レッスン68「愛は一切の不平不満を抱かない」
Fate leads the willing and drags along the unwilling.
運命は、喜んで受け入れる者を導き、受け入れるのを渋る者を引きずってゆく。

Lucius Annaeus Seneca
ルキウス・アンナエウス・セネカ
私は人々の不満を聞くと嬉しくなって興奮する。人々の不満は私にとってのチャンスだから。

ジャック・マー(馬雲 Jack Ma アリババグループ創業者)
世の中は、不平不満の数を数えるのが上手な人ばかり。目が見える、耳が聞こえる。幸せの数を数えてみれば、どんなに自分が幸せか分かります。

美輪明宏

レッスン68です。
今日のテーマは「愛は一切の不平不満を抱かない」です。
すべてを持ちすべてである存在には不満を抱くことはできない
分裂している私たち個別の心にとってはすべてが不満です。
不平不満を抱くことが、私たちに本当の自分を忘れたままにさせていることに気づき、不平不満を去らせるようにするのが今日のレッスンです。
愛によって創造された神のひとり子はすべてでありすべてを持つ存在であるがゆえに、完全で欠けるところなく、満ち足りていて、不平不満を抱きようがありません。
しかし、この本来、不平不満を抱きようのない神の子が分離幻想という狂気に陥ることによって、自分を無数に断片化し、エゴ・身体というアバターが自分であると偽りのアイデンティティーを抱いて自らこの幻想世界に囚われています。
私たちの自己像は不平不満生産システム
私たちは、自分が楽に歩く邪魔になるなら、植物や虫を踏み潰してもまったく気にすることすらありません。動物でも同じように扱ってしまえる人も多くいます。
人間でも、赤の他人であれば、積極的に自分に害を加えてこなくても、ただ顔や雰囲気が気に入らないというだけで、平気で非難したり見捨てたりできてしまいます。
情をかけている友人・知人・家族であれば、多少迷惑をかけられても、世話を焼いてあげられます。
自分の愛児ともなれば、自分に対して怒って攻撃してきても受け流して愛情を注ぐことができます。
自分の体となれば、隣で見知らぬ誰かが死にかけていても、自分の小指の傷のほうを心配します。
エゴ・身体というアバターへの同一化を踏まえれば、このように感じることはきわめて自然なことですし、この世界でよりよくアバターを維持するためには、必要なことでもあります。
偽善的な博愛主義に堕してしまわないように
コースのサンシップについての捉え方次第では、みんなが一体となったものが神の子なのだから、万人を自分とみなさなければならないと考えて、他者よりも自分を優先するのは間違っていると発想して、自分や身近な人を犠牲にしてでも、困っている見知らぬ人を助けなければ、と自分と他者を区別しない博愛主義者として振る舞おうとする人もいるでしょう。
けれども、人として健康に生きているかぎり、自分のアバターと他のアバターとの区別がつくのがむしろ健全な個人意識であり、本気で自分と他者との重要性の区別がつかない状態にあるとすれば、それは、究極の自己欺瞞状態か、精神疾患のひとつである現実感消失症等の何らかの病んだ状態に陥っているということです。
イェシュアにとっては万物を愛するのは人が自分の手足を愛するのと同じ当たり前のこと
それでも、イェシュアをはじめとする聖者たちが博愛主義的な発想、行動を当たり前のこととしてとっていたというのもまた紛れもない事実です。
イェシュアは病気や狂気だったのでしょうか?

