W2ST-14.私ってなに?

2013年09月16日
ワークブック・パート②特別解説 0

Life is real only then, when “I am”.
生は<私が存在し>て初めて真実となる。



George Ivanovich Gurdjieff
グルジェフ



「私は・・・である」「私は・・・になる」「私は・・・をした」と宣言するとき、あなたは非常に重要で強力な主張をしています。「私は」と表現するときに放射される力を十分に理解している人はほとんどいません。「私は私である」(I am that Iam.)という偉大な言葉を思い出してください。この言葉は時代を越えて生き、語られています。この言葉の意味が本当に理解されたとき、私たちは個人を超えて、宇宙の力に結びつけられるのです。
あなたの体はあなた個人のものですが、あなたが発する「私は」という言葉は宇宙的なものです。宇宙全体には「一」というただひとつの数しかないのと同じように、この宇宙に、ただひとつの「私」しか存在しません。

ジョン・マクドナルド(「マスターの教え」より)



女王幼ごころの君はアウリンを高く持ちあげ、首にかけながら言った。
「そなたはこのおひかりをいつも身につけていたではありませんか。それによってわたくしが常にそなたと共にいたことを知らなかったのですか?」

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ミヒャエル・エンデ(「はてしない物語」より)



洗練されたヒンドゥー教徒は、神のことを、独裁者のごとく世界を上から「支配する」特別で孤絶した超人であるとは考えない。彼らの神は、「上に」というよりもむしろ「下に」ある全てのものであり、彼は世界を内側から「演じている」。ヒンドゥー教徒にとって、どんな人もどんな物も神なのだ。ヴェーダーンタ哲学においては、神以外の何ものも存在しないのだ。

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アラン・ワッツ



Jesus said, "Many are standing at the door, but it is the solitary who will enter the bridal chamber."
イエスは言われた。「多くの人々が戸口に立っている。しかし、花嫁の部屋に入れるのはたったひとりだけである。」

Jesus Christ

Gospel of Thomas 75
イエス・キリスト(トマスによる福音書第75節)





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今回は、ワークブック・パート2特別解説から、「私とは何か」をご紹介します。


“I am that I am”

出エジプト記3章14節で、モーセから名を問われた神は“I am that I am”と答えます。

ヘブル語 ”אהיה אשר אהיה‎” 「エヘイェ・アシェル・エへイェ」が欽定訳(King James Version)で直訳され、“I am that I am”となったようですが、この“I am that I am”という言葉の訳には歴代の聖書翻訳者たちが苦労し、「ありてある者」等、さまざまな訳がなされてきました。

もっとも、“I am that I am”は、深読みする必要はなく、文字通り、「私は私であるものだ」と捉えればよいように思います。

すなわち、“that“の前の“I am“は質問に答える際に神が自らを指した一人称であり、“that“の後の“I am“は、幻想世界で自己意識を抱くものすべてに通じる「私」現象の究極主体が神であることを示すものであり、「私」という自覚を持つものはみな私(神)なのだと神が万物に対して自らが父であり、三位一体で子である万物とひとつであることを宣言した言葉だということです。


私現象の大本である神

コースは、意識はエゴの領域だと指摘しはしますが、エゴは実在しない影であり、エゴに惑わされた自意識ではあれ個別の心が「私」という主体的な意識を持つことができるのは、神の子の心の働きゆえのことです。

つまり、自分を自覚するすべての生き物たちの中で「私は」と、主体的意識が存在し、機能するのは源である神ゆえであり、この文は、「私」という自覚を持つものはみな私(神)なのだと述べていることになります。




グルジェフの自己想起

冒頭のグルジェフの著作のタイトル

Life is real only then, when “I am”.
生は<私が存在し>て初めて真実となる。

の“I am”は、グルジェフのいう自己想起“self-remembering”を意味し、“I am that I am”の“I am”と同義です。

「自己を想起するとは、自己に気づくこと - 『私は在る“I am”』- と同じことを意味している」

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P・D・ウスペンスキー

S3-4 癒しの神聖さの釈迦の四方七歩の誕生偈「天上天下唯我独尊」のエッセイ

詩編46:10 "Be still and know that I am God. についてのエッセイ"

レッスン345「私は今日、奇跡だけを与えることにする。というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」の渦巻きのイメージ

も参考になると思いますので、ご覧ください。




チェシャ (1) (1)


Workbook Part2


14. What Am I?
私とは何か



1. I am God's Son, complete and healed and whole, shining in the reflection of His Love.
 私は、完全で癒されていて全体として神の大いなる愛の反映の中に光り輝く神の子です。

