T29-7 自分の外を探さない
神を求めるのですか?
それなら人間の中にお求めなさい。
神はほかの何物よりもよく人間の中にあらわれているから。

Sri Ramakrishna Paramahamsa
ラーマクリシュナ
問題が「自分の外にある」と考えているなら、その考え方こそが問題である。

スティーブン・R・コヴィー
Your vision will become clear only when you can look into your own heart.
あなたが自分自身の心の奥底を見ることができたら、あなたのヴィジョンははっきり見えるようになるだろう。
Who looks outside, dreams; who looks inside, awakes.
外側を見る者は夢を見、内側を見る者は目覚める。

Carl Jung
カール・ユング
自分の一部でないものは存在せず
自分の一部でない人も存在せず
自分がくだす価値判断はすべて
自分に対する価値判断であり、
自分が行う批判もすべて自己批判である
という視点をとりいれるとき、
あなたは自分自身にまで
無条件の愛を拡げていけるほどの叡智を持つようになり、
その愛があなたの世界を照らす光となるのです。

ハリー・パルマ―(「意図的に生きる アバターの発見と開発」87ページ)

今回は、テキストから、自分自身の外を探求してはならないということを解説する一節をご紹介します。
自分の中でだけ探しちゃダメだといいながら、自分の外を探してはならないってどういうこと?
汝自身を知れで触れたように、テキストは、自分自身を知るためには自分の中だけを探すのではなく、他者との出会いを神聖な出会い(T8-3)として、自分がエゴに従っているのか、聖霊に従っているのか、他者を鏡として気づくことが必要だとも言っています。
自分の中でだけ探しちゃダメだといいながら、自分の外を探してはならないというのは矛盾しているように思えます。
どういうことなのでしょうか?

これは、矛盾ではありません。
エゴ→大いなる自己を見出すべし、大いなる自己→実在しない偶像を追い求めてはならない→矛盾ではない
汝自身を知れというときの自分の中だけを探さないというときの、「自分」とはエゴに従う者としての「小さな自己」の中だけで探さないという意味です。
これに対して、自分の外側に探してはならないというのは、本当は自分が「大いなる自己」でありすべてであるのに、自分が「小さな自己」であると誤信して、外の世界に自分を完全にしてくれる何かがあると勘違いして、偶像を作り出しては、それを探してはならないということです。
このスタンスは、小さな自己の外にあるものを自分から分離させるだけで、本当は自分とひとつだという理解から遠ざかるだけです。
あくまでも探求の目標は、真我である大いなる自己であって、大いなる自己を「自分」として、その外に何かを求めることはせず、大いなる自己が分裂しているように見える個別の小さな自己たちのうちの自分が一体化しているエゴ・身体だけの中で探すのではなく、他者のように見える人たちを鏡にして(決して偶像にすることなく)本当の自分を思い出すということです。
『汝自身を知れ』
「5. The goal of the curriculum, regardless of the teacher you choose, is "Know thyself. "
あなたが選ぶ教師がどちらであるかにかかわらず、カリキュラムの目標は『汝自身を知れ』というものです。
There is nothing else to seek.
自分自身を知る以外に、求めるべきことは何もないからです。
Everyone is looking for himself and for the power and glory he thinks he has lost.
誰もがみな、自分自身と自分が失ってしまったと思いこんでいる力と栄光を探し求めています。
Whenever you are with anyone, you have another opportunity to find them.
あなたが誰かと一緒にいるときは必ず、あなたは自らの探し求めるものを見出す新たな機会を得ているのです。
Your power and glory are in him because they are yours.
あなたの力と栄光は、あなたと一緒にいるその人の中にあります。なぜなら、その力と栄光はあなたのものだからです。
The ego tries to find them in yourself alone, because it does not know where to look.
エゴは、力と栄光をあなた自身だけの中に見つけようとします。なぜなら、エゴはそれらをどこで探せばよいのか知らないからです。
The Holy Spirit teaches you that if you look only at yourself you cannot find yourself, because that is not what you are.
聖霊はあなたに、もしあなたが自分自身だけを見ていたのでは、あなたは自分自身を見つけられないと教えてくれます。なぜなら、あなたが自分だと思っているあなたは、本当のあなたではないからです。
Whenever you are with a brother, you are learning what you are because you are teaching what you are.
あなたが兄弟と一緒にいるときはつねに、あなたは真の自分が何者なのか学んでいるのです。なぜなら、そのとき、あなたは自分が何者なのか教えているからです。
He will respond either with pain or with joy, depending on which teacher you are following.
あなたと一緒にいるその兄弟は、あなたがエゴと聖霊のいずれの教師に従っているかによって、あなたに苦痛をもって応じるか、あるいは喜びをもって応じるかのいずれかの反応を示します。
He will be imprisoned or released according to your decision, and so will you.
その兄弟は、どちらの教師に従うかというあなたの決心次第で、幽閉されるか解放されることになります。このことは、同じようにあなた自身にもあてはまります。
Never forget your responsibility to him, because it is your responsibility to yourself.
兄弟に対する自分の責任を決して忘れてはなりません。なぜなら、兄弟に対するあなたの責任は、あなた自身に対するあなたの責任だからです。
Give him his place in the Kingdom and you will have yours.
その兄弟に王国での居場所を与えなさい。そうすれば、あなたも王国に自分の居場所を得るでしょう。
6. The Kingdom cannot be found alone, and you who are the Kingdom cannot find yourself alone.
王国はひとりだけでは見出せません。そして、王国そのものであるあなたは、ひとりきりで自分自身を見出すこともできません。
To achieve the goal of the curriculum, then, you cannot listen to the ego, whose purpose is to defeat its own goal.
ゆえに、自己を知るというカリキュラムの目標を達成するために、あなたはエゴに耳を貸しているわけにはいきません。エゴの目的はエゴ自身の目標の達成を挫くことだからです。
The ego does not know this, because it does not know anything.
エゴには、自分が自分の目標の達成を挫こうとしていることがわかりません。なぜなら、エゴは何も知らないからです。
But you can know it, and you will know it if you are willing to look at what the ego would make of you.
しかし、あなたは、エゴに耳を貸しているかぎり自己を知ることはないと知ることができます。そして、もしあなたがエゴが自分をどんなものに仕立て上げようとしているか見てみる意欲を持つなら、あなたにもこのことがわかるはずです。
This is your responsibility, because once you have really looked at it you will accept the Atonement for yourself.
エゴがあなたをどんなもの作り変えようとしているのか見極めることは、あなたの責任です。なぜなら、いったんエゴが自分をどうしようとしているのか本当に見たなら、あなたは自分自身のために贖罪を受け入れるはずだからです。
What other choice could you make?
これ以外に、あなたにどんな選択ができるというのでしょうか。
Having made this choice you will understand why you once believed that, when you met someone else, you thought he was someone else.
あなたが自分自身のために贖罪を受け入れるというこの選択をすれば、あなたにも、かつて自分がほかの誰かに会った際に、自分が彼のことをほかの誰かだと思い、そう信じたのはなぜだったのかわかってきます。
And every holy encounter in which you enter fully will teach you this is not so.
そして、あなたが完全に関わる聖なる出会いの一つひとつがあなたに、あなたの出会う人たちは他人ではなくあなたなのだと教えてくれるでしょう。
7. You can encounter only part of yourself because you are part of God, Who is everything.
あなたは、ただ自分自身の一部に出会うことしかできません。なぜなら、あなたはすべてである神の一部だからです。
His power and glory are everywhere, and you cannot be excluded from them.
神の力と栄光は至るところにあるので、あなたが神の力と栄光から除外されることなどありえません。
The ego teaches that your strength is in you alone.
エゴは、あなたの力はあなたの中にだけあるのだと教えます。
The Holy Spirit teaches that all strength is in God and therefore in you.
聖霊は、すべての力は神の中に、したがって、あなたの中にあるのだと教えてくれます。
God wills no one suffer.
神は、誰ひとり苦しまないようにと意図しています。
He does not will anyone to suffer for a wrong decision, including you.
神は、あなたを含めた誰のことも、間違った決断をすることで苦しませるつもりはありません。
That is why he has given you the means for undoing it.
だから、神は、間違った決断を取り消すための手段をあなたに与えてくれています。
Through his power and glory all your wrong decisions are undone completely, releasing you and your brother from every imprisoning thought any part of the Sonship holds.
神の力と栄光を通して、すべてのあなたの間違った決断は完全に取り消されます。それによって、神の子のどの一部であれ、その者が心に宿す閉じこめたい、閉じこもりたいという幽閉の思いのすべてから、あなたと兄弟は解放されることになります。
Wrong decisions have no power, because they are not true.
間違った決断には何の力もありません。なぜなら、間違った決断は真実ではないからです。
The imprisonment they seem to produce is no more true than they are.
間違った決断が生み出すように見える幽閉状態は、間違った決断と同じように真実ではないのです。」(テキスト、第八章、三 聖なる出会い)

