レッスン66「私の幸せと私の役目はひとつのものだ」
Man is unhappy because he doesn’t know he’s happy. It’s only that.
人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。ただそれだけのことだ。

Fyodor Dostoyevsky
フョードル・ドストエフスキー
If you want to be happy, be.
あなたが幸せになりたいなら、なればいい。

Leo Tolstoy
レフ・トルストイ
Happiness depends upon ourselves.
幸せかどうかは私たち次第だ。

Aristotle
アリストテレス
人生の義務は、ただひとつしかない。それは幸福になることだ。

ヘルマン・ヘッセ
幸福の秘訣は、不幸の秘訣と同様、簡単なものだ。すべては、魂と理性が一致するか、対立するかということにある。

ヴァジム・ゼランド
Creating authentic power means aligning your personality with your soul.
正真正銘の力を創造することは、あなたの個性とあなたの魂とが一致することを意味する。

Gary Zukav, The Seat of the Soul
ゲイリー・ズーカフ
Be sincere in your thoughts,
自分の思考を偽らないようにしてください。
Be pure in your feelings.
自分の気持ちをごまかさないでいてください。
You will not have to run after happiness.
そうすれば、あなたは幸福を追い求めなくてもよくなるはずです。
Happiness will run after you.
幸福のほうがあなたの後を追い掛けてくるでしょう。

Sri Chinmoy, The Wings of Joy: Finding Your Path to Inner Peace
シュリ・チンモイ
I slept and dreamt that life was joy.
私は眠り、人生が喜びであることを夢見た。
I awoke and saw that life was service.
私は目覚め、人生が奉仕であることを知った。
I acted and behold, service was joy.
私は行動して気づいた。奉仕が喜びなのだと。

Rabindranath Tagore
ラビンドラナート・タゴール

レッスン66です。
今日のテーマは「私の幸せと私の役目はひとつのものだ。」です。
私の幸せ
エゴに従うにせよ、聖霊に従うにせよ、私たちにとって自分が幸せであること、つまり、「私の幸せ」が最大の関心事であることに変わりはありません。
レッスン24「私は、自分の最善の利益がわかっていない」の通り、本当の自分が神の子であることを忘れ、幻想世界の中の無数のアバターのひとつが自分だと信じている私たちに、自分の最善の利益がわかっていません。
エゴとしての願望を満たすことは真の幸福ではない
エゴに従って、個としてのアバターであるエゴ・身体の欲望を満たすことを実現しても、それは最善の利益ではないので、真の幸福には役立ちません。

人間馬車説的に人間を分析すると、馬が異性の馬に惹かれて、御者の指示を無視して突っ走って脇道に入り込んだり、御者が主人が眠っている隙に好き勝手やったり、馬車を煌びやかに装飾することに精を出したりと、主人が馬車を使って向かうべき目的地に辿り着くのを妨げることはすべて最善の利益ではなく、究極的には主人だけでなく、馬にも御者にも馬車にとっても真の幸福とはなりません。
真の幸福は自然なものであるはず
さて、つぎは、このことについて、はたらく細胞的な観点で考えてみましょう。

この観点で見ると、真の幸福は、自然なものであるはずだということがわかります。
というのも、私たちは健康なときは、身体の特定の部位の存在を意識することなく忘れ去っているからです。
歯が痛んだり、胸が痛かったりと特定の身体の部位をことさら意識するのは、身体が不健康な状態になった場合です。

