T3-7 悪魔と踊る

2013年08月18日
テキスト第3章(潔白な知覚) 2

アダムとイブのように、あなたがたはエデンの園に立ち、善悪について好奇心を抱きました。神はあなたがたの知識への渇望が根強いものだと知り、聖なる蛇とリンゴをあなたのもとに送り、食べるようにさせました。一般に信じられているのとは逆ですが、神はあなたを罠にかけて罪に落とし、エデンの園から追放されたのではありません。

ただこう言われました。「息子よ、気をつけるように。この果実を口にすれば、世界の感じ方は変わってしまうだろう。この園は突然、一木一草も生えない乾き切った砂漠に見えてくるかもしれない。無垢なしなやかさに溢れ、丸ごと完全なお前たちの身体も、各部分の寄せ集めとなり、ある部分だけを受け入れ、ある部分を恥ずかしく思うようになるかもしれない。今は私のすべての思考をともにしているお前の心も、私と反対の思考を抱くようになるかもしれない。二極性や分離感がお前の意識や経験に入り込んでくるかもしれない。このリンゴをひと齧りすれば、こうしたこと、そしてそれ以上のことも起きてくるだろう。しかし覚えておくがいい、息子よ。お前は、いついかなるときでも、心を変化させることができるのだよ」

神はあなたの過ちを非難されぬばかりか、そのことで心を痛めてもおられませんでした。与えた炎で子どもが火傷することを知っておられました。リンゴが消化不良を起こすだろうとも知っておられました。しかしまた、その子どもは炎の用心深い取り扱いを学び、自分の心を暖め、道を照らすのに使うだろうということもご存じでした。肉体が酸っぱい味にも慣れていき、そのリンゴを養分にできるようになるだろうということもご存じでした。
・・・
しかし神は、これらすべてが起きても構わないと思われました。なぜなら、あなたがたががむしゃらに分離の旅に出てゆこうとするときに、こう言われたのです。「ちょっとお待ち、息子よ。長いこと会えないかもしれない。どうかこのひとつの贈り物を受け取り、私を思い出すよすがとして、どこにでも携えていってほしい」
あなたがたの多くは、「はい、父上」と答えたことを忘れています。しかし私は保証しますが、たしかにそう答えたのです。ですから、その神の声は、流浪の旅に出てゆくあなたから離れることはありませんでした。それは今でもあなたとともにあります。
・・・
神はあなたがたに赦しの贈り物を与えられました。この贈り物は、あなたの旅のどこにでもついて回ります。あなたがたが信頼しなかったので、神は息子を遣わして、その贈り物のことを思い出させました。その息子は、その贈り物を取っておきたいのなら、人に与えなければならないと説きました。

Jesus Christ

イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」195ページ)



My concern is not whether God is on our side; my greatest concern is to be on God's side, for God is always right.
私が懸念するのは、神が我々の側に付いているかどうかではない。私が最大の関心を寄せるのは我々が神の側に付くことだ。なぜなら、神はつねに正しいのだから。

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Abraham Lincoln
アブラハム・リンカーン



敵があなたを怖がらせる方法をよく観察すれば、敵がもっとも恐れていることを見つけることができる。



エリック・ホッファー



devils advocate

Kevin Lomax: Better reign in hell than to serve in heaven, is that it?
ケヴィン・ロマックス: 天国で奉仕するよりも、地獄を支配するほうがましだと?

John Milton: Why not?
ジョン・ミルトン: そうとも。

I’m here on the ground with my nose in it since the whole thing began!
万物の起源以来、私はこの地上という地獄に身を置いて地上世界に首をつっこんできた。

I’ve nurtured every sensation man has been inspired to have!
私は、人間が抱くようにと神から与えられたあらゆる感覚を大事に育ててきたんだ。

I cared about what he wanted and I never judged him.
私は人間の望みを大切にしてきたし、私は決して人間を裁いたりしなかった。

Why? Because I never rejected him, in spite of all his imperfections!
なぜって?私は、どんなに欠点だらけでも、絶対に人間を拒んだりしないからだ。

I’m a fan of man!
私は人間のファンなのだ。

I’m a humanist.
私こそがヒューマニストだ。

Maybe the last humanist.
きっと究極のヒューマニストだ。

ジョン・ミルトン(映画「ディアボロス」(原題 Devil’s Advocate (悪魔の代弁者))より)



Five Trees in Paradise
楽園の5本の木

Jesus said, "Blessed is the one who came into being before coming into being.
イエスは言われた。「王国が到来する前に実在へと赴いた者は幸いである。

If you become my disciples and listen to my message, these stones will become your servants; because there are five trees in paradise which don't change in summer or winter, and their leaves don't fall.
もしあなたがたが私の弟子となり、私のメッセージに耳を傾けるなら、これらの礎石はあなたのしもべとなるであろう。なぜなら、楽園には5本の木があり、その木は、夏も冬も変わることなく、その葉が落ちることはないからである。

Whoever knows them won't taste death.”
誰であれ、その木を知る者は、死を経験することがなくなるであろう。」

Jesus Christ

Gospel of Thomas ;19
イエス・キリスト(トマスによる福音書第19節)





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今回は、「悪魔」について触れる一節、テキスト第三章 七 「創造物 対 大いなる自己像」をご紹介します。

奇跡のコースでは、「エゴ」と「魔術」(magic)についてはたくさん出てきますが、「悪魔」(devil)については、ほとんど出てきません。

今回は、テーマがテーマですし、内容的にも、通常の考え方をひっくり返したような箇所もあり、不快に感じられる方もいらっしゃると思いますので、そもそも悪魔のことなど想像もしたくないという方は、読むのを控えていただいたほうが良いと思いますし、不快に感じられた方にはあらかじめお詫びしておきます。




まず、「悪魔」は前にご紹介した反キリストのひとつにすぎず、分離幻想の究極ではあっても、偶像にすぎません。

そして、薬も過ぎれば毒となるというように、この二元性の幻想世界では、太極図の陰陽両極の勾玉の頭の中に対極の一点があるように、光と闇、善と悪は度を超すと入れ替わる逆転現象も起こります。

ですので、以下では「悪」というのは、常識的な悪というよりも、中庸から離れて両極のいずれかに振り子が振れている状態を指すものとして読んでいただければと思います。


さて、二元論的には、神と悪魔は対立し、洋の東西等によってこの対極が逆転したりもします。

ゾロアスター教の光明神アフラ=マズダは、暗黒神(悪神)アーリマン(アンラ・マンユ)と対立する善神ですが、ヒンドゥー教では邪神アスラに貶められ、仏教では帝釈天に歯向かう一戦闘神にすぎない阿修羅となります。



