レッスン72「不平不満を抱くことは、救済のための神の計画に対する攻撃だ」

レッスン71〜80 2

Gratitude opens our eyes to the miracles that surround us.
感謝は、私たちの目を開いて、奇跡が私たちを取り囲んでいることに気づかせてくれる。

D. Denise Dianaty



Grievances are a form of impatience.
不満は、忍耐しないことによって生じる。

Griefs are a form of patience.
悲嘆は、忍耐することによって生じる。

Robert Frost
ロバート・フロスト



レッスン72です。

今日のテーマは「不平不満を抱くことは、救済のための計画に対する攻撃だ」です。





今日のレッスンでは、エゴ救済計画は、の座を奪うためのもので、身体を道具として、個別の心が身体の中に幽閉されているように幻惑し、の子の真の姿が見えないようにする計画であるということが丁寧に解説されています。

かなり長いですが、しっかり読んでいただければと思います.


ここ一連のレッスンでは、直接、救済計画の中身については語られません。

そこで、関連する箇所を引用しておきます。


「5. God's plan for your salvation cannot change, nor can it fail.
 あなたの救済のための計画は、変わることも失敗することもありえません。

 Be thankful it remains exactly as He planned it.
 あなたの救済のための計画が、まさしく神がそれを計画したまま保たれていることに感謝するがよいでしょう。

 Changelessly it stands before you like an open door, with warmth and welcome calling from beyond the doorway, bidding you to enter in and make yourself at home, where you belong.
 変わることなく、神の計画はあなたの前に、開かれた扉のように立っています。扉の向こう側からは温かい声が、あなたに扉の中に入ってきてくつろぐようにと呼びかけています。そこがあなたの本来の居場所だからです。



「6. Here is the answer!
 ここにこそ、答えがあります。

 Would you stand outside while all of Heaven waits for you within?
 天国のすべてがその扉の内側であなたを待ち受けているというのに、あなたはその扉の外で立ち止まっていようというのですか。

 Forgive and be forgiven.
 赦すことで、赦されなさい。

 As you give you will receive.
 あなたが与える通りに、あなたは受け取るからです。

 There is no plan but this for the salvation of the Son of God.
 これ以外に、神の子を救うためのいかなる計画もありません。」(レッスン122「赦しは、私の欲するすべてを差し延べてくれる」



「2. This world will change through you.
 この世界は、あなたによって変わるでしょう。

 No other means can save it, for God's plan is simply this:
 あなたという存在以外の手段ではこの世界を救うことはできません。というのも、神の計画は単純に次の通りのものだからです。


The Son of God is free to save himself, given the Word of God to be his Guide, forever in his mind and at his side to lead him surely to his Father's house by his own will, forever free as God's.
すなわち、神は、わが子を導くガイドとなるようわが子に神の大いなる言葉を与えて、神の子が自分の自由な意思で自分自身を救うことができるようにしました。神の大いなる言葉は、永遠に神の子の心の中にも彼の傍らにもあるがゆえに、神の意志と同じく永遠に自由な神の子自身の意志によって神の子を彼の大いなる父の家へと導くのです。


 He is not led by force, but only love.
 神の子は、強制によって導かれるのではなく、ただ愛のみによって導かれます。」(レッスン125「静寂の中で、私は今日、神の大いなる言葉を受け取る」)



「8. Here does the dream of separation start to fade and disappear.
 ここにおいて分離の夢は色褪せはじめ、そして、消え去ります。

 For here the gap that is not there begins to be perceived without the toys of terror that you made.
 というのは、あなたが作り出した恐怖を抱かせるおもちゃがないので、ここにおいては、存在しない隔たりが知覚されるようになりはじめるからです。

 No more than this is asked.
 これ以上のことは、何も求められてはいません。

 Be glad indeed salvation asks so little, not so much.
 救いは多くを求めないどころか、ほとんど何も求めないということを本当に喜んでください。

 It asks for nothing in reality.
 現実においては、救いは何ひとつ要求しません。

 And even in illusions it but asks forgiveness be the substitute for fear.
 そして、幻想の中でさえ、救いはただ、恐れを抱く代わりに赦すようにと求めるだけです。

