T23-Intro 自分自身との戦い
2013年10月07日
暗闇というのは光の不在にほかならない
エゴとは覚醒の不在だ
もしあなたが自分の実在に覚醒をもたらしたら
突如として、そこにエゴはない

OSHO
I didn’t know it, but I was at war with myself and I was losing.
私はそれを知らなかったが、私は自分自身と戦っていて、しかも私は負けていたのだ。

Gary Renard
ゲイリー・R.レナード
Anyone can deal with victory.
勝利に対処することは誰にでもできる。
Only the mighty can bear defeat.
ただ強者だけが敗北に耐えることができる。

Adolf Hitler
アドルフ・ヒトラー
人生が困難なのではない。
あなたが人生を困難にしているのだ。
人生は、きわめてシンプルである。

アルフレッド・アドラー
敵は他人なのではない、敵はあなた自身に存在しているのだ。

ジッドゥ・クリシュナムルティ
われわれが対処すべきは外の敵ではなく、内なる敵ではないのか? つまり、自分のどのような想念が、結果的に自分に牙を向いてきたのかを考えるべきなんだ。
ヨーダはルークの内なる敵を見抜いていた。それは、武装までして撃退しようとした恐れだ。焦り、自制心のなさ、すべてはその恐れから来ていた。ルークは手痛い失敗を通して、想念をコントロールする大切さを学んだのだった。

ジャン=クー・ヤーガ(「ジェダイの哲学 フォースの導きで運命を全うせよ」113ページ)

自分自身との戦いという題のテキスト第二十三章の序論をご紹介します。
私たちの世界観=自己認識
私たちは自分は分離の世界に生きていて、自分は身体である、または身体に閉じ込められた魂であると信じ、自分は敵に囲まれて危険な世界に生きている、そして、身体が死ねば、自分は消滅する、あるいは、死後の世界でも個別の魂として存続し、輪廻すると思っています。
しかし、私たちは本当は神の子であり、神の子はすべてであると同時にすべてを持つ存在であるというのが真実であるとすると、私たちは、本当はすべてである自分をちっぽけな存在に縮小して、本当は自分である残りのすべてを自分ではない敵とみなして、戦いを挑んでいる、つまり、自分自身と戦う状態にあるということになります。
これは深刻な狂気の沙汰です。
人体に置き換えてみると、脊髄の損傷等によって麻痺して意志通りに動かなくなったり、ハンチントン病による不随意運動の症状を呈した右腕を敵とみなして攻撃するような事態だからです。

失うものが何もない者は本当に最強?
1.「No one is strong who has an enemy, and no one can attack unless he thinks he has.
敵を持っている者は誰ひとり強いとは言えないし、自分に敵がいると思わないかぎり、誰も攻撃などできないはずです。
Belief in enemies is therefore the belief in weakness, and what is weak is not the Will of God.
したがって、敵がいると信じることは、弱さを信じることなのです。そして、弱くあることが神の大いなる意志であるはずがありません。」
よく「失うものが何もない者は最強だ」と言ったりします。
たしかに、戦う上で後ろ髪引かれるものがなく、捨て身で敵に立ち向かえる心境が思い切った戦法をとりうる点で強みになるという意味では有利になることがあるのは確かでしょう。
しかし、失うものが何もない状態は、広大な世界の中で自分だと信じるアバター以外は、すべて敵または無関係な存在という弱小な孤独状態でしかありません。
当人の意気込みとしては「最強」かもしれませんが、強さの序列に身を置くことになるので、少しも最強ではありえません。
真の「無敵」とは
それよりも、むしろ、失うものしかない者、つまり、すべてを持ち、すべてである者こそ、真の意味で、文字どおり敵がいない「無敵」の状態にあり、戦わずして勝っている最強の存在です。
上の敵とみなされた右腕からの無自覚な「攻撃」に対して返すべきなのは、リハビリ等の愛に満ちた助けであるはずであり、攻撃して傷つけることではありえません。
合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。
世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。
合気道の極意は、己を宇宙の働きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。
合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、『我は即ち宇宙』なのである。
私はそのことを、武を通じて悟った。
いかなる速技で、 敵が襲いかかっても、私は敗れない。
それは 私の技が、敵の技より速いからではない。これは、速い、遅いの問題ではない。
はじめから 勝負がついているのだ。敵が、『宇宙そのもの である私』と争おうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。
すなわち、私と争おうという気持ちを起こした瞬間に、敵は すでに破れているのだ。