ルドルフ・シュタイナーによると、悪魔原理には、ルシファー(ラテン語で「光を帯びたもの」「光を掲げるもの」(lux 光 + -fer 帯びている、生ずる)、「光をもたらす者」(lux 光 + fero 運ぶ)、輝く明けの明星を意味する語。 シュタイナーはアフラマズダと同一という)原理とアーリマン原理があり、ルシファーは、人間の内面に働きかけ、アーリマンは外の世界から働きかけるといいます。



ルシファー原理は、陰、霊性、精神化、抽象化する光の原理で、内面から、生命、熱狂、活動を促し、自分が有能だ、特別な存在だと焚きつけ、天を目指させるような働きです。個性を重視し、若さ、柔軟性を尊重します。



これに対して、アーリマン原理は、陽、顕現、具体化、固定化する闇の原理で、外側から、死、冷酷、停滞をもたらす唯物論を浸透させ、人類を無知蒙昧に導き、地に縛りつけようとする働きです。集団性を重視し、成熟した大人であることを尊重します。

シュタイナーは、この中間にキリスト原理を置いて、キリスト原理は両者の均衡を図る機能だとします。


下にご紹介する生命の樹の3本柱で言えば、峻厳の柱がルシファー原理、慈悲の柱がアーリマン原理、均衡の柱がキリスト原理に照応することになろうと思います。


ふたつの悪魔原理にはそれ自体の機能があるだけで、時間や局面次第で、善にも悪にも作用します。

この二元性の幻想世界に生きるかぎり、意識的にせよ無意識的にせよ、ルシファーとアーリマンのいずれかの極の影響を受け、両者の綱引きのどちらかに与(くみ)してしまうものです。

それはそれでよいのかもしれません。

そして、キリスト原理による均衡は、単なる対極の力の相殺による静止状態をいうのではなく、段階ごとに対極を止揚してはひとつ上の段階へとジグザグに上昇していく弁証法的な発展原理ということになります。

「Along the pathway of this course, you are going to learn how to shake hands with the devil, and to do a little jig with him and recognize his face to be your own.
このコースの道を進むにつれて、あなたはどのようにして悪魔と握手し、悪魔とちょっとしたダンスを一緒に踊るのか、そして、どのようにして悪魔の顔が自分自身の顔になるのに気づくようになるのか学ぶことになります。

When you can dance with the darkness that you have created, that darkness is transformed into an angel.
あなたが自分の生み出した闇とともに踊ることができるようになったとき、その闇のものは天使へと姿を変えます。

And light abides with Light.
そして、光は大いなる光とともに留まることになります。」(The Way of Mastery lesson 1 THE WAY OF THE HEART CALLS YOU HOME)

「Be sure you use it instantly, should you be tempted to attack a brother and perceive in him the symbol of your fear.
 兄弟を攻撃したくなったり、自分の恐れの象徴を兄弟の中に知覚してしまいそうな誘惑に駆られたら、即座に今日の考え(「聖なる神の子よ、私にあなたの祝福を与えてください。」)を使うのを忘れないでください。

 And you will see him suddenly transformed from enemy to savior; from the devil into Christ.
 そうすれば、あなたは、その兄弟がたちまち敵から救い主へ、悪魔からキリストへと姿を変えるのを見ることになるでしょう。」(ワークブック、レッスン161

悪魔も反キリストのひとつであり、単なる偶像にすぎません。

存在を否認して攻撃すべき敵ではなく、自分から排除して投影した幻想として、見通すことができれば、この二元世界に働く原理として理解し、贖罪のために活用することもできるものだと思います。




さて、このテキスト第三章の7節では、悪魔のほかに「知識の樹」(tree of knowledge 知恵の木)も出てきます。

エデンの園の中央には、この知識の樹と一緒にもう一本、「生命の樹」(tree of life)が植わっていたといいます。

生命の樹はセフィロト(Sephiroth)の樹と呼ばれ、ユダヤ・カバラの曼荼羅と呼ばれます。

セフィロトは面白いので、まず基本的知識をウィキペディアから引用します。

ウィキペたん

「セフィロトの樹[編集]  生命の樹 Wikipedia
セフィロト

セフィロトの樹は、神秘思想のカバラにおいてさまざまな解釈がなされ、近代以降の西洋魔術、特に黄金の夜明け団などでは生命の樹をタロットカードと結びつけての研究が行われていたことでも有名である。10個のセフィラと22個の小径(パス)を体系化した図も同じく「生命の樹」と呼ばれる。現代ではセフィロトの樹は「生命の樹」と同じと解釈される(カバラ由来の樹はセフィロトの樹が正しく生命の樹と混同すべきではない等)。
アインとアイン・ソフとアイン・ソフ・オウル [Ain Soph Aur][編集]

• アインは無と訳され、0で表される。

• アイン・ソフは無限と訳され、00で表される。

• アイン・ソフ・オウルは無限光と訳され、000で表される。アイン・ソフ・アウルと表記されることもある。

• アインからアイン・ソフが生じ、アイン・ソフからアイン・ソフ・オウルが生じた。

10個のセフィラとダアト[編集]
右図の天頂の白丸のセフィラ(ケテル)から右下の灰色丸(コクマー)、左の黒丸(ビナー)、右下の青丸(ケセド)、左の赤丸(ゲブラー)、右下の黄丸(全体の中央でティフェレト)、右下の緑丸(ネツァク)、左の橙丸(ホド)、右下の紫丸(イェソド)を経て、いわゆる、ジグザグに進み、最終の虹色丸(マルクト)のセフィラへと至る。なお、第3から第4のセフィラの間に隠されたダアト(右図では点線丸)というセフィラがある。

ケテル(Kether、王冠と訳される)
第1のセフィラ。思考や創造を司る。数字は1、色は白、宝石はダイアモンドを象徴する。惑星は海王星を象徴し、王の横顔で表される。神名はエヘイエー。守護天使はメタトロン。同時に最後の剣として称されるマルクトと通じ合っている。

 コクマー(Cochma、知恵と訳される)
第2のセフィラ。数字は2、色は灰色、宝石はトルコ石を象徴する。惑星は天王星を象徴し、至高の父と呼ばれ、男性原理を象徴する。神名はヨッド。守護天使はラツィエル。