 Such is the only rule for happy dreams.
 こうしたことが、幸せな夢をもたらすための唯一の規則です。

 The gap is emptied of the toys of fear, and then its unreality is plain.
 恐れのおもちゃが取り除かれて隔たりが空になったら、そのとき、隔たりが実在しないということが明白になります。

 Dreams are for nothing.
 夢は無益なものです。

 And the Son of God can have no need of them.
 だから、神の子にはいかなる夢も必要ありません。

 They offer him no single thing that he could ever want.
 夢は神の子が欲しいと思うようなものをたったひとつも差し出してはくれません。

 He is delivered from illusions by his will, and but restored to what he is.
 神の子は自分の意志によって幻想から解放され、そして、本来の姿に戻っただけなのです。

 What could God's plan for his salvation be, except a means to give him to Himself?
 神の子を救うための神の計画とは、その神の子を神自身に渡す手段に他ならないのではないでしょうか。」(テキスト第三十章 IV. The Truth Behind Illusions 四 幻想の背後にある真理


「Miracles are merely the sign of your willingness to follow the Holy Spirit's plan of salvation, recognizing that you do not understand what it is.
 奇跡とは単に、聖霊の救済の計画がどのようなものなのか自分にはよくわらないと認めたうえで、その計画に従おうとするあなたの意欲を示す印でしかありません。

 His work is not your function, and unless you accept this you cannot learn what your function is.
 聖霊がなすべき働きをなすことは、あなたの役目ではありません。そして、あなたが聖霊の仕事をするのは自分の役目ではないということを受け入れないかぎり、あなたは自分の役目が何なのか学ぶことができません。」(T9-4 赦しについての聖霊の計画、6.)

愛という実在の多様な側面、真理、生命、光、知識等々、いずれについても、コースはそれがどんなものか積極的に語って私たちに教え込もうとはしません。

本のタイトルからして「奇跡のコース」(A Course in Miracles)であって「贖罪のコース」や「愛のコース」ではありません。

ここはとても重要なポイントです。

これは、私たちの本質が実在そのものだからです。

つまり、コースが達成しようとしているのは、私たちに本当の自分を思い出させることです。

そして、自分が本当の自分であることは、成し遂げるべきことではなく、すでにそうであることであるわけだから、外部にある情報を大量に取り込んで暗記学習を繰り返して覚え込んでそうなるものではありません。

逆に本当の自分を思い出せなくなるよう邪魔をしている間違って覚え込んでしまった虚偽の情報を取り除くアンラーン、学習棄却が必要なだけです。

生命や真理や愛、知識は学ぶようなものではありません。

なぜなら、私たち自身が生命であり愛だからです。

生命が枯れ、愛が欠けるように思えるのは、自分を見失っているからです。

老いてきたからとボトックス注射を打ったり、家族に対して条件つきでしか愛情を抱いて奉仕ができず至らない自分を愛情深い人間に成長させようと愛を教えてくれるというどこかの宗教に入信したりしても、その場だけの自己満足で終わります。

発想が逆だからです。

原因ではなく結果を変えることにフォーカスして無駄な労力を注ぎ込んでいるのです。

何者かにならなければ、今の自分よりも優れたひとかどの人物になりたい、という欲求は人情としては当然のものですが、エゴに惑わされてのものです。

その人がこの人のようになりたいと憧れている当の本人は、実は、自分自身になりきっているだけです。

その人が、ミケランジェロが大理石の中から掘り出してあげた天使のように本当の自分自身になり切れたのは、自覚の有無にかかわらず、試行錯誤の末、エゴに従う自分を捨て聖霊に従うことを選択することを繰り返して、エゴという大理石の中に眠っていた聖霊という天使が姿を現すことができるようにしたからのはずです。

コースを学ぶ私たちが目指すべきクエスト(探索)のスタンスは、自分の外にある価値ある何かを見出して苦心してそれを獲得するものではなく、自分自身の中にある価値あるものを掘り出すために、自分の内面を移す鏡である自分の外の世界を旅するのだという観点です。

