C3 赦しとキリストの顔

2013年09月10日
用語解説 0

God has given you one face, and you make yourself another.
神はあなたにひとつの顔を授けたが、あなたは自分に別の顔を作り出した。



William Shakespeare
ウィリアム・シェイクスピア



愛を与えたり受け取ったりすることだけが個人の責任であるということを万人が理解しているような世界が想像できますか。友よ、その世界は、あなたが指先ひとつを動かせば手に入るようなものなのです。

人生に何か欠乏があるときは、愛を持ち込むべきです。自分が十分に得ていないと感じたら、自分が人に十分な愛や助けを与えていない面があるのです。

愛と助けを惜しまないでください。惜しみなく与えれば、あなたの生まれながらの権利である愛をたっぷりと受け取ることができるでしょう。

Jesus Christ

イエス・キリスト(「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)





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今回は、用語解説から、「赦し-キリストの顔」をご紹介します。


mother teresa


すべての人の中にキリストはいる

マザー・テレサの笑顔は美しくとても魅力的です。

それは、彼女が自分の目の前にいるすべての人の中にイエス・キリストの顔、姿を見ていたからです。

けれど、これは、マザーにしかできない彼女だけが持つ特殊技能なわけではありません。

ポイントは対象が特定の人々に制限されているかどうかの相違です。

私たちだって、親しい家族や友人の顔を通していつもキリストに接しています。

あどけない幼児の笑顔に、年老いた母の優しい微笑みの中に、キリストがいます。

そして、同じ仕組みで、私たちにとっての異邦人、敵対者たちも、自分の愛する家族や仲間たちの顔にキリストを見、家族たちにキリストの顔を見せています。けれど、彼のことを敵視している私たちからはそれが見えません。それは敵から見た私たちにもあてはまります。

つまり、どんな極悪人の中にもキリストはいるというのが真実だということです。

私たちが敵の顔にキリストを見ることができないのは、単純にその相手との間に分離幻想の隙間 "gap"(T29-1 隙間を閉じる) があるせいでしかありません。

この分離幻想という錯覚によって本来は愛の同義語である利己がエゴに転化してしまう仕組みについては、レッスン345「私は今日、奇跡だけを与えることにする。というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」のエッセイの渦巻きを参照いただければと思います。


笑顔の力

さて、There Is No Spoonの各記事の冒頭では、歴史上の多様な偉人たちの名言を紹介しており、彼らの言葉がよりすんなりと心に染み入るようにとの趣旨で、語る人物たちの顔、それも笑顔の写真を掲載しています。

けれど、人々が笑顔で写真に納まるようになったのは、ごく近年になってからのことのようで、一昔前の人々が残している写真や肖像画はしかめっ面で威厳に満ちた表情のものばかりです。




たとえば、ルドルフ・シュタイナーの写真は、どれもあの哀愁を帯びた表情のものばかりで、写真からはどうしても、シュタイナーはきっと真面目くさった面白みのない堅物であるに違いないという印象をもってしまいがちだと思います。

シュタイナー


けれど、あれほど知性面はもちろん、悟性面でも深い見識を備え愛に溢れた人物がユーモアあふれる側面を持ち合わせていないはずがありません。


ネット検索をして、ディープフェイクでシュタイナーの笑顔を再現した動画を見つけましたので、ぜひみなさんにも見ていただきたいと思います。




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どうでしょうか?

とても魅力的な笑顔が爆発していて、シュタイナーのイメージが一変したのではないでしょうか。

私たちの敬愛する聖☆おにいさん、イェシュア、イエス・キリストも、歴史上の偉人たちと同じように、笑顔の肖像を残してもらえないという別の十字架を背負ってきました。

永遠の生命を持つイエスは、私たちみんなの中に生きていて、それも笑顔の中に彼の顔を見ることができるというのに、私たちが、過去に人として生きた彼が磔にされた姿で神の子をイメージしているかぎり、私たちのほうが自分で目を塞いでキリストの顔を見ないようにしているわけです。

「There is no fear in love.
 愛の中には、恐れは一切ありません。

 The song of Easter is the glad refrain the Son of God was never crucified.
 復活祭の歌は、神の子は決して十字架刑で死んでなどいないと、喜びに満ちて幾度も繰り返す歓喜の歌です。

 Let us lift up our eyes together, not in fear but faith.
 私たちで一緒に、恐れではなく信頼をもって目を上に向けましょう。」(T20-2 百合の花の贈り物、8.)




「Come unto me who hold it open for you, for while I live it cannot be shut, and I live forever.
 その扉をあなたのために開いている私の許に来てください。なぜなら、私が生きているかぎり、その扉が閉ざされることはありえないのであり、そして、私は永遠に生きているからです。」T11-4 神の子が受け継いでいるもの、6.)