ビナー(Binah、理解と訳される)
第3のセフィラ。数字は3、色は黒、宝石は真珠、金属は鉛、惑星は土星を象徴する。至高の母と呼ばれ、女性原理を象徴する。成熟した女性で表される。神名はエロヒム。守護天使はザフキエル。

ケセド(Chesed、慈悲と訳される)
第4のセフィラ。ケセドはゲドゥラーとも呼ばれる。数字は4、色は青、金属は錫、図形は正四面体、宝石はサファイア、惑星は木星を象徴する。王座に座った王で表される。神名はエル。守護天使はザドキエル。

ゲブラー(Geburah、峻厳と訳される)
第5のセフィラ。数字は5、色は赤、図形は五角形、金属は鉄、宝石はルビー、惑星は火星を象徴する。天空の外科医と呼ばれることもある。神名はエロヒム・ギボール。守護天使はカマエル。

ティファレト(Tiphereth、美と訳される)
第6のセフィラ。生命の樹の中心に位置している。数字は6、色は黄、金属は金、惑星は太陽(太陽も惑星と見なす)を象徴する。神名はエロハ。守護天使はミカエル。

ネツァク(Netzach、勝利と訳される)
第7のセフィラ。数字は7、色は緑、金属は銅、宝石はエメラルド、惑星は金星を象徴する。全裸の女性で表される。神名はアドナイ・ツァバオト。守護天使はハニエル。

ホド(Hod、栄光と訳される)
第8のセフィラ。数字は8、色は橙色、金属は水銀、惑星は水星を象徴する。神名はエロヒム・ツァバオト。守護天使はラファエル。

イェソド(Yesod、基礎と訳される)
第9のセフィラ。アストラル界を表す。数字は9、色は紫、金属は銀、惑星は月(月も惑星と見なす)を象徴する。裸の男性で表される。神名はシャダイ・エル・カイ。守護天使はガブリエル。

マルクト(Malchut、王国と訳される)
第10のセフィラ。物質的世界を表す。数字は10、色はレモン色・オリーブ色・小豆色・黒の四色、宝石は水晶、惑星は地球を象徴する。王座に座った若い女性で表される。神名はアドナイ・メレク。守護天使はサンダルフォンとされるが、シェキナ(メタトロンと対をなす神の女性的顕現)であるとする意見もある。

ダアト(Daath、知識と訳される)
隠れたセフィラ。ダートと表記されることもある。惑星は天王星を象徴し、知識と訳される。他のセフィラとは次元が異なる。ダアトは生命の樹の深淵の上に存在する。隠された意味は悟り、気づき、神が普遍的な物に隠し賢い者は試練として見つけようとした「神の真意」という意味である。


22個の小径(パス)[編集]
右に記載しているのは、対応する大アルカナ。
• アレフ (ケテル → コクマー)愚者

• ベート (ケテル → ビナー)魔術師

• ギーメル (ケテル → ティファレト)女教皇

• ダレット (コクマー → ビナー)女帝

• ヘー (コクマー → ティファレト)皇帝

• ヴァヴ (コクマー → ケセド)教皇

• ザイン (ビナー → ティファレト)恋人
• ヘット (ビナー → ゲブラー)戦車

• テット (ケセド → ゲブラー)力

• ヨッド (ケセド → ティファレト)隠者

• カフ (ケセド → ネツァク)運命の輪

• ラメド (ゲブラー → ティファレト)正義

• メム (ゲブラー → ホド)吊るされた男

• ヌン (ティファレト → ネツァク)死神

• サメフ (ティファレト → イェソド)節制

• アイン (ティファレト → ホド)悪魔

• ペー (ネツァク → ホド)塔

• ツァディー (ネツァク → イェソド)星

• コフ (ネツァク → マルクト)月

• レーシュ (ホド → イェソド)太陽

• シン (ホド → マルクト)審判

• タヴ (イェソド → マルクト)世界


3つの柱[編集]
• ビナー、ゲブラー、ホドからなる左の柱は峻厳の柱と呼ばれる。

• コクマー、ケセド、ネツァクからなる右の柱は慈悲の柱と呼ばれる。

• ケテル、ティファレト、イェソド、マルクトからなる中央の柱は均衡の柱と呼ばれる。


3つ組[編集]
• ケテル、コクマー、ビナーからなる三角形は至高の三角形と呼ばれる。ロゴスの三角形と呼ばれることもある。

• ケセド、ゲブラー、ティファレトからなる三角形は倫理的三角形と呼ばれる。

• ネツァク、ホド、イェソドからなる三角形は星幽的三角形と呼ばれる。魔術的三角形と呼ばれることもある。」




四世界(アツィルト界 ・ブリアー界・イェツィラー界・アッシャー界)

アツィルト界(原型・流出界、神々の世界)
1ケテル-2コクマー-3ビナー の三角形で構成される 超越的神性の領域
(火) タロットのワンド・杖(トランプのクローバー)
この世界には、神に似せて創造された「アダム・カドモン」(Adam Kadmon 最初の人、神と一体となった神人)が存在します。アダム・カドモンは、知性、情緒、意志、すべての面で完全で欠けるもののない神に等しい無形の存在です。
 生命の樹は全体でアダム・カドモンの身体を表しているともされます。

このアツィルト界と次のブリアー界の間には、深淵(アビスabyss)が横たわっています。

ブリアー界(創造界、大天使の世界)
2コクマー-3ビナー-4ケセド-5ゲブラー-6ティファレト の五角形で構成される 霊性の領域
(風) タロットの剣(トランプのスペード)
 このレベルで、アダム・カドモンは無数の個性を持った魂に分裂します。

イェツラー界(形成界、天使の世界)
4ケセド-5ゲブラー-7ネツァク-8ホド-9イェソド の五角形で構成される 、魂の領域
(水) タロットの聖杯(トランプのハート)
 このレベルで、魂はさらに男性と女性に分かれます。

アッシャー界(現象界、人間の世界)
7ネツァク-8ホド-10マルクト の三角形で構成される 物質、人間活動の領域
(地) タロットのペンタクル・コイン(トランプのダイヤ)
 このレベルで、魂は肉体を纏い、物質世界での活動をします。


芸術作品の創作プロセスで言えば、アツィルト界は、純粋な創作意欲の段階、ブリアー界はイメージを着想する段階、イェツラー界は、創作活動の段階、アッシャー界は作品の完成の段階という感じです。


