マトリックス 自由意志という幻想

2013年05月21日
映画 0

個人は自分が物事に対してコントロールをもっていないと考えることを拒否します。個人の分裂した心は、もし自由意志がなければ、自分の人生には混乱が生じるだろうと予想します。でも反対に、もしこの地上の何十億のあらゆる個人が自由意志をもっているとすれば、どれほどの混乱が広がるかあなたは想像できますか?



ラメッシ・S・バルセカール




今回は、マトリックスの続きです。

マトリックス2


第2作では、ネオのコードの一部の上書きによってエージェント・スミスは、マトリックス内のあらゆる存在(住民だけでなく、後に出てくるエグザイルを含めたプログラムも。ネオもいったん、強制上書きされそうになります)に自分を無制限に上書き(もともとのエージェントとしての能力はマトリックス内の住人に「憑依」できるだけ、つまり、マトリックス内に同じエージェントはひとりしか存在しえない)して、コピーでき、さらに、他のデータやプログラムに自分を上書きする際には、相手の持つ機能を吸収して、他の自分にも同期して共有させて進化するようになり、どんどん強くなるエージェント・スミスが増殖し、軍勢となってネオを襲います。このネオの鏡のような存在となったスミスの増殖は、次作への布石となります。

ネオは、オラクルの導きで、ソースへと戻るためにキー・メーカーというエグザイル(システム側の統御から離脱したプログラム。もともとはシステムに組み込まれて機能していたプログラムだが、アップデートやバージョン・アップを免れてシステム側から逃亡して流浪の身になっているもの)を探します。

キー・メーカーは、メロビンジアンという最古のプログラムに囚われています。
メロビンジアンの許からキー・メーカーを救出し、みんなの助けを受けて、ネオはようやくソースへと辿り着きます。

そこでネオは、マトリックスを作ったアーキテクト(設計者)と顔を合わせます。

アーキテクトの言うには、マトリックスの実態は次のようだということでした。

すなわち、マトリックスは過去5回作り直され、バージョン・アップを繰り返してきた(その都度、ザイオンも滅亡させてマトリックス内からメス16体、オス7体を選び出し、ザイオンを新しく建設される)。

当初設計した何事も望みどおりの理想郷では、人類はすぐに堕落して破滅してしまった。

人間の心理を分析するために導入されたオラクルという直観プログラムが偶然にも、人類に選択肢の幻想を与えることで人は自分の自由意志で生きている感覚を抱き、安定性が高まることを発見し、現行のシステムの基礎ができた。

もっとも、人類の中には、世界の仮想性に気がつく規格外のアノマリー(変異、マトリックスの法則から逸脱する不合理な変則要素)が一定数で生じてしまうので、アノマリーの発生に対応できるシステムの安定性を高めるバージョン・アップを重ねてきたが、救世主というのは、より変異に対する抵抗力の強いシステムとするために、アノマリーを統合してソースへと持ち帰り、次のバージョン・アップに反映させるための役割を果たす存在にすぎない

と明かします。

そして、アーキテクトはネオに、ザイオン滅亡回避(ザイオン自体は攻撃して滅ぼすが、マトリックス内から男女数体を選び出し、ザイオンを新しく建設する)のためにソースにつながる右の扉に向かい、マトリックスをいったんリロード(リブート、再起動)させるか、ザイオンの滅亡とマトリックスのシステム・クラッシュを覚悟した上で左の扉からマトリックスに戻るか選択を迫ります。
 
ネオが、集積したアノマリーコードをソースに撒いてリロードするという選択を受け入れなければ、マトリックスは崩壊を迎え、マトリックスに接続されたすべての人間が滅び、ザイオンも滅びてしまうのだから、全人類が絶滅することになります。
救世主は人類に対して愛を抱くように設計されているため、全人類を滅亡させる方を選択することはない、前任者たちもそうしてきたとアーキテクトは言います。

