T29-8 反キリスト
I like your Christ, I do not like your Christians. Your Christians are so unlike your Christ.
私はあなたの子キリストに憧れを抱いています。けれど、私はあなたのキリスト教徒たちに好感を持っていません。クリスチャンたちは本当にあなたの子キリストとは異なっているからです。

Mahatma Gandhi
マハトマ・ガンジー
The Devil's success is contingent upon people's ignorance.
悪魔が成功するかどうかは、人々が無知のままでいるかどうか次第なのだ。

Benny Hinn
ベニー・ヒン

光の対極である闇について、テキストから反キリストについての一節をご紹介します。
反キリストというと強大な敵というイメージを抱きがち
反キリストについては、ヨハネの第一の手紙第二章18,22節、第四章3節 )、ヨハネの第二の手紙第一章7節が述べていますが、ヨハネ黙示録第十三章の「獣」や「龍」サタンを連想される方も多いと思います。
しかし、テキストでは、反キリストは幻想であり無であって、キリストに対抗する積極的な力を備えた強大な存在として捉えることはしません(次回、「悪魔」について述べたいと思います。)。

反キリストといっても偶像のひとつでしかない
反キリストは、どのような形をとろうとも、キリストに対抗するために、キリストの顔にかけられたヴェールであり、私たちをキリストから切り離して闇の中にひとりでいるように感じさせる偶像すべてを指すといいます。
反キリストは、全能を超える力があるとか、無限を超える空間や、永遠を凌ぐ時間があるという奇妙な考えのことです。
この偶像は、無であり、何かをほかの者よりもより多く手に入れるために作られる幻想です。
しかし、神には、たくさんの子供がいるわけではなく、ただひとり子があるだけです。
そして、神の子は、すべてを持つと同時にすべてでもある存在です。
したがって、誰かがより多く持ったり、より少なく与えられたりするということ自体がありえないことであり、偶像の目的には意味がないということになります。
偶像が力と生命を持つのは崇拝者がそれを与えているから
無である偶像が幻想として命と力を持つように見えるのは、偶像崇拝者が偶像の存在を信じて偶像に命と力を与えるからです。
そして、奇跡はキリストの顔にかけられたヴェールをあげることで、この命と力を本来の持ち主であるその者に戻そうとします。
本来、神の子はひとりしかおらず、欠けるところなどない無限の豊かさを持っています。
偶像を崇拝するということは、分離の幻想を前提に、自分と競争する無数の他者がいて、自分はすべてを持ちすべてでもある存在ではなく、卑小な存在で、劣っていて完全ではなく、欠乏していて何かを必要としていると信じ、そんな自分に力を授けてくれると思う偶像である神々を作り出しては、自分の欠乏を満たしてほしい、他者よりも優れたものとしてほしいと拝むということです。
本当はすべてを持っていると同時にすべてでもある存在が、自分が持たず、自分以外のものであるものが存在し、自分にはそれが欠落していると信じこんで、それを手に入れようと自分の外側にすがりつく偶像を作り上げて、それに頼ろうとするというのは、客観的に見ると、滑稽でしかありません。
頭の上に跳ね上げた眼鏡を引っ掛けた人が「メガネ、メガネ」と探し回って、眼鏡屋さんで、新しい眼鏡を作ろうとしたり、武道の達人のいかつい男性が催眠術にかけられて自分のことをか弱い女の子だと思いこまされて、ボディーガードを雇おうとしたりしているのを見たら、笑ってしまうでしょう。
偶像は、特定の宗教の神様だけでなく、欠乏の原理を補強するものであれば、何でもなることができます。
自分を特別に感じさせてくれる恋人であれ、腕時計、車であれ、会社であれ、特定のイデオロギーであれ、預金であれ、ペットであれ、何でも偶像となることができます。もちろん奇跡のコースだって偶像になります。
自分だけは実在するという最大の錯覚
これらの物や観念に対して、私たちが最も気づかない偶像は、自分自身でしょう。
私たちは、自分は間違いなく、何歳の男性の日本人の誰それという名前の人間だと確信しています。
しかし、コースの観点からすれば、この世界は幻想であり、世界の中にいる人間も当然幻想であり、人間というアバターは、狂気に陥った神の子が世界を見る無数の覗き窓でしかなく、架空のキャラクターにすぎません。
この自分が人間だという偶像崇拝は気づかれないまま最後まで残る強敵といえるでしょう。
自分が欠けた存在で、偶像の力を借りないと、その欠乏を補うことができないという考え自体の欺瞞性に気づくことなく、欠乏の信念をそのままにして、自分の外側に欠乏を満たしてくれる何かを探し、外側に偶像を作ってそれに頼るということを続けていたのでは、いつまで経っても、堂々巡りから抜け出せないままです。
鏡を見て、頭の上に乗っかっている眼鏡に気づいたり、自分にはボディーガードなど必要としない強さがあることに気づかなければなりません。