アイン、アイン・ソフ、アイン・ソフ・アウルからケテルを頂点として光の流出が始まり、光の溜まる池のような各セフィラの間の水路のようなパスを通って、ジグザグに流れ、観念の世界から現象の世界へと具体化します。

このジグザグの流れは、均衡の柱の頂点ケテルから慈悲の柱のコクマーが下に引っ張り、それを峻厳の柱のビナーが上昇させようと対抗して、水平に流れ、また下のレベルのケセドが下に・・・というように拮抗する力によって生じます。

ルシファー原理は天に向かって上昇するのに対し、アーリマン原理は地に向かって下降させる力でした(このジグザグについて、後に出てくる創世記に登場する蛇は上昇方向のジグザグ、回転する炎の剣は下降方向のジグザグを象徴します)。




カバラでは、人類の究極の目標は、マルクトから始まり、上に向かって、この生命の樹の22のパスを通ってセフィロトをジグザグに昇り、四世界を一つひとつ上昇していくことにより、肉体を越え、性別を越え、個性を越え、人間の本来の姿である神人「アダム=カドモン」 と同化し、神の顕現を完成させることだとします。


このセフィロトの樹はタロットの元となっています。

ちなみに、セフィロトの樹を上下逆さまにした「邪悪の樹」(クリフォトQliphoth)というのもあります。

コースが気をつけなさいという「魔術」臭がプンプンしはじめているかもしれませんが、続けます。




さて、隠れたセフィラとされるダアトが表すのは、「知識」(knowledge)です。

ダアトの位置は、身体でいえば、第三の目のアジーナ・チャクラのある額の位置に相当します。


このダアトは、2コクマーと3ビナーの間の早産の子とも言われ、通常、セフィラとしては数えられません。


しかし、本来、このダアトは、深淵(アビスabyss)に堕ちて隠れることなく、ひとつのセフィラとして機能していたし、機能すべきものだという考え方もあるようです。



そして、この知識を表すダアトが深淵に沈む墜落に関わったのが、ルシファーだったといいます。




ルシファーは熾天使(セラフィム)の最高位にあり、最も美しく神に次ぐ力を備え、生命の樹の階梯を登り詰めケテルに最も近づいた存在でした。

もっとも、ルシファーは、その傲慢さから神の地位を簒奪することを望んでいました。

そんなルシファーは、神が自らの似姿として創造したアダムとアダムから作り出したイブに仕えよと命ぜられます。

ルシファーからすれば、土から作られた意識を持ったゴーレム(泥人形)にすぎない存在にかしずくことに反発を禁じえませんでした。

このようなことからルシファーは神に対立し、反旗を翻し、天使たちの3分の1を引き連れて神に闘いを挑み、結果、天から堕ちます。

また、ルシファーは蛇に化けてイブを唆し、アダムとイブに善悪を知る木の禁断の果実を食べさせたということになっています。

アダムたちは、禁断の果実は、食べると死んでしまうので決して食べてはならないと神から告げられていますが、次に引用する創世記のやり取りでイブが誘惑に負け、続いてアダムも食べてしまいます。

アダムたちが禁断の木の実を食べたことを知った神は、アダムたちが生命の樹の実を食べないようエデンから追放したといいます。その理由は、禁断の木と生命の樹の両方の実を食べると神に等しい存在になってしまうからということです。

アダムの創造



(創世記 第二章)
「2:16主なる神はその人に命じて言われた、『あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。 2:17しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう』」。

(創世記 第三章)
「3:1さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。

へびは女に言った、『園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか』。

3:2女はへびに言った、『わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、 3:3ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました』。

3:4へびは女に言った、『あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 3:5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです』。

3:6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

3:7すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

3:8彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。

3:9主なる神は人に呼びかけて言われた、『あなたはどこにいるのか』。

3:10彼は答えた、『園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです』。

3:11神は言われた、『あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか』。

3:12人は答えた、『わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです』。

3:13そこで主なる神は女に言われた、『あなたは、なんということをしたのです』。女は答えた、『へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました』。

3:14主なる神はへびに言われた、
『おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。

おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。

3:15わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、
おまえのすえと女のすえとの間に。

彼はおまえのかしらを砕き、
おまえは彼のかかとを砕くであろう』。

3:16つぎに女に言われた、
『わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。
あなたは苦しんで子を産む。
それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう』。

3:17更に人に言われた、『あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。

3:18地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。

3:19あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。
あなたは、ちりだから、ちりに帰る』。

3:20さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。

3:21主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。

3:22主なる神は言われた、『見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない』。

3:23そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

3:24神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。」(口語訳 創世記


原罪


3:11からのやり取りは、原初の責任転嫁、罪悪感の投影で、非難と罪の意識の発生、その投影を非常にわかりやすく描写しています。



一般的には、ルシファーは神の座を奪おうとした悪い奴で、蛇に化けてイブを誘惑し人類を堕落させ、神の怒りを買い、呪われた存在にしてしまったということになっています。

しかし、是非のわからない子供に食べちゃダメよといいながらも、いつでも食べられる環境に置いておくのは、食べるように仕向けることであり、現に食べたのを見つけて咎めるというのは罠にかけるようなものです。

本当に食べさせる気がなければ、普通の親であれば、そもそもそのような環境に子供を置くことはありません。ましてや全知全能の神がそんなわかりきったことをするはずもありません。

そうなると、この展開は、神自身がすべてお見通しのうちに仕組んだ筋書きであるのか、もしくは、ここで出てくる神は至高の存在ではなく、無知蒙昧な偽りの神でしかないということになります。

前者は、ユダヤ教の考えで、神は人間に敢えて自由意志を与え、自分の許へと戻ってくるまでの旅に送り出したのだということになります。

後者の考え方はグノーシス主義です。

グノーシス主義では、プレーローマと呼ばれる天上界にいるアイオーンと呼ばれる神的存在たちの一柱の女神ソフィアが知られざる存在である父なる至高神プロパトール((原父)、ビュトス(深淵)とも呼ばれます)を知りたいという欲求に負けてプレーローマを離れた際に生じた分身アカモート(別名「コクマー」セフィラ2)がデミウルゴス(ヤルダバオート)という悪神を産み落としてしまい、このデミウルゴスこそが、イデア世界たるプレーローマの模造としての物質世界を作り出し、人間を創造した 創世記の神ヤハウェ(YHWH)だとします。

