T10-3 病いの神を去らせる
健康のためなら死んでもいい!
死ぬのが死ぬほど怖い!
やる気がある者は去れ!
平和を実現させるためならどんな暴力も厭わず、どれだけ犠牲者を出してもかまわない!

テキスト第十章から、病気について偶像崇拝の観点から説明する一節をご紹介します。
反キリスト、真の共感とは?が参考になると思います。
病気は偶像崇拝
本節では、病気は偶像崇拝だということが語られます。
偶像崇拝の本質は、冒頭の迷言のような本末転倒な滑稽さにありますが、中身のない贈り物を豪勢な装飾の包装でさも立派な贈り物であるかのように思わせる錯覚のように、滑稽どころか深刻で崇高でありがたいものに勘違いさせるアドバルーンのようなものです。
神の子は完全な存在ですが、幻想世界の中で人間という制限された卑小な存在になっている夢を見ています。
偶像崇拝とは、エゴの欺瞞を信じて、自分を卑小で無力な存在だと信じて、自分の外にある小さな神(偶像)を作り出して、自分に対する制限を付加したり、自分で課した制限を一部解除したりする魔術によって、まるで偶像が自分を左右する力をもっているかのごとく見せかけて、偶像の力を信仰する自己欺瞞です。
病気は、自分や他者を身体というお互いに隔絶されて制限された存在とみなして、愛によって分離状態が害されることがないように、病いの神という偶像が心身を機能不全に陥らせて、自分や他者の神性を損なうことができると信じ、自分が病気よりも卑小な存在だと信じる偶像崇拝です。

癒しの仕組み
2.「God's remaining Communication Link with all his children joins them together, and them to him.
神が今も残している神の子供たち全員とのコミュニケーションの絆が、子供たちみんなをひとつに結び合わせ、そして、ひとつに結びついた神の子たちを神とひとつに結び合わせています。
To be aware of this is to heal them because it is the awareness that no one is separate, and so no one is sick.
これに気づくことが、神の子みんなを癒すことになります。なぜなら、この気づきは、誰も別々に切り離されてなどおらず、したがって、誰ひとり病んではいないと自覚することだからです。」
このように、聖霊によって私たちみんなは愛でひとつに結ばれているということが真理であり、この真理に気づく奇跡が癒しをもたらします。
文意のつかみにくい箇所
さて、
6.の "It is not my merit that I contribute to you but my love, for you do not value yourself."は文意をつかみにくい文章です。
のちの7.の文章では、
「I can heal you because I know you.
私は、あなたを知っているので、あなたを癒すことができます。
I know your value for you, and it is this value that makes you whole.
私は、あなたにとってのあなたの真価を知っています。そして、この真価こそがあなたを完全なものとします。」
と、イェシュアが私たちを癒すことができ、癒してくれるということが語られます。
6.の前後の文脈としては、この世界で健やかであることは、天国にいる神の子だという私たちの真価の反映であり、私たちが自分の真価を認められないことで私たちは健やかさを失って病気になるのだから、癒しは自分の真価を認めることによって起こるというものです。
つまり、病んだ状態は真に無価値な状態ではなく、自分が神の子だという真価を見失って人の子だという偶像崇拝に陥っているだけなので、イェシュアが持っている価値を私たちが分け与えてもらって私たちを価値あるものにしてもらうことによって健やかになれるという仕組みではなく、私たちがイェシュアの同胞愛によって自分はイェシュアと同じひとつの神の子であるという真価に気づくことで天国での真価の反映としてずっとそこにあったままの健やかさが現れて癒しが可能になるという理解です。
6.「It is not my merit that I contribute to you but my love, for you do not value yourself.
私があなたに与えられるのは私の価値ではなく、ただ私の愛だけです。というのも、あなたは自分の真価を認めてはいないからです。」
A Message Of A Course In Miracles:A translation of The Text in Plain Languageでは、次のような平易な文章に置き換えられています。
“Your Christ Mind does not make you worthy of God, but It brings you God’s Love”
「あなたの持つキリストの大いなる心はあなたを神にふさわしい価値あるものに変えるわけではなく、大いなる心はあなたに神の大いなる愛をもたらすのだ」
これを踏まえて意訳すると、
「私(イェシュア)にできるのは、私の価値を分け与えてあなたを癒すことではなく、私の愛を与えることだけです。というのも、あなたはただ自分の真価を認めていないだけだからです。」
という感じになります。
イェシュアが自らの価値を与えて不完全な「あなた」を神に見合う価値ある者に仕立て上げるわけではなく、もともと神に見合う神聖な神の子であることを忘れている「あなた」を愛することで、真価を思い出させて癒やすのだという感じです。

