マニュアル運転しないためのマニュアル
If you surrender to the wind, you can ride it.
もしあなたが風に抗(あらが)わずに従うなら、あなたは風に乗ることができる。

Anonymous
作者不詳

Kinoさん、いつもコメント、ありがとうございます。
質問:「お陰様で、期せずして教師のマニュアルを一読することが出来ました。
いつも有難うございます!
コースの理解解説において、kenさんが比較的早めに、
テキスト解説よりも分量を割いて教師のマニュアルを
取り上げられたのにはどのような意図があったのでしょうか?」

直感で記事を書いているだけでなので、残念ながら(笑)、とくに綿密に計算した意図があるわけではありません。
ただ、ブログで、ご紹介するにしても、ワークブックは、1年で自動的に紹介し終えることができますが、テキストは、もし全体を紹介し終えることができるとしても、それはかなり遠い先になってしまいます。
せっかく分量的にそう多くはないマニュアルをテキストの紹介に織り交ぜて、散らばらせていたのでは、全体を紹介し終えるのはずっと先のことになっていたと思います。
Section 29 As for the Rest . . .でも述べられているように、学び手それぞれにとって、テキストから学ぶのがよい人もいれば、ワークブックから入る方がよい人、マニュアルを先に読んだ方がよい人、まちまちです。
ですが、どこから入ろうと、撤退することなく、継続するのであれば、いつかは、どれもすべて目にすることになるものだということができます。
マニュアルから入ったほうがよい場合もあるのに、マニュアルに接する機会自体がないとすれば、その人にとっての時間節約が妨げられることになります。
そして、推理小説を読むわけではないので、前書きや目次、あとがきといった総括的な箇所で、本の全体像を把握してから本文に取り組むというのがマイナスに働くことはあまりなく、むしろ、有益なことのほうが多いといえます。
いきなり、テキストの難解な理論から入ったのでは、広大な森の中に迷いこんだような恐怖感を味わって早々に退却したいと思ってしまう方も多いと思います。
また、ワークブックのような自分と向き合って毎日何かを続けるということも、ともすれば、義務的なものとなって、多忙な日常に紛れて放り出したくなるということも多いものです。
そして、テキストもワークブックも、なかなか全体像が見渡しにくいのは否めません。
その点、マニュアルは、重要概念の解説であり、当然、テキストやワークブックの代わりにはなりませんし、体系的な概要を整理したものでもないので、コースの骨組みを示すものでもありませんが、イェシュアが特に重要だとして選別してくれた重要事項の解説集であり、基本的な理解にとても役立ちますし、なにより、分量が多くないので早々にマニュアルを一通り読了したぞという達成感を抱くことができます。
そして、本来、テキストとワークを終えた学習者を想定する位置づけなので、このことはもう当然学んでいるはずでしょという概念などは、そのような表現になっています。
ですから、マニュアルをよく読むことで、奇跡のコースが神の教師を通して伝えたいと考えている要点を読み取ることができるはずです。
このように、コース全体を学ぶうえで、マニュアルは逆算的に活かすことができると思います(バックキャスト(backcast))。
最後の聖霊に任せきるでは、聖霊に全託することが述べられています。
聖霊に任せるということは、コース全体を通じて出てくることですが、マニュアルでも特に強調されます。
私たちは、自分には自由意志が与えられているのだから、責任感を持って、価値判断をして行動をしなければならないとこの世界から教えこまれています。
だから、自分の価値判断を放棄して、聖霊に委ねるようにと求められると、子ども扱いされているようで自尊心を傷つけられるような感覚を抱きがちです。
しかし、価値判断の重圧から解放されるにはで説明されるように、私たちに真の価値判断をなすことは不可能です。
価値判断を聖霊に任せることなく、自分の了見で裁くことこそ、無責任に攻撃することなのだということです。
マニュアルは、奇跡のコースを学ぶみんなが、自分の判断でシフトチェンジを行うマニュアル運転をやめて、ハンドル自体も聖霊に委ねることができるためのマニュアルです。
せっかく分量的にそう多くはないマニュアルをテキストの紹介に織り交ぜて、散らばらせていたのでは、全体を紹介し終えるのはずっと先のことになっていたと思います。
Section 29 As for the Rest . . .でも述べられているように、学び手それぞれにとって、テキストから学ぶのがよい人もいれば、ワークブックから入る方がよい人、マニュアルを先に読んだ方がよい人、まちまちです。
ですが、どこから入ろうと、撤退することなく、継続するのであれば、いつかは、どれもすべて目にすることになるものだということができます。
マニュアルから入ったほうがよい場合もあるのに、マニュアルに接する機会自体がないとすれば、その人にとっての時間節約が妨げられることになります。
そして、推理小説を読むわけではないので、前書きや目次、あとがきといった総括的な箇所で、本の全体像を把握してから本文に取り組むというのがマイナスに働くことはあまりなく、むしろ、有益なことのほうが多いといえます。
いきなり、テキストの難解な理論から入ったのでは、広大な森の中に迷いこんだような恐怖感を味わって早々に退却したいと思ってしまう方も多いと思います。
また、ワークブックのような自分と向き合って毎日何かを続けるということも、ともすれば、義務的なものとなって、多忙な日常に紛れて放り出したくなるということも多いものです。
そして、テキストもワークブックも、なかなか全体像が見渡しにくいのは否めません。
その点、マニュアルは、重要概念の解説であり、当然、テキストやワークブックの代わりにはなりませんし、体系的な概要を整理したものでもないので、コースの骨組みを示すものでもありませんが、イェシュアが特に重要だとして選別してくれた重要事項の解説集であり、基本的な理解にとても役立ちますし、なにより、分量が多くないので早々にマニュアルを一通り読了したぞという達成感を抱くことができます。
そして、本来、テキストとワークを終えた学習者を想定する位置づけなので、このことはもう当然学んでいるはずでしょという概念などは、そのような表現になっています。
ですから、マニュアルをよく読むことで、奇跡のコースが神の教師を通して伝えたいと考えている要点を読み取ることができるはずです。
このように、コース全体を学ぶうえで、マニュアルは逆算的に活かすことができると思います(バックキャスト(backcast))。
最後の聖霊に任せきるでは、聖霊に全託することが述べられています。
聖霊に任せるということは、コース全体を通じて出てくることですが、マニュアルでも特に強調されます。
私たちは、自分には自由意志が与えられているのだから、責任感を持って、価値判断をして行動をしなければならないとこの世界から教えこまれています。
だから、自分の価値判断を放棄して、聖霊に委ねるようにと求められると、子ども扱いされているようで自尊心を傷つけられるような感覚を抱きがちです。
しかし、価値判断の重圧から解放されるにはで説明されるように、私たちに真の価値判断をなすことは不可能です。
価値判断を聖霊に任せることなく、自分の了見で裁くことこそ、無責任に攻撃することなのだということです。
マニュアルは、奇跡のコースを学ぶみんなが、自分の判断でシフトチェンジを行うマニュアル運転をやめて、ハンドル自体も聖霊に委ねることができるためのマニュアルです。