T11-8 問題と答え

2013年08月31日
テキスト第11章(神かエゴか) 0

If we can really understand the problem, the answer will come out of it, because the answer is not separate from the problem.
もし私たちが特定の問題を真に理解できたなら、その問題から答えが姿を現します。なぜなら、答えは問題から離れてはいないからです。



Jiddu Krishnamurti
ジッドゥ・クリシュナムルティ



A little child has no difficulty in loving, has no obstacles to love.
小さな子どもは、難なく愛に満たされることができ、何の妨げもなく愛することができます。

And that is why Jesus said : ‘Unless you become like little children you cannot enter the kingdom of God.’
そういうわけでイエス様は「汝ら幼子のごとくならざれば、神の王国に入ることあたわず」とおっしゃったのです。



Mother Teresa
マザー・テレサ





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今回は、「問題と答え」についてのテキストの一節をご紹介します。


世界が天国に変容することで世界は終わる

1.「The end of the world is not its destruction, but its translation into Heaven.
 世界の終わりとは、世界が破滅することではなく、世界が天国へと変容することです。」

世界は幻想だというコースの主張は、とてもインパクトがあるだけに、単につまみ読みしただけだと、幻想は偽りだから、幻想である世界は消し去らねばならないという考え方を導き出し、世界を否認し、攻撃して破壊すべきということをコースが主張しているという解釈につながりがちです。


実在の不在を否認して攻撃することは正しい否認の用い方とはいえない

テキストで以前に出てきた中に、身体が存在することを否認することにかまけることを戒める箇所がありました。

「However, it is almost impossible to deny its existence in this world.
 しかしながら、この世界の中で身体の存在を否定することは、ほとんど不可能です。

 Those who do so are engaging in a particularly unworthy form of denial.
 この世界の中で身体の存在を否定しようとする者たちは、否認の中でも、とりわけ価値のない形の否認にかまけているといえます。

 The term "unworthy" here implies only that it is not necessary to protect the mind by denying the unmindful.
 ここで『価値のない』という言葉を使うのは、ひとえに心を持たない身体を否認することによって心を保護する必要などないと示したいからです。

 If one denies this unfortunate aspect of the mind's power, one is also denying the power itself.
 もしある人が、この身体の存在という心の力が不適切に表れた側面を否認するなら、彼は同時に自分の心の力そのものをも否定することになってしまうのです。」(T2-4 恐れからの解放としての癒し 3.)




贖罪以外のすべての防衛手段は諸刃の剣

否認は、贖罪以外のすべての防衛手段と同じく、正しく使えば真理を防衛する手段になるけれど、間違って使うと攻撃となってしまう諸刃の剣であるということでした。

世界を相手に世界を否認して攻撃することで、世界の実在性を覆そうと戦うのはドン・キホーテが風車に向かって突撃するよりも愚かなことでしょう。

エゴにせよ、身体にせよ、世界にせよ、否認したり拒んだり攻撃したりして消滅させられるのなら話は簡単です。

否認・攻撃こそ分離側の主要な戦闘方法であり武器なわけですから、それを手に戦いを挑むのは、わざわざ相手の使い慣れた武器を用いた戦い方に従って、相手の土俵に自分から乗っかって自ら負け戦を挑むことです。


聖霊は呪いとなる武器を祝福の楽器として用いる

聖霊の戦法(聖霊が闘うことはないので、用語としてはどうかと思いますが)は、合気道の達人のように、相手の攻撃に肩透かしを食わせたり、相手の攻撃を無力化したり、相手の攻撃力を維持したままベクトルを向け変えて相手を自滅に導いたりといった具合で、目的を不浄さから神聖さに変えることで、エゴの攻撃や武器を聖霊の役に立つように活用するという手法です。

いずれにせよ、神の子の自然な状態が幸せであり、神の子である自覚を取り戻させようとするコースが、何か(世界なりエゴなり特別な関係なり)を攻撃させたり、虚無的な感情を抱くような発想を勧めたりするはずがないということを意識して、自分の気分や感情を自分が正しく学べているかを判別するための指標やサインにするとよいでしょう。

ともすれば、コースを生齧りすると、コースを知らずにいたころよりも厭世的になってしまう人も少なくないかもしれません。


コースを学んで厭世的になるなら学びのスタンスを考え直す機会かもしれない

たしかに、コースの端々に世界に価値を置かないように仕向けるような表現が出てくるのは事実です。

けれど、世界を成り立たせている分離幻想の仕組み、エゴであれ、特別性であれ、身体であれ、死であれ、時間であれ、実在の不在を概念化したものに対するコースのスタンスは、それを否認し攻撃して消滅させよというのではなく、それを愛し、それに光を当てて真理に到達するための手段として活用せよ、というものです。