植芝盛平
植芝開祖の言葉、かっこ良すぎてシビれますねぇ(笑)。
M4-5 神の教師の特性5(喜び)が参考になると思います。

Chapter 23 THE WAR AGAINST YOURSELF
第二十三章 自分自身との戦い
Introduction
序論
1. Do you not see the opposite of frailty and weakness is sinlessness?
脆弱さの反対が潔白さであることが、あなたにはわからないのでしょうか。
Innocence is strength, and nothing else is strong.
潔白であることが力なのであって、これ以外に強いものは何もありません。
The sinless cannot fear, for sin of any kind is weakness.
罪のない者には恐れることなどできません。なぜなら、いかなる種類であれ罪は弱さだからです。
The show of strength attack would use to cover frailty conceals it not, for how can the unreal be hidden?
脆弱さを覆い隠すために、攻撃を用いて力強さを示そうとしても、脆弱さを隠し通すことはできません。というのも、実在しないものを隠しおおせるはずがないからです。
No one is strong who has an enemy, and no one can attack unless he thinks he has.
敵を持っている者は誰ひとり強いとは言えないし、自分に敵がいると思わないかぎり、誰も攻撃などできないはずです。
Belief in enemies is therefore the belief in weakness, and what is weak is not the Will of God.
したがって、敵がいると信じることは、弱さを信じることなのです。そして、弱くあることが神の大いなる意志であるはずがありません。
Being opposed to it, it is God's "enemy."
神の意志に反するので、弱さは神の「敵」だからです。
And God is feared as an opposing will.
こうして、神は対立する意志として、恐ろしい存在とみなされます。
2. How strange indeed becomes this war against yourself!
あなたが自分自身にしかけるこの戦いは、本当にどれほど異常なものに成り果てたことでしょうか。
You will believe that everything you use for sin can hurt you and become your enemy.
あなたは、自分が罪のために使うものはすべて自分を傷つけることができ、自分の敵になりうるものと信じるようになります。
And you will fight against it, and try to weaken it because of this; and you will think that you succeeded, and attack again.
そのうえで、あなたは、このことを理由に、自分が罪のために使うものすべてと敵対して相手を弱めようとし、その試みに成功したものと思って、再び攻撃します。
It is as certain you will fear what you attack as it is sure that you will love what you perceive as sinless.
あなたは確実に、自分の攻撃するものを恐れるようになるでしょう。その確実さは、あなたが罪はないと知覚するものをあなたが愛するようになるのと同じくらい間違いのないことです。
He walks in peace who travels sinlessly along the way love shows him.
愛が自分に指し示す道に沿って潔白に旅する者は平安に道を歩みます。
For love walks with him there, protecting him from fear.
というのは、愛が彼とともに歩み、彼を恐れから守ってくれるからです。
And he will see only the sinless, who can not attack.
したがって、彼は、攻撃することのできない罪なき者たちだけを見るでしょう。