すべてを持ちすべてであるという実相
さて、奇跡のコースは、私たちは、神に創造された神の子として、神の拡張としてすべてである神とひとつであるといいます。
これが本当であるなら、本当はすべてであるものが、その一部でしかないものになるということ自体、不可能なことです。
そして、全体であるのに自分が一部であると信じこんで、自分の外側に何かを求めるということは、本当に自分を切り分けて、小さな一部分になることができたのなら別ですが、そうでないかぎり、一体性という真実を否認して、真理に反する幻想を抱いて、幻想の中に迷いこむことにしかなりません。
これは、自分の自己像を、真実の大いなる自己ではなく、矮小で取るに足らない小さな自己であるとして、間違ったアイデンティティーを持つことです。
本当の自分を見失って、すべてを持っているのに、欠乏していると思いこんでいたのでは、幸せになることなどできるはずもありません。
欠乏マインド
私たちは、自分には何かが欠落しており、自分自身の外側にある何かでこれを補わなければ、自分は完全なものになることはできないと信じています。
お金であったり、所有物であったり、交際相手であったり、仕事であったり、肩書きであったり、今の自分は駄目だけど、あの会社に入ることさえできれば、あの人と付き合うことができれば、あの大学に合格さえすれば・・・と。
逆に、その何かを手に入れた後も、それが自分の完全さを保つ欠かせない要素と信じこむので、失うことを恐れてそれに固執してしまいます。
この欲望は精神的な事柄に向かうこともできます。
悟りを開くことができれば、「自分」は完全になることができると。
欠乏マインドが特別性の追求に駆り立てる
このような自分に欠けている何かを補って満たしてくれるものは、人であれ、物であれ、権力であれ、名声であれ、健康であれ、環境であれ、心境であれ、それらは特別な存在となり、その特別性を追い求めます。
こうして、私たちは、不幸にも決して探し求めるものを見出すことのできない探求へと乗り出すことになります。
ロバート・シャインフェルドさんの譬えるドッグ・レースでグレイハウンドが自分たちの前を機械が絶妙なスピードで牽引するウサギの人形を必死になって追いかけるようなもので、あらかじめ追いつけないような仕組みになっているのです。
ただし、ドッグレースの犬たちは可哀想にも、追いかけるのをやめたら仕事を失い本当に生命の危機にさらされかねないですし、私たちも、この犬たちと自分が同じだと信じているわけですが、追いかけるのをやめたらどうなるか試してみるどころか、考えてみることすら、大多数の人はしようとはしません。
走り続けるのをやめて、立ち止まったら本当に地獄か確かめてみる
でも、求めるものが必死に追い求めても絶対に手に入らないのであれば、頑張っても地獄、止まっても地獄なのですから、両方の地獄を天秤にかければ、止まったほうの地獄が本当に地獄なのか、確かめてみる価値はありそうです。
というのも、追い求めても決して見出せない理由は、探そうとしているものが、実は自分自身の中にあるからだということらしいからです。
偶像崇拝
さて、このように自分の外側に何かを求めてしまうのは、自分を身体と一体化し、エゴの信奉する欠乏の原理を心底から信じこんでしまうによるものですが、これを補う特別な存在が偶像です。
偶像は、自分の不完全さを補ってくれる特別な何かを自分自身の外に追い求めるための象徴、形であり、エゴの空疎な願望を体現するものです。
偶像は必ず期待を裏切って崩れ落ち、崇拝者を失望させます。
自分が欠乏しているとの思いから、自分の外部の何かに希望を抱き、いつか失望してはまた別の希望を見つけてはその繰り返しというのは、誰しも自分の人生で体験していることだと思います。
この点については、反キリストが参考になるのでご一読ください。
無限ループの回し車から抜け出すために必要なのは、自分にはこの世界の目的がわかっていないと決断することだけ
さて、この一節では、このように自分の外に偶像を求めては幻滅して絶望し、また別の偶像を見つけるという無限のループに嵌ってしまうことから抜け出すために必要なのは、私たちが、自分にはこの世界の目的がわかっていないと決断することだけだと言います。
私たちは、すべてである神とひとつである神の子として、本来、自分の内側にあるものを完全にする力を持っていながら、本当の自分を、小さな自己と外側の夢見る世界にふたつに分裂させて、夢の世界の中で、自分自身の外側に偶像を探すための場所を見ようとしています。
私たちは、自分が夢を見る存在として、夢の世界のすべてを生み出していることを忘れ、自分を夢の中のちっぽけな一登場人物に縮小させて、その小さな自分の外側から世界が自分に与えられたものであるかのように知覚しています。
本当は、夢見る自分が偶像にさせたいことさせているのであり、力を授けているのに、私たちは、そんな偶像たちの持つ力を自分のものにしたいといって、夢の中で虚しくも偶像たちを追い求めるのです。

