T14-2 喜んで学ぶ者
Do not train a child to learn by force or harshness, but direct them to it by what amuses their minds.
無理強いや厳しさによって学ぶように子供を教育するのではなく、子どもの心を楽しませるものによって彼らが学ぶように導きなさい。

Plato
プラトン
“I am still learning.” – Michelangelo, age 87
ミケランジェロ 87歳 「私は今もなお、学び続けている。」

I don’t love studying.
私は勉強は好きじゃありません。
I hate studying.
勉強するのは大嫌いです。
I like learning.
でも、私は学ぶのは好きです。
Learning is beautiful.
学ぶことは素晴らしいことです。

Natalie Portman
ナタリー・ポートマン

今回はテキスト第14章から「喜んで学ぶ者」という一節をご紹介します。
楽しくコースを学べてますか?
みなさんは、奇跡のコースを楽しく学んでいるでしょうか?
再三述べているように、奇跡のコースは覚えるための学びではなく、この世界から教え込まれてすでに学んでしまった間違いを忘れるための学びです。
T18-4 ささやかな意欲、この世界での配役についてで述べたように、この世界の教育観は、決められた枠に満たない不足を埋め合わせ、枠をはみ出すところは削ぎ取って型通りの理想像に粘土を継ぎ足しする塑像(粘土細工)的な教育観であるのに対して、コースの教育観は、ミケランジェロが、大理石の中に閉じ込められた天使を見て、天使を自由にしてあげるために岩を彫ってあげた(T24-Intro 自分の価値観を疑ってみる)というような彫像的な教育観です。

「劣った」自分以外の「優れた」自分になるための学びは苦痛でしかないはず
塑像的教育観に基づく詰め込み学習は骨が折れて苦痛を感じるものですが、忘れるための学習、それも間違いを取り除いてゆく彫像的教育観に基づく学習は、学べば学ぶほど、本当の自分の本質、魂が露わになって光り輝いてくるので、自分の中の思考体系がクリアになってすっきりする心地よいものになります。
塑像的教育観では、その社会、業界で理想とされるモデルがあり、それに自分を似せて仕立て上げることが目標となり、自分以外の何者かになることに意義があり、今の無価値な自分から価値ある人物像になることが学びとなります。
そうなると、正解と失敗があることになり、理想に近づけなかったら、失敗であり、落伍者となるということになります。
ありのままの自分になる学びなら、喜びを感じずにはいられないはず
これに対して、塑像的教育観では、社会に貢献している理想的なモデルが教えてくれるのは、その人が自分を掘り出して自分自身になったからこそ独自の存在意義を発揮してみんなに貢献できているということであり、個人の外に理想像があって、それに向かって、その理想の枠にはまるように自分を押し殺して自分以外の価値ある何者かになることに価値があったり、そうする必要があるわけではなく、自分自身になりきることに価値があり、必要なのは自分自身であることに邁進することだけになります。
したがって、塑像的な教育観からすれば不正解、失敗と評価される害悪に見える出来事も、彫像的教育観から見れば、その出来事を自分を閉じ込めている岩の塊を掘り崩すチャンスとして正しく捉え直すことさえ忘れなければ、すべて正解であり、世間的な間違い、失敗はむしろ歓迎すべき祝福となります。
どんな間違いも祝福に変えて本当の自分を掘り出せる喜びに満ちた学び
そして、エゴ・身体という岩の塊の中に閉じ込められた状態から彫って削ぎ落としてゆく「間違い」というのは、自分とは何なのか、他者とは何なのか、世界は何なのか、ということに関するもの、神との分離、他者との隔たりという分離幻想を意味する"The gap" 「隙間」(T29-1 隙間を閉じる)です。
したがって、彫刻によって顕になってくるのは、自他分離は錯覚だということです。
よって、彫像的教育感では、自分とは他者と分離した死すべき卑小な存在であり、世界は自分の敵である他者によって構成される危険極まりない場所であるということがまったくの嘘偽りで、それをまるごとひっくり返したことが真実だと学べるということになります。
学べば学ぶほど、世界は恐怖の場所から安全な場所に変わり、果ては世界と自分はひとつなのだという認識につながるというのですから、これほど喜びに満ちた学習はありません。
イェシュアの思考をなぞること自体が悦び
このような内容面はもちろんですが、コースの独特のイェシュア=聖霊の思考法をなぞることは、切れ味の良い名刀を振るうような痛快な感覚を味わせてくれるので、繰り返し読んでいるうちに、どんどん離れがたくなってくる味わい深さがあり、きっと、このサイトの読者のみなさんもこの感覚を実感して、奇跡のコースの虜になって、日常的にコースの文章に接していないと「息が苦しくなる」(笑)という方も少なくないと思います。
コースは1回読了して終わりという本ではありません。
繰り返し読んで喜んで学び、すべてを忘れてすべてを思い出しましょう!

