マトリックス There is no spoon


I regard the brain as a computer which will stop working when its components fail.
私は脳をコンピューターのようなものだと思っている。それは、部品が壊れれば動作しなくなる。

There is no heaven or afterlife for broken down computers; that is a fairy story.
壊れたコンピューターにとっては、天国も来世もない。それはおとぎ話だ。

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Stephen William Hawking
スティーヴン・ホーキング



You have to let it all go, Neo - fear, doubt, and disbelief. Free your mind!
ネオ、君はすべてを手放さなければならない。恐れや疑問、信じようとしない思いを捨て去って、自分の心を解き放つんだ。

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Morpheus
モーフィアス




There Is No Spoon

ブログタイトル「There Is No Spoon」は、映画を観る人であればみんな知っている「マトリックス」の中でのセリフです。

マトリックスには、この世界が幻想であるという現実を認識するヒントが散りばめられていますので、奇跡のコース学習者には必見の教材です。

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第2作(リローデッド)、第3作(レヴォリューションズ)は映画としての出来はいまひとつなのは否めません。しかし、グノーシス主義的な思想やコンピュータに関する知識を元に掘り下げると、込められている含意がどんどん分かってくる何度観ても新しい発見のある面白さがありますし、ひとつの心がエゴから大いなる自己へと飛翔してゆく過程をうまく示しており、非常に有益なので、第1作だけではなく、トリロジー全3作を見ることをお勧めします。「アニマトリックス」もお勧めです。
今回は第1作についてです。



あらすじ

ス


第1作は、この世界のことを作り物のように感じて導師を探す主人公ネオの前に、トリニティが現れ、ネオは、導師モーフィアスの許へと案内されます。
モーフィアスの導きで、ネオは、人類が機械の電源として栽培されている世界が現実であり、マトリックスは、実際の(未来)世界でロボットたちの電源となるべく栽培されている電池である人間たちがおとなしく眠りこけてくれるための仮想の世界であることを知ります。

他方、現実の世界には、電池として栽培されることを免れた人たちの住むザイオンという街があり、モーフィアスたちはマトリックスから目覚めてプラグを外されたあと、ザイオンに合流し、マトリックス内のオラクル(預言者)から、マトリックスの中にいると告げられた救世主を探すためにマトリックスに侵入しては探索活動をしています。

マトリックスは、エージェントと呼ばれる管理プログラムによって、支配され、マトリックス内に生じた変異はエージェントによって管理されています。エージェントには、マトリックス内のすべてのプログラムに自己を強制上書きする能力があり(つまり、世界中の誰にでもなれるし、憑依した人間が死んでもエージェント自体は死なない)、モーフィアスらのマトリックス外部からの侵入等を察知すると、その異分子の近くにいるマトリックス内住民に憑依し、世界の物理法則の制約内ではあるものの素手でコンクリートブロックを打ち砕くほどの強力な戦闘能力で駆逐します。なので、エージェントに出会ったら逃げろというのが鉄則とされます。


モーフィアスは、ネオこそ預言されていた救世主であると信じて、マトリックスに侵入し、オラクルの許にネオを連れて行きます。そこで、ネオは他の救世主候補たちと顔を合わせ、その中にいたスプーン曲げ少年と会話を交わします。
〔Spoon boy〕Do not try and bend the spoon. That's impossible. Instead... only try to realize the truth.
〔Neo〕 What truth?
〔Spoon boy〕 There is no spoon.
〔Neo〕There is no spoon?
〔Spoon boy〕Then you'll see, that it is not the spoon that bends, it is only yourself.