テキスト第二十九章
VII. Seek Not Outside Yourself
七 自分自身の外側を探さないように

1. Seek not outside yourself.
あなた自身の外側を探そうとしてはなりません。
For it will fail, and you will weep each time an idol falls.
というのは、それは失敗に終わるし、あなたは崇拝する偶像が崩れ落ちるたびに涙を流すことになるからです。
Heaven cannot be found where it is not, and there can be no peace excepting there.
天国が存在しないところに天国が見つかるはずがありません。そして、天国以外の場所に平安があるはずがありません。
Each idol that you worship when God calls will never answer in His place.
神が呼んでいても、あなたが崇拝している偶像はどれも、決して神の代わりに答えてはくれません。
There is no other answer you can substitute, and find the happiness His answer brings.
あなたが神の答えに置き換えて、神の答えがもたらす幸せを見つけられるような別の答えなど何もありません。
Seek not outside yourself.
だから、自分自身の外側を探そうとしてはなりません。
For all your pain comes simply from a futile search for what you want, insisting where it must be found.
というのも、あなたの味わう苦痛はすべて、単に自分の望むものを、それが見つかるはずだと自分で思いこんでいる場所に固執して不毛な探求をし続けることに由来しているからです。
What if it is not there?
もし自分の望むものが、そこになかったらどうするつもりなのでしょうか。
Do you prefer that you be right or happy?
あなたは自分が正しいほうがよいのでしょうか、それとも自分が幸せなほうがよいのでしょうか。
Be you glad that you are told where happiness abides, and seek no longer elsewhere.
幸せがどこにあるのか教えてもらえることを喜んで、もうこれ以上、別の場所で探さないでください。
You will fail.
さもなければ、あなたは失敗するだけです。
But it is given you to know the truth, and not to seek for it outside yourself.
しかし、あなたには真理を知るために幸せが与えられているのだから、自分自身の外側に幸せを探そうとしないでください。
2. No one who comes here but must still have hope, some lingering illusion, or some dream that there is something outside of himself that will bring happiness and peace to him.
この世界に来る者は誰であれ、依然として自分の外側に自分に幸福と平安をもたらしてくれる何かがあるはずだと期待し、いつまでも燻り続けるような幻想や何かしらの夢を抱いているに違いありません。
If everything is in him this cannot be so.
もしすべてのものが彼の中にあるとすれば、彼に幸福や平安をもたらすものが彼の外側に存在するはずがありません。
And therefore by his coming, he denies the truth about himself, and seeks for something more than everything, as if a part of it were separated off and found where all the rest of it is not.
したがって、まるですべてのものの一部分が切り離されて、それが残りの全部が存在しない場所で見出せるかのように、彼はこの世界に来ることによって、本当の自分自身を否認し、すべてのもの以上の何かを探していることになります。
This is the purpose he bestows upon the body; that it seek for what he lacks, and give him what would make himself complete.
これこそ、彼が身体に与えている目的です。すなわち、身体の目的は、自分に欠けているものを探し出して、自分自身を完全にしてくれるものを彼に与えることなのです。
And thus he wanders aimlessly about, in search of something that he cannot find, believing that he is what he is not.
こうして、彼は自分のことを本当の自分とは違う何者かであると信じながら、自分に見つけ出すことのできない何かを探そうとして、あてどなくさまよっているのです。

3. The lingering illusion will impel him to seek out a thousand idols, and to seek beyond them for a thousand more.
しつこくつきまとう幻想が、彼に千もの偶像を探求させ、それを越えてさらに千もの偶像を探すようにと駆り立てます。
And each will fail him, all excepting one; for he will die, and does not understand the idol that he seeks is but his death.
そして、ひとつの偶像だけは別として、どの偶像もみな彼を失望させるでしょう。それというのも、彼は死ぬことになっており、彼には自分が探している偶像とは、まさに自分の死にほかならないことが理解できないからです。
Its form appears to be outside himself.
その偶像の形は彼自身の外側に存在するように見えます。
Yet does he seek to kill God's Son within, and prove that he is victor over him.
しかし、彼は内面にいる神の子を殺し、自分がその神の子を打ち負かした勝者だと証明しようとしているのです。
This is the purpose every idol has, for this the role that is assigned to it, and this the role that cannot be fulfilled.
神の子を殺すことこそ、すべての偶像が持つ目的です。というのも、これが偶像に割り当てられた役目だからです。もっとも、これは達成不可能な役目です。
4. Whenever you attempt to reach a goal in which the body's betterment is cast as major beneficiary, you try to bring about your death.
あなたが身体の改善を主眼とするような目標を達成しようと試みるたびに、あなたは自分に死をもたらそうとしているのです。
For you believe that you can suffer lack, and lack is death.
というのは、あなたは自分は欠乏して苦しむことができると信じているのであり、欠乏状態とは死だからです。
To sacrifice is to give up, and thus to be without and to have suffered loss.
犠牲になるのは何かを諦めることであり、したがって、それを持たずにいることであり、損失を被ったということです。
And by this giving up is life renounced.
だから、こうして諦めることによって、生命は放棄されるのです。
Seek not outside yourself.
自分自身の外側を探さないでください。
The search implies you are not whole within and fear to look upon your devastation, but prefer to seek outside yourself for what you are.
自分の外を探索することは、あなたは内面的に不完全であり、自分の荒廃状態を見るのが怖くて、むしろ自分自身の外側に本当の自分を求めて探すほうがましだと思っていることを暗に意味しています。