テキスト第十章
III. The God of Sickness
三 病いの神
1. You have not attacked God and you do love him.
あなたはこれまで神を攻撃したことはないし、あなたは現に神を愛しています。
Can you change your reality?
あなたに本当の自分を変えることができるでしょうか。
No one can will to destroy himself.
自分自身を破滅させることを意図することは、誰にもできません。
When you think you are attacking yourself, it is a sure sign that you hate what you think you are.
あなたが自分自身を攻撃していると思うなら、それはあなたがこれが自分だと思っている自己像を憎んでいる確かな印です。
And this, and only this, can be attacked by you.
そして、あなたが攻撃できるのは、この自己像、ただそれだけです。
What you think you are can be very hateful, and what this strange image makes you do can be very destructive.
あなたたちは自分のことをきわめて憎しみに満ちた存在だと思うことができます。そして、この奇妙な虚像があなたにさせることは非常に破壊的なものとなりえます。
Yet the destruction is no more real than the image, although those who make idols do worship them.
しかし、その破壊も、その虚像と同じく現実ではありません。それでも、偶像を作る者たちが偶像を崇拝しているのは確かです。
The idols are nothing, but their worshippers are the Sons of God in sickness.
偶像は無ですが、その偶像を崇拝している者たちは病んでいる神の子たちだからです。
God would have them released from their sickness and returned to his mind.
神は子供たちを病気から解放し、神の心に戻すことを意図しました。
He will not limit your power to help them, because he has given it to you.
神自らあなたにその力を授けたのだから、神の子供たちを助けるためのあなたの力を神が制限するはずがありません。
Do not be afraid of it, because it is your salvation.
その力を恐れないでください。なぜなら、その力こそ、あなたの救いだからです。

2. What comforter can there be for the sick children of God except his power through you?
あなたを通して現れる神の力以外には、病んでしまった神の子供たちを慰安できるものは何もありません。
Remember that it does not matter where in the sonship he is accepted.
神の子全体のどの部分に神が受け入れられるかは重要ではないことを覚えておいてください。
He is always accepted for all, and when your mind receives him the remembrance of him awakens throughout the Sonship.
神は必ず全員のために受け入れられることになります。だから、あなたの心が神を迎え入れるなら、全体としての神の子の隅々にまで神の記憶がよみがえってきます。
Heal your brothers simply by accepting God for them.
ただ兄弟たちに代わって神を受け入れることによって、彼らを癒してください。
Your minds are not separate, and God has only one channel for healing because he has but one Son.
あなたたちの心は別々に分離しているわけではありません。そして、神にはただひとり子があるだけなので、神が持つ癒しの経路はただひとつだけです。
God's remaining Communication Link with all his children joins them together, and them to him.
神が今も残している神の子供たち全員とのコミュニケーションの絆が、子供たちみんなをひとつに結び合わせ、そして、ひとつに結びついた神の子たちを神とひとつに結び合わせています。
To be aware of this is to heal them because it is the awareness that no one is separate, and so no one is sick.
これに気づくことが、神の子みんなを癒すことになります。なぜなら、この気づきは、誰も別々に切り離されてなどおらず、したがって、誰ひとり病んではいないと自覚することだからです。
3. To believe that a Son of God can be sick is to believe that part of God can suffer.
ある神の子が病気になりうると信じることは、神の一部が苦しむことが可能だと信じることです。
Love cannot suffer, because it cannot attack.
しかし、愛は攻撃することができないので、愛は苦しむことができません。
The remembrance of love therefore brings invulnerability with it.
したがって、愛を思い出すことによって、愛と一緒に何事にも傷つかない耐性がもたらされます。
Do not side with sickness in the presence of a Son of God even if he believes in it, for your acceptance of God in him acknowledges the Love of God he has forgotten.
たとえある神の子が病気を信じているとしても、その人の前では、病気が本当のことだと同調してはなりません。というのは、あなたが彼の中に神を認めることで、彼が忘れてしまっている神の大いなる愛を彼に気づかせることになるからです。
Your recognition of him as part of God reminds him of the truth about himself, which he is denying.
あなたが彼を神の一部だと認めることが、彼が否認している彼自身についての真実を彼に思い出させることになるのです。
Would you strengthen his denial of God and thus lose sight of yourself?
あなたは神を否認する彼の思いを補強して、そうすることによって、自分自身を見失いたいのでしょうか。
Or would you remind him of his wholeness and remember your Creator with him?
それとも、あなたは彼の完全さを彼に思い出させて、彼と一緒にあなたたちの大いなる創造主を思い出したいのでしょうか。

