M25 超能力は望ましいもの?
A sixth sense cannot make up for a total lack of common sense.
第六感で常識の完全な欠落を補うことはできない。
Natsuki Takaya
高屋奈月
The psychic task which a person can and must set for himself is not to feel secure, but to be able to tolerate insecurity.
個人が霊的な面で自ら修めることができ、そして得るべきことは、安全を感じられるようになることではなく、危険を受け入れられる度量を身につけることだ。

Erich Fromm
エーリッヒ・フロム

今回は、教師のためのマニュアルから、超能力についての第25節をご紹介します。
超能力
「"Psychic" Powers」サイキック・パワーは霊力や精神の力等いろいろ訳語のあて方はあると思いますが、この節は前節の輪廻転生と同じような趣旨で一般的に超自然的なものとされている概念のひとつとして論じていますので、「超能力」としてみました。
超能力は、誰もが欲しがる力です。私だって、もらえるものなら、固辞することなくありがたくいただきます。
さて、奇跡のコースは超能力についてどう考えているのでしょうか。

本設の概要
本節の骨子はこうです。
すなわち、
一般的な超能力というものは魔術のトリックであって、それは望ましいものではない。
だけど、そもそも、私たちは本当は人間ではなく、すべてを持ち、すべてでもある神の子なのに、神の子が狂気に陥って、幻想世界を作り出し、その中で動き回る無数のアバターたちを作り出して、自分を分裂させて複数の小さな自己になりきっているだけというのが真実である。
つまり、自己矮小化して限定された能力しか持たない人形に自己同一化しているわけで、自分で自己制限を設けているだけだから、その自分で課している制約が外れることで、より自然な状態になることによって発現してくる能力は、「不自然」な能力などではない。
そもそも本当の自分が神の子であることを思い出すことの壮大さを想えば、アバターの能力が通常のレベルを超絶する程度のことなど、驚嘆するにも関心を抱くにも値しないが、神の子自身が自分を平凡なアバターだと誤信する仕組みで幻想が維持されているがゆえに、非凡な能力があることを示すことで自己認識に揺さぶりをかけることは有益であり、超能力は教えの助けとして有効に活用することができる点では望ましい。
有効に使うには、エゴではなく、聖霊に渡して、聖霊が務めを果たすために用いてもらうべきだ、と。
救済には各自が自分独自の貢献をすることが必要
救済は、あらゆる能力を必要とするといいます。
そして、個別の心が持つ能力は、それぞれに個性を持ちます。
TVドラマシリーズ「ヒーローズ」(HEROES)や漫画の「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるように一口に超能力といっても多様な個性の能力があります。
超能力に分類される力であれ、通常の能力とされる力であれ、自分の持つ能力を救済のために活かすことこそが、個別の心の役割です。
「この世界の配役について」というテーマでお話ししたところです。
自然な状態になった際に発現する能力は、SF小説やテレビや映画に出てくるような力であっても、まったくおかしくはありません。
なぜなら、この世界自体が幻想なわけですから。
もし、世界中の人たちの記憶を書き換えて、人が空を飛ぶのが当たり前ということになれば、たぶん、人は飛ぶのでしょう。
幻にすぎないとすれば、そんなことは映画の中の出来事と同じ程度の重要性しかないのです。
そんなことよりも、超能力なんかに目がくらんで
「Yet nothing he can do can compare even in the slightest with the glorious surprise of remembering Who he is.
しかし、彼には、自分が本当は何者であるか思い出すことによる輝かしい驚嘆にほんのわずかでも比べられるようなことなど何もなしえません。」
自分が本当が何者なのか、それを思い出すことの大切さを忘れたくないものです。

Section 25
第25節
Are "Psychic" Powers Desirable?
「超能力」は望ましいものか
1. The answer to this question is much like the preceding one.
この質問に対する答えは、ひとつ前の節で話したこととほとんど同じようなものになります。
There are, of course, no "unnatural" powers, and it is obviously merely an appeal to magic to make up a power that does not exist.
もちろん、「不自然な」力など存在しないのであって、存在しない力を作り出そうとするのは、魔術に訴えかけることにほかならないのは明白なことです。
It is equally obvious, however, that each individual has many abilities of which he is unaware.
しかしながら、個々人が自分でも気づかないような多様な能力を持っているのも同じく明白なことです。
As his awareness increases, he may well develop abilities that seem quite startling to him.