5. Idols must fall because they have no life, and what is lifeless is a sign of death.
偶像は生命を持たないので、必ず崩れ落ちます。そして、生命のないものは死の印です。
You came to die, and what would you expect but to perceive the signs of death you seek?
あなたは死ぬためにやってきたのです。とすれば、あなたには自分の探している死の印を知覚する以外に何を期待できるでしょうか。
No sadness and no suffering proclaim a message other than an idol found that represents a parody of life which, in its lifelessness, is really death, conceived as real and given living form.
いかなる悲しみや苦しみも、生命のお粗末なまがい物である偶像を見つけたと知らせているにすぎずません。偶像には生命がないので、本当は死であるのに、実在するものと考えられて生きているような形を与えられています。
Yet each must fail and crumble and decay, because a form of death cannot be life, and what is sacrificed cannot be whole.
しかし、どの偶像にも必ず失望させられます。そして、偶像は、脆くも崩れて腐敗します。なぜなら、死の一形態が生命であるはずがないし、犠牲にされたものが完全であるはずもないからです。
6. All idols of this world were made to keep the truth within from being known to you, and to maintain allegiance to the dream that you must find what is outside yourself to be complete and happy.
この世界の偶像はすべて、自らの内なる真理をあなたが知らずにいる状態を保つために作られました。そしてまた、偶像はすべて、あなたが完全で幸せになるためには、自分自身の外側にあるものを見つけなければならないという夢に、いつまでも忠実に従わせるために作られたのです。
It is vain to worship idols in the hope of peace.
平安を期待して偶像を崇拝しても無駄です。
God dwells within, and your completion lies in Him.
神はあなたの内に宿るのであり、その神の中にこそ、あなたの完成を見出すことができます。
No idol takes His place.
どのような偶像も、神に取って代わることなどできません。
Look not to idols.
偶像を頼みになどしないでください。
Do not seek outside yourself.
あなた自身の外側を探そうとしないでください。

7. Let us forget the purpose of the world the past has given it.
過去がこの世界に与えた目的など忘れてしまいましょう。
For otherwise, the future will be like the past, and but a series of depressing dreams, in which all idols fail you, one by one, and you see death and disappointment everywhere.
さもないと、未来は、過去と同じように憂鬱な夢の連続となって、その夢の中ですべての偶像がひとつまたひとつとあなたを失望させ、あなたはあらゆるところに死と絶望を見ることになってしまいます。
8. To change all this, and open up a road of hope and of release in what appeared to be an endless circle of despair, you need but to decide you do not know the purpose of the world.
こうしたことのすべてを変化させて、絶望の無限の堂々巡りに見えるものの中に希望と解放の道を拓くために必要なのは、自分はこの世界の目的を知らないとあなたが決断することだけです。
You give it goals it does not have, and thus do you decide what it is for.
あなたは世界に、世界が持っていない多様な目標を与え、そうすることで、世界が何のためにあるのか自分で決定しようとしています。
You try to see in it a place of idols found outside yourself, with power to make complete what is within by splitting what you are between the two.
あなたは、本来の自分を内側と外側のふたつに分裂させることによって、自分の内側にあるものを完全にする力を持つ偶像の居場所を自分自身の外側の世界の中に見出そうとしています。
You choose your dreams, for they are what you wish, perceived as if it had been given you.
あなたは、自分の夢のほうを選んでいるのです。というのも、あなたの夢は、あなたの願望をそれがまるで外から自分に与えられたかのように知覚するものだからです。
Your idols do what you would have them do, and have the power you ascribe to them.
あなたの偶像は、あなたがその偶像にさせたいことをするし、あなたがその偶像に与える力を持ちます。
And you pursue them vainly in the dream, because you want their power as your own.
そして、あなたは、そんな偶像たちの持つ力をわがものにしようと望むがゆえに、夢の中で虚しくも偶像たちを追い求めるのです。

9. Yet where are dreams but in a mind asleep?
しかし、夢の世界は眠っている心の中以外のどこにあるでしょうか。
And can a dream succeed in making real the picture it projects outside itself?
そして、はたしてただの夢に、眠っている心が自分自身の外側に投影する光景を本物に作り変えることなどできるでしょうか。
Save time, my brother; learn what time is for.
兄弟よ、時間を無駄にしないで、時間が何のためにあるのか学んでください。
And speed the end of idols in a world made sad and sick by seeing idols there.
そして、そこに偶像を見ることによって惨めに病んでしまった世界の中で、早く偶像に終焉をもたらしてください。
Your holy mind is altar unto God, and where He is no idols can abide.
あなたの神聖な心は神の祭壇であり、神が在るところにはいかなる偶像も留まることはできません。
The fear of God is but the fear of loss of idols.
神に対する恐れは、偶像を失うことに対する恐れにほかなりません。
It is not the fear of loss of your reality.
それは、本当の自分を失うことへの恐れではありません。
But you have made of your reality an idol, which you must protect against the light of truth.
しかし、あなたは偶像こそが本当の自分だと解釈してしまったので、それに真理の光が当たらないように守らざるをえないのです。
And all the world becomes the means by which this idol can be saved.
そして、全世界が、このような偶像が救われるための手段になってしまいます。
Salvation thus appears to threaten life and offer death.
こうして、救済は生命を脅かし、死を差し延べるもののように見えてしまうのです。
10. It is not so.
しかし、そんなことは事実ではありません。
Salvation seeks to prove there is no death, and only life exists.
救済は、死は存在せず、生命だけが存在することを証明しようとするものだからです。
The sacrifice of death is nothing lost.
死を犠牲にしても、何ひとつ失われるものはありません。
An idol cannot take the place of God.
偶像は神に取って代わることはできません。
Let Him remind you of His Love for you, and do not seek to drown His Voice in chants of deep despair to idols of yourself.
あなたに対する神の大いなる愛を神に思い出させてもらいなさい。そして、あなた自身の偶像に捧げる深い絶望の詠唱で、神の声をかき消そうとするのはやめなさい。
Seek not outside your Father for your hope.
あなたの大いなる父の外側で自分の希望を見出そうとなどしないでください。
For hope of happiness is not despair.
というのは、幸せの希望は絶望ではないからです。