3. Walk you in glory, with your head held high, and fear no evil.
毅然と顔を上げて、栄光の中を歩みなさい。いかなる邪悪をも恐れることはありません。
The innocent are safe because they share their innocence.
潔白な者たちは安全です。なぜなら、彼らは、自分たちの潔白さを分かち合っているからです。
Nothing they see is harmful, for their awareness of the truth releases everything from the illusion of harmfulness.
彼らの目にするものには、何ひとつ有害なものはありません。というのは、彼らが真理を自覚することによって、万物が有害な幻想から解き放たれるからです。
And what seemed harmful now stands shining in their innocence, released from sin and fear and happily returned to love.
そして、有害に見えていたものは、罪と恐れから解放されて幸せに愛へと戻り、今、自らの潔白さの中で輝いています。
They share the strength of love because they looked on innocence.
彼らは潔白さを確かに見つめたので、愛の持つ力を分かち合っています。
And every error disappeared because they saw it not.
そして、彼らが誤りを見なかったので、誤りはひとつ残らず消え去りました。
Who looks for glory finds it where it is.
栄光を探し求める者は、栄光のあるところで栄光を見出します。
Where could it be but in the innocent?
その栄光は、潔白なる者の中以外のどこにあるというのでしょうか。
4. Let not the little interferers pull you to littleness.
つまらない足手まといによって卑小な状態にくすぶっていてはなりません。
There can be no attraction of guilt in innocence.
潔白さの中には、罪悪感の魅力が存在する余地はありません。
Think what a happy world you walk, with truth beside you!
真理を自らの傍らにするなら、自分がどれほど幸せな世界を歩むことになるか考えてみてください。
Do not give up this world of freedom for a little sigh of seeming sin, nor for a tiny stirring of guilt's attraction.
罪のように見えるものを少しばかり名残惜しく感じるとか、罪悪感の誘惑によるくだらない興奮に心を動かされるからといって、そんなものと引き換えに、この自由な世界を手放してはなりません。
Would you, for all these meaningless distractions, lay Heaven aside?
あなたはこんな、どれもこれも無意味な憂さ晴らしにもならないようなもののために、天国を捨て去ろうというのでしょうか。
Your destiny and purpose are far beyond them, in the clean place where littleness does not exist.
神があなたに定めた目的は、そんなものなど遠く及ばない、矮小さの存在しない清浄な場所にあります。
Your purpose is at variance with littleness of any kind.
あなたの目的はどんな矮小なものとも相容れません。
And so it is at variance with sin.
だから、あなたの目的は罪とは相容れないのです。

5. Let us not let littleness lead God's Son into temptation.
矮小なものが神の子を誘惑に導くがままにさせていてはなりません。
His glory is beyond it, measureless and timeless as eternity.
神の子の栄光は、矮小さを超える計り知れないものであり、永遠と同じく時間を超越しています。
Do not let time intrude upon your sight of him.
あなたが神の子を見ることを時間に妨げさせてはなりません。
Leave him not frightened and alone in his temptation, but help him rise above it and perceive the light of which he is a part.
神の子を誘惑にさらされて、ひとりで怖がらせておくようなことはしないでください。そうではなく、彼がそんな誘惑に負けずに、自らが一端をなす光を知覚できるように彼を助けてあげなさい。
Your innocence will light the way to his, and so is yours protected and kept in your awareness.
あなたの潔白さが、自らの潔白さに至る彼の道を照らすでしょう。そうすることで、あなた自身の潔白さは守られ、あなたは自分の潔白さを自覚し続けられるようになります。
For who can know his glory, and perceive the little and the weak about him?
というのも、自らの栄光を知りながら、自分のことを取るに足らない弱い存在だと知覚できる者は誰もいないからです。
Who can walk trembling in a fearful world, and realize that Heaven's glory shines on him?
恐れに満ちた世界を恐怖に震えて歩みながら、天国の栄光が自分を照らしていると理解できる者がいるでしょうか。
6. Nothing around you but is part of you.
あなたの周りにあるものはひとつ残らずすべて、あなたの一部です。
Look on it lovingly, and see the light of Heaven in it.
愛をこめて自分の周囲にあるものすべてを見つめ、その中に天国の光を見てください。
So will you come to understand all that is given you.
そうすれば、あなたは自分に与えられているものすべてを理解できるようになるでしょう。
In kind forgiveness will the world sparkle and shine, and everything you once thought sinful now will be reinterpreted as part of Heaven.
優しい赦しの中で、世界はきらきらと光り輝き、あなたがかつて罪深いと思ったことのすべてが、今では、天国の一部として解釈し直されるでしょう。
How beautiful it is to walk, clean and redeemed and happy, through a world in bitter need of the redemption that your innocence bestows upon it!
あなたの潔白さに救いを授けてもらうことを何としても必要としている世界を、清らかで救われた幸せな気持ちで歩んでゆくのはどんなに素晴らしいことでしょう。
What can you value more than this?
あなたはいったい何に、これ以上の価値を置くことができるでしょうか。
For here is your salvation and your freedom.
ここにこそ、あなたの救いとあなたの解放があります。
And it must be complete if you would recognize it.
そして、あなたがそれを認めさえすれば、必ずあなたの救済と解放は完了するのです。


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