4. To believe a Son of God is sick is to worship the same idol he does.
ある神の子が病気だと信じることは、彼が崇拝している偶像と同じ偶像を崇拝することです。
God created love, not idolatry.
神が創造したのは愛であって、偶像崇拝ではありません。
All forms of idolatry are caricatures of creation, taught by sick minds too divided to know that creation shares power and never usurps it.
偶像崇拝のあらゆる形は、病んだ心によって教えられた創造のお粗末な模倣です。それらの病んだ心は、あまりに分裂しすぎているために、創造とは、力を共有するものであって、決して力を奪い去ったりしないことがわからなくなっています。
Sickness is idolatry, because it is the belief that power can be taken from you.
病気とは偶像崇拝です。なぜなら、病気とは自分から力が奪われることが可能だと信じることだからです。
Yet this is impossible, because you are part of God, Who is all power.
しかし、あなたが力を奪われるなど不可能です。なぜなら、あなたは神の一部であり、神は力そのものだからです。
A sick god must be an idol, made in the image of what its maker thinks he is.
病いの神は、その作り主が自分はこのような存在だと考えている自己像に似せて作られた偶像であるに違いありません。
And that is exactly what the ego does perceive in a Son of God; a sick god, self-created, self-sufficient, very vicious and very vulnerable.
そして、まさにそのように、エゴは神の子を知覚します。それは、自分で自己創造し、自給自足しており、非常に残忍でありながら、きわめて脆弱な病いの神です。
Is this the idol you would worship?
こんな偶像をあなたは崇拝したいのでしょうか。
Is this the image you would be vigilant to save?
こんな虚像を、あなたは油断なく注意を払って守りたいのでしょうか。
5. Look calmly at the logical conclusion of the ego's thought system and judge whether its offering is really what you want, for this is what it offers you.
エゴの思考システムがもたらす論理的帰結を冷静に見つめて、エゴが差し出しているものが本当に自分の望むものなのかどうか判断してください。というのも、エゴがあなたに差し出しているのは、こんな病いの神の偶像だからです。
To obtain this you are willing to attack the Divinity of your brothers, and thus lose sight of yours.
こんなものを手に入れるために、あなたは喜んで自分の兄弟の神性を攻撃し、その結果として、自分自身の神性を見失っています。
And you are willing to keep it hidden, to protect an idol you think will save you from the dangers for which it stands, but which do not exist.
だから、あなたは、さまざまな危険から自分を救ってくれるものと信じているその偶像を守るためなら、自分と兄弟の神性を隠したままに保つことを厭いません。しかし、偶像は危険を象徴してはいますが、実際は危険などそもそも存在しないのです。