それなら人間の中にお求めなさい。
神はほかの何物よりもよく人間の中にあらわれているから。

Sri Ramakrishna Paramahamsa
ラーマクリシュナ
問題が「自分の外にある」と考えているなら、その考え方こそが問題である。

スティーブン・R・コヴィー
Your vision will become clear only when you can look into your own heart.
あなたが自分自身の心の奥底を見ることができたら、あなたのヴィジョンははっきり見えるようになるだろう。
Who looks outside, dreams; who looks inside, awakes.
外側を見る者は夢を見、内側を見る者は目覚める。

Carl Jung
カール・ユング
自分の一部でないものは存在せず
自分の一部でない人も存在せず
自分がくだす価値判断はすべて
自分に対する価値判断であり、
自分が行う批判もすべて自己批判である
という視点をとりいれるとき、
あなたは自分自身にまで
無条件の愛を拡げていけるほどの叡智を持つようになり、
その愛があなたの世界を照らす光となるのです。

ハリー・パルマ―(「意図的に生きる アバターの発見と開発」87ページ)

今回は、テキストから、自分自身の外を探求してはならないということを解説する一節をご紹介します。
自分の中でだけ探しちゃダメだといいながら、自分の外を探してはならないってどういうこと?
汝自身を知れで触れたように、テキストは、自分自身を知るためには自分の中だけを探すのではなく、他者との出会いを神聖な出会い(T8-3)として、自分がエゴに従っているのか、聖霊に従っているのか、他者を鏡として気づくことが必要だとも言っています。
自分の中でだけ探しちゃダメだといいながら、自分の外を探してはならないというのは矛盾しているように思えます。
どういうことなのでしょうか?

これは、矛盾ではありません。
エゴ→大いなる自己を見出すべし、大いなる自己→実在しない偶像を追い求めてはならない→矛盾ではない
汝自身を知れというときの自分の中だけを探さないというときの、「自分」とはエゴに従う者としての「小さな自己」の中だけで探さないという意味です。
これに対して、自分の外側に探してはならないというのは、本当は自分が「大いなる自己」でありすべてであるのに、自分が「小さな自己」であると誤信して、外の世界に自分を完全にしてくれる何かがあると勘違いして、偶像を作り出しては、それを探してはならないということです。
このスタンスは、小さな自己の外にあるものを自分から分離させるだけで、本当は自分とひとつだという理解から遠ざかるだけです。
あくまでも探求の目標は、真我である大いなる自己であって、大いなる自己を「自分」として、その外に何かを求めることはせず、大いなる自己が分裂しているように見える個別の小さな自己たちのうちの自分が一体化しているエゴ・身体だけの中で探すのではなく、他者のように見える人たちを鏡にして(決して偶像にすることなく)本当の自分を思い出すということです。
『汝自身を知れ』
「5. The goal of the curriculum, regardless of the teacher you choose, is "Know thyself. "
あなたが選ぶ教師がどちらであるかにかかわらず、カリキュラムの目標は『汝自身を知れ』というものです。
There is nothing else to seek.
自分自身を知る以外に、求めるべきことは何もないからです。
Everyone is looking for himself and for the power and glory he thinks he has lost.
誰もがみな、自分自身と自分が失ってしまったと思いこんでいる力と栄光を探し求めています。
Whenever you are with anyone, you have another opportunity to find them.
あなたが誰かと一緒にいるときは必ず、あなたは自らの探し求めるものを見出す新たな機会を得ているのです。
Your power and glory are in him because they are yours.
あなたの力と栄光は、あなたと一緒にいるその人の中にあります。なぜなら、その力と栄光はあなたのものだからです。
The ego tries to find them in yourself alone, because it does not know where to look.
エゴは、力と栄光をあなた自身だけの中に見つけようとします。なぜなら、エゴはそれらをどこで探せばよいのか知らないからです。
The Holy Spirit teaches you that if you look only at yourself you cannot find yourself, because that is not what you are.
聖霊はあなたに、もしあなたが自分自身だけを見ていたのでは、あなたは自分自身を見つけられないと教えてくれます。なぜなら、あなたが自分だと思っているあなたは、本当のあなたではないからです。
Whenever you are with a brother, you are learning what you are because you are teaching what you are.
あなたが兄弟と一緒にいるときはつねに、あなたは真の自分が何者なのか学んでいるのです。なぜなら、そのとき、あなたは自分が何者なのか教えているからです。
He will respond either with pain or with joy, depending on which teacher you are following.
あなたと一緒にいるその兄弟は、あなたがエゴと聖霊のいずれの教師に従っているかによって、あなたに苦痛をもって応じるか、あるいは喜びをもって応じるかのいずれかの反応を示します。
He will be imprisoned or released according to your decision, and so will you.
その兄弟は、どちらの教師に従うかというあなたの決心次第で、幽閉されるか解放されることになります。このことは、同じようにあなた自身にもあてはまります。
Never forget your responsibility to him, because it is your responsibility to yourself.
兄弟に対する自分の責任を決して忘れてはなりません。なぜなら、兄弟に対するあなたの責任は、あなた自身に対するあなたの責任だからです。
Give him his place in the Kingdom and you will have yours.
その兄弟に王国での居場所を与えなさい。そうすれば、あなたも王国に自分の居場所を得るでしょう。
6. The Kingdom cannot be found alone, and you who are the Kingdom cannot find yourself alone.
王国はひとりだけでは見出せません。そして、王国そのものであるあなたは、ひとりきりで自分自身を見出すこともできません。
To achieve the goal of the curriculum, then, you cannot listen to the ego, whose purpose is to defeat its own goal.
ゆえに、自己を知るというカリキュラムの目標を達成するために、あなたはエゴに耳を貸しているわけにはいきません。エゴの目的はエゴ自身の目標の達成を挫くことだからです。
The ego does not know this, because it does not know anything.
エゴには、自分が自分の目標の達成を挫こうとしていることがわかりません。なぜなら、エゴは何も知らないからです。
But you can know it, and you will know it if you are willing to look at what the ego would make of you.
しかし、あなたは、エゴに耳を貸しているかぎり自己を知ることはないと知ることができます。そして、もしあなたがエゴが自分をどんなものに仕立て上げようとしているか見てみる意欲を持つなら、あなたにもこのことがわかるはずです。
This is your responsibility, because once you have really looked at it you will accept the Atonement for yourself.
エゴがあなたをどんなもの作り変えようとしているのか見極めることは、あなたの責任です。なぜなら、いったんエゴが自分をどうしようとしているのか本当に見たなら、あなたは自分自身のために贖罪を受け入れるはずだからです。
What other choice could you make?
これ以外に、あなたにどんな選択ができるというのでしょうか。
Having made this choice you will understand why you once believed that, when you met someone else, you thought he was someone else.
あなたが自分自身のために贖罪を受け入れるというこの選択をすれば、あなたにも、かつて自分がほかの誰かに会った際に、自分が彼のことをほかの誰かだと思い、そう信じたのはなぜだったのかわかってきます。
And every holy encounter in which you enter fully will teach you this is not so.
そして、あなたが完全に関わる聖なる出会いの一つひとつがあなたに、あなたの出会う人たちは他人ではなくあなたなのだと教えてくれるでしょう。
7. You can encounter only part of yourself because you are part of God, Who is everything.
あなたは、ただ自分自身の一部に出会うことしかできません。なぜなら、あなたはすべてである神の一部だからです。
His power and glory are everywhere, and you cannot be excluded from them.
神の力と栄光は至るところにあるので、あなたが神の力と栄光から除外されることなどありえません。
The ego teaches that your strength is in you alone.
エゴは、あなたの力はあなたの中にだけあるのだと教えます。
The Holy Spirit teaches that all strength is in God and therefore in you.
聖霊は、すべての力は神の中に、したがって、あなたの中にあるのだと教えてくれます。
God wills no one suffer.
神は、誰ひとり苦しまないようにと意図しています。
He does not will anyone to suffer for a wrong decision, including you.
神は、あなたを含めた誰のことも、間違った決断をすることで苦しませるつもりはありません。
That is why he has given you the means for undoing it.
だから、神は、間違った決断を取り消すための手段をあなたに与えてくれています。
Through his power and glory all your wrong decisions are undone completely, releasing you and your brother from every imprisoning thought any part of the Sonship holds.
神の力と栄光を通して、すべてのあなたの間違った決断は完全に取り消されます。それによって、神の子のどの一部であれ、その者が心に宿す閉じこめたい、閉じこもりたいという幽閉の思いのすべてから、あなたと兄弟は解放されることになります。
Wrong decisions have no power, because they are not true.
間違った決断には何の力もありません。なぜなら、間違った決断は真実ではないからです。
The imprisonment they seem to produce is no more true than they are.
間違った決断が生み出すように見える幽閉状態は、間違った決断と同じように真実ではないのです。」(テキスト、第八章、三 聖なる出会い)