テキスト 第十四章
II. The Happy Learner
二 喜んで学ぶ者
1. The Holy Spirit needs a happy learner, in whom his mission can be happily accomplished.
聖霊は喜んで学ぶ者を必要としています。幸せな学び手によってこそ、聖霊の使命はつつがなく成就されうるからです。
You who are steadfastly devoted to misery must first recognize that you are miserable and not happy.
あなたは惨めさに頑としてしがみついているので、まず自分が不幸であって幸福ではないと認めなければなりません。
The Holy Spirit cannot teach without this contrast, for you believe that misery is happiness.
聖霊は、このように不幸と幸福を対照することを抜きにしては教えることはできません。なぜなら、あなたは不幸が幸福だと信じてしまっているからです。
This has so confused you that you have undertaken to learn to do what you can never do, believing that unless you learn it you will not be happy.
不幸が幸福だと信じることで、あなたはすっかり混乱してしまいました。そのせいであなたは、自分には絶対にできもしないことをなすための学習を始めてしまいました。それは、自分には絶対にできないことをできるようにならないかぎり、自分は決して幸せになれないと信じこんでしまったからです。
You do not realize that the foundation on which this most peculiar learning goal depends means absolutely nothing.
このような異常極まる学習目標が依拠する土台がはまったく無意味であることに、あなたは気づいていません。
Yet it may still make sense to you.
もっとも、あなたにとっては、それは依然として意味を持っているのかもしれません。
Have faith in nothing and you will find the "treasure" that you seek.
無を信じるなら、あなたは自分の探し求める「宝物」を見つけるはずだからです。
Yet you will add another burden to your already burdened mind.
もっとも、あなたは、すでに重荷を背負っている自分の心に、さらに別の重荷を課すだけです。
You will believe that nothing is of value, and will value it.
あなたは、無に価値があるものと信じて、無を大切にするようになります。
A little piece of glass, a speck of dust, a body or a war are one to you.
小さなガラスのかけらや一片の塵も、肉体や戦争も、あなたにとってはどれもみな同じです。
For if you value one thing made of nothing, you have believed that nothing can be precious, and that you can learn how to make the untrue true.
というのは、もしあなたが無でできているもののひとつでも価値を見出して大事にするなら、そのときすでに、あなたは無が貴重なものになりうるし、自分には虚構を真実に変える方法を学び取れると信じているからです。
2. The Holy Spirit, seeing where you are but knowing you are elsewhere, begins his lesson in simplicity with the fundamental teaching that truth is true.
聖霊は、あなたがいる場所を見ながらも、本当はあなたが別の場所にいると知っているので、単純に真理こそ真実であるという基本的な教えからレッスンを始めます。
This is the hardest lesson you will ever learn, and in the end the only one.
これは、あなたがこれから学ぶことになるレッスンの中でも最も難しいレッスンであり、最終的に学ぶたったひとつのレッスンです。
Simplicity is very difficult for twisted minds.
捻じ曲がってひねくれた心にとって、単純であることは非常に難解なものだからです。
Consider all the distortions you have made of nothing; all the strange forms and feelings and actions and reactions that you have woven out of it.
あなた自身が無から作りあげてきた数々の歪曲のすべてをよく考えてみてください。あなたは無から、どれだけ多様で奇妙な姿かたちや感情、行動や反応をあれこれと紡ぎ出してきたことでしょうか。
Nothing is so alien to you as the simple truth, and nothing are you less inclined to listen to.
単純な真理ほど、あなたにとって受け入れがたいものはありません。そして、単純な真理ほどあなたが耳を傾けたがらないものもありません。
The contrast between what is true and what is not is perfectly apparent, yet you do not see it.
真実であるものと真実でないものとの明確な相違は歴然としています。それなのに、あなたにはその違いがわかりません。
The simple and the obvious are not apparent to those who would make palaces and royal robes of nothing, believing they are kings with golden crowns because of them.
無から宮殿や驕奢な衣服を作り出し、その王衣を身にまとって宮殿に住むことで自らを黄金の冠を戴く王であると信じこむような者たちには、単純なことや一目瞭然のことすら容易には理解できないのです。

