him.
 だから、私は、神の大いなる思いである神の子たちの一員であり、その神の子たちとひとつであり、そして、神ともひとつなのだ。


名称未設定


それでは、ブリトニーさんのレッスンです。



次

関連記事
 image (1)  image (3) image (4)

It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

コメント0件

コメントはまだありません
未分類 (10)
奇跡のコース (8)
書籍 (3)
朗読 (2)
映画 (2)
アフォリズム (11)
教材 (3)
ネット (1)
テキスト (262)
┣  テキスト第1章(奇跡の意味) (7)
┣  テキスト第2章(分離と贖罪) (8)
┣  テキスト第3章(潔白な知覚) (7)
┣  テキスト第4章(エゴという幻想) (8)
┣  テキスト第5章(癒しと完全性) (8)
┣  テキスト第6章(愛のレッスン) (8)
┣  テキスト第7章(王国の贈り物) (11)
┣  テキスト第8章(戻りの旅路) (9)
┣  テキスト第9章(贖罪の受容) (8)
┣  テキスト第10章(病の偶像) (6)
┣  テキスト第11章(神かエゴか) (9)
┣  テキスト第12章(聖霊のカリキュラム) (8)
┣  テキスト第13章(罪なき世界) (12)
┣  テキスト第14章(真理のための教え) (11)
┣  テキスト第15章(神聖な瞬間) (11)
┣  テキスト第16章(幻想を赦す) (7)
┣  テキスト第17章(赦しと神聖な関係) (8)
┣  テキスト第18章(夢の消滅) (9)
┣  テキスト第19章(平安の達成) (9)
┣  テキスト第20章(神聖さのヴィジョン) (8)
┣  テキスト第21章(理性と知覚) (9)
┣  テキスト第22章(救いと神聖な関係) (7)
┣  テキスト第23章(自分自身との戦い) (5)
┣  テキスト第24章(特別であるという目標) (8)
┣  テキスト第25章(神の正義) (9)
┣  テキスト第26章(移行) (10)
┣  テキスト第27章(夢を癒す) (8)
┣  テキスト第28章(恐れを取り消す) (7)
┣  テキスト第29章(目覚め) (9)
┣  テキスト第30章(新たなる始まり) (8)
┗  テキスト第31章(最後のヴィジョン) (8)
ワークブック・パート① (236)
┣  レッスン1〜10 (11)
┣  レッスン11〜20 (10)
┣  レッスン21〜30 (10)
┣  レッスン31〜40 (10)
┣  レッスン41〜50 (10)
┣  レッスン51〜60 (11)
┣  レッスン61〜70 (10)
┣  レッスン71〜80 (10)
┣  レッスン81〜90 (11)
┣  レッスン91〜100 (9)
┣  レッスン101〜110 (10)
┣  レッスン111〜120 (11)
┣  レッスン121〜130 (10)
┣  レッスン131〜140 (10)
┣  レッスン141〜150 (11)
┣  レッスン151〜160 (10)
┣  レッスン161〜170 (10)
┣  レッスン171〜180 (11)
┣  レッスン181〜190 (11)
┣  レッスン191〜200 (10)
┣  レッスン201〜210 (11)
┗  レッスン211〜220 (10)
ワークブック・パート② (159)
┣  ワークブック・パート②特別解説 (16)
┣  レッスン221〜230 (10)
┣  レッスン231〜240 (10)
┣  レッスン241〜250 (10)
┣  レッスン251〜260 (10)
┣  レッスン261〜270 (10)
┣  レッスン271〜280 (10)
┣  レッスン281〜290 (10)
┣  レッスン291〜300 (10)
┣  レッスン301〜310 (10)
┣  レッスン311〜320 (10)
┣  レッスン321〜330 (10)
┣  レッスン331〜340 (10)
┣  レッスン341〜350 (10)
┣  レッスン351〜360 (10)
┗  レッスン361〜365 (3)
マニュアル (42)
┣  マニュアル1~3 (4)
┣  マニュアル4 (10)
┣  マニュアル5~10 (6)
┣  マニュアル11~20 (9)
┗  マニュアル21~30 (10)
心理療法 (13)
┣  心理療法 第1章 (2)
┣  心理療法 第2章 (8)
┗  心理療法 第3章 (3)
用語解説 (8)
祈りの歌 (15)
┣  祈りの歌 第1章 (7)
┣  祈りの歌 第2章 (4)
┗  祈りの歌 第3章 (4)