 In me is His creation sanctified and guaranteed eternal life.
 私の中で、神の創造物が聖別され、永遠の生命を約束されます。

 In me is love perfected, fear impossible, and joy established without opposite.
 私の中で、愛は完全なものとなり、恐れは不可能となり、そして、反対を持たない喜びが確立されます。

 I am the holy home of God Himself.
 私は、神自身の聖なる住まいです。

 I am the Heaven where His Love resides.
 私は、神の大いなる愛が留まる天国です。

 I am His holy Sinlessness Itself, for in my purity abides His Own.
 私は、神の神聖な大いなる潔白さそのものです。というのも、私の清らかさの中にこそ、神自身の清らかさがあるからです。



2. Our use for words is almost over now.
 私たちが言葉を用いるのも、もうほとんど終わりかけています。

 Yet in the final days of this one year we gave to God together, you and I, we found a single purpose that we shared.
 しかし、あなたと私で一緒に神に捧げたこの一年の最後の数日に、私たちは自分たちが分かち合うただひとつの目的を見つけました。

 And thus you joined with me, so what I am are you as well.
 こうして、あなたは私とひとつに結ばれたので、本当の私はあなたでもあるのです。

 The truth of what we are is not for words to speak of nor describe.
 私たちが何者なのかという真理は、言葉で語ったり、描写できるものではありません。

 Yet we can realize our function here, and words can speak of this and teach it, too, if we exemplify the words in us.
 しかし、私たちはこの地上での自分たちの役割に気づくことができます。そして、もし私たちが自分たちの中にある言葉を体現する者となるなら、言葉を用いて私たちの役割について語り、それを教えることもできます。



3. We are the bringers of salvation.
 私たちは、救済をもたらす存在です。

 We accept our part as saviors of the world, which through our joint forgiveness is redeemed.
 私たちは、救世主としての役目を受け入れます。この世界は、私たちがひとつに結びついて赦すことで救われます。

 And this, our gift, is therefore given us.
 そのために、この赦しという贈り物が私たちに与えられているのです。

 We look on everyone as brother, and perceive all things as kindly and as good.
 私たちは、すべての人々を兄弟と見て、すべての物事を優しく善良なものとして知覚します。

 We do not seek a function that is past the gate of Heaven.
 私たちは、天国の門の向こう側にある役目を求めているのではありません。

 Knowledge will return when we have done our part.
 知識は、私たちが自らの役目を果たしたときに戻ってくるでしょう。

 We are concerned only with giving welcome to the truth.
 私たちが関心を向けるのは、ただ真理を歓迎することだけです。



4. Ours are the eyes through which Christ's vision sees a world redeemed from every thought of sin.
 私たちの目は、それを通して、キリストのヴィジョンがあらゆる罪の思いから救われた世界を見るための目となります。

 Ours are the ears that hear the Voice for God proclaim the world as sinless.
 私たちの耳は、神を代弁する大いなる声が、世界を罪のないものとして高らかに宣言するのを聞く耳となります。

 Ours the minds that join together as we bless the world.
 私たちの心は、私たちが世界を祝福するにつれて一緒になってひとつに結ばれます。

 And from the oneness that we have attained we call to all our brothers, asking them to share our peace and consummate our joy.
 そして、私たちの獲得した一なる状態から、私たちはすべての兄弟たちに呼びかけ、彼らに私たちの平安を分かち合って、私たちの喜びを完全なものにしてくれるようにと頼むのです。



5. We are the holy messengers of God who speak for Him, and carrying His
 私たちは、神のメッセージを携えて神を代弁する神の聖なる使者なのです。

 Word to everyone whom He has sent to us, we learn that it is written on our hearts.
 私たちは、神が私たちの許に送ってくれたすべての人たちのための大いなる言葉が自分たちの胸に刻まれていると学びます。

 And thus our minds are changed about the aim for which we came, and which we seek to serve.
 こうして、私たちは、自分たちがそのために、ここにやってきて、それを果たそうとしている目的についての心構えを変えることになります。

 We bring glad tidings to the Son of God, who thought he suffered.
 私たちは、自分が苦しんでいると思っていた神の子に、喜びの便りをもたらすのです。

 Now is he redeemed.
 今こそ、神の子は救われるのです。

 And as he sees the gate of Heaven stand open before him, he will enter in and disappear into the Heart of God.
 そして、天国の門が自分の目の前に開かれているのを見れば、彼はその中に入って行って、神の心の中へと姿を消すことでしょう。


名称未設定


それでは、ブリトニーさんのレッスンです。



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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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