模造の世界は不完全で「神」の支配が及びきらず、悪がはびこりますが、「神」は自分の力不足を「悪魔」に投影して責任転嫁します。

このような偽りの悪神の支配する不完全な世界という観点で見ると、エデンの園は、本来、神と一体となることのできるアダム・カドモンの分霊たる人類を無知のままに幽閉し、本来の姿に回帰することを妨げる牢獄だったということになります。

そして、グノーシス主義の考え方には、イブに禁断の実を食べさせた蛇はソフィアであり、悪神によってエデンに封じこめられていた人を解放して救済したのだ、イエスも蛇に続いて、人類に「生命の実」を食べさせるために現れたのだというものもあります(イエスの「父なる神」はヤハウェ(=デミウルゴス)ではなく、至高神プロパトールということになります)。

グノーシスでは宇宙が反転しますので、神(デミウルゴス)は悪なので、デミウルゴスに付き従う番天使(アルコーン)たちは悪魔ということになります。

頭がこんがらがると思いますが、マトリックスで考えれば、わかりやすいです。

マトリックスでは、マトリックスの中の人たちにとっては、自分たちの世界を創造したアーキテクトは創造主、神ということになり、世界を維持するためにアーキテクトに奉仕するエージェントたちは、天使ということになります。

他方で、マトリックスを越えた真の世界から、マトリックスの中へと、人々を眠りから覚ますためにやってくるモ-フィアスたちは、世界を崩壊させる悪の存在で悪魔ということになります。

しかし、真実は、マトリックスが作り物の幻想世界であり、そこから人々を解放する存在であるネオは救世主ということになります。

そうなると、天使に見えていたエージェントたちは悪魔ということになり、悪魔に見えていたモーフィアスたちは天使ということになり、善悪がひっくり返ります。


ユダヤ教の考え方にせよ、グノーシスの考え方にせよ、私たちが目指すべきは、真の神の下への帰還を果たすことです。


コースは、禁断の実についてはいろいろ解釈できるが、神が子を自滅しかねない状況にあえて置くわけがなく、果実を食べることは禁じられてなどいなかった、この果実を食べることは、自己創造するための能力を神から奪い取ることを象徴的に表現したものだといいます。

これはコースが父性原理に関連して権威問題が生じうることについて詳述するところです。

つまり、神は、神の拡張である神の子に自らと同じ自由意志を与えるがゆえに、神の子は自分を子ではなく父なる神とみなすことで拡張をせき止めて投影することができてしまうという問題が原理的に生じ得、神がこの問題を解消しようと子の意志に介入することは子から自由意志を奪い、子を神と同じものではない卑小な存在へと貶めてしまうので、神には強引に子を正すことはできないということでした。

したがって、旧約のエデンの園で出てくる神が悪神デミウルゴスなのか、蛇が悪いのか、実は救い主なのかということは実はたいした問題ではなく、とにかく仕組み的に、神の子は一度は権威問題に直面する、放蕩息子は必ず出奔するのであり、大切なのは、子が父の下へと帰ってくることであり、そこに尽きるということです(T31-8 終着の冒頭のイェシュアの言葉、そして、T24-1 愛の代用としての特別性の冒頭のアイゥオーラおばさまの言葉を読んでいただければと思います。)。


善悪を知る木は、「知識」の木と呼ばれますが、この禁断の実は、善悪を知る、つまり、二元性を知覚するようになり、すべてを持ち、すべてである神の子が実在の対極としての実在の不在を知ることを表していますので、コースで言う「知識」を得る実ではなく、逆に知覚を生み出して善悪の観念を抱かせ真理を忘れて「知識」を失わせる毒のある実ということになります。

こうして、禁断の実を食べたことで、自分が誰なのかという知識が失われて「深淵」に隠れ、神の子はアイデンティティー障害に陥って、細胞分裂のようにアバターとなる副人格たちが増殖し、知覚によって罪の世界を放浪することになりました。


ここで、隠れたセフィラ、知識「ダアト」が重要な鍵となります。


与左衛門 (id:niyatsuku2)さんの「縄文の神聖幾何学 「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」に秘められた神聖幾何学の叡智を探る。」で、ゾムツールを使って生命の樹の立体化をするという天才的な試みに成功されています(ヲシテ文献から読み解く「生命の樹」の本当のかたち(その1))。

立体図形を成り立たせるための謎を解くカギが隠れたセフィラ、知識「ダアト」にあったということでした。


奇跡のコースは、「知識」を取り戻すことを目的に学習します(ただし、知識を覚えるのではなく、余計なガラクタを取り込んで知識を見失っているだけなので、障害の除去をするという学習棄却(unleaning)であることはいつも繰り返している通りです)。

奇跡のコースでは、用語法としては近いはずの「叡智」(wisdom セフィラでいえば、コクマー)とはせずに、あえて「知識」(knowledge)という言葉を用いていることは意味深ではないでしょうか。

コースでいう知識とは、私たちの本質が神の子であるという確信のことでした。

ルシファーの堕天(このとき、ルシファーが「額」に付けていた宝石が落ちたといいます)と神によるアダムの楽園追放によって、セフィロトから「知識」を表すダアトが消えるとともに、人類の分裂、増殖が始まったのであり、ここが分離幻想の起源です。

セフィロトで光は頂上のケテル→コクマー→ビナーといったふうにマルクトまで生命エネルギーがジグザグに流れていきます。

しかし、ビナーとケセドの中間にあるはずのダアトが消えてしまっているために、光の流れが本来ダアトのあるべきセフィラの位置に深淵ができて、深淵によって流れが止められて、ケセド以下への流れを微弱なものにしてしまうばかりか、ダアトが機能しないために、ルシファー原理とアーリマン原理を均衡させるキリスト原理の「均衡の柱」の力が十全なものではなくなってしまうために、求心力が弱く、振り子の揺れが大きいままで、ブリアー界以下の世界が歪んだものとなってしまい、各セフィラの持つ、本来の側面よりも裏の面が色濃く現れる二元性の世界に我々は住むことになっています。

こうしてダアトが隠れて均衡の柱のコントロールが効かなくなることで、ルシファー原理とアーリマン原理の二極を揺れる振り子が下降することで分離、展開し具体化したのがこの幻想世界です。

すなわち、善悪を知り、自分が神の子であるとの知識を失い、分離の幻想を知覚するようになったために、神の子は解離性同一性障害を来し、分裂した副人格であるアバター人の子が自分であると誤信し、生と死を繰り返しながら増殖し、今に至り、自らの真の姿など完全に忘れ去り想像もできないまま、分裂したひとかけらが自分自身だと信じています。