そして、自分の中に宝を見出したとき、その宝は、それまでは自分の外にある自分とは切り離されたものに見えていた世界=兄弟は自分自身なのだという気づきでもあります。


さて、このような学習棄却の観点、愛(=自分)は学ぶようなものではないという自覚は徹底したものであるべきです。

産後うつでわが子に愛情を感じないというお母さんがなすべきことは、どこかの偉い人に正しいわが子の愛し方を学ぶことではありません。
そんなことをしても、自然に愛が湧いてこず罪悪感が募るばかりでしょう。

必要なのは、産後うつは出産後のホルモンバランスの崩れによって生じる一過性の症状であることが多いので、つらい期間をなんとか持ち堪えて心身が健康な状態を回復できるよう、家族や周囲のバックアップを得られるよう体制を整えることです。

時期が来れば、愛そうと努力などしなくても、放っておいても、わが子への愛情が溢れかえることでしょう。


冒頭で述べたように、ここ一連のレッスンでは、直接、神の救済の計画の中身については語られませんが、その背景には、上述したような、実在は教えることによって幻想になってしまうのだから、実在は教えるものではないというコースの基本姿勢があります。



では、レッスンに入りましょう。



Workbook Lesson 72



Holding grievances is an attack on God's plan for salvation.
不平不満を抱くことは、救済のための計画に対する攻撃だ。





Holding grievances is an attack on God's plan for salvation.
不平不満を抱くことは、救済のための計画に対する攻撃だ。



1. While we have recognized that the ego's plan for salvation is the opposite of God's, we have not yet emphasized that it is an active attack on His plan, and a deliberate attempt to destroy it.
 私たちはすでに、エゴ救済計画救済計画の正反対であることは認めました。しかし、私たちはまだ、エゴ計画計画への積極的な攻撃であり、の計画を台無しにしようとする意図的な試みだということまでは重点を置いて見てはいません。

 In the attack, God is assigned the attributes which are actually associated with the ego, while the ego appears to take on the attributes of God.
 の計画を積極的に攻撃することによって、実際にはエゴの属性であるものが神のものとみなされる一方で、エゴのほうが神の属性を帯びているように見えてきます。



2. The ego's fundamental wish is to replace God.
 エゴの根本的な願望は、神の後釜に座ることです。

 In fact, the ego is the physical embodiment of that wish.
 本当に、エゴとは、神に取って代わりたいという願望が即物的に具現化したものです。

 For it is that wish that seems to surround the mind with a body, keeping it separate and alone, and unable to reach other minds except through the body that was made to imprison it.
 というのも、この願望こそが、心の周囲を身体で取り囲んで、心を分離して孤立した状態に保ち、心を幽閉するために作られた身体を通してしか、ほかの心に到達できないように思わせているからです。

 The limit on communication cannot be the best means to expand communication.
 コミュニケーションに制限を課すことが、コミュニケーションを拡張する最善の手段になるはずがありません。

 Yet the ego would have you believe that it is.
 それでも、エゴは、制限することでコミュニケーションを拡張できるとあなたに信じこませようとします。



3. Although the attempt to keep the limitations that a body would impose is obvious here, it is perhaps not so apparent why holding grievances is an attack on God's plan for salvation.
 これで身体がコミュニケーションに制限を課してそれを維持する試みであることは明らかになったとはいえ、おそらく不平不満を抱くことがなぜ神の救済の計画に対する攻撃になるのかは、それほど明白とはいえないでしょう。

 But let us consider the kinds of things you are apt to hold grievances for.
 そこで、あなたがどのような事柄について不平不満を抱きがちなのか、一緒によく考えてみましょう。

 Are they not always associated with something a body does?
 それらの不平不満はつねに、身体がする何かに関連しているのではないでしょうか。

 A person says something you do not like.
 ある人があなたの気に入らないことを言ったとか。

 He does something that displeases you.
 誰かが、あなたを不快にさせることをしたとか。

 He "betrays" his hostile thoughts in his behavior.
 ある人が自分に敵意を抱いていることが彼の振る舞いによって「露呈」してしまったとかということです。



4. You are not dealing here with what the person is.
 このとき、あなたは、その人物の本当の姿について考えているわけではありません。

 On the contrary, you are exclusively concerned with what he does in a body.
 それどころか、あなたはもっぱら、ある身体の中で彼がしていることにだけ注意を向けているのです。