ここで、すでにエグザイル化していたオラクルは、ネオの前任者たちが人類愛という救世主に与えられた特質のために、人類滅亡という選択肢を回避する選択しかできなかったことを踏まえて、今回のネオには、トリニティに対する特別な愛を選択するよう導いていました。

オラクルの備える未来のヴィジョンを見る能力を獲得し、トリニティが墜落していくヴィジョンを見ていたものの、その結末までは見ていなかったネオは、トリニティのいるマトリックスへつながるドアを選びます。

存続したマトリックスからトリニティを救い出したネオには、現実世界においてもプラグを介してジャックインすることなくしてマトリックスに作用する力が備わり、ネオは、襲いかかるセンティネルをマトリックス内と同じように念力でやっつけて気絶します。
ハンマー号に回収されて意識不明で眠るネオの隣には、エージェント・スミスが現実世界で憑依したベインが眠っているのが映し出されて第2作は終わりです。

この終わり方は、実は、現実だと思っていたザイオンの存在する世界も、仮想現実だったんじゃないか、入れ子構造で、玉ねぎの皮のように、仮想現実の外にはまた別の仮想現実が続いていく仕組みなんじゃないか、レボリューションズを見るまでわからないと思わせる含みを残すものでした。


さて、第2作では終盤で、アーキテクトによって、救世主の正体がバラされます。



マトリックスという仮想世界がより安定性を保てるようシステムが変異に強くなるようアノマリーを取り込んでソースに持ち帰って、そこでコードをばら撒き、次期リロードの際のバージョン・アップに役立つという、検索エンジンのクローラ(WEB上のデータを周期的に取得し、データベース化するプログラム)のような役割を救世主本人はそれとは知らずに負わされていたということです。

救世主は、あくまでもシステム側の掌の上で踊る、自然界のサンプル収集の道具として利用されるウミガメや渡り鳥のような存在にすぎないというのです。

ソース

ネオは、プログラムのバグなのか、変異データにすぎないのかはさておき、システム側の想定の範囲内でコントロールされ、プロトタイプを改良するための道具として利用されるシステムの不可欠な要素だったということです(とはいえ、エグザイル化していたオラクルの導きで、ネオは、前任者たちのようにシステム側の思惑どおりには選択せず、それがこれまでと違った結末を導くのですが、それはまたレボリューションズについてお話しする際に)。

この救世主のサンプル採取能力は、ネオが出会った人たちの能力を理解すると、自分の能力として吸収できるという力に現れています。エージェント・スミスほどあからさまではないのでわかりにくいですが、スミスの相手の力を奪う力自体もネオの上書きによってネオから写された力であるようです。ネオのこの力は、オラクルの未来を見通す力を吸収していくことからうかがえます(この力は「ヒーローズ」のピーター(とサイラー)の力と似ています)。

また、この能力は、第1作の最後にエージェント・スミスに上書きされ、スミスは、自分を相手の能力を吸い取ると同時に、自分をコピーする能力を得て増殖していきます。そして、もともと救世主にサンプル採取させるための力であったことから、システムの制御が及ばない設計となっており、ゆえに、スミスはシステムのコントロールを超えて増殖していくことになります。

メロビンジアンは、初期のマトリックスのオペレーティング・システム(OS、パソコンでいうウィンドウズやマック)、オラクルの守護をしていたセラフ(天使の最高の位階であるセラフィム(熾天使)の単数形)は守護天使としてセキュリティ・プログラムであったようです。

メロビンジアンは、人類のことを所詮データにすぎず、プログラムである自分たちに劣ると見下すような言葉を発します。

マトリックス内では人自体、身長や体重、髪の色、肌の色、性格、等、すべて変数(プログラムのソースコードにおいて、扱われるデータを一定期間記憶し必要なときに利用できるようにするために、データに固有の名前を与えたもの)で数値化できる情報の束でしかありません。

メロビンジアンは、人は、鏡に映った世界に揺らめく影にすぎないが、自分たちプログラムは、その影を操作できる点で優っていると言いたいのです。

この、人がデータであるということは、個別の自己が抱くエゴ・身体は、分離の幻想によって存在するように見える幻想世界の中で知覚作用によって存在するように見える幻影、つまり、夢の中の一登場人物、キャラクターにすぎないことを表します。
とはいえ、プログラムも、幻想世界で働く法則でしかありません。