この世界の評価で言えば、イェシュアはマトリクスで言うアノマリーであり、当然、病気で狂気の極致のような存在ということになります。
たしかに、現実感消失症の患者に劣らないどころか、それ以上徹底的に、イェシュアには自他の区別は存在しませんでした。
ただし、イェシュアの自他一体感は、世界についての真理、自己についての真理に裏打ちされた究極の正確な現実認識に基づく世界評価=自己評価であり、病、歪曲、誤りとは正反対の真の正気、健康、公正、正確さを表すものです。
すなわち、はたらく細胞で言えば、イェシュアは、自分が出会う赤血球や血管壁、緒臓器といった自分を取り巻く世界が構成する人体を持つ魂が自分たちの本質であると気づいた1白血球細胞のような存在だったのであり、魂にとっては、自分の持つ人体内を覗く覗き窓、カプセル内視鏡のような位置づけになります。
この1白血球細胞からすれば、人体内の他の細胞たちは、一様に、同じひとつの魂を平等に分かち合って宿す尊い存在です。
しかし、他の細胞たちが感染症によって、自分たちがばらばらの生命を個別に持ち、利害もばらばらで競争する敵同士であると唱導する思想に染まって感染が拡大しはじめている局面では、1白血球細胞にとっては、自分と同じような真実を知る細胞たちが力を合わせて、感染の蔓延を食い止めることが使命となります。
幻想の生き物として、まずはアバターとしての自他の区別と尊重ができるよう自我の成熟を目指す
自分のアバターと他のアバターの区別がつかなくなることには、自分のアバターが白血球なのか赤血球なのか判別もつかない状態であり、自分の持って生まれた才能を発揮して使命を果たすこともままなりません。
このような幻想世界内での自分の立ち位置を見失わないためにも、アバターとしての自他の区別をつける感覚を失うわけにはいきません。
ただし、それはあくまでも使命を果たすために道具としてアバターを活用するためであって、自分の本質はアバターではなく、人体にとっての魂、この世界の人間にとっての神の子であるというアイデンティティー感覚は、とことん徹底して正しいものであらねばなりません。
それは、マトリックスでエージェント・スミスがマトリックス内の住人の誰にでも憑依できたのと同じくらい、神の使者としての役目を果たすためのアバターとして代わりになるアバターはいくらでもいるという冷徹な事実を、むしろ福音として受け入れられるくらいの境地であるべきでしょう。
つまり、イェシュアその人はたしかに素晴らしい私たちにとっての模範となる存在で私たちにとって敬愛すべき偉大な兄であることは紛れもない事実であるとしても、かつて地上を歩いた人としてのイェシュアを神格化するのではなく、むしろ身近な兄のような近しさを持つ存在で、万人がイェシュアと同じようにキリストとしての本質を顕現しうると捉えるくらいでなければ、アバターの中でも真理へのアクセス能力や価値に上下の序列が存在すると捉えていることになります。
自分を受け入れ、自分の身近な大切な人たちを愛する
とても入り組んだ説明で混乱してしまうと思いますが、端的に言えば、表面的に博愛精神を実践するのは、浅薄な自己欺瞞で悪平等を実践する偽善に堕するリスクしかなく、人体に置き換えれば、がん細胞になるのと変わりがない、むしろ、万人が兄弟で本質が神の子として自分自身であるという真理をとことん認識するならば、偽善的な博愛主義や悪平等に堕することなく、健全な自他の区別を弁えて適材適所で活用することができ、個としての自分を、大いなる自己が思うがままに操作できる筆先として使ってもらえるようにして、各自のなすべきことをなし、自他の内なる聖霊の声が響きあうようになれるということです。
頭でっかちに人類愛や世界の幻想性を語るエゴの尊大さに負けて酔わされるよりも、マザー・テレサが勧めてくれるように、自分にとって最愛の人たちへの小さなことに大きな愛を込める実践をして生きることがまず何よりもなすべきことなのでしょう。
そうすれば、満たされることで溢れ出す愛は、放っておいても、その及ぶ輪を広げて行こうとするでしょう。

自分自身にたっぷりの同情を持ってください。小さな一歩から進みます。自分自身の思考と感情を癒すことから始めます。あなたが自分の批判的な考えや分離の感情を癒すたびに、宇宙の中のすべての心とハートがそれを感じます。あなたのヒーリングはあなただけではなく、全存在に及ぶのです。
あなたが平和になれば、世界の平和はすでに内在するものとなります。あなたに他人に対する責任があるとしたら、このことだけです。つまりあなたが自分のハートに平和をもたらすことです。
そんなアドバイスは利己的で無責任だと考える人がいるかもしれません。そういう人は、幸福を見出すためには世界を救わねわならぬと信じています。その受け止め方は間違っています。自分がまず幸福を見出さないかぎり、世界は救われません。
理解し難いかもしれませんが、これが真実です。今あなたが幸福でないなら、あなたは決して幸福を見出せません。ですから、もし今自分が幸福でないとしたら、未来に幸福を探そうとするのをやめ、自分の注意を現在の瞬間に向けてください。そこにこそ、あなたの幸福があるのですから。
イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)