この点については、レッスン129「この世界を越えた向こう側に、私の望む世界がある」のエッセイが参考になると思います。

神が愛の神であることを教え、幸せになるという役割を果たすことによって、幸せな夢に到達することを目指すコースを学ぶのに世界を敵視したり、消滅させるべき偽物として軽視したりして不幸になるのは間違って学習してしまっている証拠です。


そこにキリストが行くなら地獄も天国に変わる

私たちが生きているこの世界を幻として打ち倒して破滅させるというスタンスでは、真の世界には決して到達できないでしょう。

その人が消滅させようとしているこの世界それ自体が、その人の自己認識と知覚が変わることによって真の世界に変容するわけであり、同じ世界なわけだからです。

そこにキリストが行くなら地獄も天国に変わる、と肝に銘じて、世界を嘆いたり捨てたり攻撃したりせずに、愛しましょう。

世界は自分自身なのですから。



ゆにこーん_1225101759 (2) (1)

テキスト 第十一章 

VIII. The Problem and the Answer
八 問題と答え



1. This is a very simple course.
 これは本当にシンプルな学習課程です。

 Perhaps you do not feel you need a course which, in the end, teaches that only reality is true.
 たぶんあなたは、最終的に現実だけが本当にあるものだと教えるコースが自分に必要だと感じてはいないはずです。

 But do you believe it?
 しかし、あなたは現実だけが真実だと信じているでしょうか。

 When you perceive the real world, you will recognize that you did not believe it.
 あなたが真の世界を知覚するとき、あなたは、自分が現実だけが真実だと信じてはいなかったと認めるでしょう。

 Yet the swiftness with which your new and only real perception will be translated into knowledge will leave you but an instant to realize that this alone is true.
 しかし、あなたが新たに得る唯一の真の知覚は速やかに知識へと変換されることになるので、これだけが真実だとあなたが理解するにはほんの一瞬しか要しません。

 And then everything you made will be forgotten; the good and the bad, the false and the true.
 そのあと、あなたの作り出したあらゆるものは、良きものも悪しきものも、虚偽も真実も、すべて忘れ去られることになります。

 For as Heaven and earth become one, even the real world will vanish from your sight.
 というのも、天と地がひとつになるときには、その真の世界すら、あなたの視界から消え去ることになるからです。

 The end of the world is not its destruction, but its translation into Heaven.
 世界の終わりとは、世界が破滅することではなく、世界が天国へと変容することです。

 The reinterpretation of the world is the transfer of all perception to knowledge.
 世界を解釈し直すことが、すべての知覚を知識へと移し替えるのです。



2. The Bible tells you to become as little children.
 聖書は、あなたに幼子のごとくなるようにと教えています。

 Little children recognize that they do not understand what they perceive, and so they ask what it means.
 幼い子供たちは、自分が知覚するものを自分が理解していないとわかっているので、それが何を意味するのか尋ねます。

 Do not make the mistake of believing that you understand what you perceive, for its meaning is lost to you.
 あなたも、自分の知覚するもののことを自分は理解していると信じこんでしまうような間違いを犯さないようにしなさい。というのは、あなたは自分の知覚するものの意味を見失ってしまっているからです。

 Yet the Holy Spirit has saved its meaning for you, and if you will let him interpret it, he will restore to you what you have thrown away.
 しかし、聖霊があなたのためにその意味を保ってくれています。だから、もしあなたが聖霊に自分の見失ってしまった意味を解釈して説明してもらう気になれば、聖霊は、あなたが捨て去ってしまったものをあなたに戻してくれるでしょう。

 Yet while you think you know its meaning, you will see no need to ask it of him.
 しかし、自分はその意味がわかっているとあなたが思っているかぎり、あなたは聖霊にその意味を尋ねる必要を認めないでしょう。

名称未設定

3. You do not know the meaning of anything you perceive.
 あなたは、何であれ自分の知覚するものの意味がわかっていません。

 Not one thought you hold is wholly true.
 あなたの抱く思いのうち、完全に真実であるものは何ひとつありません。

 The recognition of this is your firm beginning.
 このことに気づくことで、あなたの旅立ちは確実なものになります。

 Instruction in perception is your great need, for you understand nothing.
 あなたは知覚の仕方について指導を受ける必要が大いにあります。というのは、あなたは何も理解していないからです。