したがって、そこから分離を統合へと逆転させて、大本のアツィルト界へと舞い戻り次元上昇していくためには、二元性の知覚の幻惑から脱することが必要になります。

このためのツールが私たちアバターたちが特別な関係という舞台を活用して、赦しを実践し奇跡を起こすことで、本当の自分を思い出すことです。

本来、アツィルト、ブリアー、イェツラー、アッシャーの各界は、別々の場所に存在する世界ではなく、同じ場に重なり合って存在する世界だといいます。

万物が無数に分裂し葛藤する混沌そのものに見えるこの世界を、アーリマン原理とルシファー原理をキリスト原理でコントロールしながら、セフィロトを下から上にジグザグに昇っていくことで、深淵に到達するまでに、身体の束縛を脱し、エゴを超克して純粋の個別の魂へと純化します。

そこで、完全なる贖罪が完了し、修正された知覚は真の自分に関する知識へと移行し、深淵からダアトが再浮上します。


そして、ダアトの再浮上でセフィロトが完全に機能するようになれば、無数に分裂していたすべての分霊たちは一体化して神を宿す神殿となる神人アダム・カドモンが完成され、よみがえることになります。




サンシップ(みんなが一体となった神の子の姿)の概念は、なかかな理解するのが困難なものです。

それは、すでに多様にバラバラになってしまっている個別の心である私たち小さな自己の観点から眺めて、無数に分裂している全体を統合させなければならないというイメージを抱いてしまうからでもあります。

こんなにも広大で微生物から恒星まで隔絶した個性を持った多様な存在で溢れかえる宇宙が幻想だなんて、そして、何十億人もいる人類がひとつに統合されるなんて、どう考えたって不可能にしか思えません。

しかし、この果てしなく広がるように見える宇宙が実は、たったひとつの存在がルシファーとアーリマンの陰陽二極への分離というひとつの原理の適用によって展開し、ひたすら分裂を繰り返しているだけ、つまり、アツィルト界からブリアー界、イェツラー界、アッシャー界と、一なるものがレベルごとに個性を帯びて個別具体化し、最後には物質的な世界へと顕現しているだけの幻にすぎないという観点で見れば、単純に思えてこないでしょうか。

エメラルド・タブレットは「下なるものは上なるものの如し、上なるものは下なるものが如し、ゆえに、下なるものを上なるものへと還元する作業が、一なるものの真の姿を顕現する奇跡を成就する。

森羅万象はこの一者の思いによって、一なる原理を適応することによって、一者から生まれ出たのである。」と言います。

「2. The Holy Spirit, seeing where you are but knowing you are elsewhere, begins His lesson in simplicity with the fundamental teaching that truth is true.
 聖霊は、本当はあなたが別の場所にいることを知っているので、あなたがいるつもりの場所を見ながら、単純に真理は真理であるという基本的な教えからレッスンを始めます。

 This is the hardest lesson you will ever learn, and in the end the only one.
 これは、あなたがこれから学ぶ中でも最も難しいレッスンであり、最終的に学ぶただひとつのレッスンです。

 Simplicity is very difficult for twisted minds.
 捻じ曲がってしまった心にとっては、単純であることは非常に難解なのです。

 Consider all the distortions you have made of nothing; all the strange forms and feelings and actions and reactions that you have woven out of it.
 あなた自身が無から作り上げてきた歪曲の数々を考えてみるがよいでしょう。あなたは無から、どれだけ多様な奇妙な姿や感情、行動や反応をあれこれと紡ぎ出してきたことでしょうか。

 Nothing is so alien to you as the simple truth, and nothing are you less inclined to listen to.
 単純な真理ほどあなたにとって馴染みのないものはありません。そして、単純な真理ほどあなたが耳を傾けたがらないものはありません。

 The contrast between what is true and what is not is perfectly apparent, yet you do not see it.
 真実なるものと真実でないものとの明確な相違はまったく一目瞭然です。それにもかかわらず、あなたにはその違いがわからないのです。

 The simple and the obvious are not apparent to those who would make palaces and royal robes of nothing, believing they are kings with golden crowns because of them.
 無から宮殿や威厳ある衣服を作り出し、それらによって自らを黄金の冠を被った王であると信じこむような者にとっては、単純なことや一目瞭然のことすらも明白ではないのです。」(テキスト 第十四章 II. The Happy Learner 二 幸せな学習者)

いくら考えても解けないと思って投げ出そうとしていた複雑な式の因数分解の問題の解法のヒントを得たような感覚で、あとは淡々と計算をこなしていくだけのことで、不可能には見えなくなってはこないでしょうか。

この点については、世界の終焉が参考になると思います。



ゆにこーん_1225101759 (2) (1)

テキスト第三章 

VII. Creating versus the Self-Image
七 創造 対 自己像



1. Every system of thought must have a starting point.
 どのような思考システムにも、必ずその起点があります。

 It begins with either a making or a creating, a difference we have already discussed.
 どのような思考システムも、作り出すこと、または、創造すること、両者のいずれかから始まります。作り出すことと創造することの相違について私たちはすでに論じました。

 Their resemblance lies in their power as foundations.
 作り出すことと創造することの類似点は、それらが基盤となる力を持つ点にあります。

 Their difference lies in what rests upon them.
 作り出すことと創造することの相違点は、それらが基盤となってその上に何を支えるのかという点にあります。

 Both are cornerstones for systems of belief by which one lives.
 両方とも、人が生きる拠りどころとなる信念体系の土台となります。

 It is a mistake to believe that a thought system based on lies is weak.
 嘘偽りの上に築かれた思考システムだから脆弱なはずだと信じるのは間違いです。

 Nothing made by a child of God is without power.
 神の子供によって作り出されたもので力の無いものなど何ひとつないからです。

 It is essential to realize this, because otherwise you will be unable to escape from the prison you have made.
 このことをよく理解しておくことが絶対に欠かせません。さもないと、あなたは自分で作り出した牢獄から抜け出せなくなってしまうでしょう。



2. You cannot resolve the authority problem by depreciating the power of your mind.
 自分の心が持っている力を軽視することによっては、あなたに権威問題を解決することはできません。

 To do so is to deceive yourself, and this will hurt you because you really understand the strength of the mind.
 自分の心の力を見くびるのは、あなた自身を欺くことであり、この自己欺瞞はあなたを傷つけてしまいます。なぜなら、あなたは本当は心の強さをよく理解しているからです。