Workbook Lesson 68
Love holds no grievances.
愛は一切の不平不満を抱かない。
Love holds no grievances.
愛は一切の不平不満を抱かない。
1. You who were created by love like itself can hold no grievances and know your Self.
愛によって愛と同じものとして創造されたがゆえに、あなたは、少しでも不平不満を抱くなら、自分の真の自己を知ることはできません。
To hold a grievance is to forget who you are.
不平不満を抱くことは自分が誰なのか忘れることだからです。
To hold a grievance is to see yourself as a body.
不平不満を抱くことは、自分自身を身体として見ることだからです。
To hold a grievance is to let the ego rule your mind and to condemn the body to death.
不平不満を抱くことは、エゴが自分の心を支配することを許して、身体を死に追いやることだからです。
Perhaps you do not yet fully realize just what holding grievances does to your mind.
たぶんあなたは、不平不満を抱くことが自分の心にどんな影響を及ぼすのか、まだ完全には理解していないはずです。
It seems to split you off from your Source and make you unlike Him.
不平不満を抱くことは、あなたを自らの大いなる源から切り離し、あなたを自らの源である神とは似ても似つかぬ代物に変えてしまうように見えます。
It makes you believe that He is like what you think you have become, for no one can conceive of his Creator as unlike himself.
不平不満を抱くことで、あなたは、自分が成り果てたとあなたが思っているものと神は同じようなものだと信じるようになります。というのも、自分の創造主のことを自分自身と似ても似つかぬ存在として想像することは、誰にもできないからです。
2. Shut off from your Self, which remains aware of Its likeness to Its Creator, your Self seems to sleep, while the part of your mind that weaves illusions in its sleep appears to be awake.
あなたの大いなる自己は自らの創造主と自分が同じであることを自覚し続けているのですが、あなたの心の一部分がこの大いなる自己から遮断されると、あなたの大いなる自己は眠りこんで、その眠りの中で幻を紡ぐあなたの心の一部分のほうが目を覚ましているように思えるようになります。
Can all this arise from holding grievances?
本当に不平不満を抱くことによって、このようなことすべてが生じうるというのでしょうか。
Oh, yes!
もちろん、その通りです。
For he who holds grievances denies he was created by love, and his Creator has become fearful to him in his dream of hate.
なぜなら、不平不満を抱くその人は、自分が愛によって創造されたことを否認するので、彼の見る憎しみの夢の中では、彼の創造主は彼にとって恐ろしい存在となってしまっているからです。
Who can dream of hatred and not fear God?
誰が憎しみの夢を見ながら、神を恐れずにいられるでしょうか。
3. It is as sure that those who hold grievances will redefine God in their own image, as it is certain that God created them like Himself, and defined them as part of Him.
不平不満を抱く者たちが、神を自分自身の姿に似せて定義し直そうとするのは間違いありません。それは、神が彼らを神自らに似せて創造し、彼らを神の一部として定義したのと同じくらい確かなことです。
It is as sure that those who hold grievances will suffer guilt, as it is certain that those who forgive will find peace.
不平不満を抱く者が罪悪感に悩み苦しむのは間違いありません。それは、赦す者が平安を見出すのと同じくらい確かなことです。
It is as sure that those who hold grievances will forget who they are, as it is certain that those who forgive will remember.
不平不満を抱く者たちが自分が誰なのか忘れてしまうのは間違いありません。それと同じくらい確実に、赦す者たちは自分が誰なのか思い出すことでしょう。
4. Would you not be willing to relinquish your grievances if you believed all this were so?
もしこれらが本当にその通りだと信じられたとしたら、あなたは喜んで自分の不平不満を手放す気になるのではないでしょうか。
Perhaps you do not think you can let your grievances go.
おそらくあなたは、自分には自らが抱く不平不満を去らせることなどとてもできないと思っているかもしれません。
That, however, is simply a matter of motivation.
しかしながら、それは単純にやる気の問題でしかありません。
Today we will try to find out how you would feel without them.