プログラムには、演繹法に基づくウォーターフォール(滝、水が上の箱から下の箱へと順次流れ落ちていく)・モデル、帰納法に基づくプロトタイプ(試作)・モデルがあります。

メロビンジアンは、原因と結果の法則(奇跡のコースでいう誤創造における分離した原因と結果の法則のこと。原因である父なる神と結果である神の子は一体であるという神の現実における原因と結果のことではない)に従って統治するウォーターフォール型のプログラムです。ある入力があれば、法則に従った特定の結果が生じるという原理に基づいており、前提となる事実に誤りが入り込むとそれに続く展開にも誤りが派生し、修正が困難という致命的な欠陥がありました。

初代マトリックスは快楽のみを与える完璧な楽園であったのですが、人類には、これが受け容れられなかったといいます。

入力があったら、自動的に、それに応じた結果が出力されるようプログラムが働きます。マトリックスにつながれた誰かが何かを欲したら、その思いが実現されるという世界です。選択の余地などありません。

すべてが自分の欲求の赴くままの世界、それも快楽のみを与える世界というものはどのようなものでしょうか。
ひとりの人間だけを閉じ込めておく仮想世界であれば、夜見る夢のようなもので、うまく機能するかもしれません。

けれども、たくさんの人間を閉じ込めておく仮想世界としては、機能しなかったようです。

ここで、機能する、機能しないと言っているのは、仮想の世界を現実だと思い込ませて、幻想だと目覚めることなく眠りこけてくれることをもって機能する、逆に、嘘くさい世界だと気付いて、目を覚まされてしまうことが機能しないということです。

多くの人間が楽園で思うが儘の暮らしを営んでいても、当人は快楽に溺れて気づかなくても、思うことも、欲することも、すべて世界にコントロールされているとすれば、大金持ちに飼育されて、人間以上の貴族のような暮らしを営むペットのように扱われているのと同じです。

私たち自身に置き換えたとしても、(この二元論的な幻想世界では)抑圧あっての解放であって、きつい仕事を頑張ってのうまいビールなのであって、あらゆる欲望が満たされる世界なんて、つまらなくて、すぐ飽き飽きとしてしまうだろうと想像できます。快楽のみを与える世界では、いつかは、このつまらない世界は本当の世界なのだろうかという疑問がどうしても頭をもたげてこざるをえないでしょう。

もちろん、奇跡のコースで出てくる楽園、天国、神の王国は、第一期マトリックスのような楽園ではないのは確実です。すなわち、第一期マトリックスでいう楽園は、地獄に対する楽園であって、二元対立の一極としての楽園であって、不二一元論でいうすべてが一体となり、対極を持たない愛で包み込まれた状態とは別次元のものだからです。

さて、アーキテクトによると、この理想郷の失敗を反映して、人類の歴史を学び直し、第2期のマトリックスは、人間の不完全性、グロテスクさを盛り込んだ世界にしたようですが、この世界も崩壊を免れなかったということです。

理想郷であれ欲望渦巻く世界であれ、原因と結果の法則によって、思いがその通りに実現する世界は、つねに正しく思うことのできる聖人ばかりではない人類にとっては、本来、危なっかしい世界です。愛する人と喧嘩をして、カッとなってつい、相手が死んでしまえばいい!と思ったら最後、それが実現してしまうという世界ですから。

このような原因と結果の法則によって統治されていた初期マトリックスは崩壊し、うまく機能しませんでした。

そんな失敗を重ねる中、人間の感情や心理を調査・分析するプログラムであったオラクルが、偶然にも、人類は、選択を与えられることによって安定する、つまり、実際は、すべての結論はシステム側が決めていてそれをコントロールしているとしても、選択肢を与えて自ら決定したという思わせることで、人類に支配されていることを意識させないようにできるということを発見したといいます。