 Recognize this but do not accept it, for understanding is your inheritance.
 自分が何も理解していないと認めてください。ただし、自分の無理解を甘受してはなりません。なぜなら、あなたは生まれながらに理解力を持っているからです。

 Perceptions are learned, and you are not without a Teacher.
 知覚は学習によって習得するものですが、あなたには大いなる教師がついています。

 Yet your willingness to learn of him depends on your willingness to question everything you learned of yourself, for you who learned amiss should not be your own teacher.
 もっとも、あなたがその大いなる教師から学ぶ意欲を持てるかどうかは、あなたに自分で学んだことのすべてを自ら疑ってかかる気があるかどうかにかかっています。なぜなら、間違って学んでしまったあなたは、自分自身の教師であるべきではないからです。



4. No one can withhold truth except from himself.
 誰しも、自分自身に対して以外は真理を隠しておくことなどできません。

 Yet God will not refuse you the answer he gave.
 しかし、神は自らが与えた答えをあなたに与えるのを拒むようなことはありません。

 Ask, then, for what is yours, and do not defend yourself against truth.
 ゆえに、自分のものであるものを求めてください。そして、真理に敵対して自分を防衛しようとしないでください。

 You made the problem God has answered.
 あなたは問題を作りましたが、その問題には神がすでに答えてくれています。

 Ask yourself, therefore, but one simple question:
 それゆえ、あなた自身にひとつだけ簡単な質問をしてください。


Do I want the problem or do I want the answer?
私が欲しいのは問題だろうか、それとも答えだろうか。


 Decide for the answer and you will have it, for you will see it as it is, and it is yours already.
 答えを望むと決めなさい。そうすれば、あなたはその答えを得るでしょう。というのも、あなたはその答えをありのままに見るようになるし、その答えはすでにあなたのものだからです。

名称未設定

5. You may complain that this course is not sufficiently specific for you to understand and use.
 あなたは、自分にとって理解して活用するには、このコースは十分に明確で具体的なものではないと文句を言うかもしれません。

 Yet perhaps you have not done what it specifically advocates.
 しかし、おそらくあなたはまだ、このコースが具体的に提案することを実際に行なってはいないのです。

 This is not a course in the play of ideas, but in their practical application.
 これは想念を弄ぶためのコースではなくて、想念を実践的に活用する方法を学ぶコースです。

 Nothing could be more specific than to be told that if you ask you will receive.
 あなたが求めるなら、あなたは受け取ることになる、と告げられる以上に明確な指示はありえません。

 The Holy Spirit will answer every specific problem as long as you believe that problems are specific.
 あなたが問題というものは具体的なものだと信じるかぎり、聖霊は一つひとつの具体的な問題に答えてくれるでしょう。

 His answer is both many and one, as long as you believe that the one is many.
 あなたがひとつであるものを多数であると信じる間は、聖霊の答えは多数であると同時にひとつでもあるからです。

 You may be afraid of his specificity, for fear of what you think it will demand of you.
 あなたは、聖霊が具体性を帯びることに恐れを抱いてしまうかもしれません。というのも、あなたは聖霊が自分に具体的なものを要求するはずだと考えて恐れてしまうからです。

 Yet only by asking will you learn that nothing of God demands anything of you.
 しかし、ただ求めることによってのみ、あなたは神に属するものが自分に何も要求しないということを学ぶでしょう。

 God gives; he does not take.
 神は与えるのであって、取りあげることはありません。

 When you refuse to ask, it is because you believe that asking is taking rather than sharing.
 あなたが求めることを拒むなら、それはあなたが求めることは共有することではなく、取りあげることだと信じているからなのです。



6. The Holy Spirit will give you only what is yours, and will take nothing in return.
 聖霊は、あなたのものだけをあなたに与え、その代償に何も取りあげはしないでしょう。

 For what is yours is everything, and you share it with God.
 というのも、あなたのものとは万物のことであり、あなたは万物を神と分かち合っているからです。

 That is its reality.
 万物の本質とは、あなたが万物を神と分かち合っていることです。

 Would the Holy Spirit, Who wills only to restore, be capable of misinterpreting the question you must ask to learn his answer?
 ただあなたのものを回復させることだけを意図する聖霊が、聖霊の答えを学ぶためにあなたが尋ねざるをえない質問を誤って解釈することなどありうるでしょうか。