身体内世界で細胞が自己主張する状態は病んだ状態→世界が神の子の身体だとすれば自意識を抱く私たちは病んだ状態
つまり、幸せな状態では、細胞や器官が我を忘れて全体に奉仕しているけど、不幸な状態になると全体に奉仕できなくなった部位が痛みを訴え、自分はなんだかおかしい!自分に注意を向けて意識してほしい!と愛を求める叫びを発するということです。
このように身体に置き換えて考えてみると、この世界に生きる私たち人間はほぼ全員が自意識を抱いているわけですから、身体で言えば、身体の全細胞が病気や怪我をして痛みを発している状態に等しい状態にあるということになり、本当の自分を忘れて個としての自分の利害だけに没頭しているこの世界の状態はきわめて不健康で不幸な状態だということがわかります。
健やかな状態になるには、自分の使命を全うして我を忘れること
ここから脱するには、個としての自分が全体に奉仕するうえで担う機能を果たしきって我を忘れることです。
つまり、私たちが自分の役目を果たすことと私たちが幸せになることは、関連しているのではなく同一のことだということです。
同一ということは、幸せが目的で、役目を果たすことが幸せを獲得する手段という関係性ではなく、幸せ=役目を果たすこと、だということです。
ですから、役目を果たすのはたいへんな苦労でつらいけど、苦しんだことへの報償として幸せが訪れるというわけではない、ということであり、役目を任い、果たすことというプロセスそれ自体が幸せであり、これが聖霊の目的を達成するための手段となります。
ドフトエフスキーの稀有で壮絶な体験

冒頭の名言で出てくる文豪ドストエフスキーは、28歳のときに、死刑判決を受け銃殺による死刑執行寸前で皇帝の特赦(有罪の言渡しを受けた特定の者に対して行われ有罪言渡しの効力を失わせる恩赦の一種。恩赦とは、行政権により国家の刑罰権の全部又は一部を消滅若しくは軽減させる制度のこと)により、シベリア流刑に減刑されるという体験をしています。
この筋書きは当時の皇帝(ツァーリ)ニコライ1世が、反体制の作家たちを自分の側になびかせようとする趣旨であらかじめ仕組んだ出来レースのようなものだったようですが、当のドストエフスキー本人にはそんな裏事情は知らされない(知られては皇帝の目論見が外れてしまう)ので、ドストエフスキーは、まさに銃殺であの世送りの寸前から生還を果たすという稀有な体験をしたことになります。
モンテーニュの死の淵からの帰還

ドストエフスキーと同じように死の淵から帰還した作家であるモンテーニュについて、ライアン・ホリデイさんが「苦境を好機に変える法則」(236ページ)で語っているメッセージをご紹介します。