今日、私たちは、不平不満を持たなければ、自分がどのように感じるか見極める試みをします。
If you succeed even by ever so little, there will never be a problem in motivation ever again.
もしあなたが、これまでよりほんのわずかでも成功したら、もう二度と意欲の面で問題が生じることはなくなるでしょう。
5. Begin today's extended practice period by searching your mind for those against whom you hold what you regard as major grievances.
今日の長いほうの実習時間は、自分の心の中で、自分が最も大きな不平や不満を抱いていると考えている人物を探すことから始めてください。
Some of these will be quite easy to find.
このような不平不満なら、実に簡単にいくらでも見つけられるはずです。
Then think of the seemingly minor grievances you hold against those you like and even think you love.
それから、あなたの好きな人や愛していると思ってすらいる人たちに対して、あなたが抱いている表面的には些細に見える不平不満について考えてみてください。
It will quickly become apparent that there is no one against whom you do not cherish grievances of some sort.
すぐに、自分が何かしらの不平不満を抱いていない人物など、ひとりもいないことがはっきりするはずです。
This has left you alone in all the universe in your perception of yourself.
あなたが誰に対しても不平不満を抱くことが、あなたに自分自身のことを、全宇宙の中でひとりきりの孤独な存在だと思わせてきたのです。
6. Determine now to see all these people as friends.
今こそ、これらの人物たち全員を友人として見ることに決めてください。
Say to them all, thinking of each one in turn as you do so:
一人ひとりのことを順に思い浮かべながら、次のように全員に告げてください。
I would see you as my friend, that I may remember you are part of me and come to know myself.
私はあなたのことを友として見たいと思います。そうすれば、私は、あなたが自分の一部であることを思い出して、自分自身のこともわかってくるはずです。
Spend the remainder of the practice period trying to think of yourself as completely at peace with everyone and everything, safe in a world that protects you and loves you, and that you love in return.
残りの実習時間は、あなたのことを愛して守ってくれて、あなたもそれに応えて愛する世界の中で安全に、自分自身がすべての人たちやすべての物事とともに完全に平安な状態にあるものとして考えるようにして過ごしてください。
Try to feel safety surrounding you, hovering over you and holding you up.
安全が自分の周りを取り囲んで、あなたを覆い、支えてくれているのを感じるようにしてください。
Try to believe, however briefly, that nothing can harm you in any way.
たとえ短い時間でもかまわないので、いかなる方法をもってしても、何ものも自分を傷つけることなどできないと信じるようにしてみてください。
At the end of the practice period tell yourself:
実習時間の終わりには、次のように自分に言い聞かせてください。
Love holds no grievances.
愛は一切の不平不満を抱かない。
When I let all my grievances go I will know I am perfectly safe.
私が自分の不平不満のすべてを去らせたとき、私は自分が完全に安全だと知るだろう。
7. The short practice periods should include a quick application of today's idea in this form, whenever any thought of grievance arises against anyone, physically present or not:
短いほうの実習では、物理的にその人物が目の前にいようがいまいが、誰かに対して何らかの不平不満の思いが生じるたびに、すぐに今日の考えを次のような形で適用するようにしてください。
Love holds no grievances.
愛は一切の不平不満を抱かない。
Let me not betray my Self.
私が自分の真の自己を裏切ることがありませんように。
In addition, repeat the idea several times an hour in this form:
これに加えて、1時間に数回、次のような形で今日の考えを繰り返してください。
Love holds no grievances.
愛は一切の不平不満を抱かない。
I would wake to my Self by laying all my grievances aside and wakening in Him.
私は、自分の不平不満をすべて手放すことによって自分の真の自己に目覚め、神の中へと目覚めるのだ。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。