 You have heard the answer, but you have misunderstood the question.
 あなたはすでにその答えを聞いているのですが、あなたはその質問を誤解してきました。

 You believe that to ask for guidance of the Holy Spirit is to ask for deprivation.
 あなたは聖霊の導きを求めることは、損失を求めるようなものだと信じています。

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7. Little child of God, you do not understand your Father.
 神の幼き子供よ、あなたは自らの大いなる父を理解していません。

 You believe in a world that takes, because you believe that you can get by taking.
 あなたは奪い合いの世界を信じています。なぜなら、あなたは奪い取ることで何かを手に入れられると信じているからです。

 And by that perception you have lost sight of the real world.
 そして、そのように知覚することによって、あなたは真の世界を見失ってしまったのです。

 You are afraid of the world as you see it, but the real world is still yours for the asking.
 あなたは自分の目に映る通りの世界に恐れを抱いています。しかし、真の世界は、求めさえすれば、いつでもあなたのものになるのです。

 Do not deny it to yourself, for it can only free you.
 真の世界を自分自身に拒まないでください。というのも、真の世界は、ただあなたを自由にすることしかできないからです。

 Nothing of God will enslave his Son whom he created free and whose freedom is protected by his being.
 何であれ、神に属するものが神の子を奴隷にすることはありません。神は、神の子を自由なものとして創造し、子の自由は神の実在によって守られているからです。

 Blessed are you who are willing to ask the truth of God without fear, for only thus can you learn that his answer is the release from fear.
 恐れることなく、自らの意志で神に真理を求めるあなたは祝福されています。というのも、ただそうすることによってのみ、あなたは神の答えが恐れからの解放であると学べるからです。



8. Beautiful child of God, you are asking only for what I promised you.
 美しき神の子供よ、あなたはただ私があなたに約束したものだけを求めているのです。

 Do you believe I would deceive you?
 あなたは、私があなたを欺いたりすると信じているのですか。

 The Kingdom of Heaven is within you.
 天の王国はあなたの内にあります。

 Believe that the truth is in me, for I know that it is in you.
 真理は私の中にあると信じてください。というのは、私は真理があなたの中にあると知っているからです。

 God's Sons have nothing they do not share.
 神の子供たちは、自分たちが共有していないものなど何ひとつ持っていません。

 Ask for truth of any Son of God, and you have asked it of me.
 どの神の子にも真理を求めなさい。そうすれば、あなたは私に真理を求めたことになります。

 Not one of us but has the answer in him, to give to anyone who asks it of him.
 私たちの誰もがみな、自分の中に答えを持っています。それは自分にその答えを求める者なら誰にでもその答えを与えるためなのです。

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9. Ask anything of God's Son and his Father will answer you, for Christ is not deceived in his Father and his Father is not deceived in him.
 神の子に何でも求めなさい。そうすれば、彼の大いなる父があなたに答えてくれるでしょう。というのは、キリストが自らの父を見誤ることなどないし、大いなる父もキリストを見誤ることはないからです。

 Do not, then, be deceived in your brother, and see only his loving thoughts as his reality, for by denying that his mind is split you will heal yours.
 それゆえ、自分の兄弟を見誤らないでください。そして、その兄弟が抱く愛に満ちる思いだけを本当の彼としてみなしてください。というのも、あなたが彼の心が分裂していることを否認することによって、あなたは自分の心を癒すことになるからです。

 Accept him as his Father accepts him and heal him unto Christ, for Christ is his healing and yours.
 その兄弟を彼の大いなる父が受け入れているように受け入れなさい。そして、その兄弟をキリストの姿になるまで癒してください。というのも、キリストこそ彼とあなたが癒された真の姿だからです。

 Christ is the Son of God Who is in no way separate from his Father, Whose every thought is as loving as the Thought of his Father by which he was created.
 キリストとは、大いなる父からまったく分離していない神の子のことです。キリストが抱く思いは、ひとつ残らず、それによってキリストが創造された父の大いなる思いと同様に愛に満ち溢れています。

 Be not deceived in God's Son, for thereby you must be deceived in yourself.
 神の子を誤解していてはなりません。というのも、神の子を見損なうことによって、あなたは自分自身を見誤ってしまうに違いないからです。

 And being deceived in yourself you are deceived in your Father, in whom no deceit is possible.
 そして、自分自身を見誤るなら、あなたは、欺くことなど一切ありえない大いなる父を誤解してしまいます。



10. In the real world there is no sickness, for there is no separation and no division.
 真の世界には、いかなる病気も存在しません。なぜなら、真の世界には分離も分裂もないからです。

