レッスン108「与えることと受け取ることは、本当はひとつのことだ」
Life begets life. Energy creates energy. It is by spending oneself that one becomes rich.
生命が生命を生み、エネルギーがエネルギーを生み出す。人は身命を賭すことによって豊かになるのよ。

Sarah Bernhard
サラ・ベルナール
およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず大きな利益をもたらすからである。

岩崎弥太郎
Energy can't be created or destroyed, and energy flows.
エネルギーというのは、作り出すことも破壊することもできない。エネルギーは流れ動くものだ。
It must be in a direction, with some kind of internal, emotive, spiritual direction.
だから、エネルギーは、ある種の内面的な、感情的な、霊的な導きによって、方向づけられるべきなんだ。
It must have some effect somewhere.
そうすれば、エネルギーは必ずどこかで何らかの結果を生じる。

Keanu Reeves
キアヌ・リーヴス
It is interesting reading your reactions.
君の反応を観察するのは興味深い。
Your five predecessors were by design based on a similar predication, a contingent affirmation that was meant to create a profound attachment to the rest of your species, facilitating the function of the one.
君の5人の前任者たちは、救世主の使命を果たすために、いかに条件が変動しようとも、自らの属する種の他の者たちに対する深い愛情を引き起こすよう規定された同一の条件公式に基づいて設計されていた。
While the others experienced this in a very general way, your experience is far more specific. Vis-a-vis, love.
前任者たちは、この愛をきわめて一般的な人類愛という形で体験したのに対して、君の体験はよりはるかに特殊なものだ。それは1対1の愛だ。

The Architect
アーキテクト
それにしても、善性がどうやって弱さから生じてこれよう? というのも、善にはあふれ流れるエネルギーが必要だからだ。善とは贅沢品、それは豊かさから生じる。エネルギーがあり余るとき、あり過ぎて洪水の氾濫のようになっているとき、そのときにはあなたはそれをわかち合いはじめる。そうなったらあなたは搾取することはできない。その必要はない。そうなったらあなたは自分のハートから与えることができる。あまりに有ってそれは実際あなたの重荷になっている。あなたはそれをわかち合い、放りだしたい。あなたはあらゆるものを投げだし、あなたの生のすべてを贈り物として与えたい。
あなたが与えたいような何かを持っているときには、この法則を憶えているがいい。
何かに執着があるときには、あなたはそれをほんとうには所有していないということだ。もし所有していたら、あなたは与えることができる。何かを喜んで与えることができるときにのみ、あなたはそれの所有者としてある。もしそれに依然しがみついているようだったら、そのときには、深い部分であなたは恐れていて、それの主人になっていない。あなたは深いところで、それは自分に属していない、遅かれ早かれ取り上げられると知っている。あなたに与えることができないのはこのためだ。
だから、人はその愛を与えてはじめて愛のあることが示される。その生のすべてを与えるときにのみ、人は生きていることを示す。ほかにそれを知る方法はない。
弱さから多くの善が現れる。それはひとつの見せかけだ。ニセの硬貨だ。そしてニセの硬貨とは紙の花、プラスチックの花のようなものだ。
樹が花をつけるときには、あり余るエネルギーで氾濫しているからこそ花ひらく。花とは贅沢なものだ。樹はそうする余裕があるときにのみ花を咲かせる。もし水が適切に与えられなかったら、肥料が適当な割合で与えられなかったら、土が豊かでなかったら、そのときには樹は葉をつけるかもしれないが花を咲かせることはできない。
ひとつ段階体系があって、最高位が存在できるのは、そこに最高の位階まで動いてゆくエネルギーがあるときだけだ。もしあなたが十分な食べものを得ていなかったら、知性がまず消えてゆく。なぜならそれはひとつの開花だからだ。貧しい国では、真の貧困は肉体的なものではなく、知性の貧困だ。もし国が非常に貧困だったら知性は存在することはできない。それは開花としてある。
肉体的な必要がすべて充たされたときにのみ、エネルギーは上に動いてゆく。肉体的な需要が充たされていないときには、エネルギーはまずその需要を充たすために動く。基盤がまず第一に守られなければならい。根がまず保護されなければならない。もし根がなかったら、花ひらくということはあり得ない。もし肉体がなかったら、そのときには知性はどこで存在するね?
そして、慈悲とは知性よりも高位のもの、瞑想はよりまた高位のものだーー。