この言葉に感ずるところのあったネオ自身、一瞬、スプーンを曲げることができます。

オラクルからは、「汝自身を知れ」との言葉を知らされ、来世はともかくネオが今生で救世主となることはないと告げられます。

マトリックス潜入時に、仲間のひとり、サイファーの裏切りによってネオたちはエージェントの襲撃を受けます。ネオが救世主と信じて命がけでネオを守ろうとエージェントに戦いを挑むモーフィアスはエージェントに捕えられてしまいます。

ネオはトリニティとともに、モーフィアスを救出するために、マトリックスに再び侵入し、エージェントと戦う中で、この世界が幻想であること、そうであるなら、世界の法則に縛られているエージェントよりも自分が強くなれることを実感していきます。

首尾よく救出に成功し、モーフィアスとトリニティを脱出させたところで、ネオは、エージェント・スミスと戦わざるを得ない羽目になります。





スミスを倒し、脱出先の電話機のある部屋に向かうネオですが、ドアを開けた瞬間、その部屋で待ち構えていたスミスの銃弾を何発も受けて、息を引き取ります。

オラクルから自分の愛する人こそ救世主であるとの預言を受けていたトリニティは、ネオの死を受け入れず、ネオにキスをし、それによってネオは息を吹き返します。

一度死んで復活したネオの目には、肉眼で見えていた世界ではなく、コードが流れているのが見えます。覚醒したネオには、もはやエージェント・スミスの必死の攻撃すら児戯に等しく、面倒くさげなほどの余裕で受け流し、はり倒したエージェント・スミスの中に飛び込みます。

スミスはネオの光によってばらばらのかけらになって散らばり、ネオはスミスの強さを自分の中に取り込んだような表情を見せます。

世界のみんなに真実を告げると電話口に語り終えたネオが空に飛び立って第1作はエンドです。



ネオの覚醒のプロセス

第1作は、ネオの探求から覚醒に至るプロセスを描いています。
十牛図さながらのステップを経て、ネオの目覚めは進みます。

モーフィアスからの教示で、マトリックスが幻想世界にすぎないと頭ではわかっているはずなのに、初めのころのネオは、ジャンププログラムの中でビルとビルの間を飛ぼうとしても、失敗して墜落してしまいます。

世界が幻想であるとの情報を得ていることと、それを確信することとは違うことが示されています。
モーフィアスの

There is a difference between knowing the path and walking the path.
           
「道を知っていることと、実際にその道を歩むことは、別物だ。」という言葉が印象的です。

奇跡のコースの概念に置き換えるなら、「道」は「真理・知識」であり、「知る」は「知覚する」「実際に道を歩む」は「知覚を修正する」ということになるでしょうか。

この世界が幻想であることが真理であるとしても、それを単に情報として知覚しているのと、実際の体験から確信しているのとは違います。

モーフィアスは、きわめて強力ではあっても、あくまでも力の強さやスピードがマトリックス内の物理法則に基礎を置いて、それに縛られているエージェントよりも、ネオは強くなることができる、したがって、ネオが真に覚醒したなら、エージェントの弾丸を避ける必要すらないと告げます。

ネオは、はじめのころは、難易度に程度差があるように感じていた、マトリックス内でのモーフィアスたちがビルの間を飛び越えたり、エージェントが弾丸を避けたりする奇跡のように見える現象について、トレーニングプログラムや実戦の中で、奇跡のように見える現象には実は難易度の序列や程度はないのだとの気づきを深めて、知覚を徐々に修正していきます。


アンラーンの学び

もっとも、この知覚の修正作業は、カンフーのスキル等のように、データをインストールして身につけることのできないものでした。外部から取り込むのではなく、逆に、それまでマトリックス内での洗脳で心に常識としてこびりついてしまった固定観念を一つひとつ打ち壊して、心を初期化し、真実を受け容れる余地を作っていく作業です。

奇跡のコースも、知覚の修正により正しい心の状態を獲得することを主眼にしており、知識を覚え込むことを目的にはしていません。
知覚がとことん修正されて、知識に接近したら、知識の方から、わずかなギャップを乗り越えて流れ込んできてくれるといいます。
コースは、このことを最後の一歩は神が取ってくれるという言葉でよく表現しています。

ネオは決してモーフィアスやオラクルの言葉を覚えこむことによって覚醒したのではありませんでした。


道を歩むこと

コースも、そこに書かれたことを覚えこんで墨守することなど求めていません。
テキストだけでなく、ワークブックを用意していることこそ、その証です。
そして、「教えることで学ぶことになるのだ」と繰り返し、教師のためのマニュアルを用意しているのです。奇跡のコースは、「道を歩む」ことを求めているんだと思います。