すべてを持ちすべてであるという実相
さて、奇跡のコースは、私たちは、神に創造された神の子として、神の拡張としてすべてである神とひとつであるといいます。
これが本当であるなら、本当はすべてであるものが、その一部でしかないものになるということ自体、不可能なことです。
そして、全体であるのに自分が一部であると信じこんで、自分の外側に何かを求めるということは、本当に自分を切り分けて、小さな一部分になることができたのなら別ですが、そうでないかぎり、一体性という真実を否認して、真理に反する幻想を抱いて、幻想の中に迷いこむことにしかなりません。
これは、自分の自己像を、真実の大いなる自己ではなく、矮小で取るに足らない小さな自己であるとして、間違ったアイデンティティーを持つことです。
本当の自分を見失って、すべてを持っているのに、欠乏していると思いこんでいたのでは、幸せになることなどできるはずもありません。
欠乏マインド
私たちは、自分には何かが欠落しており、自分自身の外側にある何かでこれを補わなければ、自分は完全なものになることはできないと信じています。
お金であったり、所有物であったり、交際相手であったり、仕事であったり、肩書きであったり、今の自分は駄目だけど、あの会社に入ることさえできれば、あの人と付き合うことができれば、あの大学に合格さえすれば・・・と。
逆に、その何かを手に入れた後も、それが自分の完全さを保つ欠かせない要素と信じこむので、失うことを恐れてそれに固執してしまいます。
この欲望は精神的な事柄に向かうこともできます。
悟りを開くことができれば、「自分」は完全になることができると。
欠乏マインドが特別性の追求に駆り立てる
このような自分に欠けている何かを補って満たしてくれるものは、人であれ、物であれ、権力であれ、名声であれ、健康であれ、環境であれ、心境であれ、それらは特別な存在となり、その特別性を追い求めます。
こうして、私たちは、不幸にも決して探し求めるものを見出すことのできない探求へと乗り出すことになります。
ロバート・シャインフェルドさんの譬えるドッグ・レースでグレイハウンドが自分たちの前を機械が絶妙なスピードで牽引するウサギの人形を必死になって追いかけるようなもので、あらかじめ追いつけないような仕組みになっているのです。
ただし、ドッグレースの犬たちは可哀想にも、追いかけるのをやめたら仕事を失い本当に生命の危機にさらされかねないですし、私たちも、この犬たちと自分が同じだと信じているわけですが、追いかけるのをやめたらどうなるか試してみるどころか、考えてみることすら、大多数の人はしようとはしません。
走り続けるのをやめて、立ち止まったら本当に地獄か確かめてみる
でも、求めるものが必死に追い求めても絶対に手に入らないのであれば、頑張っても地獄、止まっても地獄なのですから、両方の地獄を天秤にかければ、止まったほうの地獄が本当に地獄なのか、確かめてみる価値はありそうです。
というのも、追い求めても決して見出せない理由は、探そうとしているものが、実は自分自身の中にあるからだということらしいからです。
偶像崇拝
さて、このように自分の外側に何かを求めてしまうのは、自分を身体と一体化し、エゴの信奉する欠乏の原理を心底から信じこんでしまうによるものですが、これを補う特別な存在が偶像です。
偶像は、自分の不完全さを補ってくれる特別な何かを自分自身の外に追い求めるための象徴、形であり、エゴの空疎な願望を体現するものです。
偶像は必ず期待を裏切って崩れ落ち、崇拝者を失望させます。
自分が欠乏しているとの思いから、自分の外部の何かに希望を抱き、いつか失望してはまた別の希望を見つけてはその繰り返しというのは、誰しも自分の人生で体験していることだと思います。
この点については、反キリストが参考になるのでご一読ください。
無限ループの回し車から抜け出すために必要なのは、自分にはこの世界の目的がわかっていないと決断することだけ
さて、この一節では、このように自分の外に偶像を求めては幻滅して絶望し、また別の偶像を見つけるという無限のループに嵌ってしまうことから抜け出すために必要なのは、私たちが、自分にはこの世界の目的がわかっていないと決断することだけだと言います。
私たちは、すべてである神とひとつである神の子として、本来、自分の内側にあるものを完全にする力を持っていながら、本当の自分を、小さな自己と外側の夢見る世界にふたつに分裂させて、夢の世界の中で、自分自身の外側に偶像を探すための場所を見ようとしています。
私たちは、自分が夢を見る存在として、夢の世界のすべてを生み出していることを忘れ、自分を夢の中のちっぽけな一登場人物に縮小させて、その小さな自分の外側から世界が自分に与えられたものであるかのように知覚しています。
本当は、夢見る自分が偶像にさせたいことさせているのであり、力を授けているのに、私たちは、そんな偶像たちの持つ力を自分のものにしたいといって、夢の中で虚しくも偶像たちを追い求めるのです。