3. All this the Holy Spirit sees, and teaches, simply, that all this is not true.
聖霊はこれらのことをすべて理解したうえで、単純に、これらのことのすべては真実ではないと教えます。
To those unhappy learners who would teach themselves nothing, and delude themselves into believing that it is not nothing, the Holy Spirit says, with steadfast quietness:
自分自身に無を教えこんで、それが無ではないと信じこめるように自分を騙そうとする不幸な学習者に対して、聖霊は揺ぎない静けさをもって次のように告げます。
The truth is true.
真理こそが真実です。
Nothing else matters, nothing else is real, and everything beside it is not there.
真理以外は何も問題にならないし、真理以外は何も実在しないので、真理以外は何も存在しません。
Let Me make the one distinction for you that you cannot make, but need to learn.
あなたが今はできていないけれど、これから自分でできるようにならなければならないひとつの区別を、私から指摘しておきましょう。
Your faith in nothing is deceiving you.
あなたが無に信頼を置くことで、あなたは思い違いしているのです。
Offer your faith to Me, and I will place it gently in the holy place where it belongs.
あなたの信頼を私に差し出してください。そうすれば、あなたの信頼をそれにふさわしい神聖な場に私がそれを優しく置きましょう。
You will find no deception there, but only the simple truth.
あなたはそこに、一切の誤魔化しを見出すことなく、ただ単純な真理だけを見出すでしょう。
And you will love it because you will understand it.
そして、あなたは真理を理解するようになるので、真理を愛するようになるでしょう。
4. Like you, the Holy Spirit did not make truth.
あなたが真理を作っていないのと同様に、聖霊が真理を作ったわけではありません。
Like God, he knows it to be true.
神が真理を知るように、聖霊は真理が真実であると知っています。
He brings the light of truth into the darkness, and lets it shine on you.
聖霊は真理の光を闇の中にもたらして、真理の光であなたを照らしてくれます。
And as it shines your brothers see it, and realizing that this light is not what you have made, they see in you more than you see.
そして、真理の光が輝くとき、あなたの兄弟たちもその光を見て、この光はあなたが作り出したものではないと気づくので、兄弟たちは、あなたに見えている以上のものをあなたの中に見るようになります。
They will be happy learners of the lesson this light brings to them, because it teaches them release from nothing and from all the works of nothing.
その兄弟たちは、この光が彼らにもたらす教えを喜んで学ぶようになります。なぜなら、その光は、無から、そして、無から生じたあらゆる産物からの解放を教えてくれるからです。
The heavy chains that seem to bind them to despair they do not see as nothing, until you bring the light to them.
あなたが兄弟たちに光をもたらすまでは、自分たちを絶望に縛りつけているように見える重い鎖が無であることが彼らにはわかりません。
And then they see the chains have disappeared, and so they must have been nothing.
ところが、あなたが光をもたらすと、彼らは鎖が消え去っているのを見て、そんな鎖はずっと無であったに違いないとわかるようになります。
And you will see it with them.
そして、あなたも兄弟たちと一緒に鎖が消え去っているのを目にするでしょう。
Because you taught them gladness and release, they will become your teachers in release and gladness.
あなたが兄弟たちに喜びと解放を教えたので、今度は、その兄弟たちがあなたに解放と喜びを教えてくれる教師となります。