6. There are no idolaters in the Kingdom, but there is great appreciation for everything that God created, because of the calm knowledge that each one is part of him.
王国には偶像を崇拝する者などいません。しかし、王国には、神が創造したすべてのものに対してその真価を認めて捧げられる大いなる感謝があります。なぜなら、王国には、各自が神の部分であるという揺るぎない知識があるからです。
God's Son knows no idols, but he does know his Father.
神の子は、いかなる偶像も知りません。しかし、神の子が自らの大いなる父を知っているのは確かです。
Health in this world is the counterpart of value in Heaven.
この世界で健やかであることは、天国での真価を反映するものです。
It is not my merit that I contribute to you but my love, for you do not value yourself.
私があなたに与えられるのは私の価値ではなく、ただ私の愛だけです。というのも、あなたは自分の真価を認めてはいないからです。
When you do not value yourself you become sick, but my value of you can heal you, because the value of God's Son is one.
あなたが自分の真価を認めないとき、あなたは病気になりますが、神の子の真価はひとつであるがゆえに、私があなたの真価を認めることで、あなたは癒されうるからです。
When I said, "My peace I give unto you," I meant it.
「私の平安をあなたがたに与えよう」と私が述べたとき、私はこのことを意味して言ったのです。
Peace comes from God through me to you.
平安は、神からやってきて、私を通じてあなたへと届きます。
It is for you although you may not ask for it.
あなたは平安を求めようとはしないかもしれませんが、平安はあなたのためにあるのです。
7. When a brother is sick it is because he is not asking for peace, and therefore does not know he has it.
ある兄弟が病気になるとき、その理由は、彼が平安を求めていないために、自分がすでに平安を持っていることが彼にはわからなくなっているからです。
The acceptance of peace is the denial of illusion, and sickness is an illusion.
平安を受け入れることは、幻想を否認することです。そして、病気はまさに幻想です。
Yet every Son of God has the power to deny illusions anywhere in the Kingdom, merely by denying them completely in himself.
しかし、神の子は誰でも、王国のどこにあろうとも、単に自分自身の中にある幻想を完全に否認することによって幻想を拒絶する力を持っています。
I can heal you because I know you.
私は、あなたを知っているので、あなたを癒すことができます。
I know your value for you, and it is this value that makes you whole.
私は、あなたにとってのあなたの真価を知っています。そして、この真価こそがあなたを完全なものとします。
A whole mind is not idolatrous, and does not know of conflicting laws.
完全な心は偶像崇拝などしません。また、完全な心は矛盾する法則を知ることはありません。
I will heal you merely because I have only one message, and it is true.
私があなたを癒してあげましょう。それはただ単に、私がただひとつのメッセージだけを携えており、そのメッセージが真実だからです。
Your faith in it will make you whole when you have faith in me.
あなたが私を信頼してくれるなら、私の携えるメッセージへのあなたの信頼が、あなたを完全なものにするでしょう。

8. I do not bring God's message with deception, and you will learn this as you learn that you always receive as much as you accept.
私が誤魔化しを用いて神のメッセージを伝えるようなことはありません。そして、つねに自分が受け入れる程度に応じて自分がメッセージを受け取ることをあなたが学ぶようになれば、あなたにも私のメッセージに誤魔化しがないとわかってくるはずです。
You could accept peace now for everyone, and offer them perfect freedom from all illusions because you heard his voice.
あなたは今、みんなのために平安を受け入れ、あらゆる幻想からの完全なる解放をみんなに差し延べることができます。なぜなら、あなたは神の声を聞いたからです。
But have no other gods before him or you will not hear.
しかし、真の神の前にほかのどんな神々も置いてはなりません。そんなことをすると、あなたには神の声が聞こえなくなってしまうからです。
God is not jealous of the gods you make, but you are.
神はあなたが作る神々に嫉妬したりしません。しかし、あなたはそれらの神々を手放すまいと汲々としています。
You would save them and serve them, because you believe that they made you.
あなたはそれらの神々を守り、それらの神々に献身しようとします。なぜなら、あなたは、そんな神々が自分を作り出したと信じているからです。
You think they are your father, because you are projecting onto them the fearful fact that you made them to replace God.
あなたは、そんな神々のほうが自分の生みの親なのだと思っているのです。その理由は、あなたは自分が真の神に置き替えるためにそれらの神々を作り出したという恐ろしい事実をそれらの神々に投影しているからです。
Yet when they seem to speak to you, remember that nothing can replace God, and whatever replacements you have attempted are nothing.
しかし、その神々があなたに語りかけてくるように思えるときにこそ、大いなる神に取って代わりうるものなど何もないし、あなたが大いなる神の後釜に据えようと試みたものは何であれ無なのだと思い出してください。
9. Very simply, then, you may believe you are afraid of nothingness, but you are really afraid of nothing.
このように言うと、きわめて単純に、あなたは自分が無というものを恐れていると信じてしまうかもしれません。しかし、これが真に意味するのは、あなたは何も恐れていないということです。
And in that awareness you are healed.
そして、実は自分は何も恐れていないのだとあなたが気づけば、あなたは癒されます。
You will hear the god you listen to.
あなたは自分の耳を傾ける気がある神の言い分を聞くことになります。
You made the god of sickness, and by making him you made yourself able to hear him.
あなたは病いの神を作り出しました。そして、あなたは、病いの神を作り出すことによって、自分が病いの神の言うことを聞くことができるようにしてしまいました。
Yet you did not create him, because he is not the Will of the Father.
しかし、あなたは病いの神を創造はしなかったのです。なぜなら、病いの神は父なる神の大いなる意志ではないからです。
He is therefore not eternal and will be unmade for you the instant you signify your willingness to accept only the eternal.
したがって、病いの神は永遠のものではないので、あなたが永遠なるものだけを受け入れる意欲を示すや否や、あなたにとってそんな神は元通りに消し去られてしまいます。