テキスト第二十九章
VII. Seek Not Outside Yourself
七 自分自身の外側を探さないように

1. Seek not outside yourself.
あなた自身の外側を探そうとしてはなりません。
For it will fail, and you will weep each time an idol falls.
というのは、それは失敗に終わるし、あなたは崇拝する偶像が崩れ落ちるたびに涙を流すことになるからです。
Heaven cannot be found where it is not, and there can be no peace excepting there.
天国が存在しないところに天国が見つかるはずがありません。そして、天国以外の場所に平安があるはずがありません。
Each idol that you worship when God calls will never answer in His place.
神が呼んでいても、あなたが崇拝している偶像はどれも、決して神の代わりに答えてはくれません。
There is no other answer you can substitute, and find the happiness His answer brings.
あなたが神の答えに置き換えて、神の答えがもたらす幸せを見つけられるような別の答えなど何もありません。
Seek not outside yourself.
だから、自分自身の外側を探そうとしてはなりません。
For all your pain comes simply from a futile search for what you want, insisting where it must be found.
というのも、あなたの味わう苦痛はすべて、単に自分の望むものを、それが見つかるはずだと自分で思いこんでいる場所に固執して不毛な探求をし続けることに由来しているからです。
What if it is not there?
もし自分の望むものが、そこになかったらどうするつもりなのでしょうか。
Do you prefer that you be right or happy?
あなたは自分が正しいほうがよいのでしょうか、それとも自分が幸せなほうがよいのでしょうか。
Be you glad that you are told where happiness abides, and seek no longer elsewhere.
幸せがどこにあるのか教えてもらえることを喜んで、もうこれ以上、別の場所で探さないでください。
You will fail.
さもなければ、あなたは失敗するだけです。
But it is given you to know the truth, and not to seek for it outside yourself.
しかし、あなたには真理を知るために幸せが与えられているのだから、自分自身の外側に幸せを探そうとしないでください。
2. No one who comes here but must still have hope, some lingering illusion, or some dream that there is something outside of himself that will bring happiness and peace to him.
この世界に来る者は誰であれ、依然として自分の外側に自分に幸福と平安をもたらしてくれる何かがあるはずだと期待し、いつまでも燻り続けるような幻想や何かしらの夢を抱いているに違いありません。
If everything is in him this cannot be so.
もしすべてのものが彼の中にあるとすれば、彼に幸福や平安をもたらすものが彼の外側に存在するはずがありません。
And therefore by his coming, he denies the truth about himself, and seeks for something more than everything, as if a part of it were separated off and found where all the rest of it is not.
したがって、まるですべてのものの一部分が切り離されて、それが残りの全部が存在しない場所で見出せるかのように、彼はこの世界に来ることによって、本当の自分自身を否認し、すべてのもの以上の何かを探していることになります。
This is the purpose he bestows upon the body; that it seek for what he lacks, and give him what would make himself complete.
これこそ、彼が身体に与えている目的です。すなわち、身体の目的は、自分に欠けているものを探し出して、自分自身を完全にしてくれるものを彼に与えることなのです。
And thus he wanders aimlessly about, in search of something that he cannot find, believing that he is what he is not.
こうして、彼は自分のことを本当の自分とは違う何者かであると信じながら、自分に見つけ出すことのできない何かを探そうとして、あてどなくさまよっているのです。

3. The lingering illusion will impel him to seek out a thousand idols, and to seek beyond them for a thousand more.
しつこくつきまとう幻想が、彼に千もの偶像を探求させ、それを越えてさらに千もの偶像を探すようにと駆り立てます。
And each will fail him, all excepting one; for he will die, and does not understand the idol that he seeks is but his death.
そして、ひとつの偶像だけは別として、どの偶像もみな彼を失望させるでしょう。それというのも、彼は死ぬことになっており、彼には自分が探している偶像とは、まさに自分の死にほかならないことが理解できないからです。
Its form appears to be outside himself.
その偶像の形は彼自身の外側に存在するように見えます。
Yet does he seek to kill God's Son within, and prove that he is victor over him.
しかし、彼は内面にいる神の子を殺し、自分がその神の子を打ち負かした勝者だと証明しようとしているのです。
This is the purpose every idol has, for this the role that is assigned to it, and this the role that cannot be fulfilled.
神の子を殺すことこそ、すべての偶像が持つ目的です。というのも、これが偶像に割り当てられた役目だからです。もっとも、これは達成不可能な役目です。
4. Whenever you attempt to reach a goal in which the body's betterment is cast as major beneficiary, you try to bring about your death.
あなたが身体の改善を主眼とするような目標を達成しようと試みるたびに、あなたは自分に死をもたらそうとしているのです。
For you believe that you can suffer lack, and lack is death.
というのは、あなたは自分は欠乏して苦しむことができると信じているのであり、欠乏状態とは死だからです。
To sacrifice is to give up, and thus to be without and to have suffered loss.
犠牲になるのは何かを諦めることであり、したがって、それを持たずにいることであり、損失を被ったということです。
And by this giving up is life renounced.
だから、こうして諦めることによって、生命は放棄されるのです。
Seek not outside yourself.
自分自身の外側を探さないでください。
The search implies you are not whole within and fear to look upon your devastation, but prefer to seek outside yourself for what you are.
自分の外を探索することは、あなたは内面的に不完全であり、自分の荒廃状態を見るのが怖くて、むしろ自分自身の外側に本当の自分を求めて探すほうがましだと思っていることを暗に意味しています。