テキスト 第二十九章
VIII. The Anti-Christ
八 反キリスト
1. What is an idol?
偶像とはいったい何なのでしょうか。
Do you think you know?
あなたは自分はわかっていると思っているだけです。
For idols are unrecognized as such, and never seen for what they really are.
というのは、偶像は偶像とは気づかれないものだし、決して実像の通りに見られないものだからです。
That is the only power that they have.
それこそが偶像が持つ唯一の力です。
Their purpose is obscure, and they are feared and worshipped, both, because you do not know what they are for, and why they have been made.
偶像の目的は曖昧模糊としてわかりにくく、偶像は恐れられると同時に崇拝されます。なぜなら、あなたには偶像が何のためにあるのか、偶像がなぜ作られたのか、わからないからです。
An idol is an image of your brother that you would value more than what he is.
偶像は、あなたの兄弟の肖像であり、あなたは彼の真の姿よりも肖像に価値を置いています。
Idols are made that he may be replaced, no matter what their form.
それがどのような形をとるにせよ、偶像は兄弟に取って代わらせるために作り出されたのです。
And it is this that never is perceived and recognized.
そして、このことは決して知覚されることも、認められることもありません。
Be it a body or a thing, a place, a situation or a circumstance, an object owned or wanted, or a right demanded or achieved, it is the same.
偶像が、身体や物、場所、境遇や事情であろうと、所有している物や欲する物であろうと、権利の要求や獲得した権利であろうと、何であったとしてもどれもみな同じです。
2. Let not their form deceive you.
偶像がまとう形に騙されないようにしなさい。
Idols are but substitutes for your reality.
偶像は、本当のあなたの代用でしかありません。
In some way, you believe they will complete your little self, for safety in a world perceived as dangerous, with forces massed against your confidence and peace of mind.
あなたは何らかの形で、偶像は自分の卑小な自己を完全にしてくれて、多様な勢力がよってたかってあなたの自信や心の平安を打ち砕こうと集中攻撃を仕掛けてくる危険な場所だと認識しているこの世界の中で安全に守ってくれるものと信じています。
They have the power to supply your lacks, and add the value that you do not have.
偶像は、あなたに欠けているものを補う力を持っており、あなたが持っていない価値を付け加えてくれるというのです。
No one believes in idols who has not enslaved himself to littleness and loss.
しかし、自分自身を矮小に感じたり、自分に欠落したところがあるという思いの虜になっていないかぎり、誰も偶像を信じたりしません。
And thus must seek beyond his little self for strength to raise his head, and stand apart from all the misery the world reflects.
それゆえ、誰もが、毅然と頭を上げて、この世界がどんな悲惨さを映し出そうとも、超然としているための力強さを、自らの卑小な自己を超えたところに探さなければなりません。
This is the penalty for looking not within for certainty and quiet calm that liberates you from the world, and lets you stand apart, in quiet and in peace.
この世界の映し出す悲惨さは、あなたをこの世界から解放し、静寂と平安のうちに、あなたの孤高を保ってくれる確信や静かな落ち着きを、自らの内側に探そうとしないことで負う代償です。