「一五六九年、ミシェル・ド・モンテーニュという名のフランス人貴族が、失踪する馬から振り落とされ、危篤状態に陥った。
友人たちの手で、ぐにゃぐにゃになった血まみれの体を家まで運ばれながら、モンテーニュは自分の体から命がすり抜けていくのを感じていた。といっても、心的外傷のようにはっきりと頭に刻まれたというよりは、あくまでおぼろげな記憶なのであるが、まるで「口の先っぽ」で魂が踊っているようであったという。最後の瞬間になって、モンテーニュは息を吹き返した。
この稀有な体験を境に、モンテーニュの人生は一変した。数年後には、ヨーロッパで最も有名な作家の一人になっていた。この事故のあと、モンテーニュは随想録を書いて人気を博し、市長を二期務め、名士として各国を旅行し、王の相談相手にもなった。
昔からよくある話だ。男が死にかけ、それまでの人生が走馬灯のように駆けめぐる。こちらの世界に帰ってきた男は、まったく別人と言っていいほどの、いい人間になっている。
モンテーニュの場合もそうだった。死を間近に体験したことで、かえって力が湧き、好奇心旺盛になった。もはや、死は恐るべきものではなくなった。その目でしかと見たことで、気が楽になり、前より元気になったほどだ。
どうせ死ぬのなら人生なんて無意味だ、ということではない。むしろ、いつか死ぬ運命だからこそ、人生は意味あるものになるのだ。幸い、死にかける目に遭わなくても、このエネルギーを活用することはできる。
モンテーニュの随想録を読むとわかるように、人は、自分がいつか死ぬことを十分に承知しながら、憂鬱にもならず、重い悩みもせずに、死と向き合うことができる。実際モンテーニュは臨死体験のおかげで、比類ないほどの陽気さで自分自身の存在と折り合いをつけることができ、それから先ずっと、晴れ晴れした気持ちと幸福感に包まれて生きていくことができた。これは励まされる話だ。私たち人間が、明日もわからないはかない存在であるという事実を受け入れることで、心が晴れやかになり、力が沸いてくるというのだから。
死への恐れは、私たちの人生にのしかかる障害である。それは私たちの決断を、見通しを、行動を左右する。
一方モンテーニュにとって、死とは障害などではなかった。その後の生涯ずっと、あの事件について考え、書きつづり、死にかけた瞬間をできるだけ再現しようとした。モンテーニュは死について研究し、論じ、ほかの文化における死のとらえ方まで調べた。
・・・・
私たちは、どれほど頼りない力で生につなぎとめられているのかを忘れているのだ。
でなければ、どうでもいいことにいつまでもこだわったり、有名になろうと必死になったり、生涯で使いきれないほどのお金を稼ごうとしたり、遠い未来の計画を立てたりしないはずだ。どれもこれも、死ねば無に帰してしまう。皆がこんなふうに行動するのは、死が私たちに何ら影響を及ぼさないと思っているからだ。少なくとも、自分が死にたくないときに死ぬかもしれないなんてことは考えていない。
・・・・
ただ、同時にこうも言える。己の死すべき運命を意識し、深く考えることで初めて、正しく世界を見ることができるようになり、時間が有限であることを理解できるのだ、と。何も落ち込むことはない。死とはむしろ力を与えてくれるものなのだから。
これが真実である以上、この力を活用しない手はない。自分がいつか死ぬことを否定せず、ましてや恐れず、受け入れよう。
毎日、自分が死すべき存在であることを思い出せば、それまでの時間が贈り物だと感じられる。終わりの時を意識する者は、不可能なことに挑戦したりしないし、本当はこうだったらいいのにと不平を並べて時間を無駄に過ごしたりもしない。
・・・・
死の影があるおかげで、人生における優先順位をつけやすくなるのだ。死とは、優しくありがたいもので、生きる指針となってくれる。そのおかげで、あらゆるものが正しい場所に落ち着くのだ。」
実は壮絶な体験をしている人は身近にたくさんいる
このような体験は、その人の中の主人である魂を揺り起こして、馬や御者の暴走を許さず、自分の最善の利益に向き合う偉大な機会となるものです。
実際、病気や怪我その他の不遇によって、ドストエフスキーに劣らない体験をしている人は、平和な日本の平凡に見える人々の中にもたくさんいます。
けれど、そのような強烈な体験を実際にせずとも、私たちの自覚次第では、他者の体験談や小説や映画等の創作から同じ教訓を学ぶ力を伸ばしてゆくことも可能であり、私たちが(他者を含めた)世界を師と仰ぐなら、きっと聖霊は喜んで世界のすべてを巧みに用いて私たちを導いてくれるはずです。