その者の自覚が増してゆくにつれて、彼が自分でも本当に驚くような能力が開花してくることも珍しいことではありません。
Yet nothing he can do can compare even in the slightest with the glorious surprise of remembering Who he is.
しかし、彼がどんなことをできるようになろうとも、そんなことは、彼が本当は自分が何者であるかを思い出すことで得る栄光に満ちた驚嘆には、とうてい及びもつきません。
Let all his learning and all his efforts be directed toward this one great final surprise, and he will not be content to be delayed by the little ones that may come to him on the way.
彼は、この唯一の偉大な最終的な驚嘆に向けて、すべての学びとすべての努力を注ぐべきです。そうすれば、彼は、道の途中で彼が出くわすかもしれないささやかな驚きなどに自分の足を引っ張られることに甘んじることはできなくなるはずです。
2. Certainly there are many "psychic" powers that are clearly in line with this
course.
たしかに、このコースとはっきりと調和するような「超自然的な」力はいくらでもあります。
Communication is not limited to the small range of channels the world recognizes.
心と心が意志を伝達する経路は、この世界で承認されている狭い範囲だけに限定されるものではないからです。
If it were, there would be little point in trying to teach salvation.
もしそうであったなら、救済を教えようとする試みは、ほとんど効果を上げることなどできないでしょう。
It would be impossible to do so.
狭い範囲の経路に限られたコミュニケーションによって救済を教えることなど不可能なはずです。
The limits the world places on communication are the chief barriers to direct experience of the Holy Spirit, Whose Presence is always there and Whose Voice is available but for the hearing.
コミュニケーションに世界が押しつける制限は、聖霊を直に経験することを妨げる主要な障害ですが、聖霊はつねに臨在しており、望みさえすればいつでも聖霊の大いなる声を聞くことができます。
These limits are placed out of fear, for without them the walls that surround all the separate places of the world would fall at the holy sound of His Voice.
このような制限は、恐怖によって押しつけられます。というのも、恐怖がなければ、世界のすべての分離された場所を取り囲む壁はすべて、聖霊の大いなる声の神聖な響きによって崩落してしまうからです。
Who transcends these limits in any way is merely becoming more natural.
どのような方法であれ、これらの制限を克服する者は、単に、より自然な状態になっているだけなのです。
He is doing nothing special, and there is no magic in his accomplishments.
彼は、何も特別なことはしてはいないし、彼の成し遂げたことには魔術は一切関わりを持ちません。
3. The seemingly new abilities that may be gathered on the way can be very helpful.
道の途中で身につくかもしれない新しい能力のように見える力は、とても有益に活用することができます。
Given to the Holy Spirit, and used under His direction, they are valuable teaching aids.
その力を聖霊に渡し、聖霊の導きの下に用いるなら、それらの能力は役に立つ教えの道具となります。
To this, the question of how they arise is irrelevant.
その能力が教えの助けとなることに関して、それらの能力をどのように身につけかは関係ありません。
The only important consideration is how they are used.
検討してみる価値があることがあるとすれば、それは、それらの能力をどのように活用できるかということだけです。
Taking them as ends in themselves, no matter how this is done, will delay progress.
能力の獲得それ自体を目的とするものとして能力を捉えるなら、その能力がどのように用いられたとしても、進歩を遅れさせることになります。
Nor does their value lie in proving anything; achievements from the past, unusual attainment with the "unseen," or "special" favors from God.
また、それらの能力に、その者の過去世での偉業であったり、その者が「見えざる存在」と非凡なる調和を遂げているとか、その者が神から「特別な」寵愛を受けていることを少しでも証明する価値があるわけではありません。
God gives no special favors, and no one has any powers that are not available to everyone.
神が特別に誰かを偏愛することはないので、誰もが得られるわけではない力を自分だけ得るということは誰にもできないからです。
Only by tricks of magic are special powers "demonstrated".
特別な力は、ただ魔術のトリックによってのみ実証されるのです。
4. Nothing that is genuine is used to deceive.
その能力が本物であるかぎり、それを騙すために用いることなどできません。
The Holy Spirit is incapable of deception, and He can use only genuine abilities.
聖霊には騙す能力がないので、聖霊には本物の能力しか使えません。
What is used for magic is useless to Him.
魔術のために用いられるものは、聖霊の役には立ちません。
But what He uses cannot be used for magic.