 Only loving thoughts are recognized, and because no one is without your help, the help of God goes with you everywhere.
 真の世界では、愛に満ちた思いだけが認められます。そして、あなたの助けを必要としない者など誰ひとりいないので、神の助け手があなたとともにどこにでも行ってくれます。

 As you become willing to accept this help by asking for it, you will give it because you want It.
 あなたがこの助け手である聖霊の助けを求めることによって、聖霊の助けを進んで受け入れるようになるにしたがって、あなたが聖霊の助けを望むがゆえに、あなたは聖霊の助けを与えるようになります。

 Nothing will be beyond your healing power, because nothing will be denied your simple request.
 あなたの癒しの力に癒せないものは何ひとつなくなるでしょう。なぜなら、あなたがただ頼みさえすれば、何も拒まれることはなくなるからです。

 What problems will not disappear in the presence of God's answer?
 神の答えを前にして、解消されないようなどんな問題があるというのでしょうか。

 Ask, then, to learn of the reality of your brother, because this is what you will perceive in him, and you will see your beauty reflected in his.
 ですから、自分の兄弟の真実の姿を学ぶことを求めてください。なぜなら、兄弟の真実の姿こそ、あなたが兄弟の中に知覚することになるものであるし、あなたは兄弟の美しさの中に自らの美しさが反映されるのを目にすることになるからです。

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11. Do not accept your brother's variable perception of himself for his split mind is yours, and you will not accept your healing without his.
 あなたの兄弟が抱いている不安定な自己認識を受け入れてはなりません。というのは、その兄弟が分裂した心でいることはあなたも分裂した心でいることであり、その兄弟が癒されることなくしては、あなたは自分の癒しを受け入れられないからです。

 For you share the real world as you share Heaven, and his healing is yours.
 なぜなら、あなたたちは天国を分かち合うのと同様に、真の世界を共有しているので、兄弟の癒しがあなたの癒しとなるからです。

 To love yourself is to heal yourself, and you cannot perceive part of you as sick and achieve your goal.
 あなた自身を愛することは、あなた自身を癒すことです。そして、自分の一部分を病んだものとして知覚していながら、自分の目標を達成することがあなたにできるはずがありません。

 Brother, we heal together as we live together and love together.
 兄弟よ、私たちは一緒に生きており、ともに愛し合うがゆえに、心をひとつにして癒すのです。

 Be not deceived in God's Son, for he is one with himself and one with his Father.
 神の子を見誤ってはなりません。なぜなら、神の子は彼自身とひとつであり、彼の大いなる父ともひとつだからです。

 Love him who is beloved of his Father, and you will learn of the Father's Love for you.
 大いなる父の愛し子である神の子を愛しなさい。そうすれば、あなたは自分に対する父の大いなる愛を学ぶでしょう。



12. If you perceive offense in a brother pluck the offense from your mind, for you are offended by Christ and are deceived in him.
 もしあなたが兄弟の中に自分の感情を害するものを知覚するなら、あなたの心からその非難の種を摘み取ってください。というのは、あなたはキリストに腹を立てて、キリストのことを誤解しているからです。

 Heal in Christ and be not offended by him, for there is no offense in him.
 キリストに腹を立てたりせずに、キリストに癒してもらいなさい。というのも、キリストには非難の種など何もないからです。

 If what you perceive offends you, you are offended in yourself and are condemning God's Son whom God condemneth not.
 もしあなたが知覚するものがあなたの感情を害するとすれば、あなたは自分自身に腹を立てているのであり、神が咎めてもいない神の子を糾弾しているのです。

 Let the Holy Spirit remove all offenses of God's Son against himself and perceive no one but through his guidance, for he would save you from all condemnation.
 聖霊に、神の子自身のためにならない非難の種をみな取り除いてもらいなさい。そして、誰のことも、聖霊の導きを介さずには知覚しないようにしてください。そうすれば、どんな非難もしないでいられるよう聖霊があなたを救ってくれるでしょう。

 Accept his healing power and use it for all he sends you, for he wills to heal the Son of God, in whom he is not deceived.
 聖霊の癒しの力を受け入れなさい。そして、聖霊があなたの許へと送ってよこすすべての者たちのために、その癒しの力を使ってください。というのは、聖霊は神の子を癒すことを意図しており、聖霊が神の子を見間違うはずがないからです。



13. Children perceive frightening ghosts and monsters and dragons, and they are terrified.
 子供たちは、ぎょっとさせるような幽霊や怪物や竜がいると知覚するので、彼らは怯えて怖がります。