そして、この「歩み」は、別に山に篭って山伏のように修行するのではなく、市井の中で、普通の日常生活を送ることにこそ見出せるのだと思います。


コースはモーフィアスのような存在

さて、マトリックスでは、物語の冒頭、主人公ネオは、この世界が幻想「マトリックス」であるとの理解に導く存在であるモーフィアスを探します。

奇跡のコースは、私たちにとってモーフィアスのような存在です。

マトリックスの中にいる大多数の人たちと同じように、この世界でも、多くの人たちは、ACIMの存在すら知ることなく、生きていきます。

中には精神世界に関心を持って渉猟しても、引き寄せや自己実現といった個人的な現世利益とつながる方面にばかりおびき寄せられてしまい、どうしてもACIMに出会うことができない人もいます。

中には、運よくACIMに出会うことができる人もいます。

とくに、今は、翻訳書も多数出て、本屋さんでも目にする機会が増えているし、数多くのスピリチュアル系の書籍で引用されている本であるために、関心を持って読む人も多いでしょう。

もっとも、簡単にACIMを手にすることはできても、少し読んで宗教臭に嫌悪感を持って手放し二度と縁を持つことのない人もいれば、一時は積極的にカリキュラムに取り組んだものの、幻想に引き戻されて、途中でやめる人もいます。


知らぬが仏 ~サイファーは舞台裏を見てしまった観客と同じで記憶を消去されても劇を楽しむことはできない

中には、この世界が幻想だという情報を得て理解を深めながら、マトリックスのサイファーのように、敢えてその夢の世界を味わっていたほうがましだという動機で、舞い戻る人もいるでしょう。

ACIMを学ぶことは、この世界の成り立ちや個々のエゴの働きを解体して理解する面もあるので、学習で得た認識を用いれば、個人的な現世利益を獲得する上でも有益であることは確かでしょう。

しかし、これには、もったいないというだけでなく、その個人だけでなく全体にとっても損であるといえると思います。

個別のエゴが渡り歩くのは、分離した自分と他者がいる夢の世界でしかありません。そして、その夢の世界は闇でできていて、いかにエゴを喜ばせる脚本であっても、根底には恐怖が潜んでいます。

コースは、すでに神の現実である永遠においては、救済が果たされ、みんなが一体になっているといいます。そして、時間の中においても、早晩、全ての神の子のかけらたちはひとり残らず、ソースである神へと帰還することになるともいいます。
そうであれば、究極的に時間が存在しない(さらに、永遠においては既に救済が完了している)以上、数十年だろうが、数千年だろうが、数億年だろうが、先延ばしは問題ではないともいえます。

とはいえ、ロール・プレイング・ゲーム(RPG)で、ある程度ゲームを進めてゴールに近づいていながら、ゴールまでの最後の一踏ん張りが面倒くさいといって、強くなった自分を使って楽しもうと、すでにクリアした国に舞い戻って、か弱いスライムたちをブチブチつぶしてやっつけて悦に入っているというのは悪趣味というほかないでしょう。

ましてや、確信するに至っていないにせよ、醜いスライムに見えているのは実は、自分自身かもしれないということまで認識しながら、そんなことに耽っているのは病的ですらないでしょうか。

学びが浅い段階で、ほかとぶつかって自身を矯める機会としては夢の世界を渡り歩くことは有益であっても、この場合は、ある程度、学習が進んでいるだけにより闇の中に迷いこむ危険すらあり、害悪でしかないといえます。

そうであれば、早々に悪癖から脱して自分を立て直す機会を持ったほうが賢明ということになるでしょう。なぜなら、個別の自己は、神の子を構成する一員として、究極的には、全体に対する責任を負っているということができるからです。



カラダトby湘南プレボのつぎの記事が面白いのでぜひ読んでみてください。

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