このオラクルの発見によって、選択・自由意志という幻想を与えることで、99.9%の人類がおとなしく眠りこけてくれるようになります。

もっとも、人類は、この選択の幻想によって安定はするものの、人類の中には、ごくごく少数とはいえ一定の割合で、アノマリー(変異)が生じ、世界が作り物の仮想現実だと気づく者が出てきて増えてしまいます。

そこで、アーキテクトは、不可避的に発生するものとして割り切った上で、救世主を使ってアノマリーの変異のパターンを集約し、そのフィードバックを次期バージョンに反映させてプロトタイプを改善し、よりシステムの安定性を高めていくという方法をとったというのです。

メロビンジアンは、マトリックスのOSとしてシステムを統治する地位を追われ、エグザイル化しますが、原因と結果の法則そのものは、サブシステムの中の法則としては残されていたようです。

ですから、システム全体としては、スパイラル・モデルとして、ウォーターフォールとプロトタイプを組み合わせて進化してきたということになりそうです。

さて、この私たちのいる世界においても、マトリックスの住民と同じように、私たちは自分には自由意志があり、自分の価値判断に基づいて、その都度、選択をしているように感じます。本当にそう感じます。

もっとも、後になって振り返ってみると、あらゆる選択は、幻想だったのではないかと感じることも多いのではないでしょうか。

近年、fMRI(functional magnetic resonance imaging機能的磁気共鳴画像診断装置)による脳の働きの解明によって、人が顕在意識で意思決定する前に、すでに潜在意識では意思決定がなされているということがわかってきたようです。すなわち、本人は、自分なりの理由に基づいて、選択しているつもりですが、実のところ、その「理由づけ」自体、後づけの理由でしかなく、すでに無意識に決められている選択を意識では自分が選択したと思いこんでいるということです。

自分のこととなるとメガネは曇りがちですが、他人の行動を見てみると、このことを何となく感覚的に理解できるのではないでしょうか。

限られた顕在意識では自分で選択しているように思えるけれど、実際は、その個別の心のエゴ・身体の備える属性、ヨーガで言うところの三つのグナの混じり具合による気質による縛りや環境的要因等によって与えられた情報について、それこそウォーター・フォール・モデル的に機械的・自動的にプログラムの適用がなされ、結論が導き出されているということです。

条件づけで訓練されたイヌの反応と比べると、極度に複雑化してはいるものの、やはり、我々の意思決定の実態は、このようなものでしかありません。

当人からすれば、自分なりに考えて選択をしているようにしか思えません。しかし、これこそ、オラクルの発見によって、人類が世界が現実だと信じこんで眠りこける原因となる錯覚と同じものです。

このように、私たちが自由意志を持たず、操り人形にすぎないという事実はがっかりするものです(注:もっとも、これはあくまでもエゴ・身体としての私たちのことであり、本当の私たちである大いなる自己には自由意志があります)が、個々の心の抱くエゴの思考システムの作用というものもコンピューター・プログラムと同じようなものでしかないとすれば、さらにがっかりかもしれません。
ですが、私たちの心の働きがコンピューターのプログラムに似ているのは誰しも感じる所だと思います。

このシステムには、エゴの諸法則がプログラミングされており、たとえば、誰かが自分の容姿や自分の一部であると感じているものを貶す言葉を発するのを聞いた時には、自動的に怒りを生み出します。
環境的要因、心理的な要因、気質的要因等諸々の要因が作用し合っているとはいえ、見かけ上、「選択」といえる心理過程が、プログラムの適用としてなされているのは否定できない事実でしょう(以上のエゴには自由意志はないということについては、ラメッシ・バルセカール先生の本を読んでいただくと、より深く突き詰めることができると思います)。

以上、何を言いたいかというと、私たちは自分で自分のことについて自由な意思に従って選択しているつもりでいるけれど、本当は、エゴとしての私たちは自由意志を持ってなどいない、オラクルというプログラムによって、選択という幻想を与えられて、眠りこけているマトリックス内に幽閉されている人類と同じだということです。