Laughing Jesus


顔はアイコン

さて、Face は顔、面相を指し、個人の心身を象徴したり、「顔役」という言葉や「●●界の顔」という表現のように、属する集団を代表する象徴的存在を意味します。

キリストの顔が救済を象徴するというのは、解離性同一性障害を脱して主人格への統合を遂げ、エゴから真の自己へとアイデンティティー・シフトして、無数のバリエーションのある個性あふれる多様な人々の顔というアバターの仮面を外して、自らがすべてであるとともにすべてを持つ存在だという自覚を取り戻したことを表しています。

肉眼ではなくヴィジョンで知覚するものではありますが、「キリストの顔」というのですから、この言葉を用いながら心に具体的なイメージを抱かずにいることはできません。

この言葉によって、読み手がイエス・キリストの顔として浸透していて誰もが思い浮かべるあの美しい顔を思い浮かべることをイェシュアも当然想定しているはずです。

毎日顔を合わせる家族や同僚、街ですれ違う人たち、家や道路や空やすべての奥にイェシュアがいて、あの顔で優しい微笑みを投げかけてくれていると感じながら暮らすなら、どんなにか幸せなことでしょう。


イェシュアは優しく私たちを包み込んで導いてくれている

そして、これが単なる空想ではなく真実であることは、イェシュアが請け合ってくれています。

実生活でなかなかほかの人間と接する機会に恵まれず孤独感に苛まれて苦しい思いを抱きながら生きておられる方もいることでしょう。

あなたは決してひとりきりではありません。気づいていないだけで、私たちが最も求めている最愛の存在「彼」がつねに一緒にいてくれるのです。

「If it helps you, think of me holding your hand and leading you.
 もしそれが役に立つなら、私があなたの手を握ってあなたを導いていると思うとよいでしょう。

 And I assure you this will be no idle fantasy.
 そして、私が実際に手引きしてあなたを導いていることが他愛のない空想などではないことは、私があなたに請け合います。」(レッスン70「私の救済は私から起こる」、9.)




赦しってなに?

レッスン269「私の視覚は、キリストの顔を見るようになる」

T19-4D 平安への障害4

T19-4Di 平安への障害4−2

が参考になると思います。



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3. Forgiveness - The Face Of Christ
赦し - キリストの顔



1. Forgiveness is for God and toward God but not of Him.
 赦しは、神の下に赴くために、神に向けてなされるものですが、神に属するものでも由来するものでもありません。

 It is impossible to think of anything He created that could need forgiveness.
 神の創造したもので赦しを必要としうるようなものなど、考える余地がないからです。

 Forgiveness, then, is an illusion, but because of its purpose, which is the Holy Spirit's, it has one difference.
 したがって、赦しはひとつの幻想です。もっとも、赦しの目的は聖霊の目的であるがゆえに、赦しにはほかの幻想とのひとつの違いがあります。

 Unlike all other illusions it leads away from error and not towards it.
 それは、ほかのすべての幻想とは違って、赦しは必ず誤りに向かわずに誤りから離れるように導くという違いです。



2. Forgiveness might be called a kind of happy fiction; a way in which the unknowing can bridge the gap between their perception and the truth.
 赦しは、幸せな虚構と呼べるかもしれません。というのも、この虚構を手段として、知らない者たちは、自分たちの知覚と真理との間の隙間に橋を架けることができるからです。

 They cannot go directly from perception to knowledge because they do not think it is their will to do so.
 知らない者たちは、知覚から知識に直接進むことはできません。なぜなら、知らない者たちは、そうすることが自らの意志だと思ってはいないからです。

 This makes God appear to be an enemy instead of what He really is.
 このことが、神を真の姿のままにではなく、神を敵であるかのように見えさせてしまいます。

 And it is just this insane perception that makes them unwilling merely to rise up and to return to Him in peace.
 そして、まさにこの狂気の知覚こそが、知らない者たちに、ただ立ち上がって平安のうちに神の下へと帰るだけのことを厭わしく思わせているのです。



3. And so they need an illusion of help because they are helpless; a Thought of peace because they are in conflict.
 だから、知らない者たちには、彼らが途方に暮れているからこそ、助けとなる幻想が必要であり、彼らが葛藤のさなかにいるからこそ、平安の思いが必要なのです。

 God knows what His Son needs before he asks.
 神は、わが子が必要とすることを子が求める前から知っています。

 He is not at all concerned with form, but having given the content it is His Will that it be understood.
 神は、まったく形というものにこだわりません。しかし、中身を与えたからには、神は中身を理解してもらうことを意図しています。

 And that suffices.
 だから、内容が理解されれば、それで十分です。

 The form adapts itself to need; the content is unchanging, as eternal as its Creator.
 というのは、形は必要に応じて変わりますが、中身はその創造主と同じく永遠のものなので、変化することはないからです。



