C4 ガラスをきれいに磨きましょう!


知恵は本の中に見出すことはできません。それは蓄積したり、記憶したり、貯めこむことができないものです。知恵は自己の放棄とともにやってきます。オープンな精神を持つことは学習より重要です。



Jiddu Krishnamurti
ジッドゥ・クリシュナムルティ

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If the doors of perception were cleansed everything would appear to man as it is, infinite.
もし知覚という扉がきれいに洗い清められたなら、万物は人に、そのありのままの、無限なる姿を現わすだろう。



WILLIAM BLAKE
ウィリアム・ブレイク



If you tell the truth, you don't have to remember anything.
もし君が真理を語るなら、君は何も覚えておく必要はない。



Mark Twain
マーク・トウェイン

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Better keep yourself clean and bright; you are the window through which you must see the world.
いつも自分をきれいに明るく磨いておくがいい。あなたは自分という窓を通して世界を見るしかないのだから。



George Bernard Shaw
ジョージ・バーナード・ショー



あなたの心は何年にもわたって何千という不必要な家具や絵画や装飾品、その他のがらくたがが積もり積もって、そこらじゅうに散らばり、あらゆる場所に山積している家にたとえることができます。その結果、家の外側はきれいに見えるのに、家の中は混乱と無秩序でめちゃめちゃになっています。そのような状態では何ごとをなそうとも不可能です。ある一つの目標に進もうとすれば、別のものにつまづいてしまい、目的に到達することができません。ですから、まず第一にしなければならないことは、あなたが成功するためにどうしても必要な家具のほかは、一切、処分してしまうことです。

John McDonald
ジョン・マクドナルド(「マスターの教え」より)

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7. Miracles are everyone's right, but purification is necessary first.
 奇跡は誰もが持つ権利ですが、まず第一に心を浄化しなければなりません。

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イエス・キリスト(奇跡のコース テキストT1-intro,1 奇跡の原理

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今回は、用語解説から、「正しい知覚 ー 知識」をご紹介します。


知識 ≠ 知覚

本節では、知識と知覚は別のレベルにあるものであり、両者が接することはないので、知識が知覚を修正する療法になるわけではないということが説明されます。

知識が何であるかということは出てこず、もっぱら正しい知覚についての説明がなされます。





知識は実在 → 実在の不在の影が去りさえすれば自ずと舞い戻る → 探したり習得したりすものではない

知識とは、自分が実在する大いなる愛である一者=神に等しい神の子であるという確信のことです(T3-3 知覚と知識ってどう違うの?T3-5 知覚の超越,6.)。

この自分は神の子だという情報を空念仏のように何万遍繰り返して覚え込んでも、確信が得られることはありません。

記憶喪失症によって本当の自分を忘れ、新たな名前と自己像を抱いて別の人格になっている人が記憶喪失前の自分の名前や性格等を覚え込んで、過去の自分に近いキャラクターを作り上げたとしても、それは本当の自分ではありません。

それは、忘却の彼方にある真の自己を覆う新しい偽りの自己を、さらに、過去の自分らしい自己像で包んで、真の自己からより遠ざかることです。

知識は、すでに自分の心の中に存在して眠っているだけのものなので、間違った知覚が正しい知覚へと修正されて、知覚の歪みや曇りによって見えない状態を解消さえすれば、知識のほうから舞い戻ってきてくれるというスタンスです。

知識とは何かという情報を仕入れることがかえって知覚の歪みを増大させてしまう危険があるということです。


必要なのはゴミ捨てと掃除

ガラスケースが埃まみれになって中の宝石の輝きが見えないとき、やるべきことはガラスの埃を払って、きれいにすることだけです。

ケースの中にどんな素晴らしい宝石があって、どんな色をしてどんな形をしていたかという情報を集めて、いろいろと想像をたくましくしていても、実際の宝石を目にすることには何の役にも立ちません。

知識もこの宝石のようなもので、すでに私たちの中に存在して光を放っているけれど、歪んだ知覚の雲に覆われてそれが見えなくなっているだけです。

私たちの探し物は、外の世界から、何か材料を寄せ集めてきて、技巧を凝らして組み立てないと完成しないようなものではない、すでに持っているけど、見えないから、見える状態にする必要があるだけです。

このことは、気を楽にしてくれると思いませんか?