 You also realize that you cannot weaken it, any more than you can weaken God.
 あなたはまた、自分には神を弱めることができないのと同じように、自分の心の力を弱めることもできないと気づいています。

 The "devil" is a frightening concept because he seems to be extremely powerful and extremely active.
 「悪魔」は、このうえなく強力であり、きわめて活動的に思えるので、脅威を抱かせる概念です。

 He is perceived as a force in combat with God, battling Him for possession of His creations.
 悪魔は、神から神の創造物の支配権を奪おうと争って、神と戦う勢力であるとみなされています。

 The devil deceives by lies, and builds kingdoms in which everything is in direct opposition to God.
 悪魔は嘘偽りによって欺いて、あらゆるものが神に真っ向から対立する王国を築き上げます。

 Yet he attracts men rather than repels them, and they are willing to "sell" him their souls in return for gifts of no real worth.
 しかし、悪魔は、人々を寄せつけないどころか、人々を魅惑して惹きつけます。そうして、惹きつけられた人々は、何の値打ちもない贈り物と引き換えに、自らの魂を悪魔に喜んで「売り渡そう」とするのです。

 This makes absolutely no sense.
 こうしたことは、まったく道理に合わないとしか言いようがありません。

名称未設定

3. We have discussed the fall or separation before, but its meaning must be clearly understood.
 私たちは以前に、人類の堕落つまり分離について論じましたが、分離の意味を明確に理解しておく必要があります。

 The separation is a system of thought real enough in time, though not in eternity.
 分離は、時間の中では十分な現実味を持つ思考システムですが、永遠においてはとうてい現実たりえません。

 All beliefs are real to the believer.
 どのような信念も、それを信じる者にとっては現実となります。

 The fruit of only one tree was "forbidden" in the symbolic garden.
 象徴的なエデンの園では、あるひとつの樹だけからはその果実を取って食べることが「禁じられ」ていました。

 But God could not have forbidden it, or it could not have been eaten.
 しかし、神がその果実を食べることを禁じたはずがありません。もし神が禁じたとすれば、その果実を実際に食べることはできなかったはずだからです。

 If God knows His children, and I assure you that He does, would He have put them in a position where their own destruction was possible?
 神が自分の子供たちを知っているのは確かだと私が請け合っておきますが、もし神が自分の子供たちを知っているならば、神が自分の子供たちを、彼らが自滅してしまう余地のある境遇に置くようなことをしたでしょうか。

 The "forbidden tree" was named the "tree of knowledge. "
 「禁断の樹」は「知識の樹」と名づけられていました。

 Yet God created knowledge and gave it freely to His creations.
 けれども、神は知識を創造したうえで、知識を自らの創造物に何も禁制することなく与えたのです。

 The symbolism here has been given many interpretations, but you may be sure that any interpretation that sees either God or His creations as capable of destroying Their Own purpose is in error.
 この禁断の樹が象徴する意味についてはさまざまな解釈がなされてきました。しかし、神とその創造物のどちらかが、自分たちがともに抱く大いなる目的を破壊できるとみなすような解釈はどのようなものであれ誤りであることは、あなたにも確信できるはずです。



4. Eating of the fruit of the tree of knowledge is a symbolic expression for usurping the ability for self-creating.
 知識の樹に生っている果実を食べることは、自己を創造するための能力を神から奪い取ることを象徴的に表現したものです。

 This is the only sense in which God and His creations are not co-creators.
 これは、ただ自己を創造する能力に関してだけは、神とその創造物は共同創造者ではないことを意味します。

 The belief that they are is implicit in the "self-concept," or the tendency of the self to make an image of itself.
 自己を創造する能力に関しても神とその創造物が共同創造者であると信じることは、「自己概念」、すなわち、小さな自己がそれ自身のイメージを作りあげる傾向を持つことの中に暗に示されています。

 Images are perceived, not known.
 イメージとは知覚されるものであって、知られるものではありません。

 Knowledge cannot deceive, but perception can.
 知識が欺くことはありえませんが、知覚が欺くことはありえます。

 You can perceive yourself as self-creating, but you cannot do more than believe it.
 あなたは自分自身のことを、自己を創造する者として知覚することができます。しかし、あなたにできるのは、せいぜいそんな知覚を信じることくらいです。

 You cannot make it true.
 あなたには、自分は自己を創造する存在であるという信念を真実に変えることまではできません。

 And, as I said before, when you finally perceive correctly you can only be glad that you cannot.
 そして、私が前にも述べたように、あなたが最終的に正しく知覚したときには、あなたは、自分で自己を創造できないことを、ただただ喜ぶことしかできないはずです。

 Until then, however, the belief that you can is the foundation stone in your thought system, and all your defenses are used to attack ideas that might bring it to light.
 とはいえ、最終的に正しく知覚するまでは、自分には自己を創造することができるという信念があなたの思考システムの土台であり続けます。だから、あなたは、自らの防衛手段を総動員して、あなたが自己を創造できるという誤った考えを白日の下にさらすことになりかねない想念を攻撃するのです。

 You still believe you are an image of your own making.
 あなたはまだ、自分で作りあげた自己像が自分なのだと信じたままです。

 Your mind is split with the Holy Spirit on this point, and there is no resolution while you believe the one thing that is literally inconceivable.
 この点において、あなたの心は聖霊と分裂しています。そして、自分は自分で作りあげた自己像だという文字どおり想像を絶するひとつの見解をあなたが信じているかぎり、解決策はありません。

 That is why you cannot create and are filled with fear about what you make.
 これこそが、あなたには創造することができず、また、あなたが自分の作り出すものに対する恐怖心で満たされている理由です。

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5. The mind can make the belief in separation very real and very fearful, and this belief is the "devil. "
 心は、分離に関する信念を真に迫ったきわめて恐ろしいものに作りあげることができます。そして、この分離の信念こそが「悪魔」です。

 It is powerful, active, destructive and clearly in opposition to God, because it literally denies His Fatherhood.
 悪魔は強力で活動的で破壊的であり、そして、疑いなく神に対立しています。なぜなら、悪魔は、文字どおり神が万物の父であることを否認するからです。

 Look at your life and see what the devil has made.
 あなたの人生を振り返ってみて、悪魔が何を作りあげてきたか見てみるがよいでしょう。