Workbook Lesson 66
My happiness and my function are one.
私の幸せと私の役目はひとつのものだ。
My happiness and my function are one.
私の幸せと私の役目はひとつのものだ。
1. You have surely noticed an emphasis throughout our recent lessons on the connection between fulfilling your function and achieving happiness.
ここ最近のレッスンを通じて、自分の役目を果たすことと幸せを獲得することの関連性が強調されていたことに、あなたもきっと気づいているはずです。
This is because you do not really see the connection.
あなたの役目を果たすこととあなたの幸せとの関連性を強調するのは、あなたが両者の関連性を本当にわかっていないからです。
Yet there is more than just a connection between them; they are the same.
もっとも、両者は単に関連しているだけではありません。両者は同一のものなのです。
Their forms are different, but their content is completely one.
形の上では、あなたの役割の達成とあなたの幸福とは違います。しかし、それらの内容は完全にひとつのものです。
2. The ego does constant battle with the Holy Spirit on the fundamental question of what your function is.
あなたの役目が何かという根本的な問題について、エゴは絶え間なく聖霊と戦っています。
So does it do constant battle with the Holy Spirit about what your happiness is.
だから、エゴは、あなたの幸福とは何かということについても、聖霊とつねに戦っていることになります。
It is not a two-way battle.
しかし、この戦いは、両者が相互に攻防を繰り広げる戦いではありません。
The ego attacks and the Holy Spirit does not respond.
エゴは攻撃しますが、聖霊はエゴの攻撃に応戦することはないからです。
He knows what your function is.
聖霊は、あなたの役目が何なのか知っています。
He knows that it is your happiness.
聖霊は、あなたの役目を果たすことこそがあなたの幸せなのだと知っているのです。
3. Today we will try to go past this wholly meaningless battle and arrive at the truth about your function.
今日、私たちは、この完全に無意味な戦いを通り過ぎて、あなたの本当の役目に到達することを試みます。
We will not engage in senseless arguments about what it is.
私たちは、あなたの役目が何かについて、無意味な議論にかまけることはしません。
We will not become hopelessly involved in defining happiness and determining the means for achieving it.
私たちは、幸福を定義したうえで、幸福を獲得するための手段を決定するというような、見込みのないことにかかずらうこともしません。
We will not indulge the ego by listening to its attacks on truth.
私たちは、真理に対するエゴの攻撃に耳を貸して、エゴを甘やかすようなこともしません。
We will merely be glad that we can find out what truth is.
私たちは、自分たちがただ真理が何であるか見出せることを喜ぶだけです。
4. Our longer practice period today has as its purpose your acceptance of the fact that not only is there a very real connection between the function God gave you and your happiness, but that they are actually identical.
今日の長いほうの実習時間には、神があなたに与えた役目とあなたの幸福はとても分かちがたく関連しているだけでなく、両者は実際には同一のものだという事実をあなたに受け入れさせる目的があります。
God gives you only happiness.
神は、あなたにただ幸せだけを与えています。
Therefore, the function He gave you must be happiness, even if it appears to be different.
したがって、たとえもしそうは見えないとしても、神があなたに与えた役目は幸福になることに違いありません。
Today's exercises are an attempt to go beyond these differences in appearance, and recognize a common content where it exists in truth.
今日の練習は、この見かけ上の両者の相違を超越して、真理の中に存在する両者に共通する内容を認識することを試みるものです。
5. Begin the ten-to-fifteen-minute practice period by reviewing these thoughts:
10分から15分の実習時間を次のような考えを確認することから始めてください。
God gives me only happiness.
神は、私にただ幸せだけを与えてくれる。
He has given my function to me.
神は、私に私の役目を与えた。
Therefore my function must be happiness.
そうであるなら、幸せになることが私の役目であるに違いない。
Try to see the logic in this sequence, even if you do not yet accept the conclusion.
たとえ、まだこの結論を受け入れることができなくても、この一連の文章の論理関係を理解するように努めてください。
It is only if the first two thoughts are wrong that the conclusion could be false.
「幸せになることが私の役目であるに違いない」という最後の結論が誤りとなりうるとしたら、それは、「神は、私にただ幸せだけを与えてくれる」、「神は、私に私の役目を与えた」という最初のふたつの考えが間違っている場合だけです。
Let us, then, think about the premises for a while, as we are practicing.
そこで、私たちで実習をしながら、このふたつの前提についてしばらく考えてみましょう。
6. The first premise is that God gives you only happiness.
最初の前提は、神はあなたにただ幸せだけを与えているというものです。
This could be false, of course, but in order to be false it is necessary to define God as something He is not.
もちろん、これが間違いであることはありえます。しかし、これが間違いであるためには、神のことを神ではない何か別の存在として定義する必要が出てきます。
Love cannot give evil, and what is not happiness is evil.
というのも、愛には不幸を与えることはできないし、幸福でないものは不幸だからです。
God cannot give what He does not have, and He cannot have what He is not.