3. An idol is a false impression, or a false belief; some form of anti-Christ, that constitutes a gap between the Christ and what you see.
偶像は間違った印象、または間違った信念です。それは、何らかの形でキリストに反対するものであり、キリストとあなたの見るものの間に隔たりを作りあげます。
An idol is a wish, made tangible and given form, and thus perceived as real and seen outside the mind.
偶像とは、それに触れて感知できる形が与えられた願望であり、したがって、それは心の外側に実在して見ることができるものとして知覚されます。
Yet it is still a thought, and cannot leave the mind that is its source.
しかし、依然として偶像は想念のままなので、その源である心から離れることはできません。
Nor is its form apart from the idea it represents.
それに、そうした偶像の形は、それが表している観念から離れてもいません。
All forms of anti-Christ oppose the Christ.
反キリストの形はどれもすべて、キリストに対抗しています。
And fall before His face like a dark veil that seems to shut you off from Him, alone in darkness.
そして、反キリストがとる形はどれもみな、真っ暗なヴェールのように、キリストの顔の前に覆い被さっており、その覆いがあなたをキリストから切り離し、闇の中にひとりきりでいるように思わせています。
Yet the light is there.
しかし、光はたしかにそこにあります。
A cloud does not put out the sun.
雲は太陽を消すわけではありません。
No more a veil can banish what it seems to separate, nor darken by one whit the light itself.
それと同じように、ヴェールも、それが分け隔てているように見えるものを消去できるわけではないし、光そのものをほんのかすかにでも翳らせることはできないのです。
4. This world of idols is a veil across the face of Christ, because its purpose is to separate your brother from yourself.
この偶像の世界は、キリストの顔の前に被せられたヴェールです。なぜなら、世界の目的は、あなたの兄弟をあなたから引き離すことにあるからです。
A dark and fearful purpose, yet a thought without the power to change one blade of grass from something living to a sign of death.
それは、暗く恐ろしい目的ではありますが、その思いには、一枚の草の葉さえも、命ある存在から死の印に変える力はありません。
Its form is nowhere, for its source abides within your mind where God abideth not.
その目的の形はどこにもありません。なぜなら、その目的の源は、あなたの心の中の神が住んでいない場所に留まっているからです。
Where is this place where what is everywhere has been excluded and been kept apart?
このような、あらゆるところにあるはずの神が排除され、分離されたままにされているこの場所は、いったいどこにあるというのでしょうか。
What hand could be held up to block God's way?
どんな手が神の行く手を遮ることができるというのでしょうか。
Whose voice could make demand He enter not?
誰の声が神に入ってこないようにと要求できるでしょうか。
The "more-than-everything" is not a thing to make you tremble and to quail in fear.
「すべてであるもの以上のもの」は、あなたを恐怖で身震いさせたり怖じ気づかせたりするようなものではありません。
Christ's enemy is nowhere.
キリストの敵はどこにもいません。
He can take no form in which he ever will be real.
キリストの敵は決して実在する形をとることはできないのです。

5. What is an idol?
偶像とは何なのでしょうか。
Nothing!
無です。
It must be believed before it seems to come to life, and given power that it may be feared.
無である偶像が生命を持つように見えるためには、その前提として、偶像が信じられる必要があるし、偶像が恐れられるためには、力を与えられる必要があります
Its life and power are its believer's gift, and this is what the miracle restores to what has life and power worthy of the gift of Heaven and eternal peace.
偶像の命と力は、偶像を信じる者から与えられたものです。そして、奇跡はこの命と力を、天国と永遠の平安という贈り物を受け取るにふさわしい、命と力を確かに持っているその者に戻します。
The miracle does not restore the truth, the light the veil between has not put out.
奇跡は、真理を回復させるわけではありません。真理の光は、ヴェールをかけられたことによって消えていたわけではないからです。
It merely lifts the veil, and lets the truth shine unencumbered, being what it is.
奇跡はただ、そのヴェールを持ち上げて、真理がありのまま何の妨害も受けずに輝けるようにするだけです。
It does not need belief to be itself, for it has been created; so it is.
真理は、真理であるために誰かに信じてもらう必要などありません。なぜなら、真理はただ真理であるように創造されたものだからです。
6. An idol is established by belief, and when it is withdrawn the idol "dies."
偶像は信じられることによって確立されます。だから、信じてもらえなくなったら、その偶像は「死ぬ」ことになります。
This is the anti-Christ; the strange idea there is a power past omnipotence, a place beyond the infinite, a time transcending the eternal.
これが反キリストです。すなわち、全能を超える力が存在するとか、無限を超える空間や永遠を凌ぐ時間があるという奇異な想念のことです。
Here the world of idols has been set by the idea this power and place and time are given form, and shape the world where the impossible has happened.
このように力や場所や時間に形を与えることができるという想念によって、ここに偶像の世界が用意され、不可能なことが起こるこの世界が形作られます。
Here the deathless come to die, the all-encompassing to suffer loss, the timeless to be made the slaves of time.
この世界には、不死なるものが死ぬために、すべてを持っているものが喪失を経験するために、時間を超越するものが時間の奴隷になるためにやってきます。
Here does the changeless change; the peace of God, forever given to all living things, give way to chaos.
ここでは、不変のものが変化し、生きとし生けるものに永遠に与えられている神の平安は、混沌に道を譲ります。
And the Son of God, as perfect, sinless and as loving as his Father, come to hate a little while; to suffer pain and finally to die.
そして、神の子は、父と同じように完璧で潔白で愛に満ち溢れる存在であるというのに、しばらくの間、憎しみを抱き、苦しみを味わい、最後には死ぬためにここにやってくるのです。