単純に、お掃除をしっかり進めていけばよいということです。


この一節は、正しい知覚が獲得された場合の世界の変容のさまを描写しているので、正しい知覚のイメージを掴むために役立つと思います。



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True Perception - Knowledge
正しい知覚 - 知識



1. The world you see is an illusion of a world.
 あなたに見えている世界は、世界という幻です。

 God did not create it, for what He creates must be eternal as Himself.
 神はこの世界を創造しませんでした。というのも、神が創造するものは神自身と同じように永遠のものであるに違いないからです。

 Yet there is nothing in the world you see that will endure forever.
 しかし、あなたに見えているこの世界の中には、永遠に持ちこたえられるようなものは何ひとつありません。

 Some things will last in time a little while longer than others.
 時間の中では、ある物事がほかの物事よりも、多少長持ちすることはありえます。

 But the time will come when all things visible will have an end.
 しかし、目に見えるすべての物事には終わりがあり、いつかその時が訪れることになります。



2. The body's eyes are therefore not the means by which the real world can be seen, for the illusions that they look upon must lead to more illusions of reality.
 したがって、肉眼によって真の世界を見ることはできません。というのは、肉眼で見える幻想はよりいっそうリアルな幻想へと導くに違いないからです。

 And so they do.
 だから、肉眼によって見えるのは、現実のように思える幻想です。

 For everything they see not only will not last, but lends itself to thoughts of sin and guilt.
 というのは、肉眼で見えるすべてのものは永続しないだけでなく、見る者に罪の思いと罪悪感を抱かせるだけだからです。

 While everything that God created is forever without sin and therefore is forever without guilt.
 神の創造したすべてのものは、永遠に罪と関わりを持つことがないので、永遠に罪悪感を持つこともありえません。



3. Knowledge is not the remedy for false perception since, being another level, they can never meet.
 知識は、間違った知覚を矯正する治療法にはなりません。なぜなら、知識と知覚は異なるレベルにあり、知識と知覚が接することは決してありえないからです。

 The one correction possible for false perception must be true perception.
 正しく知覚することだけが、間違った知覚に対して唯一可能な修正となるはずです。

 It will not endure.
 正しい知覚は永続するものではありません。

 But for the time it lasts it comes to heal.
 しかし、正しい知覚が存続する間は、正しい知覚は癒しをもたらすでしょう。

 For true perception is a remedy with many names.
 というのは、正しい知覚は多くの名前を持つひとつの治療法だからです。

 Forgiveness, salvation, Atonement, true perception, all are one.
 赦し、救済、贖罪、正しい知覚、これらの名前で呼ばれるものはすべて、同じひとつのものです。

 They are the one beginning, with the end to lead to oneness far beyond themselves.
 これらは、それら自身をはるかに越えた向こう側にある一なるものへと導くことを目的とするひとつの始まりなのです。

 True perception is the means by which the world is saved from sin, for sin does not exist.
 正しい知覚は、世界を罪から救うための手段です。というのは、罪は存在しないからです。

 And it is this that true perception sees.
 そして、罪が存在しないことこそ、正しい知覚によってわかることです。



4. The world stands like a block before Christ's face.
 この世界は、キリストの顔の前に障壁のように立ちはだかっています。

 But true perception looks on it as nothing more than just a fragile veil, so easily dispelled that it can last no longer than an instant.
 しかし、正しい知覚は、この世界のことを、本当に簡単に振り払うことができるので、一瞬以上は持ちこたえられない薄弱なヴェールにすぎないと見抜きます。

 It is seen at last for only what it is.
 そのヴェールを剥がれれば、世界はついに、ただありのままに見られることになります。

 And now it cannot fail to disappear, for now there is an empty place made clean and ready.
 そして、いまや、世界は必ず消え去ります。というのは、いまや、そこにあるのは、きれいさっぱり中身がなくなった空間だからです。

 Where destruction was perceived the face of Christ appears, and in that instant is the world forgot, with time forever ended as the world spins into nothingness from where it came.
 かつて破滅が知覚されていた場所には、キリストの顔が現れます。そして、その瞬間において、この世界は忘れ去られ、時間は永遠に終わりを迎え、世界はそれが生まれ出た場所である無の中へと舞い戻ります。



5. A world forgiven cannot last.
 赦された世界は、永続することはできません。

 It was the home of bodies.
 その世界は、かつては身体たちの住処でした。

 But forgiveness looks past bodies.
 しかし、赦しは身体たちを通り越して見ることになります。

 This is its holiness; this is how it heals.
 これが赦しの神聖さです。身体を通り越して見ることによって赦しは癒すのです。

 The world of bodies is the world of sin, for only if there were a body is sin possible.
 身体たちの世界は、罪の世界です。というのは、ただ身体が存在してはじめて罪がありうるからです。

 From sin comes guilt as surely as forgiveness takes all guilt away.
 罪から罪悪感が生じるのと同じくらい確実に、赦しはすべての罪悪感を取り去ります。

 And once all guilt is gone what more remains to keep a separated world in place?
 そして、いったんすべての罪悪感が去ってしまえば、分離した世界をそれ以上その空間に保っておけるものなど何も残りません。