Osho バグワン・シュリ・ラジニーシ(「愛の錬金術 隠されてきたキリスト」279ページ)

レッスン108です。
今日のテーマは、「与えることと受け取ることは、本当はひとつのことだ」です。

得ること=与えること
だれかに何かを与えることと受け取ることは、ひとつの出来事を表と裏から見たものです。
AさんがBさんに何かをあげるとき、Aさんは与え、Bさんは受け取ります。
Aさんはその何かを失うわけではないということでした。
二元性の世界では、時間と空間の中で、あらゆるものが二極に分かれて対立するように見えます。
でも、歪んでいるかもしれないとしても、本当は、ひとつの源であるひとつの思いが多様な形をとって現れているだけだとすれば、究極的には、別々に現れているすべてはひとつのものへと還元できるはずです。
みんなに安らぎと優しさを捧げる練習
このレッスンでは、平安や優しさを、自分のものとするためにほかの人たちに捧げる実習が出てきます。
このような想念であれば、実際に、だれかに優しい気持ちを捧げることで、自分のほうが優しい気持ちをもらえることをすぐに実感できるので、適しています。
でも、この世界自体が想念ですので、物を与えることもまったく同じことですし、物を与える背後にあるのは、優しさや思いやりといった気持ちがあるのが普通です。
みんなに平安を捧げる実習は、やってみると本当にすぐに自分に返ってくるのがわかるはずなので、ぜひやってみてください!
自他分離に関わるテーマでは「はたらく細胞」で考えるクセを
Aさんが別のBさんに与えたというふうに形の上では現れていますが、本当はAさんもBさんも同じひとりの神の子だとすれば、手が持っていた食べ物を口に渡してあげたようなもので、口から入ったエネルギーは手を含めた全身、身体の持ち主の魂に還元されることになります。
「はたらく細胞」がこの観点を理解する助けになると思います。
「すべての修正にとってひとつの修正だけで十分である」
さて、本レッスンには、赦しの対象と効果についての独特の観点が出てきます。
「5. One thought, completely unified, will serve to unify all thought.
完全に統一されたひとつの思いは、すべての思いを統合するように作用します。
This is the same as saying one correction will suffice for all correction, or that to forgive one brother wholly is enough to bring salvation to all minds.
これは、すべての修正にとってひとつの修正だけで十分である、つまり、すべての心に救済をもたらすにはひとりの兄弟を完全に赦すだけで十分であると言うのと同じです。
For these are but some special cases of one law which holds for every kind of learning, if it be directed by the One Who knows the truth.
というのも、もしそれが真理を知る一なる存在によって導かれているのであれば、これらは、いかなる種類の学びにもあてはまるひとつの法則のさまざまな特別な事例への応用例でしかないからです。」
1対1の関係性にこだわり、小さなことに大きな愛を込める
この「すべての修正にとってひとつの修正だけで十分である」という観点は、なかなか理解しがたいと思います。
私たちはどうしても、この世界の実在性を所与の前提に取り込んでしか発想できないので、世界の多様な問題は、すべて個別の対処でケリを付けなければ修正は不可能だと考えます。
そして、規模の小さい自分の周囲を変えたところで環境問題や戦争という大規模な問題を解消する作用はありえないと考えます。
しかし、世界が幻想で、個々に分離した心があるというのも錯覚で一なる心しかなく、すべてのアバターの「私」の本質が同じひとつの大いなる自己であるなら、この通りであるはずです。
マザー・テレサが大きな問題に取り組むことではなく目の前の人との1対1の関係にこだわったこと、小さなことに大きな愛を込める大切さを説いたことを思い出しましょう。
この点については、M14 世界の終わりで、「罪についての思いがひとつも残らなくなったとき」に世界は終わるという観点から詳述されていますので、参考にしてみてください。