 You are doing more than failing to help in freeing him from the body's limitations.
 あなたは、身体の制限から彼を解放する手助けをし損ねているだけでなく、それ以上に有害なことをしています。

 You are actively trying to hold him to it by confusing it with him, and judging them as one.
 あなたは積極的に身体と彼を混同し、彼と身体が同一のものだと価値判断することによって、彼を身体に束縛しようとしているのです。

 Herein is God attacked, for if His Son is only a body, so must He be as well.
 このようにして、神への攻撃がなされているのです。というのは、もし神の子が身体でしかないなら、神も同じように身体に違いないはずだからです。

 A creator wholly unlike his creation is inconceivable.
 自らの創造物に似ても似つかない創造主など想像もつかないからです。



5. If God is a body, what must His plan for salvation be?
 もし神が身体であるなら、神の救済計画はどのようなものになるでしょうか。

 What could it be but death?
 神の救済計画は、死にほかならないはずです。

 In trying to present Himself as the Author of life and not of death, He is a liar and a deceiver, full of false promises and offering illusions in place of truth.
 神は自らを死ではなく生命の創始者に見せかけようとしているということになり、神は、無数の偽りの約束を交わして、真理の代わりに幻想を差し出すような嘘つきの詐欺師だということになります。

 The body's apparent reality makes this view of God quite convincing.
 身体の外見的なリアリティーが、このような見方で神を捉えることをきわめて説得的なものにします。

 In fact, if the body were real, it would be difficult indeed to escape this conclusion.
 事実、もし身体が実在するなら、この結論を免れるのはきわめて困難なはずです。

 And every grievance that you hold insists that the body is real.
 そして、あなたは不平不満を抱くたびに、よりいっそう強く身体は本物だと信じるようになります

 It overlooks entirely what your brother is.
 不平不満は、完全に、あなたの兄弟の本質を見落としてしまっています。

 It reinforces your belief that he is a body, and condemns him for it.
 不平不満を抱く心は、兄弟が身体だというあなたの信念を強化して、身体について兄弟を非難します。

 And it asserts that his salvation must be death, projecting this attack onto God, and holding Him responsible for it.
 そして、不平不満を抱く心は、兄弟の救済は死であるに違いないと主張し、この攻撃を神に投影して、兄弟への攻撃の責任を神に負わせようとします。



6. To this carefully prepared arena, where angry animals seek for prey and mercy cannot enter, the ego comes to save you.
 このために闘技場が念入りに準備されます。そこでは、猛り狂う獣たちが餌食を捜し求めていて、情け容赦の入りこむ隙もありません。そこへ、エゴがあなたを助けにきたと称して言うのです。

 God made you a body.
 「神はお前を身体として作り出したんだって?

 Very well.
 いいだろう。

 Let us accept this and be glad.
 我々で、このことを受け入れて、喜ぼうじゃないか。

 As a body, do not let yourself be deprived of what the body offers.
 お前は一個の身体として、身体が自分に差し出すものを奪われないように気をつけなければならない。

 Take the little you can get.
 お前の手に入れられるわずかなものを取っておくのだ。

 God gave you nothing.
 神はお前に何も与えてはくれなかったのだから。

 The body is your only savior.
 身体だけがお前の唯一の救い主だ。

 It is the death of God and your salvation.
 身体こそ、神の死であり、お前の救済なのだ」と。



7. This is the universal belief of the world you see.
 あなたの見ている世界で誰もが等しく信じているのは、こんなことです。

 Some hate the body, and try to hurt and humiliate it.
 ある者は身体を忌み嫌い、身体を傷つけて辱めようとします。

 Others love the body, and try to glorify and exalt it.
 ほかの者たちは身体を愛し、身体を褒め称えて祭り上げようとします。

 But while the body stands at the center of your concept of yourself, you are attacking God's plan for salvation, and holding your grievances against Him and His creation, that you may not hear the Voice of truth and welcome It as Friend.
 しかし、身体があなた自身についての自己概念の中核に位置づけられているかぎり、あなたは神の救済の計画を攻撃しているのであり、神と神の創造物に対して不平不満を抱いているのです。そのせいで、あなたは真理の声を聞き入れず、真理の声を語る聖霊を大いなる友として歓迎することもできなくなってしまいます。