10. If God has but one Son, there is but one God.
もし神にただひとり子があるだけならば、唯一の大いなる神があるだけです。
You share reality with him, because reality is not divided.
あなたは大いなる神とともに現実を共有しています。なぜなら、現実は分割されてはいないからです。
To accept other gods before him is to place other images before yourself.
真の神を差し置いてほかの神々を受け入れることは、あなた自身の前に別の虚像をいくつも置くことになります。
You do not realize how much you listen to your gods, and how vigilant you are on their behalf.
あなたは、自分がどれほど自らの神々に耳を傾けているか気づいていないし、そんな神々のためにどれほど自分が絶えず警戒を怠らずにいるか気づいてもいません。
Yet they exist only because you honor them.
しかし、そんな神々が存在しているのはただ単に、あなたがそんな虚像を神として祀り上げているからでしかありません。
Place honor where it is due, and peace will be yours.
尊ぶのであれば、真に尊ぶに値するものに敬意を払いなさい。そうすれば、平安はあなたのものになるでしょう。
It is your inheritance from your real Father.
平安は、あなたの本当の偉大なる父からあなたが承継したものだからです。
You cannot make your Father, and the father you made did not make you.
あなたには自分の大いなる父を作り出すことなどできません。そして、あなたが作り出した父親があなたを作ったわけでもありません。
Honor is not due to illusions, for to honor them is to honor nothing.
幻想は、敬意を払うに値しません。というのは、幻想を崇めるのは無を崇めることだからです。
Yet fear is not due them either, for nothing cannot be fearful.
しかし、幻想はまた恐れるにも値しません。というのは、無が恐ろしいものであるはずがないからです。
You have chosen to fear love because of its perfect harmlessness, and because of this fear you have been willing to give up your own perfect helpfulness and your own perfect help.
愛が完璧に無害なものであるがゆえに、あなたは愛を恐れることを選んできました。そして、この恐れのために、あなたは自ら進んで、自分を申し分なく人のために役に立てることや、自分自身を完璧に助けてもらうことを断念したりしてきました。
11. Only at the altar of God will you find peace.
神の祭壇においてのみ、あなたは平安を見出すでしょう。
And this altar is in you because God put it there.
そして、神がその祭壇をあなたの中に置いてくれたので、この祭壇はあなたの中にあります。
His voice still calls you to return, and he will be heard when you place no other gods before him.
神の声は、あなたに戻ってくるようにと、今もなお呼びかけています。そして、あなたが真の神の前にどんな神々をも置かなくなったとき、真の神の声が聞こえるでしょう。
You can give up the god of sickness for your brothers; in fact, you would have to do so if you give him up for yourself.
あなたは、自分の兄弟たちに代わって病いの神を放棄することができます。実際に、もしあなたが自分自身のために病いの神を放棄するなら、あなたは兄弟たちのために病いの神を放棄せざるをえなくなるはずです。
For if you see the god of sickness anywhere, you have accepted him.
というのは、もしあなたがどこかに病いの神を見るとすれば、それは、あなたがすでに病いの神を受け入れてしまっているということだからです。
And if you accept him you will bow down and worship him, because he was made as God's replacement.
そして、もしあなたが病いの神を受け入れるなら、あなたは病いの神にひれ伏して崇拝するようになります。なぜなら、病いの神は真の神に取って代わらせるために作られたものだからです。
He is the belief that you can choose which god is real.
病いの神は、あなたがどちらの神を本物にするか選択できると信じていることを示しています。
Although it is clear this has nothing to do with reality, it is equally clear that it has everything to do with reality as you perceive it.
どんなにあなたが自分にはどちらを本物の神にするか選べると信じようが、あなたの信念が現実にどちらの神が本物なのかとは無関係で影響しないことは明らかです。けれども、このあなたの信念が、あなたが現実をどのようなものとして知覚するのかを全面的に左右するのも、同じように明らかなことです。


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