5. Idols must fall because they have no life, and what is lifeless is a sign of death.
偶像は生命を持たないので、必ず崩れ落ちます。そして、生命のないものは死の印です。
You came to die, and what would you expect but to perceive the signs of death you seek?
あなたは死ぬためにやってきたのです。とすれば、あなたには自分の探している死の印を知覚する以外に何を期待できるでしょうか。
No sadness and no suffering proclaim a message other than an idol found that represents a parody of life which, in its lifelessness, is really death, conceived as real and given living form.
いかなる悲しみや苦しみも、生命のお粗末なまがい物である偶像を見つけたと知らせているにすぎずません。偶像には生命がないので、本当は死であるのに、実在するものと考えられて生きているような形を与えられています。
Yet each must fail and crumble and decay, because a form of death cannot be life, and what is sacrificed cannot be whole.
しかし、どの偶像にも必ず失望させられます。そして、偶像は、脆くも崩れて腐敗します。なぜなら、死の一形態が生命であるはずがないし、犠牲にされたものが完全であるはずもないからです。
6. All idols of this world were made to keep the truth within from being known to you, and to maintain allegiance to the dream that you must find what is outside yourself to be complete and happy.
この世界の偶像はすべて、自らの内なる真理をあなたが知らずにいる状態を保つために作られました。そしてまた、偶像はすべて、あなたが完全で幸せになるためには、自分自身の外側にあるものを見つけなければならないという夢に、いつまでも忠実に従わせるために作られたのです。
It is vain to worship idols in the hope of peace.
平安を期待して偶像を崇拝しても無駄です。
God dwells within, and your completion lies in Him.
神はあなたの内に宿るのであり、その神の中にこそ、あなたの完成を見出すことができます。
No idol takes His place.
どのような偶像も、神に取って代わることなどできません。
Look not to idols.
偶像を頼みになどしないでください。
Do not seek outside yourself.
あなた自身の外側を探そうとしないでください。

7. Let us forget the purpose of the world the past has given it.
過去がこの世界に与えた目的など忘れてしまいましょう。
For otherwise, the future will be like the past, and but a series of depressing dreams, in which all idols fail you, one by one, and you see death and disappointment everywhere.
さもないと、未来は、過去と同じように憂鬱な夢の連続となって、その夢の中ですべての偶像がひとつまたひとつとあなたを失望させ、あなたはあらゆるところに死と絶望を見ることになってしまいます。
8. To change all this, and open up a road of hope and of release in what appeared to be an endless circle of despair, you need but to decide you do not know the purpose of the world.
こうしたことのすべてを変化させて、絶望の無限の堂々巡りに見えるものの中に希望と解放の道を拓くために必要なのは、自分はこの世界の目的を知らないとあなたが決断することだけです。
You give it goals it does not have, and thus do you decide what it is for.
あなたは世界に、世界が持っていない多様な目標を与え、そうすることで、世界が何のためにあるのか自分で決定しようとしています。
You try to see in it a place of idols found outside yourself, with power to make complete what is within by splitting what you are between the two.
あなたは、本来の自分を内側と外側のふたつに分裂させることによって、自分の内側にあるものを完全にする力を持つ偶像の居場所を自分自身の外側の世界の中に見出そうとしています。
You choose your dreams, for they are what you wish, perceived as if it had been given you.
あなたは、自分の夢のほうを選んでいるのです。というのも、あなたの夢は、あなたの願望をそれがまるで外から自分に与えられたかのように知覚するものだからです。
Your idols do what you would have them do, and have the power you ascribe to them.
あなたの偶像は、あなたがその偶像にさせたいことをするし、あなたがその偶像に与える力を持ちます。
And you pursue them vainly in the dream, because you want their power as your own.
そして、あなたは、そんな偶像たちの持つ力をわがものにしようと望むがゆえに、夢の中で虚しくも偶像たちを追い求めるのです。

9. Yet where are dreams but in a mind asleep?
しかし、夢の世界は眠っている心の中以外のどこにあるでしょうか。
And can a dream succeed in making real the picture it projects outside itself?
そして、はたしてただの夢に、眠っている心が自分自身の外側に投影する光景を本物に作り変えることなどできるでしょうか。
Save time, my brother; learn what time is for.
兄弟よ、時間を無駄にしないで、時間が何のためにあるのか学んでください。
And speed the end of idols in a world made sad and sick by seeing idols there.
そして、そこに偶像を見ることによって惨めに病んでしまった世界の中で、早く偶像に終焉をもたらしてください。
Your holy mind is altar unto God, and where He is no idols can abide.
あなたの神聖な心は神の祭壇であり、神が在るところにはいかなる偶像も留まることはできません。
The fear of God is but the fear of loss of idols.
神に対する恐れは、偶像を失うことに対する恐れにほかなりません。
It is not the fear of loss of your reality.
それは、本当の自分を失うことへの恐れではありません。
But you have made of your reality an idol, which you must protect against the light of truth.
しかし、あなたは偶像こそが本当の自分だと解釈してしまったので、それに真理の光が当たらないように守らざるをえないのです。
And all the world becomes the means by which this idol can be saved.
そして、全世界が、このような偶像が救われるための手段になってしまいます。
Salvation thus appears to threaten life and offer death.
こうして、救済は生命を脅かし、死を差し延べるもののように見えてしまうのです。
10. It is not so.
しかし、そんなことは事実ではありません。
Salvation seeks to prove there is no death, and only life exists.
救済は、死は存在せず、生命だけが存在することを証明しようとするものだからです。
The sacrifice of death is nothing lost.
死を犠牲にしても、何ひとつ失われるものはありません。
An idol cannot take the place of God.
偶像は神に取って代わることはできません。
Let Him remind you of His Love for you, and do not seek to drown His Voice in chants of deep despair to idols of yourself.
あなたに対する神の大いなる愛を神に思い出させてもらいなさい。そして、あなた自身の偶像に捧げる深い絶望の詠唱で、神の声をかき消そうとするのはやめなさい。
Seek not outside your Father for your hope.
あなたの大いなる父の外側で自分の希望を見出そうとなどしないでください。
For hope of happiness is not despair.
というのは、幸せの希望は絶望ではないからです。


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