5. When you teach anyone that truth is true, you learn it with him.
あなたが誰かに真理こそが真実だと教えるとき、あなたもその人と一緒に真理を学びます。
And so you learn that what seemed hardest was the easiest.
こうして、あなたは最も難しく思えたことが最も簡単なことだったのだと学びます。
Learn to be a happy learner.
喜んで学ぶ者となりなさい。
You will never learn how to make nothing everything.
あなたが無を万物に作り変える方法を学ぶことは決してないでしょう。
Yet see that this has been your goal, and recognize how foolish it has been.
ただ、自分は無から有を作り出すようなことを目標にしていたのだと理解して、自分がいかに愚かなことをしてきたのか認めてください。
Be glad it is undone, for when you look at it in simple honesty, it is undone.
そんな愚かさが解消されるのを喜んでください。というのも、あなたが自分のしてきたことをただ率直に見れば、それは消滅するからです。
I said before, "Be not content with nothing," for you have believed that nothing could content you.
「無に満足してはならない」と前に私が言ったのは、無が自分を満足させてくれるはずだとあなたが信じてきたからです。
It is not so.
あなたが無で満足できるなどないのです。
6. If you would be a happy learner, you must give everything you have learned to the Holy Spirit, to be unlearned for you.
もしあなたが喜んで学べるようになりたいなら、あなたは自分が学んできたことのすべてを聖霊に渡して、あなたのために、それらを記憶から消去してもらわなければなりません。
And then begin to learn the joyous lessons that come quickly on the firm foundation that truth is true.
そのあとで、真理こそ真実であるという確固たる基盤の上に速やかに訪れる喜ばしいレッスンを学びはじめてください。
For what is built there is true, and built on truth.
というのも、その基盤の上に築かれるものは真実であり、そして、それは真理の上に築かれているからです。
The universe of learning will open up before you in all its gracious simplicity.
あなたの前で、その恵み深い簡潔さに包まれて、学びのための宇宙が開闢します。
With truth before you, you will not look back.
真理を目の前にすれば、あなたはもう後ろを振り返ろうとはしないはずです。

7. The happy learner meets the conditions of learning here, as he meets the conditions of knowledge in the Kingdom.
喜んで学ぶ者は、王国で知識を自らのものとするための条件を満たすので、この世界で学ぶための条件も満たします。
All this lies in the Holy Spirit's plan to free you from the past, and open up the way to freedom for you.
このことのすべては、あなたを過去から解放し、あなたのために自由への道を開く聖霊の計画の中に入っています。
For truth is true.
なぜなら、真理こそが真実だからです。
What else could ever be, or ever was?
真理以外の何が真実でありうるでしょうか。また、真理以外の何がかつて真実でありえたでしょうか。
This simple lesson holds the key to the dark door that you believe is locked forever.
この簡単なレッスンの中に、あなたが永遠に閉ざされたままだと信じこんでいる暗い秘密の扉を開く鍵があります。
You made this door of nothing, and behind it is nothing.
あなたは無からこんな扉を作り出したのであり、その扉の向こう側にあるのは無です。
The key is only the light that shines away the shapes and forms and fears of nothing.
その扉を開く鍵とは単に、無からできている姿や形や恐れを、その輝きで消し去る光のことにほかなりません。
Accept this key to freedom from the hands of Christ Who gives it to you, that you may join him in the holy task of bringing light.
光をもたらすというキリストの聖なる任務をあなたも一緒に担うようにと、あなたにこの自由への鍵を差し出しているキリストの手から、その鍵を受け取ってください。
For, like your brothers, you do not realize the light has come and freed you from the sleep of darkness.
なぜなら、兄弟たちと同じように、あなたもまだ、光がすでに到来して闇の眠りからあなたを解放してくれていることに気づいていないからです。
8. Behold your brothers in their freedom, and learn of them how to be free of darkness.
自由になった兄弟たちをよく見てください。そして、彼らから、どのようにすれば闇から解放されるのか学んでください。
The light in you will waken them, and they will not leave you asleep.
あなたの中の光が兄弟たちを目覚めさせるでしょう。そうなれば、目覚めた兄弟たちは、あなたを眠らせたままにはしておかないはずです。
The vision of Christ is given the very instant that it is perceived.
キリストのヴィジョンは、キリストのヴィジョンが知覚されるまさにその瞬間に与えられます。
Where everything is clear, it is all holy.
すべてが明瞭な場所では、すべてがまるっきり神聖です。
The quietness of its simplicity is so compelling that you will realize it is impossible to deny the simple truth.
その神聖な場所の簡素さが備える静寂はあまりに圧倒的なので、単純な真理を否認することなど不可能だとあなたにもわかるはずです。
For there is nothing else.
というのも、そこには真理以外には何もないからです。
God is everywhere, and his Son is in him with everything.
神は至るところに在り、神の子は万物とともに神の内にいます。
Can he sing the dirge of sorrow when this is true?
これが真実だというのに、悲しみの挽歌を歌うことなど神の子にできるでしょうか。