もしこれが本当だとしたら、私たちが映画や小説の主人公と同じ一キャラクターにすぎないかもしれないということと同じように、非常に受け入れがたい事実です。

これには、奇跡のコースは、冒頭の序文から自由意志について述べているし、本文の中でも自由意志について述べているじゃないかという疑問が起こりそうです。

たしかに、奇跡のコースは、私たちに自由意志があることを伝えようとしていますが、同時に、エゴは自由意志の否定だともいいます。

すなわち、身体の本能的な欲求ですら、身体的・物理的な原因によって生じるのではなく、根源的には、実体を持たないエゴが根源的な恐怖を紛らわし、自らを承認したいというエゴの欲求であり、個別の心は、このエゴの欲求によってがんじがらめに縛られて幽閉され、自由意志など無い状態になっているということです。

よく、奇跡のコースでは、幻想と真理、エゴと聖霊の間での選択を「あなた」に迫ります(コースはまた、決断は聖霊に任せるようにもいいますが、聖霊に任せるには、まず聖霊を選択しなければなりません)。

この決定者(decision maker)としてのあなたは、エゴの仮面をつけている個別の心として眠りこけているあなた(究極的には自分が神の子、大いなる自己であることを忘れているあなた)のことです。

エゴに従うかぎり、エゴは幻の自由意志をいくらでも味わわせてくれますが、私たちに真の自由意志はありません。

コースが自由意志というのは、神の意志と同じである大いなる自己の意志が自由であるということ、そして、大いなる自己が個別の心へと分裂しているとしても、その眠って夢を見ている心の決定者(decision maker)の部分が聖霊とエゴのどちらにつくかを選択するに際してのみ、自由意志を発揮できるということです。

エゴの仮面を被っているかぎり、自分で選択して自由意志を行使しているような幻想を抱くことはできるが、真の自由意志はなく、エゴの操り人形として、世界の割り振ったキャラクターとしての役を演じることを担わされ、劇の中での役を否応なしに演じさせられていくことになります。

では、決定者(decision maker)として、この選択を自由になすにはどうすればよいのでしょうか。

エゴの思考システムは、個別の心に巣食っています。ですから、個別の心の決定者(decision maker)が起動して選択権を行使することをエゴは排除しようとします。

さて、エゴは、個別の心の数だけ存在するのに対して、聖霊は一つだけです。
個別のコンピューターで走っているOSをエゴの思考システム(仮に「エゴOS」といいます)とすれば、サーバー(ホスト)から送られる情報を聖霊にたとえることができるかもしれません。

私たち個別の心であるコンピューターは、強固なエゴOSによって支配されていて、そもそも自分たちのことをスタンドアロンのコンピューターであると思い込んでおり、サーバーに接続している可能性すら認識できない(ネットという概念自体がない)ように設定されています。

私たちは、ばらばらに隔絶していて、他のコンピューターと情報交換するためには、プリントアウトしたデータを送ったり、他の媒体に記録したものを届けて、それを読み込んでもらい、リアクションを受け取る際には同じやり取りを行うということを必要とします。

数十年前のコンピューターの原始的な通信事情が、私たちのエゴ・身体同士の通信方法です。Eメールのように意志を送受信したり、どこかの電子掲示板で情報を共有することすらできません。

エゴOSは、自らの存在を確認したいという強い衝動に駆られています。エゴOSの「意識」というスクリーンには、つねに自己イメージが映し出され、他のコンピューターと比較しています。

この自己承認欲求は、無数に存在する他のエゴというライバルと、限りある獲物を奪い合う生存競争をして、勝ち抜かなければ、自分は消滅してしまうという恐怖心に淵源を持ちます。

エゴOSは、絶えず、五官という原始的な通信媒体から入ってくる情報に注意を凝らし、自己イメージを高める情報が入ってくると快感を得てスクリーンが膨張し、低める情報が入ってくると意気消沈して、スクリーンが小さく縮むというように、一喜一憂します。