7. Where is an idol?
偶像はどこにあるのでしょうか。
Nowhere!
どこにもありません。
Can there be a gap in what is infinite, a place where time can interrupt eternity?
無限なるもののうちに、時間が永遠を遮ることができるような隙間などありうるでしょうか。
A place of darkness set where all is light, a dismal alcove separated off from what is endless, has no place to be.
すべてが光に満ちる場所の中に定められた暗黒の場所、終わりのないものから切り離された陰気な小部屋、こうしたものが存在できる場所はありません。
An idol is beyond where God has set all things forever, and has left no room for anything to be except His Will.
偶像があるとすれば、それは、神がすべてのものを永遠に置いて、そして、神の大いなる意志以外は何も入りこむ余地のまったく残されていないところ以外のどこかです。
Nothing and nowhere must an idol be, while God is everything and everywhere.
そうだとすれば、神はすべてであるとともに至るところにあるのだから、偶像とは無であってどこにもないに違いないのです。
8. What purpose has an idol, then?
それでは、偶像はどんな目的を持っているのでしょうか。
What is it for?
偶像は何のためにあるのでしょうか。
This is the only question that has many answers, each depending on the one of whom the question has been asked.
偶像は何のためにあるのかという質問は、無数の答えを持つ唯一の質問であり、誰にこの質問を尋ねるかによって答えが変わります。
The world believes in idols.
この世界は偶像を信じています。
No one comes unless he worshipped them, and still attempts to seek for one that yet might offer him a gift reality does not contain.
偶像を崇拝しているのでなければ、そして、いまだに、現実にはない贈り物を提供してくれそうな偶像を探そうとしているのでなければ、誰もこの世界にやってくることはありません。
Each worshipper of idols harbors hope his special deities will give him more than other men possess.
偶像崇拝者の一人ひとりが、自分だけの特別な神々が、ほかの者たちの所有するものに優るものを自分に与えてくれるはずだという希望を抱いています。
It must be more.
それは他者が所有するもの以上のものに違いありません。
It does not really matter more of what; more beauty, more intelligence, more wealth, or even more affliction and more pain.
実のところ、他者以上に得られるものが何であるかは問題ではありません。より美しいとか、より聡明だとか、より裕福だとか、あるいは、より苦悩を抱えているとか、より苦痛を味わっているということですらあるかもしれません。
But more of something is an idol for.
しかし、とにかく何かをより多く自分だけのものにしたいという願望のために偶像はあるのです。
And when one fails another takes its place, with hope of finding more of something else.
だから、ひとつの偶像が失墜すると、何かほかのものをもっと見つけようという期待の下に、別の偶像がその落ちた偶像に取って代わります。
Be not deceived by forms the "something" takes.
その「何か」がとる形に騙されてはなりません。
An idol is a means for getting more.
偶像はより多くを手に入れるための手段なのです。
And it is this that is against God's Will.
そして、まさにより多くを手に入れようとすることこそが、神の大いなる意志に逆らっているのです。

9. God has not many Sons, but only One.
神には、たくさんの子供たちがいるわけではありません。ただひとりの子があるだけです。
Who can have more, and who be given less?
そうだとすれば、誰がより多く持ったり、より少なく与えられたりできるでしょうか。
In Heaven would the Son of God but laugh if idols could intrude upon his peace.
天国でなら、もし偶像が神の子の平安に押し入ることができたとしても、神の子はただ笑い飛ばすだけだったでしょう。
It is for him the Holy Spirit speaks, and tells you idols have no purpose here.
聖霊は、そんな神の子を代弁しているので、この世界で偶像は何の目的も持っていないとあなたに教えてくれます。
For more than Heaven can you never have.
というのは、あなたは決して天国以上のものを手に入れることはできないからです。
If Heaven is within, why would you seek for idols that would make of Heaven less, to give you more than God bestowed upon your brother and on you, as one with Him?
もし天国が内にあるとすれば、神が自らとひとつであるがゆえにあなたと兄弟に授けてくれたもの以上のものを自分に与えるために、天国を本来より小さくて劣るものに変えようとする偶像をあなたが探し求める気になるはずがありません。
God gave you all there is.
神は存在するすべてのものを、あなたに与えてくれました。
And to be sure you could not lose it, did He also give the same to every living thing as well.
そして、あなたが絶対にそれを失うことのないようにと、神は同様に同じものを、生きるものすべてにも与えたのです。
And thus is every living thing a part of you, as of Himself.
したがって、生きとし生けるものは、神自身の一部であるように、あなたの一部でもあるのです。
No idol can establish you as more than God.
あなたを神をも凌ぐ存在にすることは、いかなる偶像にもできません。
But you will never be content with being less.
かといって、あなたは神に劣るものであることに甘んずることも決してないでしょう。


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