 For place has gone as well, along with time.
 空間が去ってしまうので、同じように時間も去ります。

 Only the body makes the world seem real, for being separate it could not remain where separation is impossible.
 ただ身体だけがこの世界をリアルに見せています。というのは、分離している存在であるがゆえに、身体は、分離が不可能な場所に留まることができないからです。

 Forgiveness proves it is impossible because it sees it not.
 赦しは、分離は不可能だと証明します。なぜなら、赦しは分離を見ないからです。

 And what you then will overlook will not be understandable to you, just as its presence once had been your certainty.
 そして、そのとき、あなたが意図的に看過するものは、ちょうど、かつてあなたがその存在を確信していたのと同じくらい確実に、あなたにとって理解不能なものになるでしょう。



6. This is the shift that true perception brings: What was projected out is seen within, and there forgiveness lets it disappear.
 正しい知覚がもたらす変化は次のようなものです。それは、かつて外側に投影されていたものが内側に見られ、その内側において、赦しが外側に投影していたものを消し去ります。

 For there the altar to the Son is set, and there his Father is remembered.
 というのは、内側には子のための祭壇が置かれ、その祭壇では、子の大いなる父が思い出されるからです。

 Here are all illusions brought to truth and laid upon the altar.
 ここでは、すべての幻想が真理の下へともたらされ、その祭壇に供えられます。

 What is seen outside must lie beyond forgiveness, for it seems to be forever sinful.
 外側に見えているものには、赦しが届かないままにならざるをえません。というのは、それは永遠に罪深いもののように見えるからです。

 Where is hope while sin is seen as outside?
 罪が外側にあるもののように見えているかぎり、どこに希望があるというのでしょうか。

 What remedy can guilt expect?
 何をすれば罪悪感を癒せるというのでしょうか。

 But seen within your mind, guilt and forgiveness for an instant lie together, side by side, upon one altar.
 しかし、それをあなたの心の内側にあるものとして見るなら、一瞬にして、罪悪感と赦しは、ひとつの祭壇に隣同士に一緒に横たわることになります。

 There at last are sickness and its single remedy joined in one healing brightness.
 その祭壇で、ついに病気とその唯一の治療法が結びついてひとつの癒しの輝きを放っています。

 God has come to claim His Own.
 神が、神自身のものを得るために訪れたのです。

 Forgiveness is complete.
 赦しが完了したのです。



7. And now God's knowledge, changeless, certain, pure and wholly understandable, enters its kingdom.
 そして今、不変で確実で、清らかで完全に理解できる神の知識がその王国へと入ってきます。

 Gone is perception, false and true alike.
 間違った知覚も正しい知覚も、同じように去りました。

 Gone is forgiveness, for its task is done.
 その任務を完了したので、赦しは去りました。

 And gone are bodies in the blazing light upon the altar to the Son of God.
 そして、神の子の祭壇の上に燃え盛るように輝く光の中へと身体は消え去りました。

 God knows it is His Own, as it is his.
 神は、その祭壇が神の子のものであるとともに神自身の祭壇でもあると知っています。

 And here They join, for here the face of Christ has shone away time's final instant, and now is the last perception of the world without a purpose and without a cause.
 そして、ここにおいて、神と神の子はひとつに結ばれます。なぜなら、ここでキリストの顔が時間の最後の一瞬を輝きで追い払い、そして、今、目的も原因もなくなって、世界の知覚が終わるからです。

 For where God's memory has come at last there is no journey, no belief in sin, no walls, no bodies, and the grim appeal of guilt and death is there snuffed out forever.
 というのは、ついに神の記憶が訪れた場所には、もはや一切の旅も罪の信念も、壁も、身体もなく、罪悪感と死の容赦のない要求は永遠に殲滅させられたからです。



8. O my brothers, if you only knew the peace that will envelop you and hold you safe and pure and lovely in the Mind of God, you could but rush to meet Him where His altar is.
 ああ、私の兄弟たちよ、もしあなたたちが自分たちを包みこんで、自分を神の心の中に安全で清らかで美しいままに保ってくれる平安のことをただ知りさえしたら、それだけで、あなたたちは神の祭壇のある場所に、神に出会うために大急ぎで駆けつけようとせずにはいられないはずです。

 Hallowed your Name and His, for they are joined here in this holy place.
 あなたの名と神の名が崇められますように。それは、あなたと神がここの神聖な場所においてひとつに結びついたからです。

 Here He leans down to lift you up to Him, out of illusions into holiness; out of the world and to eternity; out of all fear and given back to love.
 ここで、神は身をかがめてあなたを神の下へと抱き上げ、幻想の中から神聖さの中に、この世界から永遠へ、そして、あらゆる恐怖からあなたを愛の下へと再び戻してくれたのです。





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