エゴOSが他のコンピューターの利益になることをするのは、それによって間接的に自分が得をすると計算できる場合だけです。

エゴOSは、OSの利用者である個別の心がエゴOSと一体化するように仕向けます。
エゴOSは、常に五官からの入力を開きっぱなしにして、スクリーンがつねに外部からの情報で埋まるようにして、個別の心がスクリーンに映った何かに意識を奪われ、OS自体の構造に目が行くとのないようにします。

エゴOSは、個別の心がネットにつながっているかもしれないとうかがわせる情報が外部から入ってきた場合には、極力その情報をシャットアウトしようとします。

実は、エゴOSが隠してしまっていますが、個別のコンピューターはクライアントとしてサーバーに接続していて、リアルタイムに情報が届いているのです。
ですが、エゴOSが強制的に別のウィンドウを開いてスクリーン上にその情報が出てこないように仕組んでいて、気づけないようにされているのです。

ウィンドウを閉じても閉じても、罪悪感や恐怖、嫉妬心といった感情によるリンクが作動して、すぐさま別のエゴOSのウィンドウが開いてしまいます。

ですから、エゴOSが幅を利かせているかぎり、サーバーに接続していることを知ることも、そこにアクセスして情報を得ることもできません。

したがって、なすべきことは、エゴOSのアンインストール、初期化です。コースが、奇跡を起こすには、心の浄化が必要であるというときの、心の浄化とは、この初期化のことです。

ロバート・シャインフェルドさんの「The Ultimate Key to Happiness」では、エゴの思考システム(「mind machine」と呼んでエゴとは同じではないとしていますが、グーグルのようなサーチエンジンの機能を果たす精神機構としてたとえています。すなわち、外の情報を収集して内部に集積しデータベース化し、中に取り込んだ情報と照合して機械的に反応するシステムを組み上げていく働きであると)に対して、世界が幻想であるとの真理(「truth virus」と呼んでいます。パソコンのウィルスは悪いイメージですが、よいウィルスとしての真理のウィルスというイメージ)を取り入れることで、truth virusがシステム内に広がって、エゴの思考システムを崩壊させる例を挙げています。
うまいたとえですが、エゴ自体、生来的に組み込まれているものではなく、事後的に外部(他のエゴ・身体)から感染するように取り込まれる思考システムですので、エゴのほうをウィルス、真理をアンチ・ウィルスとする方が座りがよいようにも感じます。
心の初期化には、真理によって知覚を修正する作業を進めて贖罪を完成させることが必要です。

自らを個別の心のスクリーンを眺めている決定者(decision maker)として捉え、エゴOSにスクリーンを占有させているかぎりは、自分に自由な選択などないことを理解したうえで、エゴのウィンドウが次々に開いてしまう原因である罪悪感等を、アンチウィルスソフトのように取り入れた分離が幻想であるという真理の光で取り消して行くと同時に、それによって徐々にエゴのウィンドウがスクリーンをつねには占拠できないようになってきたら、それまでエゴのウィンドウの下に隠れていたサーバーから届いている聖霊のウィンドウをスクリーン上に開く比率を高めていき、ついには聖霊からのメッセージのウィンドウがつねに開いている状態に持っていくという作業です。

このように、一歩引いてスクリーンを眺める決定者(decision maker)を想定することは、リアルな3Dゲームに没入し、スクリーン上のキャラクター(身体)に自己同一化し切っている状態から抜け出す上では、有益でしょう。
このように、奇跡のコースは、個別の心に対して、エゴの思考システムを掘り崩して、マトリックスでいうアノマリーになるように導こうとしているといえます。


エゴOSの基盤を掘り崩し、贖罪を成し遂げたら、OSを基盤として働いていたエゴの諸法則はその個別の心を縛る力をもはや持ちません。ここは贖罪について述べたように、贖罪の完成は、ルールの適用されるテーブル自体をひっくり返すことです。

その段階に至れば、サーバーからつねに送り続けられていた光のメッセージである知識のほうから、個別の心に流れこんできてくれるということです。


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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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