 Your chosen savior takes His place instead.
 あなたが救い主として選んだ身体が聖霊の座を奪い取っているからです。

 It is your friend; He is your enemy.
 身体があなたの友となり、聖霊はあなたの敵となってしまっているのです。



8. We will try today to stop these senseless attacks on salvation.
 今日、私たちは、救済に対するこのような無意味な攻撃を止めるように努めます。

 We will try to welcome it instead.
 私たちは、攻撃する代わりに救済を歓迎します。

 Your upside-down perception has been ruinous to your peace of mind.
 あなたが物事を逆さまに知覚することで、あなたの心の平安は荒廃してきました。

 You have seen yourself in a body and the truth outside you, locked away from your awareness by the body's limitations.
 あなたは、自分は身体の中にいて、真理は自分の外側にあるとみなすことで、身体の制限によって真理を自分の自覚できないところに締め出してきました。

 Now we are going to try to see this differently.
 今、私たちは、これを違ったふうに見ようとしているのです。



9. The light of truth is in us, where it was placed by God.
 真理の光は、私たちの中にあります。真理は神によってそこに置かれたからです。

 It is the body that is outside us, and is not our concern.
 私たちの外側にあるのは身体なので、身体は私たちの関心事ではありません。

 To be without a body is to be in our natural state.
 というのも、身体なしの状態こそ、私たちの本来の状態だからです。

 To recognize the light of truth in us is to recognize ourselves as we are.
 自分たちの中に真理の光を認めることは、自分をありのままに認識することです。

 To see our Self as separate from the body is to end the attack on God's plan for salvation, and to accept it instead.
 私たちの大いなる自己を身体とは別のものとして見ることは、神の救済計画を攻撃するのをやめて、代わりに神の計画を受け入れることです。

 And wherever His plan is accepted, it is accomplished already.
 そして、神の計画が受け入れられるところであればどこでも、救済はすでに成し遂げられているのです。



10. Our goal in the longer practice periods today is to become aware that God's plan for salvation has already been accomplished in us.
 今日の長いほうの実習時間での私たちの目標は、神の救済計画は自分たちの中ですでに成就していると気づくことです。

 To achieve this goal, we must replace attack with acceptance.
 この目標を達成するには、私たちは、攻撃を受容に置き換えなければなりません。

 As long as we attack it, we cannot understand what God's plan for us is.
 私たちが神の計画を攻撃しているかぎり、私たちには神の計画が自分たちにとってどのような意味を持つのか理解できません。

 We are therefore attacking what we do not recognize.
 したがって、私たちは、自分たちの理解していないものを攻撃しているのです。

 Now we are going to try to lay judgment aside, and ask what God's plan for us is:
 今こそ、私たちで価値判断を脇に置いて、神の計画が自分たちにとって何を意味するのか尋ねてみましょう。


What is salvation, Father?
大いなる父よ、救いとは何なのでしょうか?

I do not know.
私にはわかりません。

Tell me, that I may understand.
どうか私に理解できるように、私に教えてください。


 Then we will wait in quiet for His answer.
 それから、私たちは静寂の中で神の答えを待ちます。

 We have attacked God's plan for salvation without waiting to hear what it is.
 私たちはこれまで、神の救済計画とは何なのか聞くために待つこともしないで、それを攻撃してきました。

 We have shouted our grievances so loudly that we have not listened to His Voice.
 私たちはあまりに大声で不平不満を叫んできたので、私たちには神の大いなる声が聞き取れなかったのです。

 We have used our grievances to close our eyes and stop our ears.
 私たちは、不平不満を用いて、自らの目を閉じ、耳を塞いできたのです。



11. Now we would see and hear and learn.
 今、私たちは、見て聞いて、そして学びます。

 "What is salvation, Father?"
 「大いなる父よ、救いとは何なのしょうか」

 Ask and you will be answered.
 尋ねれば、あなたは答えてもらえるでしょう。

 Seek and you will find.
 探せば、あなたは見出すでしょう。

 We are no longer asking the ego what salvation is and where to find it.
 私たちはもう、救済が何であるかとか、それをどこで探せばよいか、エゴに尋ねたりしません。

