レッスン88「レッスン75と76の復習」
他人のあら捜しをするのは簡単だが、
自分がその人より優れているかどうかは疑わしい。

プルタルコス

レッスン88です。
今日のテーマは次のふたつです。
[75] "The light has come."
「光がやってきた」
[76] "I am under no laws but God’s."
「私はただ神の法の下にしかない。」

今日は、7つの習慣と第8の習慣のセルフ・ラーニングDVDをご紹介します。
映像では、案内役として登場するコヴィー先生の姿を拝むことができます。


[序文]
1.前回の復習期間後のレッスンについて毎日ふたつずつの考えを復習します。
毎日の前半は、その二つのうちの一つの考えに、その日の後半は、もう一つの考えに当てます。
1日のうち、1回の長い実習時間と、それぞれの考えの実習を頻繁に行う短い実習時間をとります。
2.長いほうの実習時間は、次のような一般的な形式に従います。
約15分をそれぞれの実習にかけるようにして、その日の考えとそれについての復習の課題として組みこまれている注釈について考えます。
3、4分ほどかけて注釈をゆっくりと読み、必要に応じて数回繰り返し、それから、目を閉じて、耳を澄まします。
3.もし心が横道に逸れてしまうように感じるときは、その日の考えと注釈を読むという練習の第一段階を繰り返す必要がありますが、できるだけ実習時間の大半を静かにただ注意深く耳を澄まして過ごすようにします。
自分のことを待っているメッセージがあり、自分はそのメッセージを受け取ることになると確信してください。
そのメッセージは自分のものであり、それは自分の望むものだと覚えておいてください。
4.気を逸らせるような思いに直面しても、決意を揺らがせず、気を逸らすような思いがどのような形をとろうとも、それらの思いには何の意味も力もないことを理解して、意志にはどのような空想や夢をも凌ぐ力があることを忘れず、気を逸らすような思いを、必ず成功するという自分の決意で置き換えます。
自分の意志が、あなたを助けてそれらの空想や夢のすべてを切り抜けさせて、自分をそれらの空想や夢のすべてを越えた場所まで運んでくれると信頼します。
5.これらの実習時間を、道であり、真理であり、そして生命である存在への捧げものとみなして、幻想や死の思いといった脇道に迷いこんでしまうことを拒絶して、救済に献身し、毎日、自分の役目が果たされないままにはしないと決意します。
6.短いほうの実習時間でも同様に、自分の決意を再確認するようにし、その際には、考えを一般的に適用する際には元のままの形を用い、必要に応じて、より具体的な形を用いる。
その日のテーマの提示に続く注釈の中に、いくつかの具体的な形が示されているが、それらは単に一例を提示しているだけであり、重要なのは、自分が使う際に用いる具体的な言葉そのものではないと理解する。

Lesson 88 - Review Lessons 75 & 76
Today we will review these ideas:
今日は、次の考えを復習します。
1. [75]
The light has come.
光がやってきた。
In choosing salvation rather than attack, I merely choose to recognize what is already here.
攻撃ではなく救済を選ぶとき、私は単にすでにここにあるものを認める選択をしているだけだ。
Salvation is a decision made already.
救済とは、すでになされた決断だ。
Attack and grievances are not there to choose.
攻撃と不平不満は選択肢として存在しない。
That is why I always choose between truth and illusion; between what is there and what is not.
それゆえに、私はつねに、真理と幻想の間で選択を下しているのだ。それは、存在するものと存在しないものの間の選択だ。
The light has come.
光がやってきた。
I can but choose the light, for it has no alternative.
私には光を選ぶことしかできない。というのも、それ以外の選択肢などないからだ。
It has replaced the darkness, and the dark has gone.
光が闇に取って代わったので、闇は去ってしまった。
2. These would prove useful forms for specific applications of this idea:
次のような形がこの考えを具体的に適用する際に有益でしょう。
This cannot show me darkness, for the light has come.
この状況が私に闇を見せることはできない。というのは、すでに光が訪れているからだ。
The light in you is all that I would see, [name].
( )さん、私が見たいのは、あなたの中の光だけです。
I would see in this only what is there.
私は、この状況の中に、そこにあるものだけを見ることにする。
3. [76]
I am under no laws but God’s.
私はただ神の法の下にしかない。
Here is the perfect statement of my freedom.
これは、私の解放を完璧に宣言する言葉だ。
I am under no laws but God’s.
私は、ただ神の法の下にのみある。
I am constantly tempted to make up other laws and give them power over me.
私は絶えず、神の法以外の法則を作り出して、その法則に自分を支配する力を与えたいという誘惑にさらされている。
I suffer only because of my belief in them.
私が苦しむのは、ただそんな法則のことを信じていることだけが理由なのだ。
They have no real effect on me at all.
それらの法則は、少しでも私に現実的な影響を及ぼす力をまったく持っていない。
I am perfectly free of the effects of all laws save God’s.
私は、神の法を除いてほかのいかなる法則の影響からも完全に免れている。
And His are the laws of freedom.
だから、神の法は、自由の法則なのだ。
4. For specific forms in applying this idea, these would be useful:
この考えを具体的に適用する形としては、次のようなものが有益でしょう。
My perception of this shows me I believe in laws which do not exist.
私がこの状況を知覚しているということは、私が存在もしない法則を信じていることを示している。
I see only the laws of God at work in this.
私は、この状況の中にただ神の法だけが作用していることがわかる。
Let me allow God’s laws to work in this, and not my own.
この状況の中に、私の法則ではなく、神の法を働かせることができますように。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。