逆に、聖霊が用いるものを魔術に用いることもできません。
There is, however, a particular appeal in unusual abilities that can be curiously tempting.
しかしながら、非凡な能力には独特の魅力があり、不思議なほど惹きつける力を持ちうるものです。
Here are strengths which the Holy Spirit wants and needs.
ここに、聖霊が望み、必要とする強さがあります。
Yet the ego sees in these same strengths an opportunity to glorify itself.
しかし、エゴは、これらの同じ強さの中に、エゴ自らを賛美する機会を見ています。
Strengths turned to weakness are tragedy indeed.
弱点に転じてしまった強みなど実に悲劇的なものです。
Yet what is not given to the Holy Spirit must be given to weakness, for what is withheld from love is given to fear, and will be fearful in consequence.
しかし、聖霊に渡されていないものは、弱さに渡されてしまったに違いないのです。というのも、愛に渡さないでおかれたものは、恐怖に引き渡されたのであり、結果として恐ろしいものになってしまうからです。
5. Even those who no longer value the material things of the world may still be deceived by "psychic" powers.
もはや世界の物質的な物事に価値を置かないようになった者たちでさえ、なおも、「霊的な」能力によって惑わされてしまうことがありえます。
As investment has been withdrawn from the world's material gifts, the ego has been seriously threatened.
世界の物質的な贈り物に思い入れすることにお預けを食うことで、その者のエゴは深刻な脅威にさらされてきたのです。
It may still be strong enough to rally under this new temptation to win back strength by guile.
そのエゴは、この新たな誘惑を機に、狡猾さを発揮して力強さを取り戻して巻き返しを図るだけの余力を今なお残しているかもしれません。
Many have not seen through the ego's defenses here, although they are not particularly subtle.
エゴの防御はとりたてて巧妙で気づきがたいわけでもないのですが、多くの者はここにエゴの防御があるとは見抜けません。
Yet, given a remaining wish to be deceived, deception is made easy.
しかも、惑わされたいという願望が残っていると、こともなく騙されてしまいます。
Now the "power" is no longer a genuine ability, and cannot be used dependably.
そうなると、すでに「力」は本物の能力ではなくなってしまうので、信頼して用いることもままなりません。
It is almost inevitable that, unless the individual changes his mind about its purpose, he will bolster his "power's" uncertainties with increasing deception.
その個人がその目的について自分の心を変えないかぎり、おそらく彼は欺瞞を増大させることで自分の「力」の疑わしさを補強せざるをえなくなるでしょう。
6. Any ability that anyone develops has the potentiality for good.
誰が発達させるどんな能力であろうとも、能力は良いことのために役立つ潜在性を秘めています。
To this there is no exception.
このことに、例外は一切ありません。
And the more unusual and unexpected the power, the greater its potential usefulness.
そして、その能力が並はずれていて思いがけない力であればあるほど、それが役に立つ潜在的な力はよりいっそう大きくなります。
Salvation has need of all abilities, for what the world would destroy the Holy Spirit would restore.
救済はあらゆる能力を必要とします。というのも、世界が破滅させようとするものを聖霊は修復しようとするからです。
"Psychic" abilities have been used to call upon the devil, which merely means to strengthen the ego.
「霊的な」能力は悪魔を召喚するために用いられてきましたが、それは単に超能力がエゴを強めるために使われたということを意味するだけです。
Yet here is also a great channel of hope and healing in the Holy Spirit's service.
しかし、ここには同時に、聖霊の役に立つ希望と癒しをもたらす素晴らしい経路があります。
Those who have developed "psychic" powers have simply let some of the limitations they laid upon their minds be lifted.
「超自然的な」能力を発達させてきた者たちは、単に、自分で自分の心に課していた制限をいくらか解除しただけなのです。
It can be but further limitations they lay upon themselves if they utilize their increased freedom for greater imprisonment.
もし彼らが自分たちの拡大した自由をより幽閉の強度を増すために用いるなら、それは、自分で自分自身によりいっそうの制限を課すことにしかなりえません。
The Holy Spirit needs these gifts, and those who offer them to Him and Him alone go with Christ's gratitude upon their hearts, and His holy sight not far behind.
聖霊は、このような特殊な才能を必要としています。そして、それらの才能を聖霊に、ただ聖霊にのみ捧げる者たちは、自らの胸にキリストからの感謝を抱いて進み、キリストの聖なる姿がすぐ後ろに見えています。