 We are asking it of truth.
 私たちは、救済について真理に尋ねているのです。

 Be certain, then, that the answer will be true because of Whom you ask.
 それゆえ、自分が尋ねる大いなる存在のゆえに、その答えは真実であることを確信しなさい。



12. Whenever you feel your confidence wane and your hope of success flicker and go out, repeat your question and your request, remembering that you are asking of the infinite Creator of infinity, Who created you like Himself:
 あなたが自分の確信が弱まるように感じたり、成功への希望が揺らいで消えてしまいそうに感じるときはいつでも、あなたの質問と請願を繰り返し、あなたを自分自身に似せて創造した、無限なるものの無限の創造主に自分は求めているのだと思い出すようにしてください。


What is salvation, Father?
大いなる父よ、救いとは何なのでしょうか。

I do not know.
私にはわかりません。

Tell me, that I may understand.
どうか私に理解できるように、私に教えてください。


 He will answer.
 神が答えてくれるでしょう。

 Be determined to hear.
 決意をもって聞いてください。



13. One or perhaps two shorter practice periods an hour will be enough for today, since they will be somewhat longer than usual.
 今日は、短いほうの実習時間は、1時間に1回か2回くらいで十分です。なぜなら、今日の実習はいつもよりもいくらか長くかかるはずだからです。

 These exercises should begin with this:
 これらの練習は、次のように始めてください。


Holding grievances is an attack on God's plan for salvation.
不平不満を抱くことは、神の救済の計画を攻撃することだ。

Let me accept it instead.
攻撃する代わりに、私に神の計画を受け入れさせてください。

What is salvation, Father?
大いなる父よ、救いとは何なのでしょうか。


 Then wait a minute or so in silence, preferably with your eyes closed, and listen for His answer.
 それから、できれば目を閉じて、静かに1分くらい待って、神の答えに耳を澄ましてください。


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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

コメント2件

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TAPA  

横断的な解説ありがとうございます。

いつも素晴らしい解説ありがとうございます。特にこのLesson72の解説は、とても深く本当に心の奥深くに響いて来るように感じました。それなので、いつも書きたいと思っていても書いてこなかったコメントをお送りいたします。

コースを横断的に引用して解説してくださり、ありがとうございます。

>実在は教えることによって幻想になってしまうのだから、実在は教えるものではないというコースの基本姿勢があります。

語らないということの深さを感じさせられました。ブッダや孔子等の目覚めた人は、ないものは語らないという姿勢を取ったということを池田晶子さんの本で読みました。本当にそのように思います。それは、語ることでrealになってしまうということを知っていたためだと思います。後に続く者が、語られたことによりunrealをrealと勘違いしないように。仏教で言えば、輪廻や死後、インド哲学で言えばブラフマンとアートマンで、後世がアートマンをrealにしてしまったように。

その逆として、コースは語り得ないもの、すなわち実在そのもの(=愛(=自分))について、語らないという姿勢を貫いているのだと思います。

松山さんがおっしゃるとおり、語ることにより、realがillusionに成り下がることを避けるためにだと思います。

コースにたどり着くために多くの学習をしてきた者こそ、学習棄却を肝に命じて置くことが大切なのだと教えていただきました。ありがとうございます。

これからも、毎日読ませていただきます。

追伸:
一箇所、学習棄却が楽手棄却とタイプミスされているところがありました。ご訂正よろしくお願いします。

2022年09月20日 (火) 08:21

 松山 健 Matsuyama Ken  

Re: 横断的な解説ありがとうございます。

TAPAさま

コメントいただきまして、どうもありがとうございます。

大切なテーマを改めて別の表現で表現していただけたと思います。ありがとうございました。

T23-1 相容れない信念 https://thereisnospoon.jp/blog-entry-691.html

T11-7 現実の条件 https://thereisnospoon.jp/blog-entry-345.html

T24-Intro 自分の価値観を疑ってみる https://thereisnospoon.jp/blog-entry-752.html

が参考になる記事だと思います。

誤字の指摘もありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

2022年09月20日 (火) 09:26
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