 Yet if they ask someone they trust for the meaning of what they perceive, and are willing to let their own interpretations go in favor of reality, their fear goes with them.
 しかし、もし子供たちが自分の信頼する誰かに、自分の知覚するものの意味を尋ね、現実を受け入れることを選んで、自分の解釈を進んで手放す意欲を持つなら、彼らの解釈と一緒に恐れも去ってしまいます。

 When a child is helped to translate his "ghost" into a curtain, his "monster" into a shadow, and his "dragon" into a dream he is no longer afraid, and laughs happily at his own fear.
 その子供が手助けを得て、「幽霊」はカーテンで、「怪獣」は何かの影が映ったもので、「竜」は夢だったと解釈し直すことができれば、彼はもはや怖がることなく、自分が抱いていた恐れを愉快に笑い飛ばすでしょう。

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14. You, my child, are afraid of your brothers and of your Father and of yourself.
 わが子よ、あなたは自分の兄弟たちを恐れ、自らの大いなる父を恐れ、あなた自身をも恐れています。

 But you are merely deceived in them.
 しかし、あなたは単に、みんなについて誤解しているだけです。

 Ask what they are of the Teacher of reality, and hearing his answer, you too will laugh at your fears and replace them with peace.
 みんなが何者なのか、現実についての大いなる教師である聖霊に尋ねてみなさい。そして、聖霊の答えを聞けば、あなたもまた自分の恐れを笑い飛ばして、恐れを安らぎに置き換えるでしょう。

 For fear lies not in reality, but in the minds of children who do not understand reality.
 というのは、恐れは現実の中にあるのではなく、現実を理解していない子供たちの心の中にあるからです。

 It is only their lack of understanding that frightens them, and when they learn to perceive truly they are not afraid.
 子供たちを怖がらせているのは、単に彼らの理解の欠如にすぎません。だから、子供たちが正しく知覚することを学んだとき、子供たちは恐れを抱かなくなるのです。

 And because of this they will ask for truth again when they are frightened.
 そうすれば、子供たちは、正しく知覚することを学んだので、怖くなったときには、再び真理を求めるようになるでしょう。

 It is not the reality of your brothers or your Father or yourself that frightens you.
 あなたの兄弟たちや、あなたの大いなる父や、あなた自身の本当の姿があなたを怖がらせているわけではないのです。

 You do not know what they are, and so you perceive them as ghosts and monsters and dragons.
 あなたは、みんなが本当は誰なのかわかっていません。だから、あなたは、彼らのことを幽霊や怪物や竜のように知覚してしまうのです。

 Ask what their reality is from the One Who knows it, and he will tell you what they are.
 みんなの本当の姿がどんなものなのか、それを知る大いなる存在である聖霊に尋ねてください。そうすれば、聖霊はあなたにみんなが本当は誰なのか教えくれるでしょう。

 For you do not understand them, and because you are deceived by what you see you need reality to dispel your fears.
 あなたはみんなのことを理解していないし、あなたは自分の目にしているものによって惑わされているので、あなたは現実によって自分の恐れを払いのけてもらう必要があるのです。



15. Would you not exchange your fears for truth, if the exchange is yours for the asking?
 もしあなたが求めさえすれば、自分の恐れを真理と交換してもらえるというのであれば、あなたは自分の恐れを真理と交換しようとするのではないでしょうか。

 For if God is not deceived in you, you can be deceived only in yourself.
 というのは、もし神があなたのことを誤解していないのだとしたら、あなたはただ自分自身についてしか誤解できないはずだからです。

 Yet you can learn the truth about yourself from the Holy Spirit, Who will teach you that, as part of God, deceit in you is impossible.
 それでも、あなたは自分が本当は何者か聖霊から学ぶことができるし、聖霊はあなたに、神の一部であるあなたを誤解することなど不可能なのだと教えてくれるでしょう。

 When you perceive yourself without deceit, you will accept the real world in place of the false one you have made.
 あなたが自分自身を偽りなく知覚するとき、あなたは自分で作り出した偽りの世界の代わりに、真の世界を受け入れるでしょう。

 And then your Father will lean down to you and take the last step for you, by raising you unto himself.
 そのとき、あなたの父なる神は、あなたのほうに身を屈め、神自身の下へとあなたを引きあげることによって、あなたに代わって最後の一歩を踏み出してくれるでしょう。


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 松山 健 Matsuyama Ken
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