欲望


欲望は、二種類に分けられます。つまり、われわれが神を見つけるために助けになる欲望と、妨げになる欲望です。

たとえば、だれかがあなたを殴ったとします。あなたは仕返しをしたいと思います。この場合、もしあなたが、それに勝る愛の力で、仕返しをしたいという欲望を克服すれば、あなたは神を見つけるうえに助けになるような行為を行ったことになります。どんな欲望も、このように聖なる方法で満足させるべきです。

これに反して、世間一般の報復による方法で自分を満足させようとすると、問題を大きくするだけです。もしあなたが、自分の欲望をすべて神に委ねれば、あなたのよい欲望は叶えられ、悪い欲望は克服されるように神が計らってくださいます。あなたの良心やあなたのよい欲望が持つ聖なる特性ほど、あなたを守ってくれるものはありません。

もし、神の完全な似姿である自分の魂を見つめることができるようになれば、あなたは自分のあらゆる願望がすでに満たされていることを知るでしょう。この聖なる意識を自分のものとし、その中にいるとき、ほかのものはすべて小さく見え、たとえ世界を与えようと言われても気持ちは動かないでしょう。そして、褒められて得意になったり、咎められて傷つくこともなくなるでしょう。あなたはただ、内なる神の洪大な喜びを感じるだけです。



Paramahansa Yogananda
パラマハンサ・ヨガナンダ(「人間の永遠の探求」120ページ)





パラマハンサ・ヨガナンダ先生の言われるように、私たちの抱く欲望には、二種類があります。

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ひとつは実在する愛を根源とする求心力で、実在するものが自分と同じものとひとつに結びつくことを求める欲望です。

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もうひとつは、欠乏状態の埋め合わせを渇望する飢餓状態に駆られて抱く欲望です。


後者の欲望の奥底には、愛の不在が真空状態のように愛に満たされることを求めており、本質は愛を求める哀訴です。

後者の欲望は、たとえば復讐心は、エゴが愛の代用であるがゆえに愛とは別の偽物で欠乏の穴を塞ごうとする欲求なので、愛の不在は拡大するばかりです。

本質である愛を求める哀訴として正しく認識するなら、表面的な欲望に従うのではなく、本質通り愛をもって埋めてあげることが必要だという気づきとなります。




アシュターヴァクラ・ギーターから「欲望」をご紹介します。



「10 欲望



富や快楽を切望し

そのために競いあう

それらはあなたの敵なのだ

美徳を装って現れ

あなたを破壊しようとする


すべてを明け渡しなさい

何ひとつ、つかんではならない




あらゆる幸運

妻や友や家や土地

贈り物や富といったものすべて……


それらはひとつの夢

手品師の芸

旅回りのショーでしかない!


二、三日もすれば消え去ってしまう



よく考えてみなさい


どこであれ、欲望があるところには

世界がある


確固たる無執着で

あなた自身を欲望から解き放ちなさい

そして幸福を見いだしなさい




あなたを縛りつけるのは他でもない

ただ欲望だけだ

それを破壊すれば、あなたは自由だ


世界に背を向け

あなた自身を満たし

限りない幸福を見いだしなさい




あなたは一なるもの

純粋な気づき


世界は実在ではない

それは冷たくて生命をもたない


無知もまた実在ではない

ならば、いったい何を知りたいというのか?




幾生にもわたって

幾つもの異なった身体を通して

さまざまな快楽に

あなたは身をまかせてきた

息子や王国や妻たち


結局はすべてを失うにもかかわらず……




快楽の追求はもうたくさん

富も美徳ももうたくさんだ!


世界という暗い森の中で

それらがいったいどんな心の平和を

あなたにもたらすというのか?




幾生にもわたって

あなたは骨の折れる仕事にこつこつと精を出し

身体と心と言葉を苦しめ

押さえつけてきた


もうじゅうぶんだ

やめなさい

今! 」(アシュターヴァクラ・ギーター 真我の輝き 翻訳 福間巌 ナチュラルスピリット 80〜84ページ) 

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