4. The face of Christ has to be seen before the memory of God can return.
 神の記憶を取り戻せるようになるには、その前にキリストの顔が見られなければなりません。

 The reason is obvious.
 その理由は明白です。

 Seeing the face of Christ involves perception.
 キリストの顔を見るには、知覚を必要とします。

 No one can look on knowledge.
 誰も、知識を見ることはできません。

 But the face of Christ is the great symbol of forgiveness.
 しかし、キリストの顔は、赦しの大いなる印です。

 It is salvation.
 キリストの顔こそが救いです。

 It is the symbol of the real world.
 キリストの顔こそが、真の世界の象徴です。

 Whoever looks on this no longer sees the world.
 キリストの顔を見る者は誰であれ、もはやこの世界を目にすることはありません。

 He is as near to Heaven as is possible outside the gate.
 キリストの顔を見る者は、天国の門の外側で近寄れるかぎり近くまで天国に近づいています。

 Yet from this gate it is no more than just a step inside.
 しかし、この天国の門からは、天国の中に入るためにはほんの一歩の距離しかありません。

 It is the final step.
 これが、最後の一歩です。

 And this we leave to God.
 そして、私たちは、この最後の一歩を踏み出してもらうことを神に委ねるのです。



5. Forgiveness is a symbol, too, but as the symbol of His Will alone it cannot be divided.
 赦しもまた象徴です。しかし、神の大いなる意志のみを象徴するがゆえに、赦しを分割することはできません。

 And so the unity that it reflects becomes His Will.
 だから、赦しが反映する統一された状態が神の大いなる意志となります。

 It is the only thing still in the world in part, and yet the bridge to Heaven.
 赦しは、依然として、この世界の一部でありながら、天国へと橋を架ける唯一のものなのです。



6. God's Will is all there is.
 存在するのは神の大いなる意志だけです。

 We can but go from nothingness to everything; from hell to Heaven.
 私たちは、無からすべてへと進むことしかできません。それは地獄から天国へ進むということです。

 Is this a journey?
 地獄から天国へと進むことは、旅することなのでしょうか。

 No, not in truth, for truth goes nowhere.
 いいえ、実はそうではありません。というのも、真理はどこにも行かないからです。

 But illusions shift from place to place; from time to time.
 しかし、幻想は、場所から場所へ、時間から時間へと移り変わります。

 The final step is also but a shift.
 最後の一歩もまた、単に観点が切り替わることでしかありません。

 As a perception it is part unreal.
 最後の一歩を踏み出すことは、ひとつの知覚なので、虚構の一部です。

 And yet this part will vanish.
 とはいえ、この一部も消え去ることになります。

 What remains is peace eternal and the Will of God.
 残るものは、永遠の平安と神の大いなる意志だけです。



7. There are no wishes now for wishes change.
 いまや、願望は何ひとつありません。というのは、願望は変化するものだからです。

 Even the wished-for can become unwelcome.
 かつて大いに待ち望んでいた願望すら、歓迎されざるものとなりえます。

 That must be so because the ego cannot be at peace.
 これはその通りに違いありません。なぜなら、エゴには平安であることなどできないからです。

 But Will is constant, as the gift of God.
 しかし、神からの贈り物なので、大いなる意志は変わることのないものです。

 And what He gives is always like Himself.
 そして、神が与えるものは必ず、神自身と同じものです。

 This is the purpose of the face of Christ.
 これがキリストの顔の目的です。

 It is the gift of God to save His Son.
 キリストの顔は、神の子を救うための神からの贈り物なのです。

 But look on this and you have been forgiven.
 ただこのキリストの顔だけを見てください。そうすれば、あなたは赦されています。



8. How lovely does the world become in just that single instant when you see the truth about yourself reflected there.
 あなたが本当の自分が世界に映し出されているのを見るようになった、まさにそのただひとつの瞬間において、この世界はどんなに美しいものになることでしょう。

 Now you are sinless and behold your sinlessness.
 いまや、あなたは潔白であり、自分の罪のなさを眺めています。
 
 Now you are holy and perceive it so.
 いまや、あなたは聖なるものであり、自分を神聖なものとして知覚しています。

 And now the mind returns to its Creator; the joining of the Father and the Son, the Unity of unities that stands behind all joining but beyond them all.
 そして、今、小さな心はその創造主の下へと戻ります。それは、父と子が結びつき、その大いなる結合による統一性が全ての結びつきの背後にありながらも、それらの結びつきのすべてを超越することです。

 God is not seen but only understood.
 神は、見られるのではなく、ただ理解されるのみです。

 His Son is not attacked but recognized.
 神の子は、攻撃されるのではなく、認識されることになるのです。


次

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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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