 But realize that this making will surely dissolve in the light of truth, because its foundation is a lie.
 ただし、こうして悪魔が作りあげたものは、土台そのものが偽りなので、真理の光の中では確実に消え失せてしまうことを理解してください。

 Your creation by God is the only Foundation that cannot be shaken, because the light is in it.
 あなたが神によって創造されたことだけが揺るぎようのない唯一の真の土台です。なぜなら、その土台の中には光があるからです。

 Your starting point is truth, and you must return to your Beginning.
 あなたの出発点は真理です。そして、あなたは自分の大いなる原点へと回帰しなければなりません。

 Much has been seen since then, but nothing has really happened.
 そのとき以来、多くのことがあなたの目に映ってきました。しかし、実際には何も起こってなどいなかったのです。

 Your Self is still in peace, even though your mind is in conflict.
 たとえあなたの小さな心が葛藤の中にあるとしても、あなたの大いなる自己は今なお平安のうちに留まっています。

 You have not yet gone back far enough, and that is why you become so fearful.
 あなたは、自分の歩んできた道のりをまだ十分な距離まであと戻りしたとはいえません。そのために、あなたはそんなにもひどく恐れてしまうのです。

 As you approach the Beginning, you feel the fear of the destruction of your thought system upon you as if it were the fear of death.
 あなたが大いなる原点に近づくにつれて、あなたは、まるでそれが死の恐怖であるかのように、自分の思考システムが崩壊してしまう恐怖を感じます。

 There is no death, but there is a belief in death.
 死は存在しませんが、死に対する信念が存在するのは確かだからです。



6. The branch that bears no fruit will be cut off and will wither away.
 実を結ばない枝は切り取られ、そして、枯れ果てるでしょう。

 Be glad!
 喜びなさい。

 The light will shine from the true Foundation of life, and your own thought system will stand corrected.
 生命の真の大いなる土台から光が輝き出して、あなたが持つ思考システムは修正されることになります。

 It cannot stand otherwise.
 そうでなければ、あなたの思考システムは持ちこたえられないはずです。

 You who fear salvation are choosing death.
 救いを恐れるなら、あなたは死を選んでいるのです。

 Life and death, light and darkness, knowledge and perception, are irreconcilable.
 生と死、光と闇、知識と知覚はいずれも相容れないものです。

 To believe that they can be reconciled is to believe that God and His Son can not.
 それらが和解しうると信じることは、神と子が和解できないと信じることです。

 Only the oneness of knowledge is free of conflict.
 ただ知識の一体性だけが完全に葛藤から免れています。

 Your Kingdom is not of this world because it was given you from beyond this world.
 あなたの王国はこの世界に属するものではありません。なぜなら、あなたの王国はこの世界を超えたところからあなたに授けられたものだからです。

 Only in this world is the idea of an authority problem meaningful.
 権威問題という概念が意味を持つとしても、それはただ、この世界の中においてのみです。

 The world is not left by death but by truth, and truth can be known by all those for whom the Kingdom was created, and for whom it waits.
 この世界は、死によって去るのではなく、真理によって去るのです。そして、彼のために王国が創造され、王国がその到来を待ち望んでいる者であれば誰でも、その真理を知ることができるのです。


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 松山 健 Matsuyama Ken
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コメント2件

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kaz  

まるでそれが死の恐怖であるかのように、自分の思考システムが崩壊してしまう恐怖を感じます。

→ありました。自分が消えてしまうかのような巨大な恐怖が。その時は何か何だか分からず恐ろしかったですが、きっとこの事であったと信じてます。
その後、このサイトに出会って、改めて理解と、感覚が一歩一歩進んでいる感じで、救われております。
時々来る、この恐怖のコントロールにまだ苦戦してますが。

2023年01月24日 (火) 06:57
 松山 健 Matsuyama Ken

 松山 健 Matsuyama Ken  

Re: タイトルなし

kazさん
コメントいただき、ありがとうございます。

コースはエゴという思考システムを解体するアンラーンの学びなので、エゴからすれば、コースを学ぶことは自分が消えてしまうことだという死の恐怖になります。


だから、エゴが真に恐れるのは、救われることであり、愛である神ということになります。

テキスト第十三章 III. The Fear of Redemption三 救済への恐れ
https://thereisnospoon.jp/blog-entry-731.html


M27 死とは何か(神は、愛の神なのか死神なのか)https://thereisnospoon.jp/blog-entry-42.html

テキスト第十九章の平安への障害の各節 https://thereisnospoon.jp/blog-category-62.html
も参考になると思います。


恐怖のコントロールは、イェシュアに変わって引き取ってはもらえず、私たちが自らコントロールできるようにならなければならない課題ですT2-6 恐れと葛藤https://thereisnospoon.jp/blog-entry-684.html

このサイトでは、自分のことを実在しない物語のキャラクターとして位置づける観点を述べていますが、この観点は、アバターへの肩入れの度合いを低める効果があると思います。

そして、自分というアバターの人生というコンテンツをあの世で無数の魂たちがライブ配信を視聴するように見ているという観点も役に立つと思います。S1-4 他者とともに祈るhttps://thereisnospoon.jp/blog-entry-806.html


「Yet any attempt to resolve the error through attempting the mastery of fear is useless.
 しかし、恐れはコントロールできないと信じこむ誤りを、恐れを力で支配しようと試みることを通じて解消しようとするなら、それがいかなる試みであれ、何の役にも立ちません。

 In fact, it asserts the power of fear by the very assumption that it need be mastered.
 それどころか、まさに恐れを力で支配しなければならないと決めてかかること自体が、恐れに力があることを擁護することになってしまいます。

 The true resolution rests entirely on mastery through love.
 恐れを真に克服することは、愛を通じての完全な理解に全面的にかかっています。」T2-6 恐れと葛藤https://thereisnospoon.jp/blog-entry-684.html、4.
の言うように、恐れのコントロールは、力での支配ではなく愛で受け入れる統御です。
コースを学ぶと、どうしてもエゴを悪者として排除したくなってしまうものですが、この発想はかえって狭量な思考となり、自他分離を強めてしまいがちです。
むしろエゴを敵視して抑え込もうとするのではなく、エゴを応援者と位置づけて受け入れて光を当てて輝かせるという観点が、コースを学ぶ私たちには必要かもしれません。

今後ともよろしくお願いします。

2023年01月24日 (火) 09:58
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ワークブック・パート② (159)
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マニュアル (42)
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心理療法 (13)
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用語解説 (8)
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