Lesson 108 - To give and to receive are one in truth
レッスン108「与えることと受け取ることは、本当はひとつのことだ」
1. Vision depends upon today's idea.
ヴィジョンは、今日の考えに依拠しています。
The light is in it, for it reconciles all seeming opposites.
与えることと受け取ることはひとつだという考えの中に、光があります。なぜなら、この考えは、対立するように思えるすべてのものを和解させるからです。
And what is light except the resolution, born of peace, of all your conflicts and mistaken thoughts into one concept which is wholly true?
そして、光とは、あなたのあらゆる葛藤と間違った思いを全面的な真実であるひとつの概念へともたらそうという平安から生まれる決意にほかなりません。
Even that one will disappear, because the Thought behind it will appear instead to take its place.
もっとも、その概念すら消え去ることでしょう。なぜなら、その概念の背後にある大いなる思いがその概念に置き換わることになるからです。
And now you are at peace forever, for the dream is over then.
そうすればもう、あなたは永遠に平安のうちにあります。というのも、そのとき夢は終わるからです。
2. True light that makes true vision possible is not the light the body's eyes behold.
真のヴィジョンを可能にする真の光は、肉眼で見える光ではありません。
It is a state of mind that has become so unified that darkness cannot be perceived at all.
真の光は、本当にひとつに結びついているために、完全に闇を知覚することがありえない心の状態です。
And thus what is the same is seen as one, while what is not the same remains unnoticed, for it is not there.
それゆえ、同じものはひとつのものとして見られ、他方で、同じでないものは顧みられることはなくなります。というのも、同じでないものは存在しないからです。
3. This is the light that shows no opposites, and vision, being healed, has power to heal.
これこそが、いかなる対立もないことを示す光です。そして、ヴィジョンは、癒されているがゆえに、癒す力を持っています。
This is the light that brings your peace of mind to other minds, to share it and be glad that they are one with you and with themselves.
これこそが、あなたの心の平安をほかの心たちへともたらして、彼らがあなたの心の平安を分かち合って、自分があなたやみんなとひとつであることを喜べるようにする光です。
This is the light that heals because it brings single perception, based upon one frame of reference, from which one meaning comes.
これこそが癒しの光です。なぜなら、この光は、そこからひとつの意味だけが生じる判断基準に依拠するただひとつの知覚をもたらすからです。
4. Here are both giving and receiving seen as different aspects of one Thought whose truth does not depend on which is seen as first, nor which appears to be in second place.
ここでは、与えることと受け取ることの両方は、ひとつの大いなる思いの別の側面とみなされます。ひとつの大いなる思いが真実であることは、与えることと受け取ることのどちらが先で、どちらが次に来るように見えるかということに左右されるものではありません。
Here it is understood that both occur together, that the Thought remain complete.
ここでは、与えることと受け取ることの両方が一緒に生起するので、大いなる思いが完全なままであり続けることがわかります。
And in this understanding is the base on which all opposites are reconciled, because they are perceived from the same frame of reference which unifies this Thought.
そして、この理解の中にこそ、すべての対立を和解させる基盤があります。なぜなら、相反するものはすべて、この大いなる思いを統合する同じ判断基準に基づいて知覚されるからです。
5. One thought, completely unified, will serve to unify all thought.
完全に統一されたひとつの思いは、すべての思いを統合するように作用します。
This is the same as saying one correction will suffice for all correction, or that to forgive one brother wholly is enough to bring salvation to all minds.
これは、すべての修正にとってひとつの修正だけで十分である、つまり、すべての心に救済をもたらすにはひとりの兄弟を完全に赦すだけで十分であると言うのと同じです。
For these are but some special cases of one law which holds for every kind of learning, if it be directed by the One Who knows the truth.
というのも、もし学びが真理を知る一なる存在によって導かれているのであれば、ひとりの兄弟を赦すことは、あらゆる種類の学びに通底するひとつの法をある特殊な事例に応用した結果でしかないからです。