神は、自分の持っていないものを与えることはできません。そして、神には、神自身ではないものを持つことはできません。
Unless God gives you only happiness, He must be evil.
神があなたに幸せだけを与えているのでないとしたら、神は不幸であるに違いありません。
And it is this definition of Him you are believing if you do not accept the first premise.
だから、もしあなたが最初の前提を受け入れないとしたら、神は不幸な存在であるという定義をあなたは信じていることになります。
7. The second premise is that God has given you your function.
ふたつ目の前提は、神はあなたにあなたの役目を与えたというものです。
We have seen that there are only two parts of your mind.
私たちは、これまで、あなたの心にはただふたつの部分しかないということを見てきました。
One is ruled by the ego, and is made up of illusions.
一方はエゴが支配している部分で、その部分は幻想で成り立っています。
The other is the home of the Holy Spirit, where truth abides.
もう一方は、聖霊の住まう部分で、そこには真理が留まっています。
There are no other guides but these to choose between, and no other outcomes possible as a result of your choice but the fear that the ego always engenders, and the love that the Holy Spirit always offers to replace it.
あなたがガイドとして選ぶことのできる選択肢はこのふたつだけです。そして、あなたの選択の結果としてありうる成果は、エゴがつねに生み出す恐れか、聖霊がつねに恐れに代わるものとして差し延べる愛か、そのいずれか一方だけです。
8. Thus, it must be that your function is established by God through His Voice, or is made by the ego which you have made to replace Him.
したがって、あなたの役目は、神の大いなる声を通して神によって確立されているか、あるいは、神に代わるものとしてあなたが作り出すエゴによってでっちあげられたものであるか、そのいずれかでしかありません。
Which is true?
どちらが本物なのでしょうか。
Unless God gave your function to you, it must be the gift of the ego.
神があなたにあなたの役目を与えたのでないかぎり、それはエゴからの贈り物に違いありません。
Does the ego really have gifts to give, being itself an illusion and offering only the illusion of gifts?
それ自体が幻想であり、幻の贈り物しか差し出すことのできないエゴが、本当に与えることのできる贈り物を持っているといえるでしょうか。
9. Think about this during the longer practice period today.
今日の長いほうの実習の間、このことを考えてみてください。
Think also about the many forms the illusion of your function has taken in your mind, and the many ways in which you tried to find salvation under the ego's guidance.
また、あなたの心の中で、自分の役目についての幻想がとってきた多様な形態や、エゴの導きの下であなたが救済を見出そうと試みてきた数多くの方法についても考えてみてください。
Did you find it?
あなたは自分の役目と救済を見つけたでしょうか。
Were you happy?
あなたは幸せになったでしょうか。
Did they bring you peace?
幻想の役目やエゴの導く救済方法は、あなたに平安をもたらしてくれたでしょうか。
We need great honesty today.
今日、私たちはとことん正直になる必要があります。
Remember the outcomes fairly, and consider also whether it was ever reasonable to expect happiness from anything the ego ever proposed.
虚心坦懐にエゴのもたらした結果を思い出して、それを踏まえて振り返ってみて、これまでエゴに提案されたどんなことであれ、それが達成できれば幸福が得られるはずだと期待したことで道理に適っていたといえることがあるかどうか、よく考えてみてください。
Yet the ego is the only alternative to the Holy Spirit's Voice.
それでも、聖霊の大いなる声を選ばない場合に残る選択肢は、エゴの声だけです。
10. You will listen to madness or hear the truth.
あなたは狂気に耳を貸すか真理に耳を傾けるかのどちらかです。
Try to make this choice as you think about the premises on which our conclusion rests.
私たちの結論が依拠するふたつの前提について考えながら、この選択をするように努めてください。
We can share in this conclusion, but in no other.
私たちは、この結論を分かち合うことはできますが、それ以外の結論を共有することはできません。
For God Himself shares it with us.
というのも、神自身がこの結論を私たちと共有しているからです。
Today's idea is another giant stride in the perception of the same as the same, and the different as different.
今日の考えは、同じものを同じものとして、そして、異なるものは異なるものとして知覚するうえでのもうひとつの大きな前進です。
On one side stand all illusions.
一方には、あらゆる幻想があります。
All truth stands on the other.
他方には、すべての真理があります。
Let us try today to realize that only the truth is true.
今日は、ただ真理だけが真実だと理解するように試みましょう。
11. In the shorter practice periods, which would be most helpful today if undertaken twice an hour, this form of the application is suggested:
今日は、もし1時間に2回行えれば最も有益ですが、短いほうの練習では、次のような適用の仕方がよいでしょう。
My happiness and function are one, because God has given me both.
私の幸福と役目はひとつのものだ。なぜなら、神は私にその両方を与えたからだ。
It will not take more than a minute, and probably less, to repeat these words slowly and think about them a little while as you say them.
1分以上かける必要はなく、それ以下で十分です。これらの言葉をゆっくり繰り返して言いながら、そのことについてしばらく考えてみてください。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。