6. To learn that giving and receiving are the same has special usefulness, because it can be tried so easily and seen as true.
与えることと受け取ることが同じだと学ぶことには特別な有用性があります。なぜなら、それはとても簡単に試みて、それが真実だと理解することができるからです。
And when this special case has proved it always works, in every circumstance where it is tried, the thought behind it can be generalized to other areas of doubt and double vision.
そして、この特別な事例を通じて、いかなる状況で試みようとも、与えることと受け取ることが同じことだという法則がつねに作用していることが証明されるとき、特別な事例の背後にある考え方を、肉眼がヴィジョンを覆って視覚が二重になっていて疑念の残っているほかの領域にまで一般化できるようになります。
And from there it will extend, and finally arrive at the one Thought which underlies them all.
そして、そこからその考え方を拡張して、最終的には、それらすべての根底にあるひとつの大いなる思いに到達することになります。
7. Today we practice with the special case of giving and receiving.
今日、私たちは、与えることと受け取ることについての特別な事例を実践します。
We will use this simple lesson in the obvious because it has results we cannot miss.
私たちは、この明らかにシンプルなレッスンを、私たちが見逃すことのできないほど明白な事例に用いることにします。
To give is to receive.
与えることは受け取ることです。
Today we will attempt to offer peace to everyone, and see how quickly peace returns to us.
今日、私たちは、すべての人たちに平安を差し延べることを試み、そして、いかに速やかに平安が私たちの許へと戻ってくるか見てみます。
Light is tranquility, and in that peace is vision given us, and we can see.
光は静穏であり、その平安の中でヴィジョンが私たちに授けられるので、私たちは真に見ることができます。
8. So we begin the practice periods with the instruction for today, and say:
だから、私たちは、実習時間を今日の考えについての次の命題から始めることにします。次のように言ってください。
To give and to receive are one in truth.
与えることと受け取ることは本当はひとつだ。
I will receive what I am giving now.
私は今、自分が与えるものを受け取ることになる。
Then close your eyes, and for five minutes think of what you would hold out to everyone, to have it yours.
それから、目を閉じて、あなたがそれを自分のものにするために、みんなに差し出したいと思うものについて5分間考えます。
You might, for instance, say:
たとえば、あなたは次のように言うことができます。
To everyone I offer peace of mind.
私はみんなに心の平安を捧げる。
To everyone I offer gentleness.
私はみんなに優しさを捧げる。
9. Say each one slowly and then pause a while, expecting to receive the gift you gave.
自分の与えた贈り物を受け取ることを期待しながら、一つひとつをゆっくりと言って、それから一息ついてください。
And it will come to you in the amount in which you gave it.
そうすれば、あなたが与えた分だけあなたに戻ってくるでしょう。
You will find you have exact return, for that is what you asked.
あなたは、自分がきっかり与えた分に見合う戻りを受けたことに気づくでしょう。というのも、それがあなたの求めたことだからです。
It might be helpful, too, to think of one to whom to give your gifts.
自分が贈り物をあげる特定の人物を思い浮かべるのも役に立つでしょう。
He represents the others, and through him you give to all.
その人はほかの人たちを代表しており、その人を通じて、あなたはみんなに与えることになります。
10. Our very simple lesson for today will teach you much.
私達が今日取り組むとてもシンプルなレッスンは、あなたに多くのことを教えてくれるはずです。
Effect and cause will be far better understood from this time on, and we will make much faster progress now.
今後は、結果と原因は、これまでよりもはるかによりよく理解されることになり、私たちは今から、これまでより速やかに進歩を遂げるでしょう。
Think of the exercises for today as quick advances in your learning, made still faster and more sure each time you say, "To give and to receive are one in truth."
今日の練習で、あなたの学びが躍進を遂げるものと考えてください。「与えることと受け取ることは、本当はひとつのものだ」とあなたが言うたびに、より早く、より確実に前進することになります。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。
